ミレニアムから新しい世紀を迎え、なんと21世紀は9月11日に起きた同時多発テロからはじまった。湾岸戦争のときに実感した映像の時代を、さらなるショックと共に実感させたのが<9.11>であった。
その多方面からの影響を、映画の世界で表現したのは、まずはイラン、アフガニスタンなどの作品であり、これからも多くの作品が登場することと思う。またここ数年は韓国映画が注目を集めた。<韓流>と言うそうだが、テレビドラマをも含めて、その巧みな展開に感心すること多し、である。
そして、それらの映画を見ることで私たちは、より深く世界を知ることになるだろう。
89年のベルリンの壁崩壊にはじまり、90年代に入ると、なんとソ連邦の崩壊。20世紀は、こういう時代になってきたのである。 そして映画の世界は、デジタルの時代に入った。その象徴的な作品は「タイタニック」。作品そのものも面白かったけれど、興行的にも大成功で、ビデオやDVD販売も大きな数字を出した。
家庭用ビデオの普及は80年代から始まっていたのだが、90年代になると、ごく普通の機器となり、やがてこれはDVDに代わっていく。
キネマ旬報の表紙が「追悼特集」をうたってるのが黒澤明、木下惠介、笠智衆、三船敏朗、渥美清、淀川長治の各氏。20世紀の映画の、まさに象徴的な存在で、この方たちの作品から、あるいはお書きになったものから、私たちは、どんなにたくさんのことを学んだことだろう。 そして時代は、新しい世紀に入っていく。
鈴木清順監督「ツイゴイネルワイゼン」、黒澤明監督「影武者」にはじまった1980年代である。
70年代から話題を集めていた角川映画は、さらに話題を集めた。また巨匠たちと並んで新人監督が多く登場したのもまた80年代である。相米慎二監督「翔んだカップル」、伊丹十三監督「お葬式」、和田誠監督「麻雀放浪記」など。そして89年になると北野武監督「その男、凶暴につき」が登場する。
外国映画では、「クレイマー、クレイマー」「地獄の黙示録」にはじまった時代である。そして「E.T.」の時代でもあった。
アニメでは「風の谷のナウシカ」にはじまる宮崎駿作品のスタートであり、ミニ・シアターが定着した時代であった。
そして日本のソニーが、コロンビア映画を買収。時代の大きなうねりが、映画の世界にも押しよせてきた。
映画の一場面が、ごく当たり前のこととして、キネマ旬報の表紙を飾るようになったのは、1970年代からである。巻頭特集の作品が、表紙にも登場したわけだが、これは他の映画雑誌にも大いに影響を与えたようだ。
和田誠さんのイラスト(1973年9月上旬号の「チャップリンの独裁者」など)、通常号に黒澤明監督の登場、外国製のイラストなど、表紙はますますヴァラエティに富んでいく。70年代は、ブルース・リーの時代であり、「スター・ウォーズ」や「スーパーマン」のSF映画、そして「サタデー・ナイト・フィーバー」が人気を集めた時代であることが分かる。
ベスト・テン号に主演男優賞と主演女優賞の2人(水谷豊、原田美枝子)が登場するようになったのは1976年度から。以後、定番となった。
60年代の前半は、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ、イギリスのフリー・シネマ、そしてポーランド派の登場であり、新しい映画ファンを獲得した時代でもあったのだが、これが表紙に反映されることは、ほとんどなかった。
戦後復刊してから男優がキネマ旬報の表紙に登場したのは、「ブリット」のスティーヴ・マックィーンが最初である。他の映画雑誌を含めても、男優の登場は初めてだったはずである。この号は、たいそうな評判であった。そしてアメリカン・ニュー・シネマの時代になると、さらに表紙は自由になる。
この時代のキネマ旬報で注目したいのは、監督特集やテーマ別の特集、シナリオ集などの増刊が人気を集めたことである。
戦後どっと入ってきたアメリカ映画は、人生の素晴らしさを語りフランス映画は、ちょっとおしゃれに人生の奥深さを教えてくれた。そして日本映画は、民主主義を語ることに始まって、GHQによって封印されていた時代劇が復活したのもこの時代だった。
休刊から半年後の1950年秋にキネマ旬報は新体制で復刊。当時映画雑誌の表紙は<欧米の美女が微笑む> -これが定番だった。キネマ旬報には、ときに日本映画の美女も登場したが、数は少ない。
戦中戦後のこの時代は、まず映画雑誌の統合からスタートした(『キネマ旬報』『新映画』『映画技法』が統合され『映画旬報』として通巻1000号まで出版)。内務省が、劇映画の製作本数その他にクチを出すようになり、だがこの時代、のちの巨匠、黒澤明、木下惠介などの登場も記憶しておきたい。英米の敵国映画は輸入禁止となり、映画の世界もまた暗い時代だった。
そして戦後。一気に映画時代の到来である。1946年に『映画旬報』が廃刊となったことによりキネマ旬報は再び創刊されるが、出版不況にともない1950年春、通巻815号で休刊となる。
アカデミー賞に先立つこと8年。1919年の7月11日に『キネマ旬報』は創刊された。日本で最も歴史のある映画雑誌である。
キネマ旬報が創刊された年、映画界の話題は、D.W・グリフィス監督の「イントレランス」の公開(帝劇)だった。
日本映画では帰山教正監督の「生の輝き」(18)、アメリカ映画ではチャップリンの「担へ銃」(18)や「犬の生活」(18)などが公開されている。
当時のキネマ旬報を見ると、まず広告が面白い。
男優には「氏」が付き、女優には「嬢」という字が付いている。チャールズ・チャップリン氏、メアリー・ピックフォード嬢など。これは敬称ではなく、名前だけでは男優なのか女優なのか分からないからだと聞いたことがある。そういう時代だった。
「キネマ旬報」は、1919年(大正4年)7月に創刊、今年で創刊90年目を迎える長寿雑誌です。創刊当初は学生編集人4人で月3回1の日発行、アート紙4ページの体裁でした。戦時統制により第735号を以って終刊しましたが、戦後に復刊。1950年からは月2回発行となり現在まで続いています。
1924年度(大正13年)からはその年度に素晴らしい実績を残した作品・人物を讃える「キネマ旬報ベスト・テン」を開始。戦争による中断があったものの、大正時代から継続的にベスト・テンは選出され続けており、2008年度のベスト・テンで82回目を数えました。世界的にみても非常に長い歴史を持つ映画賞であり、アメリカのアカデミー賞よりも1回多く開催しています。
株式会社キネマ旬報社は、そのほか映画関係の書籍出版を中心に、さまざまな活動をしています。