本誌情報

キネマ旬報 最新号

通号
1546
通巻No
2360
表紙内容
本誌紹介
「パブリック・エネミーズ」/「イングロリアス・バスターズ」/「インフォーマント!」/映画と食卓
定価
890円(税込)
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キネマ旬報本誌の説明
「キネマ旬報」は今年で創刊90年目を迎える長寿映画雑誌です。毎号映画に関する様々な話題、独占インタビュー、作品・人物評などを取り上げています。毎月5日、20日の月2回発行です。また増刊、臨時増刊として、旬な作品や人物の特集本、データブックなどを発行しています。

本誌情報 索引

ミレニアムから新しい世紀を迎え、なんと21世紀は9月11日に起きた同時多発テロからはじまった。湾岸戦争のときに実感した映像の時代を、さらなるショックと共に実感させたのが<9.11>であった。

その多方面からの影響を、映画の世界で表現したのは、まずはイラン、アフガニスタンなどの作品であり、これからも多くの作品が登場することと思う。またここ数年は韓国映画が注目を集めた。<韓流>と言うそうだが、テレビドラマをも含めて、その巧みな展開に感心すること多し、である。

そして、それらの映画を見ることで私たちは、より深く世界を知ることになるだろう。

ベストテン 1位
2000
顔(阪本順治)
スペースカーボーイ(クリント・イーストウッド)
2001
GO(行定勲)
トラフィック(スティーブン・ソダバーグ)
2002
たそがれ清兵衛(山田洋次)
ロード・トゥ・パーディション(サム・メンデス)
2003
美しい夏キリシマ(黒木和雄)
戦場のピアニスト(ロマン・ポランスキー)
2004
誰も知らない(是枝裕和)
ミスティック・リバー(クリント・イーストウッド)
2005
パッチギ!(井筒和幸)
ミリオンダラー・ベイビー(クリント・イーストウッド)
2006
フラガール(李相日)
父親たちの星条旗(クリント・イーストウッド)
2007
それでもボクはやってない(周防正行)
長江哀歌(ジャ・ジャンクー)
2008
おくりびと(滝田洋二郎)
ノー・カントリー(ジョエル&イーサン・コーエン)
2009

89年のベルリンの壁崩壊にはじまり、90年代に入ると、なんとソ連邦の崩壊。20世紀は、こういう時代になってきたのである。 そして映画の世界は、デジタルの時代に入った。その象徴的な作品は「タイタニック」。作品そのものも面白かったけれど、興行的にも大成功で、ビデオやDVD販売も大きな数字を出した。

家庭用ビデオの普及は80年代から始まっていたのだが、90年代になると、ごく普通の機器となり、やがてこれはDVDに代わっていく。

キネマ旬報の表紙が「追悼特集」をうたってるのが黒澤明、木下惠介、笠智衆、三船敏朗、渥美清、淀川長治の各氏。20世紀の映画の、まさに象徴的な存在で、この方たちの作品から、あるいはお書きになったものから、私たちは、どんなにたくさんのことを学んだことだろう。 そして時代は、新しい世紀に入っていく。

ベストテン 1位
1990
櫻の園(中原俊)
非情城市(候孝賢)
1991
息子(山田洋次)
ダンス・ウィズ・ウルブズ(ケヴィン・コスナー)
1992
シコふんじゃった。(周防正行)
美しき諍い女(ジャック・リヴェット)
1993
月はどっちに出ている(崔洋一)
許されざる者(クリント・イーストウッド)
1994
全身小説家(原一男)
ピアノ・レッスン(ジェーン・カンピオン)
1995
午後の遺言状(新藤兼人)
ショーシャンクの空に(フランク・ダラボン)
1996
Shall we ダンス?(周防正行)
イル・ポスティーノ(マイケル・ラドフォード)
1997
うなぎ(今村昌平)
秘密と嘘(マイク・リー)
1998
HANA-BI(北野武)
L.A.コンフィデンシャル(カーティス・ハンソン)
1999
あ、春(相米慎二)
恋におちたシェイクスピア(ジョン・マッデン)

鈴木清順監督「ツイゴイネルワイゼン」、黒澤明監督「影武者」にはじまった1980年代である。

70年代から話題を集めていた角川映画は、さらに話題を集めた。また巨匠たちと並んで新人監督が多く登場したのもまた80年代である。相米慎二監督「翔んだカップル」、伊丹十三監督「お葬式」、和田誠監督「麻雀放浪記」など。そして89年になると北野武監督「その男、凶暴につき」が登場する。

外国映画では、「クレイマー、クレイマー」「地獄の黙示録」にはじまった時代である。そして「E.T.」の時代でもあった。

アニメでは「風の谷のナウシカ」にはじまる宮崎駿作品のスタートであり、ミニ・シアターが定着した時代であった。

そして日本のソニーが、コロンビア映画を買収。時代の大きなうねりが、映画の世界にも押しよせてきた。

ベストテン 1位
1980
ツイゴイネルワイゼン(鈴木清順)
クレイマー、クレイマー(ロバート・ベントン)
1981
泥の河(小栗康平)
ブリキの太鼓(フォルカー・シュレンドルフ)
1982
蒲田行進曲(深作欣二)
E.T.(スティーヴン・スピルバーグ)
1983
家族ゲーム(森田芳光)
ソフィーの選択(アラン・J・パラク)
1984
お葬式(伊丹十三)
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(セルジオ・レオーネ)
1985
それから(森田芳光)
アマデウス(ミロス・フォアマン)
1986
海と毒薬(熊井啓)
ストレンジャー・ザン・パラダイス(ジム・ジャームッシュ)
1987
マルサの女(伊丹十三)
グッドモーニング・バビロン!(パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ)
1988
となりのトトロ(宮崎駿)
ラストエンペラー(ベルナルド・ベルトルッチ)
1989
黒い雨(今村昌平)
ダイ・ハード(ジョン・マクティアナン)

映画の一場面が、ごく当たり前のこととして、キネマ旬報の表紙を飾るようになったのは、1970年代からである。巻頭特集の作品が、表紙にも登場したわけだが、これは他の映画雑誌にも大いに影響を与えたようだ。

和田誠さんのイラスト(1973年9月上旬号の「チャップリンの独裁者」など)、通常号に黒澤明監督の登場、外国製のイラストなど、表紙はますますヴァラエティに富んでいく。70年代は、ブルース・リーの時代であり、「スター・ウォーズ」や「スーパーマン」のSF映画、そして「サタデー・ナイト・フィーバー」が人気を集めた時代であることが分かる。

ベスト・テン号に主演男優賞と主演女優賞の2人(水谷豊、原田美枝子)が登場するようになったのは1976年度から。以後、定番となった。

ベストテン 1位
1970
家族(山田洋次)
イージー・ライダー(デニス・ホッパー)
1971
儀式(大島渚)
ベニスに死す(ルキノ・ヴィスコンティ)
1972
忍ぶ川(熊井啓)
ラスト・ショー(ピーター・ボグダノヴィッチ)
1973
津軽じょんがら節(斎藤耕一)
スケアクロウ(ジェリー・シャッツバーグ)
1974
サンダカン八番娼館 望郷(熊井啓)
フェリーニのアマルコルド(フェデリコ・フェリーニ)
1975
ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(新藤兼人)
ハリーとトント(ポール・マザースキー)
1976
青春の殺人者(長谷川和彦)
タクシー・ドライバー(マーチン・スコセッシ)
1977
幸福の黄色いハンカチ(山田洋次)
ロッキー(ジョン・G・アビルドセン)
1978
サード(東陽一)
家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ)
1979
復讐するは我にあり(今村昌平)
旅芸人の記録(テオ・アンゲロプロス)

60年代の前半は、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ、イギリスのフリー・シネマ、そしてポーランド派の登場であり、新しい映画ファンを獲得した時代でもあったのだが、これが表紙に反映されることは、ほとんどなかった。

戦後復刊してから男優がキネマ旬報の表紙に登場したのは、「ブリット」のスティーヴ・マックィーンが最初である。他の映画雑誌を含めても、男優の登場は初めてだったはずである。この号は、たいそうな評判であった。そしてアメリカン・ニュー・シネマの時代になると、さらに表紙は自由になる。

この時代のキネマ旬報で注目したいのは、監督特集やテーマ別の特集、シナリオ集などの増刊が人気を集めたことである。

ベストテン 1位
1960
おとうと(市川崑)
チャップリンの独裁者(チャールズ・チャップリン)
1961
不良少年(羽仁進)
処女の泉(イングマール・ベルイマン)
1962
私は二歳(市川崑)
野いちご(イングマール・ベルイマン)
1963
にっぽん昆虫記(今村昌平)
アラビアのロレンス(デヴィッド・リーン)
1964
砂の女(勅使河原宏)
かくも長き不在(アンリ・コルピ)
1965
赤ひげ(黒澤明)
8 1/2(フェデリコ・フェリーニ)
1966
白い巨塔(山本薩夫)
大地のうた(サタジット・レイ)
1967
上意討ち 拝領妻始末(小林正樹)
アルジェの戦い(ジロ・ポンテコルヴォ)
1968
神々の深き欲望(今村昌平)
俺たちに明日はない(アーサー・ペン)
1969
心中天網嶋(篠田正浩)
アポロンの地獄(ピエル・パオロ・パゾリーニ)

戦後どっと入ってきたアメリカ映画は、人生の素晴らしさを語りフランス映画は、ちょっとおしゃれに人生の奥深さを教えてくれた。そして日本映画は、民主主義を語ることに始まって、GHQによって封印されていた時代劇が復活したのもこの時代だった。

休刊から半年後の1950年秋にキネマ旬報は新体制で復刊。当時映画雑誌の表紙は<欧米の美女が微笑む> -これが定番だった。キネマ旬報には、ときに日本映画の美女も登場したが、数は少ない。

ベストテン 1位
1950
また逢う日まで(今井正)
自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ)
1951
麦秋(小津安二郎)
イヴの総て(ジョセフ・L・マンキウィッツ)
1952
生きる(黒澤明)
チャップリンの殺人狂時代(チャールズ・チャップリン)
1953
にごりえ(今井正)
禁じられた遊び(ルネ・クレマン)
1954
二十四の瞳(木下惠介)
嘆きのテレーズ(マルセル・カルネ)
1955
浮雲(成瀬巳喜男)
エデンの東(エリア・カザン)
1956
真昼の暗黒(今井正)
居酒屋(ルネ・クレマン)
1957
米(今井正)
道(フェデリコ・フェリーニ)
1958
楢山節考(木下惠介)
大いなる西部(ウィリアム・ワイラー)
1959
キクとイサム(今井正)
十二人の怒れる男(シドニー・ルメット)
1940年代

戦中戦後のこの時代は、まず映画雑誌の統合からスタートした(『キネマ旬報』『新映画』『映画技法』が統合され『映画旬報』として通巻1000号まで出版)。内務省が、劇映画の製作本数その他にクチを出すようになり、だがこの時代、のちの巨匠、黒澤明、木下惠介などの登場も記憶しておきたい。英米の敵国映画は輸入禁止となり、映画の世界もまた暗い時代だった。

そして戦後。一気に映画時代の到来である。1946年に『映画旬報』が廃刊となったことによりキネマ旬報は再び創刊されるが、出版不況にともない1950年春、通巻815号で休刊となる。

ベストテン 1位
1940
小島の春(豊田四郎)
民族の祭典 オリムピア第1部(レニ・リーフェンシュタール)
1941
戸田家の兄妹(小津安二郎)
(選出せず)
1942
ハワイ・マレー沖海戦(山本嘉次郎)
(選出せず)
1943
(中断)
1944
(中断)
1945
(中断)
1946
大曽根家の朝(木下惠介)
我が道を往く(レオ・マッケリー)
1947
安城家の舞踏会(吉村公三郎)
断崖(アルフレッド・ヒッチコック)
1948
酔いどれ天使(黒澤明)
ヘンリー五世(ローレンス・オリヴィエ)
1949
晩春(小津安二郎)
戦火のかなた(ロベルト・ロッセリーニ)
1910~30年代

アカデミー賞に先立つこと8年。1919年の7月11日に『キネマ旬報』は創刊された。日本で最も歴史のある映画雑誌である。

キネマ旬報が創刊された年、映画界の話題は、D.W・グリフィス監督の「イントレランス」の公開(帝劇)だった。

日本映画では帰山教正監督の「生の輝き」(18)、アメリカ映画ではチャップリンの「担へ銃」(18)や「犬の生活」(18)などが公開されている。

当時のキネマ旬報を見ると、まず広告が面白い。

男優には「氏」が付き、女優には「嬢」という字が付いている。チャールズ・チャップリン氏、メアリー・ピックフォード嬢など。これは敬称ではなく、名前だけでは男優なのか女優なのか分からないからだと聞いたことがある。そういう時代だった。

ベストテン 1位
1924
巴里の女性(チャールズ・チャップリン)
幌馬車(ジェイムズ・クルーズ)
1925
嘆きのピエロ(ジャック・カトラン)
バグダッドの盗賊(ラオール・ウォルシュ)
1926
足にさはった女(阿部豊)
黄金狂時代(チャールズ・チャップリン)
1927
忠次旅日記 信州血笑篇(伊藤大輔)
第七天国(フランク・ボゼージ)
1928
浪人街 第一話 美しき獲物(マキノ正博)
サンライズ(F・W・ムルナウ)
1929
首の座(マキノ正博)
紐育の波止場(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)
1930
何が彼女をそうさせたか(鈴木重吉)続大岡政談魔像篇第一(伊藤大輔)
西部戦線異状なし(ルイス・マイルストン)/アスファルト(ヨーエ・マイ)
1931
マダムと女房(五所平之助)
モロッコ(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)
1932
生まれてはみたけれど(小津安二郎)
自由を我等に(ルネ・クレール)
1933
出来ごころ(小津安二郎)
制服の処女(レオンティーネ・ザガン)
1934
浮草物語(小津安二郎)
商船テナシチー(ジュリアン・デュヴィヴィエ)
1935
妻よ薔薇のやうに(成瀬巳喜男)
最後の億万長者(ルネ・クレール)
1936
祇園の姉妹(溝口健二)
ミモザ館(ジャック・フェデー)
1937
限りなき前進(内田吐夢)
女だけの都(ジャック・フェデー)
1938
五人の斥候兵(田坂具隆)
舞踏会の手帖(ジュリアン・デュヴィヴィエ)
|2004年8月上旬特別号・キネマ旬報創刊85周年「表紙で振り返る『キネマ旬報』の歴史」(解説:小藤田栄子)より抜粋・改変
|表紙画像の一部は「日本映画資料の小部屋」の協力によるものです。
キネマ旬報の歴史

「キネマ旬報」は、1919年(大正4年)7月に創刊、今年で創刊90年目を迎える長寿雑誌です。創刊当初は学生編集人4人で月3回1の日発行、アート紙4ページの体裁でした。戦時統制により第735号を以って終刊しましたが、戦後に復刊。1950年からは月2回発行となり現在まで続いています。

1924年度(大正13年)からはその年度に素晴らしい実績を残した作品・人物を讃える「キネマ旬報ベスト・テン」を開始。戦争による中断があったものの、大正時代から継続的にベスト・テンは選出され続けており、2008年度のベスト・テンで82回目を数えました。世界的にみても非常に長い歴史を持つ映画賞であり、アメリカのアカデミー賞よりも1回多く開催しています。

株式会社キネマ旬報社は、そのほか映画関係の書籍出版を中心に、さまざまな活動をしています。