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太平洋戦争:米軍、地図で「日本攻略」南部九州上陸に備え

米軍が南九州上陸に向け作製していた鹿児島県志布志市沿岸部の地図。市街地や幹線道路、港湾の水深などが詳細に記されている。赤木祥彦・福岡教育大名誉教授(75)が、入手した約4000枚を分析し「幻の上陸作戦」に迫った=赤木名誉教授提供
米軍が南九州上陸に向け作製していた鹿児島県志布志市沿岸部の地図。市街地や幹線道路、港湾の水深などが詳細に記されている。赤木祥彦・福岡教育大名誉教授(75)が、入手した約4000枚を分析し「幻の上陸作戦」に迫った=赤木名誉教授提供

 太平洋戦争末期、南部九州上陸を計画した米軍が鹿児島、宮崎県沿岸部を中心に詳細な地図を作製していたことが、地図を入手した福岡教育大名誉教授、赤木祥彦(よしひこ)さん(75)=地形学=の分析で分かった。海の水深や山の起伏、幹線道路などが正確に書き込まれていた。

 赤木さんは約40年前、知人の学者から約4000枚を譲り受けた。地図を作製したのは米陸軍地図局(AMS)だが、知人の入手経緯は不明。赤木さんは退官後の08年から本格的に分析を始め、AMS関係者の証言を直接聞くなどして縮尺の異なる各地の地図を整理し直して全体像を浮かび上がらせた。地図は朝鮮半島や千島列島なども含め当時の日本領全体にまたがる。

 例えば上陸地点の一つに上がっていた「SHIBUSHI」(鹿児島県志布志市)の地図(縮尺2万5000分の1)は町中心部を赤く、軍用車が通れる幹線道路を黒い太線で記載。青く描かれた水田は「通常かんがいされているが乾燥している場合も」と車両や歩兵の移動に注意を促す英文の注釈が付く。また港湾部は水深3、6、10メートルに線が引かれ、海底が砂か岩かまで書き込まれている。欄外には「陸海軍のみ使用 非売・非流通品」の注意書きがあった。

 AMSはこうした実戦用地図を、日米開戦の1941年までに日本陸軍参謀本部が作った地図や市販されていた主要都市の地図などを基に、44~45年に米軍が撮影した航空写真を加味して作製していたとみられる。軍事施設名などが書き込まれた地図も多く、諜報(ちょうほう)活動に成功していた実態がうかがえる。

 赤木さんは「日本の参謀本部所有の地図のお粗末さと比べても、情報戦で日本は米国に圧倒されていたことが分かる。上陸作戦が実行されていれば、沖縄の悲劇が九州各地で繰り広げられただろう」と話している。【阿部周一】

 ◇ことば 南部九州上陸作戦

 米統合参謀本部が計画し、トルーマン大統領が承認した。名称は「オリンピック作戦」、決行日は45年11月1日。鹿児島県の志布志湾と吹上浜、宮崎県の日南海岸の計3カ所を強襲し、宮崎県都農町と鹿児島県薩摩川内市を東西に結ぶラインまで北進、関東に上陸する「コロネット作戦」(46年3月1日決行予定)の出撃拠点とする計画だった。

毎日新聞 2010年8月15日 2時32分

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