岡倉「ラッキョとは何のことです?」
寅「お千代坊だよ、そっくろだろ? ハハ」
岡倉「よくもあんな美しい人を、ラッキョだなんて! そういう君はなんだ、え? 三角フラスコみたいな面しやがって!」
寅「なんか云ったな?」
岡倉「そうでなきゃ、プラカードだ!」
寅「てめえ、さしあたり俺の面のこと云ったな! おう、上等だよ! へぇ、てめえなんだい、夏の日のドブ板じゃないけどな、そりっ返ってるじゃねぇか!しゃくれてらいいってもんじゃないんだよ! 裏ひっくり返したらミミズが!のたくってるじゃねぇか、ざまぁ見ろってんだ、このヤロー!」
岡倉「ナンセンス!」
寅「ナンデンション? 何云ってるか判らないんだよ、お前!」
第10作『男はつらいよ 寅次郎夢枕』より
ある日、寅さんが旅から帰って来たら、御前様(笠智衆)の甥っ子にあたる、東大理部学の助教授・岡倉金之助(米倉斉加年)が二階に下宿をしていた・・・シリーズではおなじみの「貸間あり」騒動のバリエーションが展開される、第10作『寅次郎夢枕』(1972年12月公開)では、このカタブツの岡倉先生の恋を描いています。
その恋のお相手とは、寅さんの幼なじみで、帝釈天参道で美容室・アイリスを最近開いた志村千代(八千草薫)のこと。寅さんは子どもの頃、千代のことを「デカラッキョ」、さくらのことを「チビラッキョ」と、からかって呼んでいました。もちろん寅さんも恋をしているのですが、インテリの岡倉先生が「恋の病」と知るや、多少からかい気味に、張り切って、キューピッドを買ってでます。
インテリと寅さんの組み合わせ。僕が初めて山田洋次監督にインタビューした20年近く前に、そのことについて伺いました。「インテリと寅さん、似合うんだよ。なんだかおかしいんだ」と、山田監督は、博の父(志村喬)、第16作『寅次郎夕焼け小焼け』の池ノ内青観(宇野重吉)、第29作『寅次郎あじさいの恋』の加納作次郎(片岡仁左衛門)などなど、寅さんと名コンビを組んだインテリたちの話をしてくださいました。
米倉斉加年さんが演じた、岡倉金之助は、役名から判るように、東大出身の物理学者で数学者の小倉金之助先生の名前をもじったもの。学問一筋の岡倉先生を、とにかく寅さんは、からかいます。その稚気は見ていて微笑ましく楽しいのですが、大真面目な岡倉先生にとってはたまりません。
しかも、愛するお千代さんを「ラッキョ」呼ばわりするとは! ということでの言い争いなのですが、「三角フラスコ」「プラカード」と精一杯の見立で寅さんを批判した岡倉先生に、寅さんは「夏の日のドブ板じゃないけどな、そりっ返ってるじゃねぇか!」と応戦します。
「夏の日のドブ板」とは、もはや見事というしかありません。寅さんが時々放つ、こうした「見立ての面白さ」は、渥美さんの言い回しのおかしさであり、山田監督の落語的センスでもあります。
結局、寅さんは、岡倉先生のキモチをお千代さんに伝えるべく、彼女とデートに出かけるわけですが・・・ その顛末は、映画を観てのお楽しみ、ということで。
米倉斉加年さんの「思い詰めたインテリ」のおかしさは、シリーズ屈指でもあり、その後も米倉さんは「夢のシーン」にしばしばゲスト出演したり、帝釈天参道前派出所の巡査役も演じました。第15作『寅次郎相合い傘』(75年)の夢では海賊、第16作『葛飾立志篇』の夢では、『荒野の決闘』でヘンリー・フォンダが演じたドク・ホリディを思わせる酔いどれガンマンとして登場します。第16作では轟巡査、第26作『寅次郎かもめ歌』(80年)では青山巡査として、笑いを誘いました。
そして、大原麗子さんが二度目のマドンナをつとめた第34作『寅次郎真実一路』(1984年)では、仕事に疲れたショボクレサラリーマン役で出演。寅さんと久々の名コンビぶりを発揮しました。寅さんと最も相性の良かった、インテリ俳優が米倉斉加年さんだったのかもしれません。
佐藤利明(構成作家/娯楽映画研究家)
来週6月13日(月)〜17日(金)の文化放送「みんなの寅さん」は、スペシャルウィークとして、吉永小百合さんをゲストにお迎えしての「吉永小百合スペシャルインタビュー」、そして山田洋次監督書き下し、倍賞千恵子さん朗読「寅さんの少年時代 けっこう毛だらけ」は第10回「赤紙が来た」前篇をお送りします。お楽しみに!