川端道喜の水仙粽
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水仙粽 |
いよいよこのコラムも最終回である。最後は高級京菓子の代表格と目される川端道喜の水仙粽(すいせんちまき)を採り上げた。
まず笹をふんだんに使ってある。開けてゆくと笹の葉の香りが本格的で、ハンパじゃない。葛粽だから米粉の粽より本来あっさりしているのだが、葛の香りと巻いてある笹から染み出した香りに圧倒されて、「あっさり」などと言えなくなる。非常にピュアな印象がある。それを言い表わすのは難しいが、そのあまりにも透明に広がる媒質を味わうと、あたかも空中を落下しているかのような独特の心地がしてくる。こんな感覚を味わわせてくれるのは、世の中広しといえどこの粽だけだ。これは葛だけがもつ独特の透明感によるものといえる。水仙粽は、この葛の透明感の可能性を極限まで引きだそうとしているのだ。
さて、初回のコラムは松屋常磐のきんとんであった。きんとんの時も今回も、素材感の素晴らしさについて述べている。京菓子は素材で始まり素材に終わるといえるのではないだろうか。例えばかぎ富弘の饅頭(まんじゅう)にしても、皮の風合いが1種類ずつ異なっている。最近食べた北摂の有名な店の饅頭は、食べやすいだけで皮はどれも「ふつう」「同じ」に見えた。京菓子はお饅頭であっても上生菓子であっても、素材から醸しだされる風合いを重んじているのである。
上菓子の場合には素材へのこだわりは、仏教や茶道との関わりを通じて例えば「平常心」を表現する方向へ向かった。丸型わらび餅やお寺の菓子のコラムで述べたように、平常心を表わそうとする菓子はさりげなく目立たず、昔からあるがままという雰囲気を醸しだしている。一方、上菓子は茶道だけでなく宮廷との華やかな結びつきもあった。とらやの嘉祥菓子がその好例であるが、華やかな風趣といえようか。水仙粽は宮廷系の菓子だったものを、明治になってから茶道系の菓子に改良したものである。葛の粽は上品であるものの、笹や葛自体は平素なものである。あくまで平素(平常心)でありながら、えも言われぬ葛の鮮烈感を宿している。その趣きが茶人を魅了したのではなかろうか。
京菓子は素材で始まると述べたが、素材と京菓子文化の関わりを考えると、そこには途方もない奥深さを感じることができる。
(2007年3月)