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最近は本名や顔を出さない作家がいますが、活動に支障はないの?

消極的な安全策が読者をつかむチャンスを逃す一面も

第144回芥川賞・直木賞授賞式で記念写真に納まる西村賢太さん(右から2人目)ら受賞者(2011年2月18日撮影)

 たしかに、プロの作家は小説などの作品を発表するだけでなく、新聞や雑誌、テレビに顔や出身地、学歴、職歴などのプロフィルを公開することが必須とされてきました。

 政治家や俳優、歌手と違って、必ずしも人前に立つわけではないので、嫌々、受賞のインタビューなどを受けていた人も少なくなさそうです。それでも、かなりの程度まで世間に情報公開をするという"義務"を果たさなければ、読者の関心を引かず、本の売れ行きにも影響するとあって、作家自身がマスコミの前に登場することは、暗黙の了解事項となってきました。

 ちょうど1年前の芥川賞で、受賞した西村賢太「苦役列車」がベストセラーになったのも、西村さんの「これから風俗でも行こうかと……」などの受賞記者会見がインターネットで中継され、洗いざらい書いて語る西村氏の個性が注目されたことが大きく後押ししたのでしょう。 

 これまで、日本文芸家協会に所属するプロの作家は、毎年、情報が更新され、販売されている「文芸年鑑」(新潮社刊)に自宅住所や電話、ファクス番号、メールアドレス、生年月日が、代表作品名と共にそのまま公開される慣行が続いてきました。

 掲載の主たる目的は、原稿の注文を直接受けるためで、ベテランの作家ほど、正直にすべてを公開している比率が高いようです。そこには、「作家は政治家などと同様、公人である」という意識も、正々堂々と世の中に個人としての意見を発表する存在であるという覚悟と自負も込められているように思われます。今も約2500人の会員らの多くは、上記の必須項目を明記しています。

 しかし、他の業界ではあまり類を見なくなったこの慣行も、平成に入り、さすがに年を追うごとに崩れてきています。「個人情報」はたとえ作家であれ秘匿するに越したことはないという常識の変化と、実際、詐欺まがいの紳士録の売り込みや寄付の依頼、脅迫めいた手紙まで押し寄せることの不快さ。さらには、さまざまな嫌がらせを"個人営業"である作家自身が被るリスクを避けたいという気持ちが働くのは、よく理解できます。

 一方で、作品やネット上のブログなどで、ある意味で明治から昭和にかけての私小説家以上に、個人生活に立ち入った表現を行う作家も登場しています。逆に、筆を伸びやかに開放するためにあえて個人情報を閉ざすという選択もあり得るでしょう。

 こうした傾向を端的に伝えるのが、やはり年に2回選考が行われる純文学ジャンルの新人の登竜門、芥川賞です。今月17日の第146回芥川賞(直木賞も同日)の選考会を前にちょうど今、候補者が発表されたところですが、石田千、円城塔、田中慎弥、広小路尚祈、吉井磨弥さんの5人の候補者のうち、石田、円城、吉井の3氏が「本名非公表」で、うち2人が生年だけで月日は非公開。現住所まで明かしているのは田中慎弥さんだけ。連絡は、それぞれの候補作を担当した編集者が取り次ぐという体制が固められています。

 毎回殺到する取材陣から出版社が作家を守るやむを得ない手段のようでありますが、プロフィルと肉声のあまりに不明な作家の作品だと、「なんだか温かみを感じられなくて読む気がしない」という声があるのも事実。消極的な安全策が、読者をつかむチャンスを逃す一面を含むのも残念ながら事実でしょう。
(編集委員 尾崎真理子)

 

2012年1月12日  読売新聞)

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