妙心寺について

非戦と平和の宣言文

今度、第百次宗議会に於いて別記の如く宣言が採択されました。この件についてそこに到った経緯を説明させて頂きます。

最近、オーストラリア・アデレート大学准教授、ブライアンビクトリア氏著「禅と戦争」が、米、英、仏、伊国等で出版されました。これは太平洋戦争中の日本禅宗教団の指導的立場にあった禅僧の戦争責任を実名を挙げて、厳しく糾弾するもので、ショッキングな話題になりました。

続いて、日本語訳もこの六月に発刊され、期を一にする如く七月に本派龍沢寺住職水田全一師が必勝祈願の祈祷や講演会を開いたこと、あるいは従軍僧を派遣して戦意高揚に積極的に協力したこと。職域報国会としての臨済宗報国会を組織し、錬成会や献金献納運動などの物心両面にわたる戦争遂行体制の先頭にたって「教化報国」したこと等の「正法輪」の記事を引用して、臨済宗の戦争協力を公にした「戦闘機献納への道」を出版されました。

そんな折り、戦時、日本軍の強制収容による後遺症の夫を介護しつつ、禅門(三宝教団)に帰依して参禅弁道している女性が、「禅と戦争」によって尊敬する教団の老師方が、戦時、戦争に協力すべく積極的発言をされたことにショックを受けたとして、管長様宛に書簡が届きました。それはこの事実に対して、深い悲しみを述べると同時に、戦争責任を懺悔した日本の伝統仏教はわずか四教団にすぎず、臨済各派はいずれも沈黙を守ったままである、と指摘。「過去の過ちを直視することなく、傷つけられた人々の苦しみを認識する事なしに、恒久的な平和は達成できない」として、「臨済宗からの公式な表明の可能性」を検討するよう求める内容でした。小職としては拙速をさけて誰もが事実を知って理解し納得できるかたちにもって行く事が最良と思っていました。

九月十一日、アメリカで、同時多発テロが発生しました。直ちに報復戦争が準備され、十月八日には報復攻撃が始まりました。又、大勢の人々の命がなくなります。

私達宗門人は黙って手をこまねいていていいのだろうか!ここで声を大にして、武力によらない解決をと!報復攻撃の自粛を求め続け、同時に、テロリズムの根絶と脅威と憎悪の悪循環を裁断しなければなりません。それが単なる理想であっても理想の灯を掲げつづけることこそ宗教者としての努めではないでしょうか。

今こそ、真剣に何が出来るか模索しなければならない時です。何が出来るかを考えた時、かつて日本が侵略戦争によって台湾、朝鮮、中国等、アジアの近隣諸国を植民地支配し、計り知れない惨害を与えた事に協力した教団の責任問題は避けて通る事が出来ません。

宗教が共同体や国家の紐帯としての役割の大きかった当時の国情の中で、仕方ないことであると云えば云えます。又、それが無かったら今の教団は存在しえなかったかも知れません。その事が当時としては避けられない選択肢であったのかも知れません。しかし、協力した事は事実です。現在から見て正論であることを当時貫くことによって、教団や寺院を消滅させることが檀信徒に対して宗教家として正しいのかどうか、これは現代に通ずる難しい問題ですが、反省し自己批判することは自らを高めるものであっても、決して貶めるものではありません。

過去を懺悔したからといって、先師の徳を損ずるものではなく、人格を否定するものでもありません。しかし、現在に通じる宗門の構造的なものへの反省と僧侶個々人の意識の変革がなければ未来はありません。ハンセン病問題なども含め、基本的に未来を志向した宗門の過去の懺悔が今必要です。

今回妙心寺派へ属する専門道場の老師方より「臨済禅が目指す自性清淨心の自覚は、必然的に人権の平等、生命の尊厳尊重につながる事は論を待たず一日も早い教団としての懺悔表明を」との要望もありこの様な宣言に到りました。

思えば宣言は第一歩にすぎません。宗門人全てがこの問題を共有し、一人一人何が出来るかを考え、実践して頂くべく宗務行政を進めていくつもりです。

宗門の中にも戦争中の自らの発言行動を悔やみ、それを懺悔反省し、遺骨収拾、慰霊行、戦災孤児の救済などを実践された方々が大勢おられると聞いています。

今回の宣言は、宗門人にとって遅きに失した感はありますが未来へ向っての第一歩と心得ます

宗務総長 細川景一