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龍勢祭

祭り紹介

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歴史江戸時代の火祭りに始まり、火薬の使用で現在の形に

シシゾウ :この祭りはいつごろから始まったのですか?

長谷川さん:諸説ありますが、400年以上の伝統があるといわれています。1725年ごろから始まったのではないかとされていますが、1500年代に「椋神社の例大祭に龍勢ありたり」という一節が出てくる記述もあるそうですので、そのころから存在した可能性はあります。
この龍勢のもとになったといわれているのが、椋神社の例大祭に吉田川の河原で大火を燃し、燃えさしを投げて、その光でご神意を慰め祀ったという神事です。その後、火薬作りが伝わり、現在のような形に変わってきたといわれています。
また以前は、夜間に上げられたこともあったそうです。そのときは、夜は星のごとく輝いて見えるので「流星」、昼は雲の中に突きあがっていく龍の勢いのごとく見えるので「龍勢」という文字が当てられたようです。現在は埼玉県の条例で夜の打ち上げが禁止され、「龍の勢い」と書いた方で統一されています。

シシゾウ :始まりのころから、現在のように櫓から打ち上げるという形だったのですか?

長谷川さん:江戸時代は「一般の人が火薬を取り扱ってはいけない」という規則があったそうなので、記録のほとんどは口伝えで残されており、当初から今のような状態だったのかは定かでありません。明治2~3年の書物には、龍勢櫓からどのように打ち上げられたかを示す絵が残されていますので、明治の初めころにはほぼ今の形と同じだったということが分かっています。

シシゾウ :長い歴史がありますが、祭りは毎年続いてきたのですか?

長谷川さん:戦時中や昭和37年から46年の数年間は中断されていたようです。吉田の町は農業で生計を立てている人がほとんどだったのですが、このころから農業を離れて会社員になる人が多くなりました。会社勤めをしていると龍勢の製造に関わることも難しくなり、参加する人も少なくなってしまったようです。
ですが、この期間に龍勢保存会が発足しています。というのも、祭りが中止されていた間は吉田に活気がなくなり、「龍勢をもう一度見たい」という声が挙がり始めたからです。そのため保存会が設立され、円滑に進められるように環境を整え、祭りは昭和47年に復活しました。

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みどころ300メートル上空まで天高く舞い上がる
手製のロケット

シシゾウ :龍勢を打ち上げる仕組みと様子を教えてください。

長谷川さん:龍勢に関わる団体を「流派」といい、27の流派があります。そもそも龍勢は吉田地区の地域ごとに作られることがほとんどでしたが、現在は有志の参加者も加わり地域を問わずに編成された流派もあります。
龍勢本体の長さは15~18m、重さは30~40kgですが、昨年の一番重い龍勢は50kgあり、年によってはそれを超えるものもあります。龍勢祭当日は、そのように大きく重い龍勢を神社から見て北にある、芦田山中腹の発射櫓に龍勢師達が担いで登り、櫓に装着して点火すると、轟音と共に300mもの上空まで白い煙の尾を引いて上がっていきます。龍勢は「花火」ではなく「ロケット構造」になっていて、火薬が燃えることによってガスに変わり、ガスが噴射する反動で空高く上がっていきます。火薬筒の中にはおよそ5kgの「黒色火薬」が充填されています。黒色火薬は硝石(しょうせき)、炭、硫黄を混ぜ合わせて作りますが、その配合比率に各流派の秘伝があり、それぞれ独自の混ぜ合わせ方を持っています。それから火薬を混ぜ合わせる際「しとり」と呼ばれる水分を加えるのですが、火薬の配合が同じ比率でも、このしとりによっても打ち上がり方は変わります。

シシゾウ :打ち上げは10月の第2日曜の何時から始まるのですか?

長谷川さん:ここ数年は8時40分から15分間隔で打ち上げられ、10時55分で午前の部が終わります。その後、椋神社の祭典が行われます。そして午後12時から再度打ち上げが始まり、最後は16時45分で終わります。その間、全30本の龍勢をご覧いただけます。
祭り当日の朝、椋神社から火種をいただくのですが、この「火取り」をするのに火打石(ひうちいし)を使います。その火を神輿の中に入れ、27流派の代表が担いで櫓の下まで持って行き、龍勢の点火に使われています。

シシゾウ :打ち上げに失敗はないのですか?

長谷川さん:失敗もあります。主に櫓のところでバーンと爆発してしまう「筒撥(ツツッパネ)」と、落下傘が開かず背負い荷も出ずに落ちてしまう「背負いおろし(ショイオロシ)」です。これには、すごくガッカリします。龍勢の準備は構想などから始まって1年がかりです。1年をかけて作ってきたものが、本当に一瞬で終わるのです。バチバチという音が鳴ってドーンと爆発してしまった瞬間は、言葉も涙も出ないくらいのショックを受けます。龍勢師にとって、龍勢の話は酒のつまみですから、成功すれば美味しいお酒が飲め、失敗したら1年間苦いお酒を飲むことになります。ですから、打ち上げにかける思いは計り知れないものがありますね。

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注目ポイント小学校の総合学習にも取り上げられ、
今では携わる龍勢師の数は700人

シシゾウ :27の流派で30本ということは、流派によって作る数が違うのですか?

長谷川さん:奉納申し込みをすれば、全ての流派が1本は作れるという規約になっています。ですが、もう1本作りたいと希望される流派も少なくありません。龍勢を作るのは流派しかできませんが、一般の方も奉納という形で参加が可能で、流派に依頼することもあります。地域の方々が奉納者として申し込まれる以外にも、ご供養、ご両親の金婚式・銀婚式、子どもができたお祝いで上げられる場合もありますし、企業が宣伝のために申し込みをされることもあります。打ち上げ前に「と~ざい~、と~ざい~(東西、東西)、ここにかけ置く龍の次第は…」で始まる口上を述べるのですが、その龍勢の仕掛けや見どころ、製造流派、そして誰がどのような祈願で奉納するかが述べられています。このように口上やプログラムにも載るので宣伝効果も高く、年々申し込み数も増えています。30本を超える申し込み数の時には抽選になります。

シシゾウ :龍勢の作り方は、どのように教わるのですか?

長谷川さん:製造のノウハウは流派のトップである棟梁を中心に、先輩や師匠を見て習って覚えるという方法です。いちばん近い師匠は自分の父親ですね。父親の後について、見て真似て作って。そうやっていくうちに仕組みが分かってきます。火薬の調合は、昔からほとんど変えていません。ただ、打ち上げた後に開く落下傘をいかにしっかりと開かせることができるか、どのような仕掛けを作るかなどの仕組みは、それぞれの流派でとても工夫されています。

シシゾウ :流派に入ったり火薬を扱うのに資格はいるのですか?

長谷川さん:火薬類取締法の規定で18歳未満は作る事ができません。地元の人は、小さいころから父親の作るものを見て、地域に流派があるとその流派に誇りを感じながら育ち、そして自分で作ることができる年齢になったら父親に連れられて入会、という流れが多いようです。他の町から引っ越してきて人づてに紹介され入ったという方もいますし、吉田に住んではいないけれど、祭りの時期が来たら週末の製造に加わるという人もいます。
火薬の取り扱いに関しては「火薬類製造保安責任者」という資格があります。実際には保存会で2名以上持っていれば大丈夫だそうですが、事故が起きてはならないお祭りなので、各流派の方にも勉強してもらい、毎年各流派の代表に資格試験を受けてもらっています。
吉田には作業員として登録されている人だけで、龍勢師が700人います。ただ、吉田龍勢保存会の中には吉田と隣接している、皆野町、横瀬町、小鹿野町の流派も加入しています。もともと龍勢は秩父市内一帯で行われていたものでした。ただ、ほかの町では作る人が少なくなったり、作っている途中の事故が原因で作らなくなったそうです。現在、製造・打ち上げ許可をもらっているのは、椋神社の例大祭のみです。打ち上げ場所も芦田山の櫓が設置されているところと決められています。

シシゾウ :準備期間は1年ということですが、火薬を詰めたりするのは、どれくらいから始められるのですか?

長谷川さん:打ち上げの順番を決める奉納の抽選会が8月末にありますので、それ以降が本格的な始まりになります。徹底して作るのは1ヶ月くらいですから、仕事が終わって夜に集まり、休日を費やして製造します。火薬の取り扱いに関しては、打ち上げ場所のすぐ傍に作業場があって、そこでなければできないことになっています。そして、祭りの前日に製作が終わると、完成した龍勢を置く龍勢置き場に、布をかけてキレイに飾られた龍勢が30本ズラリと並ぶのです。ぜひとも一般の方にもその様子を見ていただきたいのですが、規定があるので龍勢置き場に一般の人は入ることができず、その様子は遠くからでないと見ることができないのがとても残念です。
吉田では、小中学校の総合学習にも「龍勢」という時間があります。中学生は10月の文化祭に、火薬の入っていない龍勢の飾り置きをします。口上の練習もあって、代表者を選び、実際の龍勢祭で口上を述べてもらっています。
小学生は、10月から授業を始め、2月に「ミニ龍勢祭」を行います。打ち上がった想像図を描いて、それをもとに仕掛けを考えて龍勢を作ります。毎年見ている龍勢ですから、みんな一生懸命作っています。保存会が支援を行っていますが、流派に入っているお父様方がお手伝いに来たり、小学校の授業ではおじいちゃんも子どもたちに龍勢作りを教えたりと、皆さん未来の龍勢師の育成に熱心です(笑)。子どもたちも、授業の一環として龍勢に触れることができるので、楽しみながらやっています。

シシゾウ :長谷川さんは初めて女性で製造に加わったということですが、それまでは禁止されていたのですか?

長谷川さん:禁止されていたということではなかったと思うのですが、火薬を使いますし、力仕事ですし、決してキレイな仕事ではないので…。どちらかというと、女性は祭り当日の料理を作ったり、桟敷席(さじきせき)で接待をすることが多いです。私の母親も、祭りの前々日くらいから材料を買い込んで、お赤飯を炊いたり、煮物を作ったりしていました。母親は私に同じことをしてくれるよう期待していたのでしょうが、「お父さんの方に行っちゃった」とよくいわれます(笑)。吉田の女性の大半は、そう考えるのではないでしょうか。
私が製造に加わってから女性で龍勢師になる人もいました。「女性でもやっていいんだ」と思ってもらえたのかもしれません。ただ、数は決して多くありません。現在でも龍勢製造に携わる女性は10人から15人くらいです。

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ふるさと自慢龍勢祭の全てがわかる会館と、秩父の名産品の数々

シシゾウ :吉田地区周辺の特産品や観光名所を教えてください。

長谷川さん:祭りの紹介などを目的として建てられた「龍勢会館」では、1年を通して龍勢の様子や27流派の紹介、詳しい製造工程を見ることができます。その中には吉田だけではなく、静岡県の草薙、朝比奈、滋賀県米原市の龍勢も展示されていますし、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の人たちが来て龍勢を作ったこともあります。あの有名な小惑星探査機「はやぶさ」の回収に行った方も、実は龍勢を作っていたのです。龍勢だけでなく、少しではありますが宇宙に関しての資料も展示していますし、一時は吉田でも盛んだった「ペットボトルロケット」もあり、みどころがたくさんある場所になっています。
「道の駅 龍勢会館」では地元の名産品が売られています。中でも特におすすめなのが「切干芋」といって、切干大根のように芋を天日干しにしたものです。それから秩父といえば杓子菜(しゃくしな)のお漬物も有名です。油で炒めると美味しいので、あらかじめ炒めたものも売られています。あとは「ルバーブジャム」。ルバーブというのはお野菜のような植物なのですが、ジャムになるとリンゴのようなさわやかな酸味があり、吉田で人気のある特産品となっています。

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メッセージ輝くオッチャンたちの姿を、
是非見にいらしてください

長谷川さん:是非多くの皆さんにお越しいただきたいと思います。雨天の時はどうなるのかとお問い合わせが多いのですが、龍勢祭りは雨天決行です。来場される際には危険区域がありますので、そこには立ち入らないようお願いします。また、まれにですが観覧席近くまでくる飛来物もありますが、安全のため手は出さないよう、お願いいたします。
龍勢は全てが成功するとは限らず、失敗するものもあります。龍勢は生き物です。打ち上げ花火と違って成功する確率は少なく、だからこそ龍勢師はその一瞬のために、大切に、大切に、それこそ子どもを育てるように作って行きます。
打ち上げのときは、普通のオッチャンたちが龍勢師として輝くときです。お越しいただいたら、青空に舞い上がる龍勢とカッコイイ龍勢師のオッチャンの姿を見ていただきたいなと思います。もちろん、オッチャンだけでなく私もいますよ(笑)。

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