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暴力団を通じ右翼(正気塾)に4千万円供与
暴力団(石湊会)に6年間、毎月10万円

         

谷川弥一は、右翼団体(正気塾)との裁判の途中、暴力団石湊会を介して4千万円の和解金を正気塾に支払い裁判を取り下げた。同時に、自身を襲撃した石湊会とも、服役中の襲撃実行犯に対して毎月10万円を谷川建設から支払い和解した。一方、金子は娘F子の交際相手、暴力団下田組(佐世保市)下田卓司組長との別れ話で、二千万円とも五千万円とも言われる「カネ」を支払ったとの噂が錯綜している。
 
長崎県政の主役交代
ある時を境に、長崎県政の主役が金子から谷川に移った。(3~4面関連記事)

 「金子出てこい、金子はいるか」、罵声を吐きながら谷川が知事室に押しかけ、その時を境に長崎県政の主役の座が、金子から谷川に移った。この事は、当時の金子の行政秘書と谷川に同行した秘書が認めている。果たして何が二人の間に発生したのかは不明で、一説によると政治とビジネスのことではなく、双方の家族関係の問題であるとの噂が関係者の間で錯綜した。家族関係の問題とは、嫁F子においては考えられず、ここでもF子の男関係から、谷川・金子の政治問題に発展し、「金子出てこい、金子はいるか」と、知事室に怒鳴り込んだ谷川の行為が、一瞬のうちに長崎県政の主役の座を金子から谷川に変えた。

 それにしても、結婚前の男遊び(暴力団下田組下田卓司組長と指定暴力団稲川会関係者)が、長崎県政の主役が交代する原因だったことを県民が知ればさぞや驚くであろう。

谷川、暴力団石湊会を通じて右翼(正気塾)に4千万供与
自身の襲撃犯にも毎月10万円、谷川建設から支払い


 幹事長時代の谷川は、暴力団石湊会石本修二会長に指示された三人組に襲撃され、その脅しに屈し、襲撃実行犯の田中組員に対して出所するまでの6年間にわたり、谷川建設から毎月10万円を支払った。
 一方、谷川は裁判中であった右翼(正気塾)との和解を石本修二会長に依頼し、4千万円を五島で公共工事を受注していた地元業者今村組に支払わせた。

  
 谷川弥一は、議員活動を間違っている。議員は選挙区と国民とを代表して国政に参加し、選挙民と国のために寝食を忘れ日夜活動することで、己の欲得のみで活動することは許されない。自分の立場を顧みず議員活動に励む人物こそが国会議員選挙民から信頼され、同時に当選回数も重ねられるのである。

 衆議院議員として3期目の谷川に対し、解散・総選挙が迫り来る中で、今、選挙区(長崎3区)で、何やら不穏な動きが起きている。それは、諫早湾干拓農地への不法入植と、暴力団に事ある事に問題解決を依頼し、資金提供をしてきた過去。嫁F子(金子原二郎の娘)と暴力団稲川会との関係である。

 いずれにしろ、解散・総選挙が迫り来る中でこれら3つの問題は、やがて大きな渦となり選挙民の関心を呼ぶであろう。

 谷川から4千万円が暴力団石湊会に、そして右翼(正気塾)に

 1998年(平成10年)谷川は、自民党長崎県連幹事長に就任するや、県発注工事介入を理由に右翼の街宣攻撃を受け、同時に、指定暴力団石湊会田中組員を中心とする三人組に、深夜自宅に帰り着いたところを鉄パイプで襲われ重傷害を負った。なぜ、公党の幹事長が深夜大胆にも自宅玄関先で襲われたのか、石湊会は、なぜ、谷川を襲ったのか、次の通りである。

 この件で、右翼街宣攻撃と暴力団石湊会とは深い関わりがあった。先ず、谷川が長崎地裁に街宣禁止の仮処分申請を行い、これが受理された。これに反発した正気塾が法廷闘争に持ち込み、2回の公判が開かれたが、以後、谷川の要請で裁判は取り下げとなった。

 同じく、谷川自身への襲撃犯が所属する暴力団石湊会との間で、襲撃事件の和解が成立し、同時に、石湊会石本修二会長の仲介で、正気塾とも和解が成立した。和解金4千万円は、当時、五島三井楽トンネル工事を受注した地元の港湾土木業者今村組から、石本会長を通じて正気塾に支払われた。

 服役中の襲撃犯に、毎月10万円が谷川建設から

 一方、谷川への襲撃実行犯石湊会田中組員には、1999年(平成11年)5月14日の襲撃以来、石本会長が婦女暴行・監禁罪などで逮捕された、2005年(平成15年)2月3日までの間、6年間にわたり毎月10万円が、生活支援金の名目で服役中の田中組員の家族に支払われた。この「カネ」は、毎月谷川建設から支払われ、2000年(平成12年)より受け渡し時の人目をはばかって3ヶ月に1回計30万円が、支払われるようになった。この「カネ」の受け渡し方法は、谷川建設南営業部長が運び役、受け取り役として石湊会橋本組員がそれぞれ担当し、毎回、長崎県時津町の安田オーシャンホテル駐車場であった。

 谷川と暴力団、そして右翼(正気塾)

 谷川弥一が、長崎県下をはじめとして県下自治体の公共工事に絡む利権の獲得、それに反発する正気塾と石湊会。これらのことで全てを取り仕切っていた谷川に攻撃の矛先が向けられ、彼自身が深夜自宅玄関先で、石湊会石本会長が放った3人組に襲撃を受け、重傷害の被害を受けた。

 また、正気塾とは長崎地裁で裁判沙汰を起こし、2回審議が進められの中で突如として谷川から提訴が取り下げられた。この事は、自分を襲った石湊会石本会長に正気塾との和解を斡旋することを依頼しての出来事である。当然、闇社会の連中と和解ともなれば多額の「カネ」が必要となる。この「カネ」の捻出は、当時、五島三井楽でトンネル工事を受注した、地元五島の港湾土木業者今村組が、谷川弥一の指示で4千万円を作り、石湊会石本会長を通じ和解金として正気塾に支払われた。また、自分を襲った石湊会組員たち(田中組員以下3名)に対して、服役中の家族への生活支援金名目で、毎月10万円が6年間にわたり谷川建設から支払われた。政治家が、公共工事発注に関与したとして正気塾に察知され、連日街宣攻撃を受け、同時に、遅れまいと石湊会も介入し、深夜自宅玄関先で鉄パイプ攻撃を受けて重傷害を負っている。

 谷川弥一は、この解決方法として、自分を襲った暴力団石湊会石本修二会長に正気塾との和解を以来し、4千万円を今村組から支払わせ解決した。自身を襲撃した暴力団組員に対しても、服役中の家族への生活支援金名目で、毎月10万円を谷川建設が、6年間にわたり支払っている。本紙は、取材を重ねる毎に、政治家とはかくも浅ましい生き物で、また、哀れな職業であることに気づいた。これらが谷川と暴力団、そして正気塾との実態である。同時に、この事実を多くの長崎県民が知れば、どのように理解するであろうか。


| http://www.kjnn.net/index.php?e=55 |

| 谷川・金子の不正::谷川・金子の「政治とカネ」 | comments (x) | trackback (x) | 2012,12,05, Wednesday|

  

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