私は、生で歌いたい。

大友さんよろしくです。

リサイタルでは、鈴鹿さんは生バンドをバックに生で歌っています。
「オンチのくせに生バンドをバックに歌って大丈夫か?って感じに見えたらいいですね」って(脚本家の)宮藤さんがおっしゃっていたので、音楽の大友さんにお願いしました。場所は小さなステージしかない海女カフェのセットだし、被災地で歌うという設定のこともあって、少人数の、ピアノ、ギター、バイオリン、チェロのカルテットで。こんなん従えて大丈夫か?歌えるのか?って雰囲気を出したかったので。ある意味、本格感、ゴージャス感をねらったんですね。

このシーンについて、薬師丸さんはずっと悩んでいらっしゃいました。ただ歌うというシーンではなく、「東北に笑顔を届けたい」と言ったことに自らケリを着けるシーンです。でも、それって、どういう芝居の組み立てが可能なんだろうか? 3.11の東日本大震災が起きて、そのとき「エンターテインメントに関わる仕事って必要とされているのか? 」という葛藤があの当時ありましたよね?女優・鈴鹿ひろ美も、薬師丸さんご本人もそれは同じように自問されていて、それでも歌うと鈴鹿さんは決めるのですが、果たしてそれを演じる薬師丸さんはどうだったか?大変なハードルだったと思います。「東北に笑顔を届けたい」と直球ですからね。ちょっとナイーブな人だと言えないです。しかもそれを封印してた歌で勝負するわけですから。さらにハードル高いです。ステージに立つまでのあいだをどう演じ、その瞬間をどんな感じで歌うと目の前の人々に、そしてテレビの向こう側に、こちらの狙いが届くのだろう?と、一人闘ってる感じでした。
それで僕は、最終の久慈ロケで台本上は出番なかったんだけど、なんか鈴鹿さんがあの北三陸にいる姿が浮かんで、「東北に行ってみますか?」とお聞きしました。で、「ぜひ、行きたい」と。東北の風土や人を直に感じてみたかったのだと思います。その頃にはもう、収録本番は「生(ライブ)で歌いたい」と仰ってましたね。肚を決めたというか。で、しょうがない。こちらもそれに応えるべく奮闘するわけです。ステージを見に来る観客エキストラには、いろんなとこに手を回して、(東京在住の)久慈や東北出身の老若男女の方々に来てもらいました。
これは北三陸で実際撮影してたなら鈴鹿さんが直面したであろうリアリティを、なんとか東京のセットの空間にも持ち込みたかったから。それを薬師丸さんに感じて頂きたくて。そうやって「生」の緊張度を高めながら、いよいよ収録。ドラマとして芝居を撮影しながら、生で音楽(大友さんたち)も歌声も高いクオリティで「一発録りする」という、業界的・専門的には、かなり激レアな収録スタイルで臨むことになりました。普通は音楽や歌は事前収録し、それを流しながら芝居を撮るのです。歌いながら芝居も、って役者も大変な集中がいるし、技術面でも相当難易度高いのです。

でもこのやり方が良かった。撮っていて、鳥肌立ちましたもん。鈴鹿さんが乗り越える何かが、観て頂いた方々に届いてればいいのですが。

ところで電池ってささるの?

鈴鹿さんがステージに向かう時、若いころの春子がいきなり出て来て観てる方は「はっ?」となりますよね?で、そこにさらにわざわざハイスピードカメラで撮影された太巻さんとの絡みのショットがこれまた丁寧にマトリックスもどきに展開する。額に乾電池が突き刺さるくだりです。ここでさらに観てる方は、「えっ!」ってなる。ある意味ちょっと混乱させてます。キョトンですよね(笑)。こんなことする必要あったのかと(笑)。でも、マイクを持って走りだした若春子(有村)が、すぐに次の瞬間に春子(小泉)さんに変わっていたら、もっと面食らうものなのです。なのでスーパースローモーション映像処理。ゆっくりとした時間の流れ方に変える、ファンタジーだよっていう描写。そうすることでステージ袖に駆け込んできた小泉さんに、あまり不自然さを感じないでしょう? 若春子と春子が重なって見えるでしょう?
そんなわけで、乾電池で、時を超えたかったんです(笑)。

*NHKサイトを離れます

後編はこちら