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宮崎駿さんの手塚体験 「原点だから崇拝しない」


「『新宝島』の大事なところは覚えてるから、今さら見ても懐かしい感情はわきません」と語る宮崎さん(東京・小金井市の事務所で)=小林佳代撮影
 アニメーション映画監督の宮崎駿さん(68)が、江戸東京博物館で開幕する「手塚治虫展」を前に、原点としての「手塚体験」を初めて語った。その言葉からは、偉大な先達への敬意とともに、同じクリエイターとしての火花を散らすような意地が感じられた。(石田汗太)

 「僕は、手塚さんとはずっと格闘してきましたから。それは『恩義』だけれど、そんな言葉で語れるほど簡単なものじゃありません」

 漫画とアニメーションにおける巨匠二人には、有名な“因縁”がある。手塚さんが没した1989年、宮崎さんは雑誌の追悼特集で、アニメーション作家としての手塚治虫を〈店子(たなこ)を集めてムリやり義太夫を聴かせる落語の長屋の大家と同じ〉と痛烈に批判した。

 その後、ほとんど手塚治虫について語らなかったが、今回、7歳の時に読んだ『新宝島』(1947年)に「いわく言い難いほどの衝撃」を受けたことを明かした。

 「僕らの世代が、戦後の焼け跡の中で『新宝島』に出会った時の衝撃は、後の世代には想像できないでしょう。まったく違う世界、目の前が開けるような世界だったんです。その衝撃の大きさは、ディズニーのマネだとか、アメリカ漫画の影響とかで片づけられないものだったと思います」

 48〜51年にかけて発表された『ロストワールド』『メトロポリス』『来るべき世界』のSF3部作も、宮崎少年を虜(とりこ)にした。

 「恐ろしかったり、不条理だったり、切なかったり、希望に満ちていたり。手塚さんが見せてくれた未来は、明るいだけの未来じゃなかった。モダニズムとは、繁栄や大量消費と同時に、破壊の発明でもある。そのことに、ひとりアジアの片隅で行き着いたのが手塚さんだった。ディズニーなどより深く、モダニズムの矛盾に気づいていたと思います」

 大阪で空襲を体験した手塚さんの根本には、「死屍(しし)累々を見たものだけが持つ黒い穴」があったはずと推測する。「僕の父親がそうでしたから」。が、手塚作品は次第にヒューマニズム色を強め、そうした「暗黒」を隠すようになる。

 「テレビのアトムがつまらなかったのは、手塚さんがヒューマニズムだけで商売していたからです。自分が成功するにはヒューマニズムを売り物にしなければ、というニヒリズムが手塚さんにはあったと思います」

 手塚アニメが〈大家の義太夫〉だという評価は今も変わらない。「しかし、僕は手塚さんがひどいアニメーションを作ったことに、ホッとしたのかもしれません。これで太刀打ちできると」

 漫画家を志した宮崎さんがアニメーターに転じたのは、絵がどうしても手塚治虫の亜流に見えてしまうからだったという。今なお、アニメーション作家としての「物のつかまえ方の根本」が、原点をたどれば『新宝島』から受けた衝撃であることを率直に認める。だからこそ、「僕は、手塚さんの崇拝者になりたいとは思わなかった」。

 そう語る宮崎さんこそ、実は手塚的モダニズムの「正統」な後継者では?

 「いや、それは手塚さんから受け継いだというより、破壊の発明は、20世紀が持つ本質的なものなんでしょう。しかし21世紀はどう変わるのか。その兆しを探しているんですけどね」

 「手塚治虫展 未来へのメッセージ」(読売新聞社など主催)は、18日から6月21日まで、東京・墨田区の江戸東京博物館で。問い合わせ=同博物館((電)03−3626−9974)。


2009年4月14日  読売新聞)
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