ここから本文エリア
総合ニュース | 地域ニュース | 総合ニュース写真特集 | 地域ニュース写真特集
星稜は16回表、2死一、三塁から山下が右前適時打を放って1点勝ち越し。山下は一塁ベース上でガッツポーズ=1979年8月16日
箕島の副主将・中本(左から2人目)は伝令役や三塁コーチを務めた。2回戦でも石井①に尾藤監督の指示を伝える。左端は捕手嶋田=1979年8月13日
宿舎を出る際、縁起物を口に入れる箕島の石井(中央)、浦野(右)=1979年8月16日、西宮市甲子園高潮町のトキワ旅館前で
山下監督の指導はグラウンド内だけではない。星稜の選手たちは宿舎のベランダでスパイクやグラブを磨く=1979年8月7日、芦屋市内
浪商のエース牛島和彦。1979年の選抜大会決勝で箕島と対戦したが、夏は準決勝で池田に敗れた。同年の宮崎国体では星稜と対戦
芦屋市内の宿舎で食事をとる星稜の選手たち。地元ではみんなで山下監督の自宅に行き、カレーを食べることもあった=1979年8月9日
星稜は12回表、1点勝ち越してなお1死一、三塁のとき、三塁走者の山下が三本間にはさまれ、追加点のチャンスを失う。一塁手③は北野=1979年8月16日
箕島は決勝の8回裏、1死一、三塁から榎本がスクイズをはずした投球に飛びついてバントを決め、決勝点をあげる=1979年8月22日
星稜は4回表、1死二、三塁から堅田が左前安打を放ち、三塁から北をかえす。先取点。捕手嶋田、三塁手榎本=1979年8月16日
箕島は試合前の練習を軽く切り上げた。尾藤監督は笑顔で「何も言うことはない。思い切っていけ」と話す=1979年8月16日、西宮市の厚生年金グラウンドで
延長16回2死、ファウルフライを追った星稜の一塁手加藤が転倒。その直後に箕島の森川が同点本塁打を放つ。=1979年8月16日、阪神甲子園球場
① = 第1試合 ② = 第2試合 ③ = 第3試合 ④ = 第4試合
※第8日第2試合の桐生第一と広島新庄は延長引き分けで、第9日第1試合(午後3時予定)に再試合となりました。
第9日の準々決勝4試合は第10日(3月31日)に順延され、決勝は4月2日を予定しています。
地区 | 出場校 |
---|---|
北海道(1) | 駒大苫小牧 |
東北(2) | 八戸学院光星(青森)、 東陵(宮城) |
関東(5) | 白鷗大足利(栃木)、 桐生第一(群馬)、 佐野日大(栃木)、 山梨学院大付(山梨)、 横浜(神奈川) |
東京(1) | 関東一 |
東海(2) | 三重(三重)、 豊川(愛知) |
北信越(2) | 日本文理(新潟)、 東海大三(長野) |
近畿(6) | 龍谷大平安(京都)、 智弁和歌山(和歌山)、 履正社(大阪)、 報徳学園(兵庫)、 智弁学園(奈良)、 福知山成美(京都) |
中国(2) | 岩国(山口)、 広島新庄(広島) |
四国(3) | 今治西(愛媛)、 池田(徳島)、 明徳義塾(高知) |
九州(5) | 沖縄尚学(沖縄)、 美里工(沖縄)、 鎮西(熊本)、 神村学園(鹿児島)、 創成館(長崎) |
21世紀枠(3) | 小山台(東京)、 海南(和歌山)、 大島(鹿児島) |
[ 都道府県情報 ]