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駅 人 話(えき ひと わ)【駅 人 話】

石狩月形駅

写真: 拡大

写真:石狩月形駅の待合室にある畳の小上がりに朝日が差し込む。ストーブの前で、乗客は談笑しながら列車を待つ=いずれも月形町、杉本康弘撮影 拡大石狩月形駅の待合室にある畳の小上がりに朝日が差し込む。ストーブの前で、乗客は談笑しながら列車を待つ=いずれも月形町、杉本康弘撮影

写真:北海道行刑資料館となった旧樺戸集治監本庁舎 拡大北海道行刑資料館となった旧樺戸集治監本庁舎

■「悪路」から「鉄路」へ 刑務所の町に喜び

 国道12号の美唄市峰延から道道で石狩平野の水田地帯を東から西へ、ほぼまっすぐに横断して約14キロ。石狩川に架かる月形大橋を渡ると、正面に石狩月形駅が見えて来た。

 平屋の駅舎の中に足を踏み入れると、どこか昔懐かしい駅のたたずまいがあった。

 駅員が対応する切符売り場があり、ストーブを囲むように窓際に1畳余りの小あがりが二つ。日だまりでごろんとしたくなる空気が流れていた。

 「列車待ちの間、横になっているお年寄りもいますよ」と本多正昭助役(56)。石狩当別駅の駅員が交代で勤務する。

   □  □

 駅がある月形町は今も昔も「刑務所の町」だ。町名も初代典獄(監獄長)の月形潔の名からつけられた。

 特異な町史は1881(明治14)年開設の「樺戸集治監(かばとしゅうちかん)」に収容された囚徒「赤い人々」(赤い囚衣を着てきたのでそう呼ばれた)とともに始まった。

 駅舎近くの町役場の駐車場に、その名残をとどめる銅板屋根の建物がある。火災を経て86(明治19)年に再建された旧樺戸集治監の本庁舎だ。今も月形樺戸博物館の歴史展示施設として使われている。

 名誉館長で郷土史家の熊谷正吉さん(86)は、祖父が看守だったことから町職員の時から行刑資料を収集し監獄史を研究した。駅の開業もよくおぼえている。

 集治監には、明治維新後の旧士族の反乱などに加わった政治犯や、一般の凶悪犯らが石狩川を船でさかのぼり収容された。「赤い人々」は1919(大正8)年の廃監まで、旭川、網走などへの道路開削などを行い開拓を支えるかたちとなった。

   □  □

 鉄道が開通し、駅が開業したのは35(昭和10)年。小学生だった熊谷さんは「冬は道路も使えず陸の孤島だったので、町民は願望がかない大喜びでした。札幌へ通学もできるようになった」と振り返る。

 それまで札幌へは石狩川の定期船で江別に行き、汽車に乗り換えていた。だが冬は川の結氷で船の運航はない。「冬は峰延に行くしかなく、結氷した川にヤナギの枝を敷いて補強した氷の橋を渡った。昼でも暗い悪路を行かねばならなかった」

 線路は先の大戦中の44(昭和19)年に石狩当別以北が撤去されて樺太(サハリン)に運ばれ、終戦後の46年に石狩月形駅を含めた一部の区間が復元された。

 現在の刑務所の設置は83年。東京都の中野刑務所の廃止方針に伴い、町が行刑ゆかりの地として誘致活動を展開した結果だ。

(高橋賢司)

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