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[塾員山脈] 和田丈嗣君(株式会社WIT STUDIO(ウィットスタジオ)共同創業者/代表取締役社長 プロデューサー)

2014/09/09 (「塾」2014年SUMMER(No.283)掲載)
※職名等は掲載時のものです。

アニメ『進撃の巨人』のプロデューサー
世界に通用する「日本発」を作ろうと、IT業界から転身
2012年、アニメ制作プロダクションを立ち上げる
和田丈嗣君
【わだ じょうじ】1978年兵庫県生まれ。2001年法学部卒業。Cisco(シスコシステムズ合同会社) を経て、2005年にアニメーション制作プロダクション、株式会社Production I.G入社。『戦国BASARA』『ギルティクラウン』などのプロデューサーを務めた。2012年、同僚の中武哲也氏とともに株式会社WIT STUDIOを設立し、社長に就任。新進のプロダクションながら人気マンガ『進撃の巨人』のアニメ制作を担当し、一躍注目を集める。

独立後の初仕事は『進撃の巨人』のアニメ制作

——『別冊少年マガジン』(講談社)に連載中のマンガ『進撃の巨人』は、諫山創(いさやま はじめ)さんによる人気作品。人間を襲い捕食する謎の”巨人“たちと、それに対峙する主人公らの姿を描き、コミックの販売累計は3600万部を超える大ヒットを記録しています。

和田丈嗣さんはそのアニメ化を手がけたWIT STUDIO(以下ウィットスタジオ)の社長で、プロデューサーとして制作にあたりました。まずは和田さんがアニメ化に携わることになったいきさつを教えてください。


(和田)
ウィットスタジオは、一昨年設立したばかりのアニメ制作プロダクションです。昨年放送された『進撃の巨人』の制作は、その最初の仕事でした。原作マンガを読んで「ぜひ手がけたい」と思い、ポニーキャニオンさんと共同で、講談社さんにアニメ化を提案しました。荒木哲郎監督をはじめとする”最高のスタッフを集めて作る“ことを前面に押し出してプレゼンしたところ、講談社さんにも「とにかくいいスタッフで作りたい」との強い意向があり、許諾いただけました。

——『進撃の巨人』のアニメ化は、和田さんから企画を持ち込んで実現したのですね。制作は順調に進みましたか?
(C) 諫山創・講談社/「進撃の巨人」製作委員会
©諫山創・講談社/「進撃の巨人」製作委員会
(和田)
全25話あって、毎話完成するのは放送日ギリギリでした。後半話数では、出来上がったばかりのテープを僕が持ち、飛行機で各地のテレビ局を飛び回って納品したんですが、それが毎週ですから本当に大変でした(笑)。

制作にあたっては、作品に熱い思いを持つ講談社の担当者さんから厳しい注文もありました。でもそれはとても有り難いことで、熱意に応えようとする現場の思いが、作品の質をさらに高めています。

——確かに素晴らしい出来栄えです。しかも、回が進むごとにそのクオリティがますます高まっていきます。

(和田)
一話放送されるたびに、ツイッター上などでの反響がすごいんです。その期待に応えよう、観ている人に喜んでもらおうとモチベーションも高まり、自分たちでどんどんハードルを高くしていったところがあります。また諫山さんも制作スタッフの一員同様になってくれて、一緒に作り上げていったことも大きかったと思います。

作中の人々は街を囲む高い壁を築き、その中で暮らしています。そこに襲い掛かる不気味な巨人たちと、立ち向かう若者たちを描く『進撃の巨人』の設定とストーリーは、競争社会や政治状況への不安を持つ、世界中の若い人たちの共感を呼んでいます。現実社会の見事なメタファーとして”壁の内側“が描かれている。諫山さんの独特の感性、世界観はすごいですよ。

——和田さんは別のアニメ制作プロダクションから独立して会社を立ち上げられましたが、その経緯は?

(和田)
独立前に所属していたのは『GHOST IN THE SHELL/攻殻(こうかく)機動隊』を世界的にヒットさせるなど、多くのアニメ作品を手がけてきたProduction I.G(アイジー)です。2005年から7年間在籍したのですが、社内プロデューサーとしての仕事はやり切ったと感じ、同僚の中武哲也さんと会社を立ち上げることにしました。社長の石川光久さんに報告したところ、「会社を作りたいのか、作品を作りたいのか、どっちだ」と問われました。「作品です」と答えたら、「それならうちのグループ会社として作りたいものを作ったらどうだ。業界も厳しくなっているから会社には体力が必要。資本金も出資しよう」と言ってくれたんです。まったくの予想外でしたが有り難くお受けし、自己資金に出資金を加えて起業に至りました。制作に集中できる環境でクオリティの高いものを作ることができ、グループ会社として出発できたのは、結果としてすごくよかったと思っています。

僕の肩書は社長ですが、やっていることは専ら制作プロデュースです。その内容は、「ヒト、モノ、カネ」を集めて、責任者として作品を作ること。スタッフをそろえ、原作がある場合は制作の許諾を得ることを目指しますし、オリジナル作品の場合には自分たちで企画を立てます。そして制作に必要な出資金を集めます。
——ウィットスタジオでは『進撃の巨人』と並行してもう一本、劇場用オリジナルアニメ作品『ハル』(2013年6月公開、DVD・Blu-ray好評発売中)を制作されています。こちらは恋人を失った少女が、恋人そっくりのロボットに心を開き笑顔を取り戻すという物語です。
(C) 2013 ハル製作委員会
©2013 ハル製作委員会
(和田)
方向性の異なる二つの作品を作ったのは、会社の柔軟性を示し、イメージを固定化させないという経営戦略に基づきます。人と人の出会いにおいて初対面の印象が重要であるのと同様に、制作プロダクションも立ち上げ時の最初の作品がとても大切です。新会社の評価は”一発目で決まる“と思っていました。

アニメ業界は”勝ち方“が少ない世界で、「狭い限られたターゲットに向けて個性の強い作品を作る」という方法もあるのですが、若年人口が減っていく日本では難しくなりつつあります。今後この業界で成功するには、「全世界に通用する作品」か、ジブリのような「ファミリーで楽しめるオリジナル作品」の二つしかないと思っています。そこで僕たちは、全世界に通用する作品としての『進撃の巨人』と、ファミリーで楽しめるオリジナル作品としての『ハル』を同時期に制作することにしたんです。その結果、有り難いことに幅広く仕事をいただけるようになりました。

自分で会社を立ち上げた今、「何を作るか」は自分でコントロールすることができます。どうとでもできる自由さが、楽しくて仕方ありません。これからもジブリでも、I.Gでもない、ウィットスタジオらしい独自色のある作品を作っていきたいと思っています。

——ジブリの名前が出ましたが、宮崎駿監督や高畑勲監督など、アニメ界の先輩についてはどのように思っていますか?

(和田)
まさに偉大なる先人です。単なる楽しい、面白いではない、死生観を含めた奥の深い、日本人独特の感性と哲学を、アニメーションを通じて世界に広め認めさせてくれた、尊敬すべき人たちです。僕たちが作った『進撃の巨人』が世界ですんなり受け入れられているのも、先人が作り上げたアニメの文法が行きわたっているからだと思っています。

——和田さんは法学部で学ばれましたが、在学中からアニメ制作に関心があったのですか?

(和田)
いえいえ、大学3年生までは弁護士が目標でした。ある日、授業の一環で実務家の話を聞く機会がありました。裁判を傍聴した後、弁護士さんが「今日の裁判のように、僕の人生の95%はもめ事の仲裁。君たちはそれに耐えられる?」と話されました。「それはキツい!僕には無理かも」と思い(笑)、企業への就職に方針転換。外資系のシスコシステムズに入社しました。

——コンピュータネットワーク機器の開発、販売と、それに付随するサービスを提供する会社ですね。

(和田)
2000年頃のIT業界は、まだ混とんとしたところがあって面白そうでした。また「日本インターネットの父」といわれる村井純教授(現・環境情報学部長)の授業を聴講するため、三田キャンパスからSFC(湘南藤沢キャンパス)へ通ったことも影響したと思います。コンピュータに詳しい友人もできたし、SFCの自由な雰囲気に触れ、「道は決められていないけど、楽しそう」と思いました。だから外資への抵抗感や先入観も持ちませんでした。

世界が求める日本製品を作りたくてアニメ業界に転職

——ITからアニメの世界に転じたのは?
(和田)
「優れた日本製のものを世界に売り出したい」というのが動機です。シスコでは、アメリカの本社で開発した製品を日本の企業などに売り込んでいました。お客さんとのやりとりのなかで、商品の使い勝手についてなど、いろいろなニーズに接します。それを本社にフィードバックするのですが、日本特有のニーズであるため、世界基準のシスコではなかなか採用されません。全世界が相手の会社なのでしょうがない面もあるのですが、僕としては、少しずつ疑問が積み重なり、逆のこと、つまり日本のオリジナルな製品を世界に向けて送り出す仕事がしたいと考えるようになりました。

とはいえ、文系の自分に工業製品を作り出すようなエンジニアリングの知識も技術もありません。何かできることがないかと考えているときに出会ったのが、Production I.G社長の石川さんでした。あるセミナーで講師役の石川さんと話す機会があり、「日本のカルチャーが海外で受けている。アニメだったら実現できるかも」と思い、Production I.Gに入社しました。モノづくりにこだわり、皆に素晴らしいものを届けたいという思いはシスコにいた頃からずっとブレていません。

——その目標はひとまず達成されたわけですが、今後の展望は?

(和田)
映像業界そのものが大きく変わりつつあり、制作者は自分たちで作品の知的財産を管理するフェーズに来ていると思います。僕たちも今後はライツマネジメントに注力していきたいと考えています。その一番の基本は「契約」です。外国での作品販売や、外国企業との共同制作といった場面で、法学部で学んだ契約などの知識がとても役立っていますよ。

——義塾での学びが現在の仕事に生きているのですね。学生時代の思い出を聞かせてください。

(和田)
日吉キャンパス内の寄宿舎にいつも入り浸っていました。僕はアパート暮らしでしたが、寄宿舎住まいの友人がいたのでよく訪ねたものです。将来のことや夢のことなど、いろいろなことをずーっと話していましたね。そういえば、大浴場からあがった学生の残り香なのか、エレベーター内はいつも”銭湯“の匂いがしていました(笑)。

——最後に、塾生たちへのメッセージをお願いします。

(和田)
僕は義塾について、明るく、自由で、夢を育てられる場所だと思っています。自分の足で立って、しっかりと自分の考えで判断する力が身につく場であり、教育や校風はそれを後押ししてくれているように感じたものです。

塾生の皆さんには、僕がSFCに通って友人をつくったり、寄宿舎でいろんなところから来ている学生と語り明かしたりしたように、たくさんの人と積極的に交わってほしいと思います。一人で悩んでいるのではなく、さまざまな考えや価値観を持つ人に会って話すことを通じて、就職や将来のやるべきことが見えてくるのではないでしょうか。

——本日はありがとうございました。
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