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【エンタメ小説月評】70年前の夏 残した思い

 人間はなぜ、自身の体験や見聞きしたことを書き残してきたのか。

 この夏、そんなことをずっと考えているのは、70年前の夏に何が起きたのかを懸命にたどろうとした小説を、何冊も手にしたからにほかならない。古内一絵『痛みの道標』(小学館)もその一つ。ブラック企業に勤める27歳の達希たつきが、不祥事の責任を負わされ、絶望のあまり自殺を図るところから始まる物語は、思わぬ人物の登場で、あの戦争へとつながっていく。

 達希を助けたのは、15年前に死んだ祖父の勉だった。現世に心残りがあって成仏できずにいた勉は、達希にボルネオに行き、一人の女性を捜すよう頼む。そこは勉が従軍した地。達希は尋ね人を捜し歩くうち、戦時下の島で起きた悲劇にたどり着く。それこそが勉の心残りの原因だった。

 勉の懺悔ざんげの物語であり、その結末には涙を抑えられなかった。一方、勉の思いに触れ、苦しくとも自ら人生を切り開いていくと決意した達希の姿には、改めて思わされた。誰かの残した思いは、語られ、伝えられることで、今を生きる人の糧にもなるのだと。

 藤岡陽子『晴れたらいいね』(光文社)は女性の視点から戦争を描く。24歳の看護師の紗穂は、95歳の入院患者、サエの病室を見回っていた時に起きた地震で気を失う。が、意識を取り戻した場所は、なぜか1944年のマニラ。外見も、従軍看護婦だった若き日のサエの姿となっていた。

 読書とは誰かの人生を疑似体験することでもあるが、本作で読者は、同じ現代人である紗穂の“実体験”を通し、戦争を一層近く感じることだろう。「お国のため」と疑わぬ人々への違和感や、そう信じさせた国への不信感。目の前にある地獄と、命を救うべく闘う看護婦の姿。そして自問もするはずだ。今の日本は、彼女たちが願った国となっているか。平和を保つ努力は十分か。過去を現在に引き戻す力が、優れた小説にはある。

 とはいえ、物事を正しく伝えていくことは難しい。米澤穂信ほのぶ『王とサーカス』(東京創元社)は上質なミステリーであり、同時に、見たことをどう書き、どう伝えるのかという命題とも真摯しんしに向き合う。

 太刀洗たちあらい万智(米澤ファンには懐かしい名だ)は6年勤めた新聞社を辞めてフリーの記者となり、雑誌の海外旅行特集の取材でネパールに来ていた。ところが王族が殺され、急きょ事件の取材をすることになる。王宮詰めの軍人と極秘裏に会えることになり、「特ダネ」を予感する万智。が、彼は事件について何も語らないばかりか、逆に問うてきた。なぜ報じるのか。お前たちは悲劇を娯楽として消費するだけではないのか――。

 そこに別の殺人事件が絡み、物語はミステリー色を強めていくが、謎解きだけでは終わらないのが見事だ。終盤、見えていなかったものを見て万智が抱く苦い思いと決意は、読者にも深い余韻を残す。

 最後は椰月美智子『14歳の水平線』(双葉社)を。バツイチの征人ゆきとと息子の加奈太は夏休みに故郷の島に帰った。加奈太は中2男子限定のキャンプに参加し、太陽の下でけんかし、笑い、海に飛び込みながら自意識や親との関係などについて考えていく。その描写が実に丁寧で、そこに重ねられた14歳の頃の征人の物語を併せて読むうち、思い出した。少年はこうして大人になっていくのだと。本は、置き忘れた自分の記憶も呼び覚ましてくれる。(文化部 村田雅幸)

 ★5個で満点。☆は1/2点。

古内一絵『痛みの道標』

 過去が教えるもの ★★★★☆

 つながれた命   ★★★★

 満足感      ★★★★☆

藤岡陽子『晴れたらいいね』

 現代との意識の隔たり ★★★★☆

 生きてくれという願い ★★★★

 満足感        ★★★★

米澤穂信『王とサーカス』

 謎解きの先にあるもの ★★★★☆

 甘くない物語     ★★★★☆

 満足感        ★★★★☆

椰月美智子『14歳の水平線』

 思春期のきらめき ★★★★

 切なくて温かい  ★★★★☆

 満足感      ★★★★




2015年08月27日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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