インブリー事件

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インブリー事件(インブリーじけん、Imbrie Affair)は、1890年明治23年)に第一高等中学校の学生が明治学院アメリカ人宣教師ウィリアム・インブリーに重症を負わせた傷害事件である。

概要[編集]

1890年5月17日、明治学院の白金倶楽部と第一高等中学校の野球の試合が本郷向ヶ丘グラウンドで行われた。試合は6回の時点で6-0と明治学院が大量リードする展開となっていた。

インブリーが試合開始時間に遅れて到着し、垣根を越えてグラウンドに入ると、一高応援団に取り囲まれた。インブリーと押し問答を繰り返すうちに、生徒の一人が凶器のペンナイフでインブリーの顔面を刺し、重傷を負わせた。この事件は、在日欧米各誌が"Imbrie Affiar"(インブリー事件)として取り上げて、一時外交問題に発展しそうになったが、インブリーの配慮で事件は収まった。

この事件の背後には、鹿鳴館時代に代表される明治政府の極端な欧米化主義に対する反動があると言われている。一高の応援席には当時一高生の正岡子規が観戦しており、日記の事件の様子を書き残している。

また、この年の9月に内村鑑三が一高の嘱託教員になり、翌年1月に不敬事件を起こしている。この時の校長も、インブリー事件の時と同じ木下廣次であった。

参考文献[編集]