古代ローマ

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元老院ならびにローマ市民
Senatus Populusque Romanus
エトルリア
サビニ人
紀元前753年 - 1453年
国の標語: Senatus Populusque Romanus
ラテン語:ローマの元老院と市民)
元老院ならびにローマ市民の位置
ローマの領域の変遷
公用語 ラテン語
ギリシア語
首都 ローマ紀元前753年-330年
コンスタンティノポリス330年-1204年/1261年-1453年
ニカイア1204年-1261年
メディオラヌム395年-402年
ラヴェンナ402年-476年
皇帝
紀元前27年 - 395年(西ローマ皇帝もローマ皇帝に含めれば480年) ローマ皇帝
395年 - 480年 西ローマ皇帝
395年 - 1453年 東ローマ皇帝
執政官(共和制ローマにおいては元首)
紀元前509年 - 紀元前27年 執政官
紀元前27年 - 192年 執政官
192年 - 887年 執政官の一覧(英語版)
変遷
建国 紀元前736年
共和制 紀元前509年
帝政 紀元前27年
テトラルキア(4分割) 293年
東西分割 395年
西ローマ帝国滅亡 480年
東ローマ帝国滅亡 1453年
通貨 デナリウスほか
先代 次代
エトルリア エトルリア
サビニ人 サビニ人
オスマン帝国 オスマン帝国
イスラム帝国 イスラム帝国
東ゴート王国 東ゴート王国
西ゴート王国 西ゴート王国
ブルグント王国 ブルグント王国
ヴァンダル王国 ヴァンダル王国
スエビ王国 スエビ王国
フランク王国 フランク王国
ブルガリア帝国 ブルガリア帝国
ヴェネツィア共和国 ヴェネツィア共和国
古代ローマ

ローマ時代の政治


統治期間
王政時代
紀元前753年 - 紀元前509年

共和制時代
紀元前508年 - 紀元前27年
帝政時代
紀元前27年 - 西暦1453年

終身元首制
西方帝国

専制君主制
東方帝国

憲法

王国法
共和国法
帝国法
後期帝国法
ローマ法の歴史
元老院
立法議会
政務官

政務官(常設職)

執政官
法務官
財務官
政務代行官

按察官
護民官
監察官
属州総督

政務官(臨時職)

独裁官
騎兵長官
執政官代理

ローマ王
三人委員会
十人委員会

名誉称号・特別職
ローマ皇帝

軍団幕僚
地方司令官
役人
親衛隊長官
ウィカリウス
二十六人官
衛士

軍団長
軍司令官
元老院主席
最高神祇官
尊厳者
副帝
テトラルキア

法律
ローマ法

インペリウム
モス・マヨルム
協調性

市民権
権威
クルスス・ホノルム

元老院勧告
元老院最終勧告

他国の政治 · 地図
政治ポータル

古代ローマ(こだいローマ、: Roma antiqua)は、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家の総称である。当時の正式な国号は元老院ならびにローマ市民(Senatus Populusque Romanus)であり、共和制成立から使用されて以来滅亡まで体制が変わっても維持された。 ローマ市は、帝国の滅亡後も一都市として存続し、世界帝国ローマの記憶は以後の思想や制度に様々な形で残り、今日まで影響を与えている。

なお、中世以降のローマ帝国は、その統治区域から東ローマ帝国と呼ばれ、便宜上古代ローマと区別されることが多い。

時代区分[編集]

王政期[編集]

紀元前753年建国)から紀元前509年まで、ロムルスに始まる伝説上の七人のが治めていた期間(伝承による)。

初期の4人の王はローマ建設時の中心となったラテン人サビニ人から選ばれているが、その後の3人の王はエトルリア人出身であるとされる。これは初期のローマにおいてエトルリア人による他民族支配を受けていたことを示すと考えられている。

共和政期[編集]

BC44年カエサル統治下の共和制ローマの版図

紀元前509年から紀元前27年まで、イタリア半島の一都市国家から地中海の全域に属州を持つ帝政になるまでの期間。政治は元老院執政官政務官を中心として、民会などで一般ローマ市民の意思も反映されながら運営された。

帝政期[編集]

ローマ帝国の最大版図

初期[編集]

いくつか分け方が存在する。

  1. アウグストゥスからはじまるユリウス・クラウディウス朝からフラウィウス朝までとするもの。
  2. 1. に五賢帝の時代を加えるもの。
  3. 2. セウェルス朝なども加えディオクレティアヌスの即位までを帝政初期として帝政全体を二つに分けるもの。

2. の区分が比較的多い。

中期[編集]

セウェルス朝から始まり、軍人皇帝時代を経て、ディオクレティアヌス帝が即位するまで。

後期[編集]

ディオクレティアヌスの即位を普通開始とする。そのまま西ローマ帝国の滅亡までを帝政後期としてくくることも多いが、テオドシウス1世の死後に帝国が東西に分裂した後は、通常は西ローマ帝国東ローマ帝国としてわける。

後期以降の時代は皇帝による専制や君主崇拝が強められ、専制君主制(ドミナートゥス)と呼ばれる。 またコンスタンティヌス1世ミラノ勅令によってキリスト教が公認され徐々にローマの支配イデオロギーの中の枢要な部分を占めるようになっていった。

東西分離後[編集]

ユスティニアヌス1世時代の東ローマ帝国(青)。青と緑色部分はトラヤヌス帝時代のローマ帝国最大版図。赤線は東西ローマの分割線

西ローマ帝国[編集]

その滅亡をもって、ヨーロッパ史では古代中世との境界とする場合がある。

東ローマ帝国[編集]

その滅亡を以って、ヨーロッパ史では中世と近世の境界とする場合がある。

古代ローマにおける戦争・戦闘[編集]

古代ローマ期の人物について[編集]

古代ローマ期の文化・書籍[編集]

1501年出版のウェルギリウスの叙事詩写本

近代以降の古代ローマ史に関する著作[編集]

ここでは特に広く知られ、二次資料としての価値が高く、評価の定まった文献のみをあげる。

  • エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史
  • テオドール・モムゼン 『ローマ史』
  • J. B. Bury, History of the later Roman Empire: from the death of Theodosius I. to the death of Justinian, (New York: Dover publications, 1958).
  • A.H.M. Jones, The later Roman Empire 284-602: a social economic and administrative survey, (Norman: University of Oklahoma Press, 1964).
  • P・ブラウン著、宮島直機訳『古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?―』刀水書房2002年

参考文献[編集]

脚注[編集]


関連項目[編集]