ロンドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ロンドン
London
グレーター・ロンドン
上から: シティ・オブ・ロンドンの景観、タワーブリッジロンドン・アイウェストミンスター宮殿


紋章
座標: 北緯51度30分28秒 西経0度07分41秒 / 北緯51.50778度 西経0.12806度 / 51.50778; -0.12806
イギリスの旗 イギリス
構成国家 イングランドの旗 イングランド
地域 ロンドン
地区 シティ32の特別区
ローマ人による建設 西暦50年
行政
 - 行政機関 大ロンドン庁
 - 地方議会 ロンドン市議会
 - 市長 ボリス・ジョンソン保守党
 - 市長官邸 シティ・ホール
 - イギリス国会
 - ロンドン議会
 - ヨーロッパ議会
74選挙区
14選挙区
ロンドン選挙区
面積
 - グレーター・ロンドン 609mi2 (1,577.3km2)
標高[1] 79ft (24m)
人口 (2013年)
 - グレーター・ロンドン 8,416,535 [2]
 - 人口密度 13,466人/mi² (5,354人/km²)
 都市部 9,787,426人
 都市圏 15,010,295人
等時帯 グリニッジ標準時 (UTC+0)
 - 夏時間 英国夏時間 (UTC+1)
郵便番号 E, EC, N, NW, SE, SW, W, WC, BR, CM, CR, DA, EN, HA, IG, KT, RM, SM, TN, TW, UB, WD
住人の呼称 ロンドンっ子 (Londoner)
民族構成
(2005年推計)[3]
ウェブサイト www.london.gov.uk

ロンドン英語: London英語発音: [ˈlʌndən])は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国およびこれを構成するイングランドの首都。イギリスや欧州連合域内で最大の都市圏を形成している。ロンドンはテムズ川河畔に位置し、2,000年前のローマ帝国によるロンディニウム創建が都市の起源である[4]。ロンディニウム当時の街の中心部は、現在のシティ・オブ・ロンドン(シティ)に当たる地域にあった。シティの市街壁内の面積は約1平方マイルあり、中世以来その範囲はほぼ変わっていない。少なくとも19世紀以降、「ロンドン」の名称はシティの市街壁を越えて開発が進んだシティ周辺地域をも含めて用いられている[5]。ロンドンは市街地の大部分はコナベーションにより形成されている[6]。ロンドンを管轄するリージョンであるグレーター・ロンドンでは[7]、選挙で選出された大ロンドン市長ロンドン議会により統治が行われている[8]

ロンドンは屈指の世界都市として、芸術、商業、教育、娯楽、ファッション、金融、ヘルスケア、メディア、専門サービス、調査開発、観光、交通といった広範囲にわたる分野において強い影響力がある[9]。また、ニューヨークと並び世界をリードする金融センターでもあり[10][11][12]、2009年時点の域内総生産は世界第5位で、欧州域内では最大である[13]。世界的な文化の中心でもある[14][15][16][17]。ロンドンは世界で最も来訪者の多い都市であり[18]、単一の都市圏としては世界で最も航空旅客数が多い[19]。欧州では最も高等教育機関が集積する都市であり、ロンドンには大学が43校ある[20]2012年ロンドンオリンピック開催に伴い、1908年1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催となり、同一都市としては史上最多となる[21]

ロンドンは文化的な多様性があり、300以上の言語が使われている[22]。2011年3月時点のロンドンの公式の人口は8,174,100人であり、欧州連合の市域人口では最大で[23][24]、イギリス国内の全人口の12.7%を占めている[25]。グレーター・ロンドンの都市的地域は、パリの都市的地域に次いで欧州連合域内で第2位となる8,278,251人の人口を有し[26]、ロンドンの都市圏の人口は1,200万人[27]から1,400万人[28]に達し、欧州域内では最大である。ロンドンは1831年から1925年にかけて、世界最大の人口を擁する都市であった[29]2012年マスターカードが公表した統計によると、ロンドンは世界で最も外国人旅行者が訪れる都市である[30]

首都とされているが、他国の多くの首都と同様、ロンドンの首都としての地位を明示した文書は存在しない[31]

歴史[編集]

地名[編集]

ロンディニウムの範囲

ロンドンの語源ははっきりとしていない[32]。古代の名称はその典拠が2世紀からのものに見られる。121年にロンディニウムの記録があり、ロマーノ・ブリティシュ文化英語版が起源である[32]。最初期の説は今日では軽視されているジェフリー・オブ・モンマスブリタニア列王史である[32]。名称の説の一つにルッドから仮定されるもので、主張によればこの王が街を占領しKaerludと名付けたとしている[33]

1898年以降は「Londinosと呼ばれる男の所有する土地」を意味するケルト語に語源を求めるのが一般的であったが、この説は否定されている[32]。1998年、言語学者のリチャード·コーツ英語版は古ケルト語の(p)lowonidaを語源とする説を提示した。(p)lowonidaとは、「渡るには幅が広すぎる川」を意味し、ロンドンを東西に貫通するテムズ川を指すものとして提案されている。ケルト語の形でLowonidonjonとなり、これが集落名になったとした[34]。しかしながら、この説は大きな修正を必要とした。可能性としてウェールズ語の名称が英語から借用されたものに戻り、基礎から元の名称を再構築して使用することが困難であると言う可能性も排除できない。1889年まで"London"の名称は公式にはシティ・オブ・ロンドンにのみ適用されていたが、カウンティ・オブ・ロンドン英語版を表すものとなり、現在ではグレーター・ロンドンを表すものとなっている[5]

漢字表記は「倫敦」が用いられるが、明治期前後には「龍動」と記載した例もある[35]。現代中国語をピンイン式でアルファベット表記すると、倫敦は「lundun」で、龍動は「longdong」となる。龍動と表記したのは、清国から伝わった外来表記であった可能性がある。

先史時代・古代[編集]

ロンドン周辺にはケルト系のブリトンの集落跡が点在した形跡が確認される。最初の大きな開拓地はローマ帝国によって43年に創建された[36]。この開拓は17年間続いたが、61年ころブーディカが率いるイケニ族により強襲され焼き討ちされた[37]。また一説には紀元前1103年頃、トロイ王族の孫ブルートゥスがトロイヤ人の一団を率いてイタリヤから移住、「ニュー・トロイ」としてロンドンが建設されたという[38]。紀元前1200年前後のトロイ崩壊後、トロイ王族のアイネイアースはトロイの移民を率いてイタリアに移住、ラテンの王ラティヌスの娘と結婚。ブルートゥスはアイネイアースの孫である。

その次の都市は繁栄し、紀元100年にそれまでブリタニアの首都であったコルチェスターから取って代わった。2世紀のローマ支配のロンドンは6万人の人口があった。

最近の2つの発見によりロンドンは考えられていたよりも古くから人が住んでいたことが分かった。1999年に青銅器時代の橋がヴォクスホール・ブリッジの北側の砂浜で発見されている[39]。この橋はテムズ川を渡っていたか、今は無い川の中に浮かぶ島を渡っていた。樹木学では紀元前1500年に遡る木材が使われている。2010年には紀元前4500年に遡る大きな木材で築かれた建物がヴォクスホール・ブリッジ南側の砂浜で発見された[40]。中石器時代のもので機能は分かっていないが、50m×10mの範囲で30cmの干潮時に見ることができる。この2つの構造物は南岸のテムズ川とエッフラ川が自然に合流する地点にあり、ローマ時代のシティ・オブ・ロンドンの上流4kmの場所にある。これらの構造体を構築するのに必要な労働力、貿易、安定性などから少なくとも数百人規模のコミュニティがあったことを示している。

中世[編集]

1300年頃、シティの範囲は市街壁内に収まっていた。
世界遺産のウエストミンスター寺院の絵画 (Canaletto, 1749 A.D.)

5世紀初期にはローマは事実上、ロンドンを放棄している。6世紀からアングロ・サクソン人ルンデンヴィック英語版で知られる開拓地がローマ人の古い街の僅かに西に築かれ、これは現在のコヴェント・ガーデンロンドン英語版で、人口は10,000人から12,000人程度に達した。 ただし、宗教的な中心地はカンタベリーであり、この側面でだけはロンドンは後塵を拝することになる。フリート川の河口には漁業や交易で栄えた港があったと思われるが、ヴァイキングからの防衛上の見地から、かつてのローマ人の市街壁を用いるため、東のロンディニウムへの移動を強いられた[41]ヴァイキングの襲撃は増加の一途をたどり、886年アルフレッド大王デーン人の指導者であるガスラム英語版ウェドモーアの和議を締結するまで続いた[42]。アングロ・サクソン人のルンデンヴィックLundenwicは「旧市街」を意味するエアルドヴィックEaldwicと改称され、現在のシティ・オブ・ウェストミンスターオールドウィッチにその名を残している[43]10世紀、すでに国内最大の都市となり、貿易面でも最も重要な都市となっていたロンドンは、イングランド統一によりさらに政治面での重要性も高めた。さらにこの頃、ウェセックスの伝統的な中心地であるウィンチェスターとの競合にも直面した。

11世紀エドワード懺悔王ウェストミンスター寺院を建設し、シティより少し上流の地であるウェストミンスターに居住した。この見地に立てば、ウェストミンスターはシティの政府機能を担う立場を着実に奪っていったといえる[44]1066年クリスマスの日、ヘイスティングズの戦いで勝利し、イングランドを征服したノルマンディ公ギヨーム2世は1066年のクリスマスの日に、ウェストミンスター寺院イングランド王ウィリアム1世として即位した[45]。ウィリアム1世はホワイト・タワー(後のロンドン塔)をシティの南東に建設し、市民を威圧した[46]1097年ウィリアム2世はウェストミンスター寺院に程近い場所に、ウェストミンスター宮殿の基礎となるウェストミンスター・ホールを建設した[47][48]12世紀、それまで国中を移動していた宮廷に同伴していた中央政府の各機関は次第に一箇所に固定化し、規模を増大させ、洗練されていった。多くの場合、政府機関はウェストミンスターに集中したが、国庫の機能はロンドン塔に置かれた。ウェストミンスターが首都として政府機能を果たす一方、シティは自治機能を有するイングランド最大の商業都市に発展していた。シティはその経済力を背景として、12-13世紀に市長を選出する権利や独自の法廷を持つ権利を獲得し、14世紀半ばからは市参事会を選出し、王権から独立した高度な自治都市としての独立を保持した。人口は1100年に18,000人、1300年までには100,000人程にまで成長していた[49]

14世紀半ばにはペストが発生し、人口は3分の1程度減少した。1381年ワット・タイラーの乱が発生した[50]

近世[編集]

ロンドン大火

テューダー朝の時代、宗教改革に伴うプロテスタントへの移行が次第に進むにつれ、教会の私有化が進んだ[51]ネーデルラント周辺地域へは未加工のウール生地が海上輸出された。生地の主たる用途は、大陸ヨーロッパの富裕層向けの衣服であった。しかし、当時のイギリスの海運会社は北西ヨーロッパ以外の海にはほとんど進出しなかった。イタリア地中海への商業ルートは、通常アントウェルペンまたはアルプス山脈経由であった。海上輸送ではイタリアやドゥブロヴニクの貿易商と同様、ジブラルタル海峡を経由した。1565年オランダとイギリス間の貿易再開は、瞬く時に活発な商取引をもたらした[52]1566年王立取引所が設立された。重商主義は進展し、イギリス東インド会社を初めとする勅許会社が設立され、貿易は新世界へと拡大した。ロンドン港は北海において重要性を増し、国内外から移住者が来航した。1530年の人口は推計で50,000人、1605年には225,000人に上昇した。

16世紀ウィリアム・シェイクスピアや同時代に生きたロンドンの劇作家は、イギリス・ルネサンス演劇を始めとして劇場の発展にしのぎを削った。テューダー朝が終わりを告げる1603年まで、ロンドンはまだ非常に小規模な都市であった。1605年ジェームズ1世の暗殺計画を企てた火薬陰謀事件が発生した[53]17世紀初頭や1665-1666年にはペストが流行し[54]、100,000人または人口の5分の1が死亡した[55]1666年、シティのプディング・レーンにてロンドン大火が発生し、市内の家屋の約85%が焼失した[56]。建築家ロバート・フック指揮の下[57][58][59]、ロンドン再建に10年の歳月を要した。1708年クリストファー・レンの最高傑作であるセント・ポール大聖堂が完成した。ハノーヴァー朝の時代には、メイフェアを始めとする新市街が西部に形成され、テムズ川には新たな橋が架橋され、南岸の開発が促進された。東部では、ロンドン港がテムズ川下流のドックランズに向かって拡張された。

1762年ジョージ3世バッキンガム・ハウスを手中に収め、以後75年間に渡って同邸宅は拡張を続けた。18世紀、ロンドンの犯罪率は高く、1750年にはロンドン最初の専業の警察としてバウストリートランナーズ英語版[60]が設立された。総計で200件以上の犯罪に死刑判決が下され[61]、小規模な窃盗罪でも女性や子どもが絞首刑に処された[62]。ロンドンで生まれた子どもの74%以上は5歳未満で死亡していた[63]コーヒー・ハウスが意見を交わす社交場として流行したのに伴い、リテラシーの向上やニュースを世間一般に広める印刷技術が向上し、フリート・ストリートは報道機関の中心地となっていた。

1777年サミュエル・ジョンソンによる言葉を記す。「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから。」[64]

近現代[編集]

第二次世界大戦時、ドイツによる空襲を受けたロンドン

1831-1925年頃、ロンドンは世界最大の都市であった[65]。著しく高い人口密度によりコレラが大流行し[66]1848年に14,000人が死亡、1866年には6,000人が死亡した。1855 年に、首都建設委員会英語版が設立される。渋滞が増加し、首都建設委員会はインフラ整備を監督した。世界初の公共鉄道ネットワークであるロンドン地下鉄が開通している。首都建設委員会は1889年ロンドン郡議会英語版になり、ロンドン最初の市全域を管轄する行政機構として機能した。第二次世界大戦時、ザ・ブリッツを始めとするドイツ空軍による空爆により、30,000人のロンドン市民が死亡し、市内の多くの建築物が破壊された。終戦直後の1948年ロンドンオリンピックが初代ウェンブリー・スタジアムにて開催され、同時に戦後復興をわずかに果たした。

1951年フェスティバル・オブ・ブリテン英語版サウス・バンクにて開催された。1952年ロンドンスモッグの対応策として大気浄化法 (1956)英語版が掲げられ、「霧の都」と揶揄されたロンドンは過去のものとなったが、大気汚染の問題は未だに残されている[67]1940年代以降、ロンドンには大量の移住者が流入した。多くはイギリス連邦加盟国の出身者である。内訳としてはジャマイカインドバングラデシュおよびパキスタン出身者で、ロンドンに欧州屈指の多様性をもたらす要因となっている。

主として1960年代半ば以降、ロンドンは世界的なユースカルチャーの中心地となっていった。キングス・ロードチェルシーカーナービーストリート英語版といった地域ではスウィングロンドン英語版と言ったスタイルが流行した。流行の発信拠点としての役割は、パンク・ロックの時代に復活し1965年、ロンドンの都市的地域の拡大に伴い、管轄範囲を拡大したグレーター・ロンドン・カウンシルが設立された。北アイルランド問題に関連し、ロンドンではIRA暫定派による爆破事件が発生した。1981年ブリクストン暴動英語版では、人種差別問題が注目を集めた。第二次世界大戦以後、グレーター・ロンドンの人口は次第に減少していった。ピーク時の1939年の推計人口が8,615,245人だったのに対し、1980年代では約6,800,000人に減少していた。ドックランズカナリー・ワーフ再開発事業に伴い、ロンドンの主要港は下流に位置するフェリクストウ港英語版ティンバリー港英語版に移転した。また、カナリー・ワーフ再開発事業により、ロンドンの国際的な金融センターとしての役割は増加の一途をたどった。

1980年代、高潮による北海からの海水の流入を堰き止め、洪水を防止するテムズバリア英語版が完成した。1986年、グレーター・ロンドン・カウンシルが廃止され、ロンドンは世界で唯一、中央行政機関が存在しない大都市となった。2000年、グレーター・ロンドンを管轄するグレーター・ロンドン・オーソリティーが設立された。ミレニアム記念事業の一環として、ミレニアム・ドームロンドン・アイミレニアム・ブリッジが建設された。2005年ロンドン同時爆破事件が発生し地下鉄車両とバスが爆破された[68]2012年第30回オリンピックが開催された。1908年1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催であり、同一都市としては史上最多となる。

2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治といった分野を対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、ロンドンはニューヨークに次ぐ世界第2位の都市と評価された[69]

行政[編集]

グレーター・ロンドンは、シティ・オブ・ウェストミンスターを含む32の特別区とシティ・オブ・ロンドンにより構成されている[70]。グレーター・ロンドンは選挙で選出された大ロンドン市長ロンドン議会により構成されている。大ロンドン市長は行政上の力を有し、ロンドン議会は市長が提案する年度毎の予算の可否や裁定に関して精細に調査する。グレーター・ロンドンの本庁はサザークシティーホールにあり、現在の市長はボリス・ジョンソンである。市長の法定戦略計画はロンドンプラン英語版として公開され、最新の物は2011年に改訂されている[71]

グレーター・ロンドンのうち、シティ、都心部の13区はインナー・ロンドン、その外縁部の19区はアウター・ロンドンと呼ぶ。1965年、グレーター・ロンドン全体を管轄する広域自治体としてグレーター・ロンドン・カウンシルが発足したが、1986年サッチャー政権の地方行政改革により廃止された。グレーター・ロンドン・カウンシル廃止以後、各区は「ユニタリー」と呼ばれる状態にあり、カウンティレベルの行政組織として機能していた。ところがブレア政権下の住民投票により、2000年にグレーター・ロンドンを管轄するグレーター・ロンドン・オーソリティーが設立され、グレーター・ロンドンの市長は直接選挙で選出されるようになった。初代市長ケン・リヴィングストンはロンドンの主要な政策課題である公共の安全性の確保と交通問題に努めたが、2008年ボリス・ジョンソンとの選挙に敗れ、ジョンソンが2代目市長となった。シティは中世から自治組織を有し、ロード・メイヤーと呼ばれるロンドン市長を選出してきたが、現在ではシティの「市長」は名誉職になっている。また、英国では伝統的に大聖堂 (大寺院) がある町 (Town) を都市 (City) と呼称し、シティ・オブ・ロンドンにはセント・ポール大聖堂、シティ・オブ・ウェストミンスターにはウェストミンスター寺院が各々存在する。一方、サザークは大聖堂を有するが、16世紀からシティではなく特別区を名乗る。

特別区は一番身近な行政サービスである地区計画や学校、社会福祉援助、地域道路の整備、ゴミ収集に関して責任がある。ゴミ収集のような行政サービスはロンドン清掃事務当局英語版等の機関を通じていくつかの特別区ごとにそれぞれ共同で行っている。2009-2010年のロンドン議会とグレーター・ロンドンを合わせた歳入歳出規模は220億ポンドで、そのうち147億ポンドは特別区、74億ポンドはグレーター・ロンドンであった[72]

グレーター・ロンドンの治安は大ロンドン市長公安室英語版下のロンドン警視庁により担われている。シティ・オブ・ロンドンは自らの警察機構であるロンドン市警察を有している[73]イギリス鉄道警察はロンドンのナショナル・レールロンドン地下鉄に関してその責任を有している[74]

ロンドン市消防局はイギリスの消防に関する法律によりグレーター・ロンドンを管轄し、ロンドン消防・緊急時計画局英語版下にあり世界で3番目に大きな消防組織である[75]。救急はロンドン救急サービストラスト英語版 (LAS) により担われ無料の救急車サービスでは世界で最大規模である[76]ロンドン航空救急英語版はLASと連携し慈善で運営されている。イギリス沿岸警備隊王立救命艇協会はテムズ川で運用されている[77][78]

政府機関[編集]

ロンドンはイギリス政府の中心として官庁がウェストミンスター宮殿周辺に多くが集まっている。とくにホワイトホール沿いに集まっており、首相官邸のダウニング街10番地も含まれる[79]。イギリス議会は「議会の母」"Mother of Parliaments"と呼ばれ、この愛称は最初にイングランド自体にジョン・ブライトが用いた[80]。ほとんどの議院内閣制のモデルであり、法令により多くの他の議会が作られている。

地理[編集]

範囲[編集]

ロンドンの範囲。濃い緑がグレーター・ロンドン、薄い緑がセントラル・ロンドン、赤い地点がシティ・オブ・ロンドン。M25がグレーター・ロンドンを囲む。

グレーター・ロンドンは一番上の行政機構で、特別区がそれぞれロンドンをカバーしている。小さい範囲のシティ・オブ・ロンドンはかつてすべての範囲の街区が含まれていたが、都市地域の成長によりシティ・オブ・ロンドン自治体英語版により郊外との合体が試みられた。それぞれ異なった目的により「ロンドン」が定義され、かつて法的に議論された[81]。グレーター・ロンドンの40%はロンドン郵便カウンティ英語版によりカバーされ、郵便の住所では 'LONDON'の範囲を構成している[82][83]

ロンドンの衛星写真
セントラル・ロンドンの地図

ロンドンの市外局番は (020) でグレーター・ロンドンと同じように広範囲をカバーし、外側の地区のいくつかは外れるがグレーター・ロンドンの外の地区のいくつかは含まれている。M25モーターウェイの内側が通常、ロンドンとみなされ[84]、グレーター・ロンドンの範囲は変化している (en[85]。市街地の拡張は現在、メトロポリタン・グリーンベルト英語版により防がれているが[86]境界を越えて市街地は広がっており、グレーター・ロンドン都市的地域英語版と定義が分かれる。超えた範囲は広大なロンドンコミューターベルト英語版になっている[87]

グレーター・ロンドンはいくつかの目的によってインナー・ロンドン英語版アウター・ロンドン英語版に分かれている[88]。シティはテムズ川によりノース・ロンドンとサウス・ロンドンに分けられ形式的にセントラル・ロンドンはその内側にある。ロンドンの中心は元々チャリングクロスエレノア・クロス英語版ウィンチェスタートラファルガー広場の結合する部分の近くに位置し北緯51度30分26秒 西経00度07分39秒 / 北緯51.50722度 西経0.12750度 / 51.50722; -0.12750である[89]

都市の地位[編集]

シティ・オブ・ロンドンシティ・オブ・ウェストミンスターシティステータス英語版があり、グレーター・ロンドンにシティ・オブ・ロンドンは典礼カウンティとして残っている[90]。現在のグレーター・ロンドンはかつてのミドルセックス州ケントサリーエセックスハートフォードシャーが編入されている。ロンドンの、イングランドや後のイギリスの首都としての地位は法律や書物には認められない。[note 1]

地位は憲法会議を通して実質的な首都としてイギリスの憲法の一部分に制定されている。イングランドの首都はウィンチェスターかロンドンへウェストミンスター宮殿の開発の進展により、12世紀と13世紀に恒久的な王宮として移され、国の政治的な首都となった[93]

地勢[編集]

プリムロズヒル

グレーター・ロンドンは1,583km2 (611 sq mi) の面積があり、人口は2001年現在7,172,036人で人口密度は4542人/km2、より広い範囲はロンドン大都市圏またはロンドン大都市圏密集体と呼ばれ面積は 8,382km2 (3,236 sq mi) で人口は12,653,500人に達し人口密度は1510人/km²である[94]。現代のロンドンはテムズ川河畔に位置し、地理的な特徴として航行可能な河川が南西部から東部にかけ横切っている。テムズ低地英語版氾濫原で周辺部はなだらかな丘陵地でその中にはパーラメント・ヒル英語版アディントン・ヒル英語版プリムロズ・ヒルが含まれる。テムズ川はかつてもっと川幅が広く、浅い川で沼地が広がり、満潮時には河岸は通常の5倍にも達していた[95]

ヴィクトリア朝以来、テムズ川は広い堤防が築かれ多くのロンドンの支流は現在地下を流れている。テムズ川は潮の流れの影響を受ける川で洪水による被害を受けやすい[96]。この脅威は時間と共にゆっくりと継続的に高い潮汐レベルで増す。これは緩やかに傾いたイギリスの後氷期地殻均衡復元英語版による[97]。1974年に脅威を防ぐため10年計画でウーリッジでテムズ川を横切るテムズバリア英語版の建設が始まった。バリアは2070年まで機能するように設計され、さらなる拡張や再設計の話し合いがすでに行われている[98]

気候[編集]

ロンドンの気候は海洋性気候で、イギリス南部の多くの地域と同様である。しかしながら、雨が多い都市という評判がロンドンにある。実際にはロンドンの降水量はローマの 834 mm (32.8 in) やボルドーの923 mm (36.3 in) より少ない[99]。冬は通常ひんやりとし、寒さを感じ霜が郊外で11月から3月にかけ平均2週間発生する。降雪は通常、4-5回12月から2月にかけ発生する。3月や4月に雪が降ることは希であるが、2-3年毎に見られる。冬の気温は−4 °C (24.8 °F) 以下や14 °C (57.2 °F) 以上を超えることは滅多に起こらない。2010年の冬にロンドンではノルソルトで(−14 °C (6.8 °F)) の最低気温を記録し、20年に一度の大雪も見られロンドンの交通機関は大きく混乱した。 夏は通常適度に温かく、時折暑い。ヒートアイランドによりロンドンの中心部では気温が郊外に比べ5 °C (9 °F) も高い。ロンドンの夏の平均気温は 24 °C (75.2 °F) で、年に7日は 30 °C (86.0 °F) を超え2日は32 °C (89.6 °F) を超える。気温が26℃(80 °F)を超えることは6月半ばから8月後半にかけて見られる。2003年の欧州の猛暑 (enでは14日間連続で気温が 30 °C (86.0 °F) を超え、2日連続で 38 °C (100.4 °F) を超えた。数百人が猛暑に関連し死亡している。雨は夏の期間、2日から10日の範囲で見られる。春や秋は季節が混在し、快適である。2011年10月1日に気温が 30 °C (86.0 °F) に達し、2011年4月には28 °C (82.4 °F) に達した。しかしながら、近年ではこの最高気温を記録した月に雪が降ることもある。ロンドンの気温の幅は−10 °C (14.0 °F) から 37.9 °C (100.2 °F) である。

また、「霧の都」と呼ばれるように年間の霧発生日数が多い。

ロンドン (グリニッジ)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 14.0
(57.2)
19.7
(67.5)
21.0
(69.8)
26.9
(80.4)
31.0
(87.8)
35.0
(95)
35.5
(95.9)
37.9
(100.2)
30.0
(86)
28.8
(83.8)
19.0
(66.2)
15.0
(59)
37.9
(100.2)
平均最高気温 °C (°F) 8.1
(46.6)
8.4
(47.1)
11.4
(52.5)
14.2
(57.6)
17.9
(64.2)
21.1
(70)
23.5
(74.3)
23.2
(73.8)
19.9
(67.8)
15.6
(60.1)
11.2
(52.2)
8.3
(46.9)
15.2
(59.4)
平均最低気温 °C (°F) 2.3
(36.1)
2.1
(35.8)
3.9
(39)
5.5
(41.9)
8.7
(47.7)
11.7
(53.1)
13.9
(57)
13.7
(56.7)
11.4
(52.5)
8.4
(47.1)
4.9
(40.8)
2.7
(36.9)
7.4
(45.3)
最低気温記録 °C (°F) −10.0
(14)
−9.0
(15.8)
−8.0
(17.6)
−2.0
(28.4)
−1.0
(30.2)
5.0
(41)
7.0
(44.6)
6.0
(42.8)
3.0
(37.4)
−4.0
(24.8)
−5.0
(23)
−7.0
(19.4)
−10.0
(14)
降水量 mm (inch) 55.2
(2.173)
40.8
(1.606)
41.6
(1.638)
43.6
(1.717)
49.3
(1.941)
44.9
(1.768)
44.5
(1.752)
49.5
(1.949)
49.1
(1.933)
68.5
(2.697)
59.0
(2.323)
55.0
(2.165)
601.5
(23.681)
降雪量 cm (inch) 24.4
(9.61)
10.8
(4.25)
2.7
(1.06)
0.4
(0.16)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0.2
(0.08)
8.2
(3.23)
46.7
(18.39)
平均降雨日数 (≥ 1 mm) 10.9 8.1 9.8 9.3 8.5 8.4 7.0 7.2 8.7 9.3 9.3 10.1 106.6
平均降雪日数 4 4 3 1 0 0 0 0 0 0 1 3 16
 % 湿度 91 89 91 90 92 92 93 95 96 95 93 91 92.3
平均月間日照時間 45.9 66.1 103.2 147.0 185.4 180.6 190.3 194.4 139.2 109.7 60.6 37.8 1,460.2
出典 1: Record highs and lows from BBC Weather,[100]except August and February maximum from Met Office[101][102]
出典 2: All other data from Met Office,[103]except for humidity and snow data which are from NOAA[104]

地区[編集]

  1. シティ・オブ・ロンドン
  2. シティ・オブ・ウェストミンスター
  3. ケンジントン・アンド・チェルシー
  4. ハマースミス・アンド・フラム
  5. ワンズワース
  6. ランベス
  7. サザーク
  8. タワーハムレッツ
  9. ハックニー
  10. イズリントン
  11. カムデン
  12. ブレント
  13. イーリング
  14. ハウンズロー
  15. リッチモンド
  16. キングストン・アポン・テムズ
  17. マートン
LondonNumbered.png|
  1. サットン
  2. クロイドン
  3. ブロムリー
  4. ルイシャム
  5. グリニッジ
  6. ベクスリー
  7. ヘイヴァリング
  8. バーキング・アンド・ダゲナム
  9. レッドブリッジ
  10. ニューアム
  11. ウォルサム・フォレスト
  12. ハーリンゲイ
  13. インフィールド
  14. バーネット
  15. ハーロウ
  16. ヒリンドン

ロンドンは広大な市街地が広がっていることから、よくブルームズベリーメイフェアホワイトチャペルのように地区名が使われている。これらはいずれも、非公式な名称で都市の広がりによって吸収された村を映したものや教区、グレーター・ロンドン以前の旧区を表したものである。これらの名称は今でも残って使われており、それぞれの地域を表したり自らの地区を特徴付けているが現在は公式には使われていない。1965年以来、ロンドンは32の自治区に分けられこれに古くからのシティ・オブ・ロンドンが加わる[105][106]。シティ・オブ・ロンドンはロンドンの金融の中心で[107]カナリー・ワーフは近年では再開発が進み新たな金融や商業の中枢になっている。東側はドックランズである。ウェスト・エンドはロンドンのエンターテイメントやショッピングの中心地区で観光客を惹き付けている[108]ウェスト・ロンドン英語版は高級住宅地を含む地区で不動産価格は1,000万ポンドにもなる[109]ケンジントン・アンド・チェルシーの不動産の平均価格は894,000ポンドでセントラル・ロンドンのほとんどは同様である[110]

イーストエンド・オブ・ロンドンは元のロンドン港英語版に近く、高い移民人口で知られロンドンでも最も貧しい地区の一つである[111]北東部英語版はロンドンでは初期に工業開発が行われた地域で現在ではブラウンフィールド(汚染地区)の一部として再開発が行われているテムズゲートウェイ英語版にはロンドンリバーサイド英語版低リー・バレー英語版も含まれ、これは2012年のオリンピックとパラリンピックのためのオリンピックパークを含んでいる[111]

街並み[編集]

ロンドン・アイからのロンドンのパノラマ
シティ・オブ・ロンドンとカナリー・ワーフのそれぞれの高層ビル群とザ・シャードなどロンドン中心部のパノラマ。2012年6月

建物[編集]

30セント・メリー・アクス

ロンドンの建築物は様々な年代のものがあり多様である。多くの大きな建物やナショナル・ギャラリーのような公共の建物はポートランドストーン英語版と呼ばれる石灰岩により造られている。市街地の一部とくに西部や中心部では化粧しっくい(スタッコ)や水しっくいで特徴付けられた建物を見ることが出来る。セントラル・ロンドンでは1866年に起こったロンドン大火以前の建物が若干見られ、古代ローマの跡も僅かに残されている。ロンドン塔やシティに点在したわずかなチューダー様式の建物が残っている。さらにチューダー期英語版のイングランドで残っている一番古いチューダー宮殿、ハンプトン・コート宮殿トマス・ウルジー枢機卿により1515年建てられた[112]

クリストファー・レンの17世紀後半の教会や金融機関の建物、18世紀や19世紀の王立取引所英語版イングランド銀行、20世紀初期のオールドベイリー英語版、1960年代のバービカンエステート英語版は建築遺産の一部を形成している。1939年に建設されたバタシー発電所英語版はテムズ川の南西側に位置し今では使われていないが、地元のランドマークになり再開発も計画されている。鉄道のターミナル駅ではヴィクトリア建築英語版(ネオ・ゴシック様式)の代表例としてセント・パンクラス駅パディントン駅が上げられる[113]。ロンドンは地域により建物の密集状態が異なり、セントラル・ロンドンは高い就業人口集積がありインナー・ロンドンは高い住宅密度である。アウター・ロンドンは低い密度になっている。

シティにあるロンドン大火のモニュメント英語版はロンドン大火を記念し現場の近くに建てられている。マーブル・アーチウェリントンアーチ英語版はシティ・オブ・ウエストミンスターのパーク・レーン英語版の北側と南側にそれぞれある。また、アルバート記念碑サウス・ケンジントン英語版ロイヤル・アルバート・ホールは王室とのつながりがある。ネルソン記念柱ホレーショ・ネルソン提督の業績を記念し、トラファルガー広場に据えられロンドン中心の焦点なる場所の一つである。古い建物は主に煉瓦で建てられ、ほとんどは黄色っぽいロンドンストック煉瓦英語版か明るいオレンジや赤系統のもので、彫刻やプラスターの繰形が施される[114]

バッキンガム宮殿

密集地帯のほとんどでは中層や高層のビルが建てられる。ロンドンの高層ビルには30セント・メリー・アクスタワー42ブロードゲートタワー英語版ワン・カナダ・スクウェアがあるがこれらはシティ・オブ・ロンドンカナリーワーフの二つの金融街などで見ることが出来る。高層ビルの建築はセント・ポール大聖堂や他の歴史的な建築物など歴史的な建物の景観を保護するため、特定の場所に制限されている。それでもやはり、多くのとても高い高層ビルがロンドン中心部では見ることができ、ヨーロッパでは一番高い高層ビルであるザ・シャード (310m) も含まれる。他にロンドンを特徴付ける建物には大英図書館や2002年に完成したサザークのシティ・ホールで楕円形の建物は目に付く[115]。以前のミレニアム・ドームは現在は改名され複合娯楽施設The O2として使われている。

公園・庭園[編集]

ハイドパーク俯瞰

中心部で一番大きな公園はロンドンの王立公園英語版のうちの一つであるハイドパークで近隣にはセントラル・ロンドンの西側にケンジントン・ガーデンズが北側にリージェンツ・パークがある[116]。リージェント・パークには世界で一番古い科学的な動物園であるロンドン動物園があり、近くには観光名所である蝋人形館のマダム・タッソー館がある[117][118]。ロンドン中心近くには小さな王立公園であるグリーンパーク英語版セント・ジェームズ・パークがある[119]。ハイド・パークはとくにロンドンのスポーツのスポットとして有名で、しばしば野外コンサートが行われる。中心部の外へ出ると多くの大きな公園があり、その中には南東部の王立公園のグリニッジパーク[120]や、南西部のブッシーパーク英語版リッチモンドパーク[121][122]、東側のヴィクトリア・パーク英語版がある。プリムローズヒルは市街地の北側にありリージェントパークからのロンドン中心部のスカイラインの眺めはポピュラーである。いくつかの非公式な自然なオープンスペースに準じた空間があり、ノース・ロンドンのハムステッド・ヒース英語版(320ヘクタール)も含まれる[123]。ハムステッド・ヒースにあるケンウッド・ハウスは元は邸宅で、夏の期間はクラシック音楽のコンサートが行われるポピュラーな場所で、週末には数多くの人が音楽や景色、花火を楽しんでいる[124]

統計[編集]

ロンドンの人口は、19世紀から20世紀初期にかけて産業革命を契機として急速に増加し、19世紀後半から20世紀初期にかけては世界一人口の多い都市であり、1925年までニューヨークの人口を上回っていた。人口のピークは第二次世界大戦が勃発する直前の1939年であり、8,615,245人に達していた。2011年時点のグレーター・ロンドンの公式の人口は8,174,100人であった[125]

しかし、ロンドンの市街地はグレーター・ロンドンの境界を越えて広がっており、2011年時点の都市的地域の人口は8,278,251人、都市圏の人口は13,709,000人に達している。ユーロスタットによれば、ロンドンは欧州域内の都市圏で最も人口が多い。1991-2001年にかけての流入人口は、726,000人であった[126]。グレーター・ロンドンの範囲は1,579平方キロメートルであり、人口密度は5,206人/km2である。これは、他のイギリスの地域の人口密度(NUTS内で)の10倍以上である[127]

世界の諸都市のうち人口は25番目に多く、都市圏では18番目に多い。世界で4番目に米ドルベースで億万長者が多い地域である。[128]ロンドンは東京やモスクワと並んで物価が高い都市という調査結果もある[129]

民族[編集]

2011年 ロンドンの民族人口割合[130]
民族グループ 人口割合
白人
  
59.7%
白人の英国人
  
44.9%
白人のアイルランド人
  
2.2%
その他の白人
  
12.6%
黒人英国人
  
5.3%
アフリカ系
  
7%
カリビアン系
  
4.9%
その他の黒人
  
2.1%
南アジア系
  
18.4%
インド系
  
6.61%
パキスタン系
  
2.7%
バングラデシュ系
  
2.7%
その他のアジア系
  
4.9%
混血
  
5%
中国系
  
1.5%
アラブ系
  
1.3%
その他の民族グループ
  
3.4%

国家統計局によれば、2011年ベースの統計でロンドンの人口 8,174,100人のうち、59.7%が白人で、白人の英国人は44.9%、白人のアイルランド人は2.2%、他の白人の人々は12.6%であった。南アジア系の人々は18.4%で、インド系はロンドンの人口のうち6.6%、続いてパキスタン系が2.7%、バングラデシュ系が2.7%であった。4.9%は他のアジア系に分類されている。ロンドンの人口のうち10.1%は黒人であり、5.3%は黒人英国人、7.0%はアフリカ系、4.3%はカリビアン系、2.1%は他のグループに分けられている。5%は混血、1.5%は中国系、1.3%がアラブ系、3.4%はその他の民族グループに属している[131]。2011年の人口国勢調査によれば、2001年から2011年の間に、62万人の白人英国人がロンドンから去り、人口の45%に減少し少数派となった[132][133]

ロンドンの一部では、アジア系や黒人の子どもたちが白人の英国人の子どもの数を上回る地域もあり、4-6校の公立学校では数で上回っている。[134]だが、依然として白人の子どもの数は62%で過半数を占め、2009年の統計局による調査では0-15歳の層における白人人口は1,498,700人であった。そのうち、55.7%は英国系、5.6%は他のEU加盟国出身である[135]。2005年1月の調査では、ロンドンでは300以上の言語話者がおり、50以上の非先住のコミュニティには10,000人以上の人々が暮らし、宗教や民族の多様性が見られる[136]。統計局の調査では、ロンドンにおけるイギリス国外の出生者数は2010年現在で2,650,000人と人口の33%を占め、1997年の1,630,000人より増加している。

2001年の国勢調査では、グレーター・ロンドンの人口の27.1%はイギリス国外の出生者であった[137]。統計によると20の共通する国の出身者がロンドンに居住している。ドイツ出身者は、親がドイツに駐在したイギリス軍に就いていたものである[138]。公式の統計では、2009年7月から2010年6月にロンドンに居住する国外出身者は、主にインド、ポーランド、アイルランド、バングラデシュ、ナイジェリア出身者であった[139]

宗教[編集]

ロンドンの宗教人口割合
宗教 割合
キリスト教
  
58.2%
無宗教
  
15.8%
記載無し
  
8.7%
イスラム教
  
8.5%
ヒンドゥー教
  
4.1%
ユダヤ教
  
2.1%
シク教
  
1.5%
仏教
  
0.8%
その他
  
0.2%

ロンドン市民の信仰する宗教は、主にキリスト教で58.2%を占めている[140]。これに続き、無宗教が15.8%、イスラム教が8.5%、ヒンドゥー教が4.1%、ユダヤ教が2.1%、シク教が1.5%、仏教が0.8%、その他が0.2%であった。8.7%は2001年の国勢調査で無回答であった[140]。ロンドンでは伝統的にキリスト教が信仰されており、シティ・オブ・ロンドンには多くの教会が所在する。シティのセント・ポール大聖堂サウスワーク大聖堂英語版聖公会は有名であり[141]カンタベリー大主教イギリス国教会大主教である。大主教のランベスパレスがランベス・ロンドン特別区にある[142]

王室の重要行事は、セント・ポール大聖堂とウェストミンスター寺院に分けて行われる[143]ウェストミンスター大聖堂イングランドおよびウェールズでは最大のカトリック教会の大聖堂である[144]。 イギリス国教会の統計では、教会への参加者は次第に減少している[145]

ロンドンには、相当数のイスラム教やヒンドゥー教、シク教、ユダヤ教のコミュニティがある。多くのイスラム教徒はタワーハムレッツ・ロンドン特別区ニューアム・ロンドン特別区に居住している。 ロンドン居住のイスラム教徒にとってリージェンツ・パークロンドン・セントラルモスク英語版は最も重要な存在である[146]。オイルマネーによって増加した中東の富裕層は、メイフェアナイツブリッジを拠点としている[147][148]。ロンドンは西ヨーロッパ最大のモスクが所在する都市であり、Baitul Futuhのモスクはアフマディーヤムスリムコミュニティのものである。

ヒンドゥー教徒のコミュニティはロンドンの北西部ハーロウ・ロンドン特別区ブレント・ロンドン特別区に存在し、ヨーロッパ最大のヒンドゥー寺院であるネアスデン寺院がある[149]。シク教徒はロンドン東部や西部におり、インド国外では世界最大のシク教の寺院がある[150]

イギリスのユダヤ教徒の大半がロンドンに居住し、ユダヤ教徒のコミュニティはスタンフォード・ヒル英語版スタンモア英語版ゴルダーズ・グリーン英語版エッジウェアヘンドン英語版ノース・ロンドン英語版に存在する。スタンモア・カンノンパークシナゴーグ英語版は単一ではヨーロッパ最大のシナゴーグである[151]

経済[編集]

再開発後、シティとともに金融センターとして機能するカナリー・ワーフ

金融・サービス業[編集]

イギリス経済の中心であり、世界有数の経済都市でもある。金融市場の世界的な重要拠点として機能しており、ニューヨークと共に世界トップレベルの金融センターである[152]。世界レベルの大企業本社も集積しており、2011年フォーチュン・グローバル500において、世界で5番目に大企業の本社が集積している都市との評価を受けている[153]2008年ロンドン都市圏のGDPは5650億ドルと世界では第5位、欧州ではパリ都市圏を僅差で凌ぎ第1位である[154]

資本主義経済の中心がイギリスからアメリカ合衆国に移ったことに伴うイギリス経済の相対的低下にも関わらず、ロンドンは依然としてイギリス連邦欧州連合を始め、世界経済の中心としての地位を保持する。特に貿易および金融面での影響力は強い。シティでは1694年設立のイングランド銀行を頂点として、相互に密接な連携を保って展開するロンバードストリート一帯の市中銀行など各種金融業が発達している。この市場がロンドン金融市場で世界三大金融市場の一角を成し、ロンドン証券取引所は世界屈指の証券取引所の1つに挙げられる。シティのほか、ホルボーンフィンズベリーにも金融関連会社が多数存在する。

ロンドンはイギリスの国内総生産 (GDP) の約20%(4,460億米ドル、2005年現在)を生み出し[155]ロンドン・コミューター・ベルト英語版域内は欧州最大でイギリスの国内総生産の30%(6,690億米ドル、2005年現在)を生み出している[156]。ロンドンは群を抜いた金融センターで、ニューヨークと競う国際的に重要な都市である[157][158]

ビジネス地区 オフィス面積 (m²) 業務集積
シティ 7,740,000 金融、仲介、保険、法律
ウエストミンスター 5,780,000 企業の本社、不動産、プライベート·バンキング、ヘッジファンド、政府機関
カムデン & イズリントン 2,294,000 クリエイティブ産業、金融、デザイン、アート、ファッション、建築
カナリー・ワーフ 2,120,000 銀行・メディア・法律関連
ランベンス & サザーク 1,780,000 会計、コンサルティング、地方自治体

ロンドンにはシティ、ウエストミンスター、カナリー・ワーフ、カムデン & イズリントン、ランベンス & サザークの5つの主要なビジネス地区がある。その重要性はオフィス面積で知ることができる。グレーター・ロンドンのオフィススペースは2,700万平方メートルで、シティの800万平方メートルも含む。ロンドンは世界的にも高い賃料のオフィススペースとなっている[159][160]

メイフェアセント・ジェームズ英語版の賃料は現在、一番高く1平方フィートあたり年間93ポンドである[161]。ロンドンの最大の産業として金融は残り、イギリスの国際収支統計に大きく貢献している[162]。シティには銀行、仲介業、保険、法律事務所、会計事務所などがある。ロンドンの第2の金融街はシティの東側に開発されたカナリー・ワーフで、HSBCホールディングスバークレイズの2つ世界的な大銀行の本社やシティグループの欧州・中東・アフリカ本部、世界的な通信社ロイターがある。ロンドンは2009年現在国際通貨取引の36.7%が扱われ、1日平均1兆8,500億米ドルが取引される。米ドルはニューヨーク以上に取引され、ユーロは他のヨーロッパの都市とともに取引されている[163][164][165]

約325,000人がロンドンでは2007年半ばまで金融サービス部門で雇用されていた。ロンドンは世界のどの都市よりも多い480の海外の銀行がある。現在、85%以上(320万人)の就業人口は第三次産業に雇用されている。その世界的な役割から2000年代後半以降の世界金融危機の影響を大きく受けている。シティでは1年以内で約7万人の雇用が失われることが予想されている[166]。シティにはイングランド銀行ロンドン証券取引所ロイズ保険市場がある。

FTSE100種総合株価指数にリストされる企業の半数以上、欧州の上位500の企業のうちの100社以上がセントラル・ロンドンに本社を置いている。70%を超えるFTSE100の企業がロンドン大都市圏に拠点を置いており、フォーチュン500の企業の75%はロンドンに事務所を置いている[167]

メディア産業はロンドンでは2番目に競争力がある産業である[168]BBCは重要な雇用主で、それ以外にもシティ周辺には放送局の本社が集まっている。多くのイギリスの新聞社の新聞がロンドンで編集されている。

ロンドンは主要な小売り部門の中心で、非飲食部門では世界のいずれの都市よりも高い売り上げがあり、合わせて642億ポンドの収益を上げた[169]。ロンドン港はイギリスでは2番目に荷物取扱量が多い港で年間4,500万トンを扱っている[170]

シティ中心部は、イングランド銀行マンションハウスと呼ばれる市長公邸、商品・金融取引所のロイヤル・エクスチェンジが面する八叉路である。そこから南東には銀行や商社が立ち並ぶロンバード・ストリートが伸びる。コーンヒル(穀物丘)やポールトリ(家禽)、ミルク、ブレッド、チープサイド(安売り街)などの古くからの街路名や町名が現在も残っている。シティは女王の承認を得ていない唯一の自治体であり、独自の警察を有する。シティ西部のフリート・ストリートには新聞・通信社が集積し、通りの南側にあるテンプルはイギリスの法律家の最大の拠点である。元来テンプル騎士団のイングランド本部であったが、イギリスで最初の法学院が設置され、次世代の公判弁護士を育成する場所となった。付近には他に最高裁判所や公文書館もある。

ウェスト・エンドはシティの西側の地域であり、シティ・オブ・ウェストミンスターを中心とする。ウェストミンスターは国内最高級の住宅群を擁し、一見寂れた地区であっても資産価値は非常に高い。ウェストミンスター寺院ウェストミンスター大聖堂国会議事堂バッキンガム宮殿、政府庁舎、国内最大級の商業地区、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)、ロンドンの大半の高級ホテル、美術館、博物館がある。

イースト・エンドは、シティの東端ロンドン塔から東方のリー川までの地域である。アイル・オブ・ドッグズ、ポプラー、マイル・エンドなど古くからの地名が今も残るが、公式には全てタワーハムレッツ区に含まれる。ドック地帯を有し、港としてのロンドンの機能を担う。歴史的には港湾労働者を中心とするスラム街でもあったため、トインビー・ホールのようなスラム改良運動のセルツメントも認められる。かつてはロンドンの最貧地区として知られ、現在はドックランズカナリー・ワーフの大規模な再開発地区として注目されている。

また、ロンドン自体が巨大な消費市場であるため、商業活動も活発である。ロンドンでは地域ごとに各業種が集中している。例えば、シティの金融業、スミスフィールズの食肉市場、スピタルフィールズおよびコヴェント・ガーデンから移設したナイン・エムルズの両青物市場、ウェスト・エンドリージェント・ストリートボンド・ストリート英語版オックスフォード・ストリートの高級ショッピング街、ハーリーストリートの一流医院、紳士服のオーダーメイドサヴィル・ロウ(日本語の「背広」の語源の一つとも言われる[171])、ウェストミンスターの行政機関、ブルームズベリーの教育機関といった具合である。

工業[編集]

19世紀から20世紀にかけてロンドンは主要な製造業の中心地で、1960年には150万人を超える工場労働者がいた。製造業は1960年代から劇的に傾き始めた[172]。造船や家電、航空機製造、自動車製造など全ての産業が失われている。この傾向は続いており、ポンダーズの Aesica(以前のメルク・アンド・カンパニー)の製薬は2011年に終了し[173][174]、ダゲナムのサノフィ・アベンティス(元のMay & Baker)の製薬も2013年に終了予定である[175]

今日残っている最後の産業プラントは フォード・ダゲハム英語版で、車体パネルの主要な生産地で世界最大のディーゼルエンジンの工場である[176]。食品や飲料の製造もブリムスダウン工業団地英語版にあるパン製造のWarburtonsチズウィックにあるビール醸造のフラーズビール醸造所ヘイズ英語版にあるコーヒーやチョコレート製造のネスレシルバータウン英語版にある砂糖、シロップ製造のTate & Lyleがある。ロンドンの製造業の就業人口は全就業人口の2.8%を占めるのみである。

農業[編集]

ロンドンの農業はグレーター・ロンドン地域の8.6%を占めるのみで商業的農業に利用され、かなり小規模な事業形態でありほとんどはグレーター・ロンドンの外縁部に近い所で行われている。市街地近くには僅かな都市農園とおよそ30,000のクラインガルテンがある[177]。グレーター・ロンドン地域には135.66km2 (135,660,000 m²) の農地が占めている。ロンドン地域のほぼ全ての農地は成長する文化のための礎である[178]

Wormwood Scrubsの共有地の一部

現在、グレーター・ロンドンを構成する多くのエリアは以前は農村か郊外の農地であったが、今でもイーリング・コモン英語版リンカーンズ・イン・フィールズシェパーズ・ブッシュワームウッド・スクラブ英語版など昔の地名を保っている。

1938年、グレーター・ロンドンはイギリスでグリーンベルト (enの政策が用いれる最初の地域となり、スプロール現象を防止するためメトロポリタン・グリーンベルト英語版が導入された[179]。2005年にADASにより行われた農業統計調査によれば 423の借地がロンドンのメトロポリタン・グリーンベルトの一部分を占めており、イギリスの総数の0.25%を占めている。管理されている土地の総計は13,608ヘクタールで、半分は貸借されている。

10%未満の土地では有機農法の作物栽培に利用され、農業の経済への寄与は多様化した活動を除くと800万ポンド未満である。一方で、ロンドンの農産業は多角化に関わる活動にずっと依存していることが示されており、農業収入の3分の1はそれらに起因し国の平均を超えている。報告書では農業はロンドンの経済にとって重要ではないが、不可欠な役割があると述べている[180]

報告書では農業は主にロンドン北東部に集中しているが、数値は耕作適地だけが含まれている(周辺のイースト・オブ・イングランドサウス・イースト・イングランドは穀物栽培が一般的である)[181]。また、畜産業は近年ではインフラの不足(食肉処理場や市場への乏しいアクセス)や都市外縁部への近さなどから減少していると述べられている。

園芸農業は主にテムズ川南部のロンドン東部の限られた場所で行われている[180]。ADASの調査だけでなく、2004年の Farmer's Voiceで実施された調査では農業従事者の多数はより広く厳格に押し付けられたグリーンベルトの規制は多角化の大きな障害と考え (47%)、続いて高いのは資金の不足で (35%)、両方の調査で明らかになったのは欧州連合共通農業政策は多角化を進めるにあたって、ほとんど障害はないと認識されていることである。ロンドンのグリーンベルトでの農業収益は増加を示しており、1999年には僅か4%のロンドンの農場だけが利益が増加したか維持しただけだが、2008年には27%に増えている。1999年の調査では48%が事業の存続を恐れていたが、2008年には23%であった[180]。グレーター・ロンドン地域での都市農業を後押しする取り組みも推進されている[182]

観光[編集]

ロンドンには、ロンドン塔キューガーデンウェストミンスター宮殿聖マーガレット教会を含む)、グリニッジグリニッジ天文台跡をグリニッジ子午線が通る)の4つの世界文化遺産が存在する[183]。他の有名なランドマークとしては、バッキンガム宮殿ロンドン・アイピカデリーサーカスセント・ポール大聖堂タワーブリッジトラファルガー広場ウェンブリー・スタジアムがある。多数の博物館、美術館、図書館といった文化施設や、スポーツイベント、文化機関も存在する。大英博物館ナショナル・ギャラリーテート・モダン大英図書館ウィンブルドン選手権、40軒の劇場が軒を連ねるウェスト・エンド・シアター英語版は代表的なものである[184]

ロンドン自然史博物館

ロンドンは著名な観光地の一つであり、主要な産業の一つであり2003年に観光関連の産業に雇用されるフルタイムの労働者は350,000人であった[185]。ロンドンを訪れる観光客が1年間に使う費用は全体で150億ポンドで[186]、海外からの観光客は年間1,400万人にも上りヨーロッパでは最も人が訪れる都市である[187]。ロンドンでの観光客の延べ宿泊日数は年間2,700万泊である[188]。2009年にロンドンで最も観光客が訪れた場所は以下の通り[189]

  1. 大英博物館
  2. ナショナル・ギャラリー
  3. テート・モダン
  4. ロンドン自然史博物館
  5. ロンドン・アイ
  6. サイエンス・ミュージアム
  7. ロンドン塔
  8. 国立海洋博物館英語版
  9. ヴィクトリア&アルバート博物館
  10. マダム・タッソー館

交通[編集]

交通の分野はロンドン市長が掲げる主要な4つの管理政策のうちの一つであるが[190]、ロンドンに乗り入れる長距離鉄道に関しては財政的に関知していない。2007年以降、市長はロンドン地下鉄および路線バスに加えて、ロンドン・オーバーグラウンドを構成する複数のローカル路線の管理権限を有する。公共交通機関はロンドン交通局 (TfL) が運営しており、世界屈指の高密度な交通網を形成する。自転車はロンドン周辺でも次第に普及し始めている。ロンドン・サイクリング・キャンペーンは、自転車の利用環境整備のためロビー活動を行っている[191]

1933年ロンドン地下鉄や路面電車、路線バスといった交通機関の運営組織が統合され、ロンドン旅客輸送局ロンドン交通英語版が設立された。ロンドン交通局 (Tfl) は制定法により設立された機関であり、グレーター・ロンドン内の大部分の公共交通機関に対して管理権限を有し、委員会や理事は大ロンドン市長により任命されている[192]

道路[編集]

セントラル・ロンドン英語版では高密度な公共交通網が機能しているが、郊外では車が一般的である。ロンドンの高速道路には、放射線環状線が存在する。ロンドン中心部の環状線としては、ロンドン環状線英語版がある。近郊の高速道路としては、北環状線のA406道路英語版および南環状線のA205道路英語版があり、郊外の環状線としてはM25モーターウェイがある。環状線は交通量の著しい数多くの放射線と接続し、またインナー・ロンドン英語版を貫通する高速道路も存在する。M25は世界最長の環状道路であり、195.5 km (121.5 mi) の長さを有する[193]A1M1モーターウェイは、エジンバラリーズニューカッスル・アポン・タインと各々接続している。

1960年代、ロンドン全域を網羅する高速道路の建設計画としてロンドン・リングウェイズ英語版が存在したが、大部分は1970年代に中断された。2003年コンジェスチョン・チャージがロンドン中心部の交通量を減らすため導入された。ロンドン中心部において交通量が著しく多いと指定を受けた区画に流入する場合、僅かな例外を除き、自家用車の場合で1日当たり10ポンドの課金が請求される[194][195]。コンジェスチョン・チャージの指定区画に居住する運転ドライバーは、指定区画用のシーズンパスを購入し、月ごとに更新している。シーズンパスの購入代金は、区画内を運行する路線バスの運賃より安価に設定されている[196]。ロンドンの交通渋滞は有名であり、特にM25の混雑度は顕著である。ラッシュ時の車の平均速度は 10.6 mph (17.1 km/h) である[197]。当局による当初の予測では、コンジェスチョン・チャージの導入により、1日当たりのピーク時におけるバスや地下鉄といった公共交通機関の利用者数は20,000人増加し、交通量は10-15%減少し、道路網の交通の流れを10-15%高め、渋滞は20-30%減少するとしていた[198]。コンジェスチョン・チャージ導入後、歳月を経て、当局自身による発表によれば、平日にロンドン中心部に流入する車の台数は195,000台から125,000台に減少し、率にして35%減少したとしている[199]

世界的にも有名なブラックキャブ (black cab) と呼ばれるロンドンタクシーが市民の足として親しまれている。運転手となるには難関の試験を突破しなければならない[200]。市内道路の半分以上は一方通行であり、時に遠回りせざるを得ない。そのため一見高めに映るロンドンタクシーの運賃は、一方通行と進行方向が同じ場合は日本のタクシー料金と大差なく、一方通行と進行方向が異なる場合は運賃が比較的高くなる。また、無免許で合法の個人タクシーはミニキャブ (mini cab) と呼ばれ、市民の間ではブラックキャブより運賃が割安という理由でより一般的である[201]

バス・トラム[編集]

ロンドンバスは世界最大規模の路線バス網を形成し、毎日24時間、8,000台のバス車両を用いて700路線の運行を行い、平日1日当たり600万人が利用している。2003年の路線網全体のトリップ数[202]は15億回であり、地下鉄の乗車回数を上回る身近な交通手段として利用されている[203]。収益としては毎年8億5,000万ポンド計上している。ロンドンは車椅子で移動可能な範囲が世界最大とされ[204]、2007年からは音声や映像案内といった視覚障害者に対応した設備導入により、利便性がより向上している。ロンドン市内を縦横に運行する赤い2階建てバスダブルデッカー)が世界的に有名であり、安価な市民の足として親しまれている[205][206]

旧型の赤い2階建てバス(愛称・ルートマスター)は2005年12月をもって一般路線から廃止された。この理由として、車掌が同乗する旧型よりもワンマンバスの方が効率が良いのに加え、開け放した乗降口は危険であり、身体障害者にとっても不便だったことが挙げられる。旧型車両はロンドン中心部の観光名所を巡る9番(トラファルガー・スクエア/ハイストリート・ケンジントン)と15番(トラファルガー・スクエア/タワー・ヒル)で一般路線に混じり、日中のみ運行している。現在、後部プラットフォームの使用とアクセシビリティ確保のために3つのドアと2つの乗降階段を備えたニュー・バス・フォー・ロンドンがロンドン中心部の観光ルートでのみ運行している。

トラムリンクは、サウス・ロンドン英語版クロイドンを基点に路線を展開している。3路線・39駅を有し、2008年における年間利用者数は2,650万人であった。2008年6月、ロンドン交通局はトラムリンクの管理運営権を完全に所有し、2015年までに5,400万ポンドの設備投資を行う予定である。2009年にはトラムの全車両を刷新している[207]

鉄道[編集]

ロンドンにはイギリス各地や大陸ヨーロッパを結ぶ長距離路線のターミナル駅が方面別に複数存在し、南東部の通勤路線と共に鉄道網の一大拠点となっている。

国が関与する公的企業のネットワーク・レール社は利用者数の多い18の主要駅については直接管理運営しており、この内ロンドンにある駅は次の通りである。北部地方への列車が発着するユーストン駅セント・パンクラス駅キングス・クロス駅、東部へのリバプール・ストリート駅キャノン・ストリート駅フェンチャーチ・ストリート駅ロンドン・ブリッジ駅チャリング・クロス駅、南部へのロンドン・ブリッジ駅やウォータールー駅ヴィクトリア駅、西部へのパディントン駅である。なお、セント・パンクラス駅はヨーロッパ大陸へ通じる特急列車ユーロスターの発着駅で、パディントン駅はヒースロー空港へ通じるヒースロー・エクスプレスおよびヒースロー・コネクトの発着駅でもある。

ロンドンにある特定のナショナル・レールの駅はロンドン・ステーション・グループと総称される。グループ外の駅で発券された切符において便宜的に同一箇所として扱われ、券面に「ロンドン・ターミナル」と表記される18駅が対象である[208]。全ての駅がトラベラルカード・ゾーン1に位置し、この内大部分の駅がロンドン市内を取り囲むように置かれ、各駅間は地下鉄で結ばれる。現在、ロンドン・ステーション・グループとして扱われている駅は次の通りである。

かつての国鉄は解体され、官民協力体制 (Public Private Partnership) の下で委託経営が行われている。線路や駅の保有・維持管理はネットワーク・レール社が行い(民営化から2001年まではレールトラック社、この会社は破綻しネットワーク・レールに引き継がれた)、各路線の列車運行は複数の民間会社が運営する上下分離方式が採用されている。これらの民間会社はナショナル・レールの共通ブランドを用い、国鉄時代から使われている標章を使用しており、民営化以後も乗車券の販売などにおいて一体化された事業が提供されている。

1999年にはパディントン駅付近で列車衝突事故が発生し、さらにその直後にも再び重大事故が度重なるなど、イギリス、特にロンドンの鉄道は大きな政治課題になっている。事故が続発した大きな要因としては株主への利益還元を重視し過ぎたレールトラック社が列車運行に責任を持たず、整備を疎かにしたためとされている。

2007年、ユーロスターはロンドンの発着駅を開業以来ウォータールー駅としていたがセント・パンクラス駅に変更した。発着駅変更以前は途中区間を在来線が走行するため、イギリス国内で速度を上げられないという課題があった。そこで専用の高速新線 (CTRL) を建設したことで最高時速約300キロメートルでの運行が可能になり、遅延が常態化していたユーロスターの定時性も向上した[209]。2009年6月からはクラス395電車を使用したロンドン-ケント州間を運行するイギリス国内の高速鉄道サービスが開始された[210]

地下鉄[編集]

ロンドン地下鉄は現在ではチューブ "the Tube"と呼ばれ、この名称が表す区間は地下深い路線に限られ浅い深さに造られた古い路線とは異なっている[211]。営業距離は上海地下鉄に次いで世界で2番目に長い[212]。1863年に遡る地下鉄システムで270の駅があり[213]、設立当初はいくつかの私営の企業に分かれておりその中には最初の地下電化路線を運営したシティ・サウスロンドン鉄道も含まれる[214]。2013年1月10日には運行開始から150周年を迎えた[215][212]

毎日300万人を超える旅客数があり、路線全体で年間10億人の旅客数がある[216]。2012年の夏のオリンピックに向け70億ポンドを信頼性の向上や混雑の緩和に投資する[217]。ロンドンの公共交通機関は良い状態にあるとされている[218]。世界で最初に開通した地下鉄であるロンドン地下鉄は「チューブ」"the Tube"と呼ばれて親しまれ、世界有数規模である12の路線網を有する。ただし、遅延の常態化が課題として存在する。乗り場への出入りには大型エレベータを設置していることが多いが、一部施設はエスカレーターが木製であるなど老朽化が見られ様々な刷新の計画がある[219]。1987年11月にキングス・クロス駅で発生した火災では31人の犠牲者を出した[220]。2005年7月にはロンドン同時爆破事件が発生し地下鉄乗客に被害が出た。地下鉄に類似した輸送機関としては、新交通システムであるドックランズ・ライト・レイルウェイ、ロンドン都心の地下を南北に貫通する英国鉄道のテムズリンクが存在する。2007年10月にはロンドンを東西に貫通するクロスレールの建設が決定され、2017年の開通が計画されている。なお、普通運賃で乗ると初乗り料金が4ポンドと非常に高いため、トラベルカードと呼ばれる一日乗車券などの各種割引制度や割引運賃が適用されるオイスターカードを利用する人が多いが、オイスターカードを利用した乗車についても徐々に値上げされている[221][222]。2012年のオリンピック開催中、地下鉄の1日の旅客数は過去最高の440万人を記録した。通常1日当たりの旅客数は380万人程度である[223]

空港[編集]

ロンドンは世界最大の都市空域における国際航空輸送の中枢である。8つの空港が単語に London の名称が使われているが、

の6つの空港が最も交通量が多く一つの都市圏では最大の国際線の旅客数を誇っている。ロンドン・ヒースロー空港はイギリスのフラッグキャリア、ブリティッシュエアウェイズ (BA) の一大拠点空港である[224]。2008年3月に第5ターミナルがヒースロー空港に開業した[225]。計画にあった第3滑走路や第6ターミナルは2010年5月12月に政権により取り消されている[226]。2011年9月にパーソナル・ラピッドトランジット英語版新交通システム)が開業し、近くの駐車場と結んでいる[227]

同程度の交通量の近距離便や格安航空会社 (LCC) をロンドン南部のウェスト・サセックスにあるロンドン・ガトウィック空港が扱っている[228]

ロンドン・スタンステッド空港はロンドン北東部のエセックスにありライアンエアーがハブ空港としている。ロンドン北部のベッドフォードシャーにはロンドン・ルートン空港がありLCCの近距離便のほとんどが拠点とする[229][230]ロンドン・シティ空港はロンドンの主要な空港の中では一番規模が小さく、ビジネストラベラーを対象としフルサービスの短距離定期便とかなりの交通量のビジネスジェットを扱っている[231]

ロンドン・サウスエンド空港はロンドン東部のエセックスにあり、小規模な地域空港でLCCの近距離便を扱っている。最近では大規模な改良工事計画が行われ新しいターミナルや滑走路の延長、新たな鉄道駅の整備などが行われロンドン都心部との連絡が高速化される。イージージェットが現在拠点としている。

日本との間には、日本航空全日本空輸東京国際空港から、ブリティッシュ・エアウェイズが東京国際空港や成田国際空港からそれぞれヒースロー空港へ就航している。

ロープウェイ[編集]

テムズケーブルカー

ロンドンでは最初のそして唯一のロープウェイは2012年6月に開業したエミレーツエアライン英語版Emirates Air Lineまたはテムズケーブルカーの名称で知られるものである。ロープウェイはテムズ川を横断し、グリニッジ・ペニンシュラ英語版とシティの東側のロイヤル・ドックス英語版を結び、ロンドンのオイスターカードのシステムに含まれカードの利用が可能である。

自転車[編集]

サウスワーク・ストリートのバークレイズ・サイクルハイアーの駐輪ステーション

ロンドンでサイクリングを楽しむことは21世紀に変わってから復活している。サイクリストは公共交通機関や車などを利用するより安価でより速く楽しむことが出来、2010年7月にバークレイズ・サイクルハイアー英語版と呼ばれるレンタサイクルの制度が導入されて成功し一般に受け入れられた。

港湾・水上交通[編集]

テムズ・クリッパーズ

かつては世界最大の港であったロンドン港英語版は現在ではイギリスで2位を占めるのみであり、毎年4,500万トンの貨物を取り扱う[170]。実際には、ロンドンの貨物の大部分はグレーター・ロンドン域外のティルバリー港英語版が担っている。ロンドンではまた、テムズ川を利用した水上バスの運航も頻繁にされておりテムズ・クリッパーズ英語版として知られている。20分毎にエンバンクメント・ピア英語版ノーズグリニッジ・ピア英語版を結んでいる。ウーリッジ・フェリー英語版は毎年250万人の旅客を運航し[232]ノース・サーキュラーロード英語版サウス・サーキュラーロード英語版を頻繁に結んでいる。他の運航事業者も通勤客向けや観光客向けの両方でロンドンで運航を行っている。

教育[編集]

高等教育[編集]

ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン

ロンドンは高等教育や研究機関の中心で43の大学が集中するヨーロッパ最大の高等教育の一大中心地である[20]。2008-2009年には高等教育を受ける学生数は412,000人でこの数はイギリス全体の17%を占め、287,000人は学士レベル118,000人は大学院レベルである[233]。2008-2009年にロンドンで学んだ留学生は97,150人に上りこれはイギリス全体の25%を占める[233]

多くの世界をリードする教育機関がロンドンを拠点にしている。2011年のQS World University Rankings (enでは世界でインペリアル・カレッジ・ロンドンは6位、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンは7位、キングス・カレッジ・ロンドンは27位に付けている[234]ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスは教育と調査で世界をリードする社会科学機関と見なされている[235]ロンドン・ビジネス・スクールは世界で一流のビジネススクールの一つとして考えられ、2010年にMBAの教育課程でフィナンシャル・タイムズから世界最高の評価を得ている[236]

125,000人の学生がロンドン大学で学んでおり、これは通信過程以外の大学ではヨーロッパ最大である[237]。ロンドン大学は単独の大学として存在するものではなく、カレッジ制でそれぞれ別の大学となっており4つの大きな大学であるキングス・カレッジ・ロンドンクイーン・メアリー・カレッジロイヤル・ホロウェイユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンと多くのより専門的な機関であるバークベックカレッジ英語版コートールド・ギャラリーゴールドスミス・カレッジギルドホール音楽演劇学校インスティチュート・オブ・エデュケーションロンドン・ビジネス・スクールロンドン衛生・熱帯医療校英語版王立音楽アカデミーセントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマ王立獣医校英語版東洋アフリカ研究学院が含まれる[238]。ロンドン大学を構成するカレッジにはそれぞれ独自の入学試験制度があり、そのいくつかは独自の学位を授与している。

ロンドン大学以外にも多くの大学がロンドンにはあり、 ブルネル大学英語版シティ大学ロンドンインペリアル・カレッジ・ロンドンキングストン大学英語版ロンドン・メトロポリタン大学(学生数34,000人でロンドンでは最大の単科大学)[239]ロンドンサウスバンク大学英語版ミドルセックス大学ロンドン芸術大学[240]イースト・ロンドン大学ウェスト・ロンドン大学ウエストミンスター大学がある。これに加えてセビリア大学Regent's College、リッチモンド大学など海外の大学がロンドンにある。

王立音楽大学

ロンドンには5つの有名な医学部がある。クイーン・メリーカレッジに付属するバーツ医科歯科ロンドン校英語版、欧州最大の医学部であるキングスカレッジ医科ロンドン校英語版インペリアルカレッジ医学部英語版UCLメディカルスクール英語版で、他にも多くの医療や病院に関連した教育機関がある。また、生物医学研究に関連したイギリスに5つある研究機関のうち3つがロンドンにある[241]。多くのビジネススクールもまたロンドンにはある。

公立学校・その他[編集]

大半のロンドンの小中学校は国立か自治区により管理運営されているが多くの私立学校もあり、その中にはシティ・オブ・ロンドンスクール英語版ハーロー校セントポール校英語版ユニバーシティカレッジスクール英語版ウェストミンスター・スクールなど歴史ある学校やエリート校が含まれる。

文化[編集]

アクセント[編集]

ロンドンのアクセントはずっと以前からコックニーと呼ばれるもので、サウス・イースト・イングランドの方言と多くの点で似通っている。21世紀のロンドナーのアクセントは多くが異なったものとなり、30代以下を含めより共通になっている。一方、コックニーと容認発音、すべての民族アクセントの配列とくにカリビアン系が融合し多文化的なロンドン英語英語版を形作っている[242]

レジャー・エンターテイメント[編集]

ピカデリーサーカス

シティ・オブ・ウエストミンスターウエスト・エンド地区にあるレスター・スクウェア周辺は劇場や初演が行われる映画館が集中しピカデリーサーカスや巨大な電照広告がある[243]。ロンドンの劇場が集中する地区であり、多くの映画館やバーやナイトクラブ、レストラン、ソーホーの中華街、東側にはロイヤル・オペラ・ハウスがある他、様々な専門店がある。ロイヤル・バレエ団イングリッシュナショナルバレエ団英語版イングリッシュ・ナショナル・オペラはロンドンを拠点とし、ロイヤル・オペラ・ハウスやコロシアム劇場英語版ロイヤル・アルバート・ホールで公演を行い同様に地方公演も行っている[244]

ナイツブリッジのハロッズ

イズリントン は1マイル (1.6 km) のアッパーストリートでエンジェル英語版から北方向に延びている。イギリスのいずれの通りよりもより多くのバーやレストランが林立する[245]。ヨーロッパで最も賑やかなショッピングエリアであるオックスフォード・ストリートは 1マイル (1.6 km) の長さでイギリスでは最長のショッピングストリートである。オックスフォードストリートには数多くの店舗やデパートがあり、世界的に有名なセルフリッジズの旗艦店がある[246]ナイツブリッジには同様に有名なハロッズがある。

ロンドンはヴィヴィアン・ウエストウッドジョン・ガリアーノステラ・マッカートニーマノロ・ブラニクなど多くのデザイナーが拠点を置いている。ファッションスクールの国際的な中心としてパリやミラノ、ニューヨークなどと並び評判が高い。

ロンドンは多くの民族的な多様性から料理の幅がかなり広い。バングラデシュレストランはブリックレーン英語版に集まっており、中華料理店はソーホーのチャイナタウンに集まっている。これ以外にもインド料理などが知られている[247]

ロンドンでは多くのイベントも年間を通し行われ、ニューイヤーズデイパレード英語版が行われ花火大会がロンドン・アイで行われる。この祭典は世界で2番目に大規模なストリートパーティーである。ノッティングヒルカーニバル英語版が毎年8月のバンクホリデー英語版に開催される。11月に開催されるロンドンメイヤーズショー英語版ではパレードも含まれ数世紀にわたる伝統的な行事で毎年選ばれる新しいロンドン市長が参加しシティ周辺の通りでは行列が見られる。6月には女王の誕生日を祝うためにイギリスと英連邦の軍によりトゥルーピングザカラー英語版が行われる[248]

文学・映画・テレビ[編集]

ロンドンは多くの文学の舞台になってきた。ロンドンの文学の中心は古くから丘がちなハムプテッドブルームズベリー(20世紀初期から)である。街に密接に関連した作家には詳細な日記を付けていたサミュエル・ピープスロンドン大火など目撃したことを詳述している。チャールズ・ディケンズは霧や雪、ロンドンの通りの掃除人やスリなどの汚れを表現しヴィクトリア朝初期のロンドンの人々の視覚に影響を与えた。ヴァージニア・ウルフは20世紀のモダニズム文学で最も重要な人物の一人と見なされている[249]

ジェフリー・チョーサーは14世紀後半の『カンタベリー物語』で、ロンドンのサザークからカンタベリー大聖堂までの巡礼の道程を描いている。ウィリアム・シェイクスピアは人生や創作の大部分をロンドンで過ごしている。詩人のベン・ジョンソンもロンドンを拠点にし、『錬金術師』 (enはロンドンで作られた[249]。1722年にダニエル・デフォーA Journal of the Plague Year は1665年のロンドンの大疫病英語版を小説化したものである。[249] 後にロンドンを表現した重要なものは19世紀から20世紀初期にかけてのチャールズ・ディケンズの小説やアーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズである[249]

ロンドンを舞台にした映画には『オリヴァ・ツイスト』(1948年)、『ピーター・パン』(1953年)、『レディーキラーズ英語版』(1955年)、『101匹わんちゃん』(1961年)、『メリー・ポピンズ』(1964年)、『欲望』(1966年)、『ロング・グッド・フライデー英語版』(1980年)、『秘密と嘘』(1996年)、『ノッティングヒルの恋人』(1999年)、『マッチポイント』(2005年)、『Vフォー・ヴェンデッタ』(2005年)、『スウィーニー・トッド』(2008年)がある。連続テレビドラマには『イーストエンダーズ』などがあり、最初にBBCで放送されたのは1985年のことである。ロンドンは特に映画撮影において重要な役割を果たし、有名なスタジオであるイーリング・スタジオがあり、ソーホーはSFXポストプロダクションのコミュニティセンターである。ワーキング・タイトル・フィルムズはロンドンに拠点を置いている[250]

博物館・美術館[編集]

大英博物館

ロンドンには数多くの博物館や美術館を含め様々な施設があり、その多くが入場料が無料でメジャーな観光地となっており調査でも役割を果たしている。最初に設立されたのは1753年にブルームズベリーにある大英博物館である。元からある収蔵品には古代の遺物や自然史の見本で国立図書館もあった。現在、博物館は700万点を収蔵している。1824年にナショナルギャラリーが設立されイギリスの西洋絵画のコレクションが収蔵されトラファルガー広場に位置している。19世紀後半、サウスケンジントン英語版に文化施設が集まったアルバートポリス英語版が開発され、文化や科学の地区となった。ロンドンにはヴィクトリア&アルバート博物館ロンドン自然史博物館サイエンス・ミュージアムの3つの主要な国立博物館がある。国立美術館のテート・ブリテンは元はナショナルギャラリーの別館として1897年に設立された。2000年にバンクサイド発電所の跡地にテート・モダンが開館している。

音楽[編集]

ロイヤル・アルバート・ホール

ロンドンはクラシック音楽ポピュラー音楽の中心で世界的な大手であるEMIなどのレコード会社や無数のバンド、ミュージシャン、音楽産業のプロが居る。ロンドンには多くのオーケストラやコンサートホールがあり、バービカン・センターロンドン交響楽団の拠点)、カドガンホール英語版ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団)、ロイヤル・アルバート・ホールBBCプロムス)は良く知られている[244]。ロンドンにはロイヤル・オペラ・ハウスコロシアム劇場英語版の二つのオペラハウスがある[244]。ロイヤル・アルバート・ホールではイギリスで最大のパイプオルガンを見つけることができる。他に重要な楽器は大聖堂や大きな教会で見つけることができる。王立音楽アカデミー王立音楽大学ギルドホール音楽演劇学校トリニティ音楽カレッジ英語版などの音楽学校も立地する。

O2アリーナ

ロンドンにはロックやポップ音楽のコンサート会場が多くあり大規模ものではアールズ・コート・エキシビション・センターウェンブリー・アリーナO2アリーナがあり、中規模な会場も同様に多くありブリクストン・アカデミーハマースミス・アポロシェパーズ・ブッシュ・エンパイアなどがある。[244]いくつかの音楽祭も開催され、その中にはワイヤレス・フェスティバルはロンドンで行われている。ロンドンには最初のオリジナルのハードロックカフェビートルズがレコーディングし多くのヒット曲を出したアビー・ロード・スタジオがある。1960年代から1980年代にかけてミュージシャンやグループにはエルトン・ジョンデヴィッド・ボウイクイーンエルヴィス・コステロキャット・スティーヴンスイアン・デューリーキンクスローリング・ストーンズザ・フーエレクトリック・ライト・オーケストラマッドネスザ・ジャムスモール・フェイセスレッド・ツェッペリンアイアン・メイデンフリートウッド・マックポリスザ・キュアースクィーズシャーデーなどでこれらは世界的な流れとなり、ロンドンの通りや振動するリズムからサウンドを得ている[251]

ロンドンではパンクロックの発展の助けになり[252]セックス・ピストルズザ・クラッシュ[251]ヴィヴィアン・ウエストウッドはロンドンを拠点として、1980年代以降のバナナラマワム!エスケープクラブ英語版ブッシュイースト17スージー・アンド・ザ・バンシーズスパイス・ガールズジャミロクワイザ・リバティーンズベイビーシャンブルズブロック・パーティエイミー・ワインハウスアデルコールドプレイジョージ・マイケルが含まれる[253]

ロンドンはまたアーバンミュージックの中心である。特にUKガレージ英語版ドラムンベースダブステップグライムなどで、海外のヒップ・ホップレゲー、ローカルなドラム・バスなどである。BBC 1Xtra英語版はブラックミュージックの放送局でイギリスでのアバーンミュージックの発展をサポートしている。

スポーツ[編集]

2010年ウィンブルドン選手権 センターコート

ロンドンは夏季オリンピック1908年1948年2012年の3度開催されている[254][255]。2005年7月に2012年の夏季オリンピックやパラリンピックの開催都市に選出され世界では一つの都市では史上初の3度目の夏季オリンピック開催都市となった[21]。ロンドンは1934年コモンウェルスゲームズの開催都市であった[256]。2017年には世界陸上選手権大会が開催される[257]。ロンドンで最もポピュラーなスポーツはサッカーで40のフットボールリーグのクラブチームがあり、アーセナルFCチェルシーFCトッテナム・ホットスパーFCウェストハム・ユナイテッドFCクリスタル・パレスFCなど5つのプレミアリーグが含まれる。

ロンドンには4つのラグビーユニオンのトップリーグであるプレミアシップのクラブチームロンドン・アイリッシュ英語版サラセンズロンドン・ワスプスハリクインズ・フットボールクラブがあるが実際に現在ロンドンでプレーしているのはハリクインズのみで、残りの3チームはグレーター・ロンドンの域外でプレーしている。サラセンズはM25の域内で今もプレーしている[258]。他に2部RFUチャンピオンシップ英語版のクラブチームであるロンドン・ウェールズ英語版ロンドン・スコティッシュF.C英語版がありホームマッチを行っている。他のロンドンのラグビーユニオンの伝統的なクラブチームにはリッチモンドF.C.英語版ロズリンパークF.C.英語版ウエストコンブパークR.F.C.英語版ブラックヒースF.C.英語版がある。

ウェンブリー・スタジアム

ロンドンには現在、3つのプロのラグビーリーグのクラブチームがありロンドン・ブロンクス英語版トゥイッケナム・ストゥープで行われるスーパーリーグでプレーし、ロンドン北部のハーリンゲイ・ロンドン特別区を拠点とするロンドン・スカラーズ英語版は2013年からチャンピンオンシップ・ワン英語版でプレーする。

1924年から元のウェンブリー・スタジアムサッカーイングランド代表のホームで、FAカップ決勝やラグビーリーグチャレンジシップが行われてきた[259]。 21世紀に入り建てられた新しいウェンブリー・スタジアムは前にあったスタジアム同様の目的で収容人員は90,000人である[260]トゥイッケナム・スタジアムはロンドン南西部にあり、ラグビー専用競技場で収容人員は84,000人を擁し現在新しいサウススタンドが完成している[261]

ロンドンのクリケットは2つのテストクリケット英語版場であるローズ・クリケット場ミドルセックス・カウンティ・クリケット・クラブ英語版の本拠地)[262]ジ・オーバルサリー・カウンティ・クリケット・クラブ英語版の本拠地)がある[263]。ローズでは4度のクリケット・ワールドカップの決勝が行われている。ロンドンでもっとも世界的に知られたスポーツイベントにはロンドン南西部のマートンウィンブルドンにあるオールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブで毎年行われるウィンブルドン選手権である[264]。他の大きなイベントには春にロンドンマラソンがあり、35,000人のランナーがシティ周辺の26.2マイル (42.2km) のコースを走る[265]。陸上競技では夏にIAAFダイヤモンドリーグロンドングランプリが開催される。またザ・ボート・レーステムズ川パットニー英語版モルトレーク英語版の間で行われる[266]

姉妹都市・提携都市[編集]

6大陸、46の場所にロンドンに因んだ名称の場所がある[267]。ロンドンの特別区は独自に世界の地域と姉妹都市の関係を結んでいる。グレーター・ロンドン・オーソリティーが結んでいる姉妹都市は以下の通り。

以下の都市はロンドンと友好都市の関係を結んでいる。

脚注[編集]

  1. ^ London, United Kingdom Forecast : Weather Underground (weather and elevation at Heathrow Airport) (online)”. The Weather Underground, Inc.. 2008年6月6日閲覧。
  2. ^ UK Population Estimates”. ONS (2014年6月26日). 2014年6月26日閲覧。
  3. ^ Neighbourhood Statistics”. Neighbourhood Statistics. 2008年4月29日閲覧。
  4. ^ Roman”. The Museum of London. 2008年6月7日閲覧。
  5. ^ a b Mills 2001, p. 140
  6. ^ Government Offices for the English Regions, Fact Files: London”. Office for National Statistics. 2008年5月4日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ Elcock, Howard (1994). Local Government: Policy and Management in Local Authorities. Routledge. p. 368. ISBN 978-0-415-10167-7. 
  8. ^ Jones, Bill; Kavanagh, Dennis; Moran, Michael; Norton, Philip (2007). Politics UK. Pearson Education. p. 868. ISBN 978-1-4058-2411-8. 
  9. ^ Global Power City Index 2009”. Institute for Urban Strategies – The Mori Memorial Foundation. 2010年12月14日閲覧。
  10. ^ Worldwide Centres of Commerce Index 2008”. Mastercard. ...
  11. ^ Global Financial Centres 9”. Z/Yen (2011年). ...
  12. ^ “"World's Most Economically Powerful Cities".”. Forbes. (2008年7月15日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0LhcwS 2010年10月3日閲覧。 
  13. ^ Global city GDP rankings 2008–2025”. PricewaterhouseCoopers. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月16日閲覧。
  14. ^ Calder, Simon (2007年12月22日). The Independent (London). http://www.independent.co.uk/travel/news-and-advice/london-capital-of-the-world-766661.html 
  15. ^ London is the world capital of the 21st century... says New York | News”. Evening Standard. 2012年2月10日閲覧。
  16. ^ London is world capital of culture says LSE expert – 2008 – News archive – News – News and media – Home”. 2012年2月10日閲覧。
  17. ^ Cultural Strategy | Greater London Authority”. London.gov.uk (2010年9月6日). 2012年2月10日閲覧。
  18. ^ “London tops ranking of destination cities”. The Independent. (2011年6月1日). http://www.independent.co.uk/travel/news-and-advice/london-tops-ranking-of-destination-cities-2291794.html 2012年6月12日閲覧。 
  19. ^ Beijing to overtake london as world's largest aviation hub. Massive new airport planned”. Centre for Aviation. 2012年6月12日閲覧。
  20. ^ a b Number of international students in London continues to grow”. Greater London Authority. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月27日閲覧。
  21. ^ a b = 1&articleid=52922 IOC elects London as the Host City of the Games of the XXX Olympiad in 2012”. 国際オリンピック委員会 (2005年7月6日). 2006年6月3日閲覧。
  22. ^ Languages spoken in the UK population”. CILT, the National Centre for Language. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  23. ^ July 2010 Population estimates for UK, England and Wales, Scotland and Northern Ireland. Office for National Statistics. Archived from the original on 24 August 2011. Retrieved 3 July 2011. [リンク切れ]
  24. ^ Largest EU City. Over 7 million residents in 2001”. statistics.gov.uk. Office for National Statistics. 2007年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月28日閲覧。
  25. ^ 12:30. “Focus on London – Population and Migration | London DataStore”. Data.london.gov.uk. 2012年2月10日閲覧。
  26. ^ KS01 Usual resident population: Census 2001, Key Statistics for urban areas”. Office for National Statistics. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  27. ^ The Principal Agglomerations of the World”. City Population. 2010年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月3日閲覧。
  28. ^ British urban pattern: population data (PDF)”. ESPON project 1.4.3 Study on Urban Functions. European Spatial Planning Observation Network. p. 119 (2007年3月). 2010年2月22日閲覧。
  29. ^ London: The greatest city”. Channel4.com. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月12日閲覧。
  30. ^ MasterCard Global Destination Cities Index 2012
  31. ^ a b (1994) Collins English Dictionary, Collins Education plc.
  32. ^ a b c d Mills 2001, p. 139
  33. ^ Ackroyd, Peter (2001年12月2日). “'London'”. New York Times. ISBN 978-0-7011-7279-4. http://www.nytimes.com/2001/12/02/books/chapters/02-1st-ackro.html?ex=1225339200&en=b9c2c11ad6e1f435&ei=5070&pagewanted=3 2008年10月28日閲覧。 
  34. ^ Coates, Richard (1998). "A new explanation of the name of London". Transactions of the Philological Society 96 (2): 203–229. doi:10.1111/1467-968X.00027. Archived from the original on 19 May 2011. 
  35. ^ ロンドン(その四)――キングス・コレッジ・スクールとロイヤル・アーセナル 加藤三明(慶應義塾幼稚舎長) 福澤諭吉 西航紀などに例がある。
  36. ^ Perring, Dominic (1991). Roman London. London: Routledge. p. 1. ISBN 978-0-203-23133-3. 
  37. ^ British History Timeline —Roman Britain”. British Broadcasting Corporation. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月7日閲覧。
  38. ^ 縄文日本文明一万五千年史序論. 東京: 成甲書房. (2003). p. 301. ISBN 4-88086-149-9. 
  39. ^ Denison, Simon (July 1999). "First `London Bridge' in River Thames at Vauxhall". British Archaeology (46). Archived from the original on 19 May 2011. Retrieved 15 April 2011. 
  40. ^ Milne, Gustav. “London's Oldest Foreshore Structure!”. Frog Blog. Thames Discovery Programme. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月15日閲覧。
  41. ^ Viking and Danish London”. The Museum of London. 2008年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  42. ^ Medieval London —Vikings”. The Museum of London. 2008年6月7日閲覧。
  43. ^ George Hamilton Cunningham (1927). London. J. M. Dent & Sons. p. xiii. 
  44. ^ Edward the Confessor (c.1003–1066)”. British Broadcasting Corporation. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月27日閲覧。
  45. ^ History – 1066 – King William”. BBC. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月5日閲覧。
  46. ^ Tinniswood, Adrian. “A History of British Architecture — White Tower”. BBC. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月5日閲覧。
  47. ^ UK Parliament — Parliament: The building”. UK Parliament (2007年11月9日). 2008年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  48. ^ Palace of Westminster”. UK Parliament. 2008年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  49. ^ Schofield, John; Vince, Alan (2003). Medieval Towns: The Archaeology of British Towns in Their European Setting. Continuum International Publishing Group. p. 26. ISBN 978-0-8264-6002-8. http://books.google.com/?id=Qu7QLC7g7VgC&pg=PA26&lpg=PA26&dq=london+population+1100+-+1300. 
  50. ^ Richard II (1367–1400)”. BBC. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月12日閲覧。
  51. ^ Nikolaus Pevsner, London I: The Cities of London and Westminster rev. edition,1962, Introduction p 48.
  52. ^ The Queen's Merchants and the Revolt of the Netherlands: The End of the Antwerp Mart, Volume 2, pages 1 and 62-63, George Daniel Ramsay, Manchester University Press ND, 1986. ISBN 978-0-7190-1849-7
  53. ^ Durston, Christopher (1993). James I. London: Routledge. p. 59. ISBN 978-0-415-07779-8. 
  54. ^ A List of National Epidemics of Plague in England 1348–1665”. Urbanrim.org.uk (2009年12月4日). 2009年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月3日閲覧。
  55. ^ Story of the plague”. Channel 4.. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月24日閲覧。
  56. ^ Pepys, Samuel (2 September 1666) [1893]. The Diary of Samuel Pepys. 45: August/September 1666. ISBN 978-0-520-22167-3. オリジナルの19 May 2011時点によるアーカイブ。. http://www.gutenberg.org/cache/epub/4167/pg4167.html. 
  57. ^ Schofield J (2001年1月). “London After the Great Fire: Civil War and Revolution”. BBC. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月28日閲覧。
  58. ^ Museum of London — Rebuilding after the fire”. Museum of London. 2008年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  59. ^ The Rebuilding of London After the Great Fire. Thomas Fiddian. (1940). http://books.google.com/?id=jX8ZAAAAIAAJ&q=rebuilding+of+london&dq=rebuilding+of+london 2008年4月27日閲覧。. 
  60. ^ "Thief Taker, Constable, Police". Public Broadcasting Service (PBS).
  61. ^ Jackson, Peter (2009年8月3日). “Rough justice – Victorian style”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8181192.stm 2011年12月13日閲覧。 
  62. ^ Monday, 21 Mar. 1960 (1960年3月21日). “National Affairs: Capital punishment: a fading practice”. Time. http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,894775,00.html 2011年12月13日閲覧。 
  63. ^ BBC – History – The Foundling Hospital”. BBC (2011年2月17日). 2011年12月13日閲覧。
  64. ^ When a man is tired of London, he is tired of life: Samuel Johnson”. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。...
  65. ^ London: The greatest city”. Channel4.com. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月12日閲覧。
  66. ^ Hidden extras: cholera comes to Victorian London”. Sciencemuseum.org.uk. 2011年12月13日閲覧。
  67. ^ London 2012: pollution alert as hot sunny weather brings asthma risk5:02PM BST 25 Jul 2012 telegraph.co.uk
  68. ^ 7 July Bombings: Overview. London: BBC News. Archived from the original on 13 February 2007. Retrieved 28 April 2008. 
  69. ^ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  70. ^ About the Greater London Authority”. London Government. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月27日閲覧。
  71. ^ The London Plan”. Greater London Authority. 2012年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月25日閲覧。
  72. ^ http://www.communities.gov.uk/documents/statistics/pdf/1911067.pdf
  73. ^ Policing”. Greater London Authority. 2008年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月25日閲覧。
  74. ^ Areas”. British Transport Police. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月25日閲覧。
  75. ^ Who we are”. London Fire Brigade. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月25日閲覧。
  76. ^ About us”. London Ambulance Service NHS Trust. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月25日閲覧。
  77. ^ Station list”. Maritime and Coastguard Agency (2007年). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月25日閲覧。
  78. ^ “Thames lifeboat service launched”. BBC News. (2002年1月2日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0kXnz9 2009年8月25日閲覧。 
  79. ^ 10 Downing Street — Official Website”. 10 Downing Street. 2008年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月26日閲覧。
  80. ^ “UK Politics: Talking Politics — The 'Mother of Parliaments'”. BBC. (1998年6月3日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0l5vww 2008年6月6日閲覧。 
  81. ^ Beavan, Charles; Bickersteth, Harry (1865). Reports of Cases in Chancery, Argued and Determined in the Rolls Court. Saunders and Benning. 
  82. ^ Stationery Office (1980). The Inner London Letter Post. H.M.S.O. p. 128. ISBN 978-0-10-251580-0. 
  83. ^ Geographers' A-Z Map Company (2008). London Postcode and Administrative Boundaries (6 ed.). Geographers' A-Z Map Company. ISBN 978-1-84348-592-6. 
  84. ^ Mail, Royal (2004). Address Management Guide. Royal Mail. 
  85. ^ The Essex, Greater London and Hertfordshire (County and London Borough Boundaries) Order”. Office of Public Sector Information (1993年). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  86. ^ Dilys, M Hill (2000). Urban Policy and Politics in Britain. St. Martin's Press. p. 268. ISBN 978-0-312-22745-6. 
  87. ^ London in its Regional Setting (PDF)”. London Assembly. 2008年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。...
  88. ^ London Government Act 1963. Office of Public Sector Information. ISBN 978-0-16-053895-7. オリジナルの19 May 2011時点によるアーカイブ。. http://www.opsi.gov.uk/RevisedStatutes/Acts/ukpga/1963/cukpga_19630033_en_1 2008年5月6日閲覧。. 
  89. ^ London — Features — Where is the Centre of London?”. BBC. 2010年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  90. ^ Lieutenancies Act 1997”. OPSI. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月7日閲覧。
  91. ^ Oxford English Reference Dictionary, Oxford English.
  92. ^ "HC 501 0304.PDF" (PDF). Parliament Publications
  93. ^ Schofield, John (June 1999). British Archaeology Issue 45, June 1999 (45). British Archaeology. ISSN 1357-4442. Archived from the original on 19 May 2011. Retrieved 6 May 2008. 
  94. ^ http://www.metropolis.org/sites/default/files/metropolitan_regions/440_027_london_eng.pdf#search='London%20Metropolitan%20Agglomeration'
  95. ^ Sheppard, Francis (2000). London: A History. Google Books. p. 10. ISBN 978-0-19-285369-1. http://books.google.com/?id=M9qvtYYhRtAC&pg=PR11&dq=thames+%22iron+age%22+london+wide+geography+shallow+marsh 2008年6月6日閲覧。. 
  96. ^ Flooding”. UK Environment Agency. 2006年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年6月19日閲覧。
  97. ^ "Sea Levels" – UK Environment Agency”. Environment Agency. 2008年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  98. ^ Adam, David (2009年3月31日). “Thames Barrier gets extra time as London's main flood defence”. The Guardian (UK). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0n91QT 2009年11月7日閲覧。 
  99. ^ The Weather Network”. 2011年10月20日閲覧。
  100. ^ London, Greater London: Average conditions”. BBC Weather. 2011年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。...
  101. ^ August 2003 — Hot spell”. Met Office. 2011年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。...
  102. ^ http://www.metoffice.gov.uk/climate/uk/extremes/monthly_temperature_country.html#highest_daily_maximum_england
  103. ^ Met Office: Climate averages 1971-2000”. Met Office. 2011年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。...
  104. ^ NOAA”. NOAA. ...
  105. ^ London boroughs — London Life, GLA”. London Government. 2007年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月3日閲覧。
  106. ^ Dogan, Mattei; John D. Kasarda (1988). The Metropolis Era. Sage Publications. p. 99. ISBN 978-0-8039-2603-5. http://books.google.com/?id=_GFPAAAAMAAJ&q=1965,+32+boroughs+of+london&dq=1965,+32+boroughs+of+london. 
  107. ^ London as a financial centre”. Mayor of London. 2008年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月6日閲覧。
  108. ^ “West End still drawing crowds”. BBC News. (2001年10月22日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0o6fkv 2008年6月6日閲覧。 
  109. ^ Meek, James (2006年4月17日). “Super Rich”. London: The Guardian Money. オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0ofbib 2008年6月7日閲覧。 
  110. ^ Price of Properties.”. Royal Borough of Kensington and Chelsea. 2008年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  111. ^ a b Tomorrow's East End”. News Week. 2006年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月16日閲覧。
  112. ^ History – British History in depth: Hampton Court: The Lost Palace”. BBC (2011年2月17日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月23日閲覧。
  113. ^ Paddington Station. Great Buildings. Archived from the original on 19 May 2011 |archiveurl= requires |url= (help). Retrieved 6 June 2008.  Unknown parameter |url = ignored (help)
  114. ^ Lonsdale, Sarah (2008年3月27日). “Eco homes: Wooden it be lovely... ?”. London: Telegraph Media Group Limited. オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0rvzUL 2008年10月12日閲覧。 
  115. ^ “Inside London's new 'glass egg'”. British Broadcasting Corporation. (2002年7月16日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0sZ57q 2008年4月26日閲覧。 
  116. ^ Kensington Gardens”. The Royal Parks (2008年). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月26日閲覧。
  117. ^ Madame Tussauds — Official website”. Madame Tussauds. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  118. ^ Madame Tussauds — Tourist Information”. Tourist Information UK. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月26日閲覧。
  119. ^ Green Park”. The Royal Parks (2008年). 2010年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月26日閲覧。
  120. ^ Greenwich Park”. The Royal Parks (2008年). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月26日閲覧。
  121. ^ Bushy Park”. The Royal Parks (2008年). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月26日閲覧。
  122. ^ Richmond Park” (2008年). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月26日閲覧。
  123. ^ City of London Corporation Hampstead Heath”. City of London Corporation. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月19日閲覧。
  124. ^ Kenwood House”. English Heritage. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月26日閲覧。
  125. ^ http://www.ons.gov.uk/ons/rel/mro/news-release/census-result-shows-increase-in-population-of-london-as-it-tops-8-million/censuslondonnr0712.html United Kingdom Census 2011 estimates
  126. ^ Leppard, David (2005年4月10日). “Immigration rise increases segregation in British cities”. The Times (London). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0yPigt 2009年8月8日閲覧。 
  127. ^ Regional Profiles - Key Statistics - London, August 2012 Office for National Stastics
  128. ^ “Forbes Magazine list of billionaires.”. Forbes. (2007年3月8日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0yVjoW 2008年6月6日閲覧。 
  129. ^ “CNN Money World's Most Expensive Cities 2004.”. CNN. (2004年6月11日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0ygZWg 2007年8月16日閲覧。 
  130. ^ http://en.wikipedia.org/wiki/Ethnic_groups_in_London#cite_note-2
  131. ^ http://en.wikipedia.org/wiki/Ethnic_groups_in_London#cite_note-2
  132. ^ http://www.bbc.com/news/uk-21511904
  133. ^ http://www.dailymail.co.uk/news/article-2281941/600-000-decade-white-flight-London-White-Britons-minority-capital.html
  134. ^ {{cite new s |url = http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/1564365/One-fifth-of-children-from-ethnic-minorities.html |title = One fifth of children from ethnic minorities |author = Graeme Paton |date = 1 October 2007 |work = The Daily Telegraph |accessdate = 7 June 2008 |location = London |ref = harv |archiveurl = http://www.webcitation.org/5hYR0tUao |archivedate = 15 June 2009 deadurl = no }}
  135. ^ Neighbourhood Statistics. “Check Browser Settings”. Neighbourhood.statistics.gov.uk. 2011年10月17日閲覧。
  136. ^ Benedictus, Leo (2005年1月21日). “London: Every race, colour, nation and religion on earth”. The Guardian (UK). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0zlxGl 2008年5月6日閲覧。 
  137. ^ Census 2001: London”. Office for National Statistics. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年6月3日閲覧。
  138. ^ Kyambi, Sarah (7 September 2005). Beyond Black and White: Mapping new immigrant communities. Institute for Public Policy Research. ISBN 978-1-86030-284-8. オリジナルの19 May 2011時点によるアーカイブ。. http://www.ippr.org.uk/publicationsandreports/publication.asp?id=308 2007年1月20日閲覧。. 
  139. ^ Table 1.4: Estimated population resident in the United Kingdom, by foreign country of birth, July 2009 to June 2010”. Office for National Statistics. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月7日閲覧。 Figure given is the central estimate. See the source for 95 per cent confidence intervals.
  140. ^ a b Census 2001 profiles: London”. statistics.gov.uk. Office for National Statistics. 19 May 2011 deadurl = no時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月19日閲覧。
  141. ^ About Saint Paul's Cathedral”. Dean and Chapter St Paul's. 2008年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  142. ^ Lambeth Palace Library”. Lambeth Palace Library. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  143. ^ Westminster Abbey”. Dean and Chapter of Westminster. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  144. ^ West Minster Cathedral”. Westminster Cathedral. 2008年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  145. ^ Church of England Statistics. Church of England. Retrieved 6 June 2008. 
  146. ^ London Central Mosque Trust Ltd”. London Central Mosque Trust Ltd. & The Islamic Cultural Centre. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  147. ^ The $300 billion Arabs are coming”. Evening Standard. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月3日閲覧。
  148. ^ “The Mecca of the West | 1970–1979 | Guardian Century”. London: Google. オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo17UECr 2011年1月30日閲覧。 
  149. ^ Hindu London”. British Broadcasting Corporation (2005年6月6日). 2006年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年6月3日閲覧。
  150. ^ “£17 m Sikh temple opens”. British Broadcasting Corporation. (2003年3月30日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo18FMYP 2008年6月7日閲覧。 
  151. ^ Jewish Agency”. Jewish Agency. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月12日閲覧。
  152. ^ Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index 2014 2014年11月7日閲覧。
  153. ^ Fortune Global 500
  154. ^ プライスウォーターハウスクーパースによる都市のGDP
  155. ^ London's place in the UK economy, 2005–06 (PDF)”. City of London. 2008年3月11日閲覧。
  156. ^ The Economic Positioning of Metropolitan Areas in North Western Europe”. The Institute for Urban Planning and Development of the Paris Île-de-France Region (2002年12月). 2008年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月27日閲覧。
  157. ^ “After the fall”. The Economist. (2007年11月29日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo1CAPd8 2009=05-15閲覧。 
  158. ^ “Financial Centres — Magnets for money”. The Economist. (2007年9月13日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo1CVVgP 2009年5月15日閲覧。 
  159. ^ Lowe, Felix (2008年2月19日). “Highgate trumps Chelsea as priciest postcode”. The Daily Telegraph (London). http://www.telegraph.co.uk/finance/newsbysector/constructionandproperty/2784634/Highgate-trumps-Chelsea-as-priciest-postcode.html 
  160. ^ “U.K.'s Most Expensive Postcodes”. Forbes. (2007年12月12日). オリジナル2012年9月18日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/1Dm0 
  161. ^ "Office Costs In London: Office Rental Guide", FindaLondonOffice, 15 Nov 2006. URL accessed on 30 Dec 2006.
  162. ^ "Financial Services", UK Trade & Investment, 11 May 2006. URL accessed on 3 June 2006.
  163. ^ Research and statistics FAQ”. The City of London. 2011年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月23日閲覧。
  164. ^ "Triennial Central Bank Survey" (PDF, 259 KiB)
  165. ^ "Key facts", Corporation of London. URL accessed on 19 June 2006.
  166. ^ City of London mayor predicts 70,000 job cuts”. The China Post. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月4日閲覧。
  167. ^ London Stock Exchange”. London Stock Exchange plc. (2008年). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  168. ^ London's Place in the UK Economy, 2005–6 (PDF)”. Oxford Economic Forecasting on behalf of the Corporation of London. p. 19 (2005年11月). 2006年6月19日閲覧。
  169. ^ Potter, Mark (2011年2月17日). “London tops world cities spending league”. Reuters. オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo1FVjQo 2011年4月29日閲覧。 
  170. ^ a b ARCHIVED CONTENT] Provisional Port Statistics 2009”. Department for Transport – Webarchive.nationalarchives.gov.uk. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月26日閲覧。
  171. ^ 「背広」の語源 サビルローの歩み紹介 英国大使館 2008年4月1日asahi.com
  172. ^ Deindustrialisation 1960 to 1980”. Exploring 20th century London. Museum of London. 2011年2月22日閲覧。
  173. ^ Pharmaceutical plant under_threat of closure”. Enfield Independent (2010年9月2日). 2011年4月7日閲覧。
  174. ^ Complete Plant Closure of Aesica Pharmaceuticals Enfield, UK Facility”. PRWeb (2011年3月22日). 2011年4月7日閲覧。
  175. ^ Sanofi pulls out of Dagenham”. InPharm. 2011年4月7日閲覧。
  176. ^ Ford Dagenham at 80”. Ford Motor Company. 2011年3月1日閲覧。
  177. ^ Tara Garnett. “Urban Agriculture in London”. ...
  178. ^ James Petts (January 2001). Urban Agriculture in London. WHO. 
  179. ^ Q&A: England's green belt”. BBC News (2007年8月17日). 2008年9月15日閲覧。
  180. ^ a b c Mark Holmes (2008年9月15日). “Farming in London’s Green Belt”. Sustain Web, ADAS. ...
  181. ^ Snapshot of farming in the UK”. BBC News (2007年10月1日). 2008年9月15日閲覧。
  182. ^ http://www.plentymag.com/features/2008/07/the_growing_food_for_london_co.php
  183. ^ Lists: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland”. UNESCO. 2008年11月26日閲覧。
  184. ^ “West End Must Innovate to Renovate, Says Report”. What's On Stage. (2008年1月25日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo0S4x3M 2010年11月15日閲覧。 
  185. ^ London is the HR centre of opportunity in the UK”. PersonnelToday.com (2005年2月15日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年6月3日閲覧。
  186. ^ "The Importance of Tourism in London”. 2007年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。...", Visit London. Retrieved on 3 June 2006.
  187. ^ Euromonitor International’s Top 100 City Destinations Ranking”. Euromonitor International (2012年1月10日). 2012年2月25日閲覧。
  188. ^ "London 101: One Hundred and One Amazing Facts About London”. 2007年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。... (PDF, 1.15 MiB) ", Visit London. Retrieved on 3 June 2006.
  189. ^ Top 10 London Attractions”. Visit London (2011年4月1日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月26日閲覧。
  190. ^ Transport for London”. Transport for London. 2010年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  191. ^ London Cycling Campaign”. Rosanna Downes (2006年11月20日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  192. ^ How do I find out about transport in London?”. Greater London Authority. 2007年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月5日閲覧。
  193. ^ Beds, Herts and Bucks Travel — All you need to know about the M25”. BBC (1988年8月17日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月20日閲覧。
  194. ^ Charging Zone. Transport for London. Archived from the original on 19 May 2011. Retrieved 7 June 2008.  Unknown parameter |unused_data= ignored (help)
  195. ^ Who pays what”. Transport for London. 2008年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月7日閲覧。
  196. ^ Residents”. Transport for London. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月7日閲覧。
  197. ^ Mulholland, Hélène (2009年3月16日). “Boris Johnson mulls 'intelligent' congestion charge system for London”. The Guardian (UK). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yoK1Mq9U 2009年9月1日閲覧。 
  198. ^ Santos, Georgina, Kenneth Button, and Roger G. Noll. "London Congestion Charging/Comments." Brookings-Wharton Papers on Urban Affairs.15287084 (2008): 177,177–234.
  199. ^ Table 3 in Santos, Georgina, Kenneth Button, and Roger G. Noll. "London Congestion Charging/Comments." Brookings-Wharton Papers on Urban Affairs.15287084 (2008): 177,177–234.
  200. ^ 労働・運転者の問題 - 国土交通省
  201. ^ http://www.minicabsinlondon.com/
  202. ^ 人がある目的をもってある地点からある地点まで移動することを総称して「トリップ」と呼ぶ。[1]
  203. ^ Transport for London. London Buses. Transport for London. ISBN 978-0-946265-02-2. オリジナルの19 May 2011時点によるアーカイブ。. http://www.tfl.gov.uk/corporate/modesoftransport/1548.aspx 2008年6月6日閲覧。. 
  204. ^ London's bus improvements get Parliamentary seal of approval”. Transport For London (2006年5月23日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月5日閲覧。
  205. ^ London Black Cabs”. London Black Cabs. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  206. ^ Tube — Transport for London”. Transport for London. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  207. ^ Tramlink Factsheet”. Transport for London (Summer 2009). 2010年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月19日閲覧。
  208. ^ NFM 98. National Fares Manuals. London: Association of Train Operating Companies (ATOC Ltd). (January 2008). Section A. 
  209. ^ Eurostar”. Eurostar. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  210. ^ Highspeed”. Southeastern. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月5日閲覧。
  211. ^ Transport for London. London Underground: History. ISBN 978-0-904711-30-1. http://www.tfl.gov.uk/corporate/modesoftransport/londonunderground/1604.aspx 2008年6月6日閲覧。. 
  212. ^ a b Shanghai now the world's longest metro”. Railway Gazette International (2010年5月4日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月4日閲覧。
  213. ^ Key facts. Transport for London. Retrieved 15 October 2009. 
  214. ^ Schwandl, Robert (2001). London Underground. UrbanRail.net. ISBN 978-3-936573-01-5. オリジナルの6 October 2006時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20061006013919/http://de.geocities.com/u_london/london.htm 2006年9月24日閲覧。. 
  215. ^ “Oyster card celebrates 150th Tube anniversary”. BBC News London. (2012年12月10日). http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-london-20641351 2013年1月10日閲覧。 
  216. ^ Tube breaks record for passenger numbers”. Transport for London – Tfl.gov.uk (2007年12月27日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月5日閲覧。
  217. ^ London 2012 Olympic Transport Infrastructure. (PDF)”. Alarm UK. 2008年6月6日閲覧。
  218. ^ London voted best for transport. London: BBC News. 29 August 2006. 
  219. ^ London Underground Major Regeneration Scheme, United Kingdom
  220. ^ Solved after 16 years - the mystery of victim 115 Thursday, 22 January, 2004, 11:37 GMT BBC
  221. ^ London transport: Bus, Underground and Overground prices rise 2 January 2012 Last updated at 11:12 GMT BBC
  222. ^ London Tube and bus fares to rise by 6% in 2012 28 November 2011 Last updated at 17:23 GMT BBC
  223. ^ London 2012: Tube use record broken three times in succession 6 August 2012 Last updated at 05:38 GMT
  224. ^ BAA Heathrow: Official Website”. BAA. 2008年4月27日閲覧。
  225. ^ Heathrow Airport Terminal 5”. TMC Ltd. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  226. ^ “Heathrow runway plans scrapped by new government”. BBC News. (2010年5月12日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yo1J2Xuu 2011年1月30日閲覧。 
  227. ^ Taking a ride on Heathrow’s ULTra Personal Rapid Transit System”. Pocket Lint (2011年9月19日). 2011年12月27日閲覧。
  228. ^ BAA Gatwick: Gatwick Airport”. BAA. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  229. ^ BAA Stansted : Stansted Airport. BAA. (2008). ISBN 978-0-86039-476-1. オリジナルの19 May 2011時点によるアーカイブ。. http://www.stanstedairport.com/ 2008年4月27日閲覧。. 
  230. ^ London Luton Airport. London Luton Airport. ISBN 978-0-11-510256-1. オリジナルの19 May 2011時点によるアーカイブ。. http://www.london-luton.co.uk/en/ 2008年4月27日閲覧。. 
  231. ^ London City Airport — Corporate Information”. London City Airport Ltd.. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  232. ^ Transport for London: Woolwich Ferry, 50 years on Retrieved 8 September 2013
  233. ^ a b Numbers of students in London”. London Higher. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月26日閲覧。
  234. ^ QS World University Rankings Results 2011”. QS Quacquarelli Symonds Limited. 2010年9月23日閲覧。
  235. ^ Hipwell, Deirdre (2007年9月23日). “The Sunday Times Good University Guide 2007 – Profile for London School of Economics”. The Times (London). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yoK36cad 2008年6月6日閲覧。 
  236. ^ FT Global MBA Rankings”. Financial Times. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月25日閲覧。
  237. ^ About the University”. University of London (2006年2月20日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年6月3日閲覧。
  238. ^ Colleges and Institutes”. University of London. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月23日閲覧。
  239. ^ About London Met London Metropolitan University, August 2008
  240. ^ “University of the Arts London”. The Guardian (UK). (2008年5月1日). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yoK4mSBu 2010年8月27日閲覧。 
  241. ^ Carvel, John (2008年8月7日). “NHS hospitals to forge £2bn research link-up with university”. The Guardian (UK). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yoK5JH6x 2010年9月6日閲覧。 
  242. ^ Brown, Jonathan (2006年4月11日). “Jafaican and Tikkiny drown out the East End's Cockney twang”. The Independent (London). オリジナル2011年5月19日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/5yoK682mq 2008年8月22日閲覧。 
  243. ^ Piccadilly Lights”. Land Securities. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月3日閲覧。
  244. ^ a b c d Theatres and concert halls.”. Your London. 2008年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  245. ^ 2001: Public houses. British Broadcasting Corporation. Archived from the original on 19 May 2011. Retrieved 4 June 2008. 
  246. ^ Oxford Street gets its own dedicated local police team. The Londoner. September 2006. Archived from the original on 30 September 2007. Retrieved 19 June 2007. 
  247. ^ Chinatown — Official website”. Chinatown London. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  248. ^ One Queen, Two Birthdays”. Royal Government. 2008年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月27日閲覧。
  249. ^ a b c d London in Literature,”. Bryn Mawr College. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月6日閲覧。
  250. ^ Working Title Films”. Universal Studios. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月27日閲覧。
  251. ^ a b London's top 40 artists. British Broadcasting Corporation London. (6 April 2006). ISBN 978-0-89820-135-2. http://www.bbc.co.uk/london/content/articles/2006/04/06/garycrowley_londontop40_feature.shtml 2008年9月9日閲覧。. 
  252. ^ Punk”. allmusic. 2012年7月26日閲覧。
  253. ^ History of music in London”. The London Music Scene. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月2日閲覧。
  254. ^ London 1908”. International Olympic Committee. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月5日閲覧。
  255. ^ London 1948”. International Olympic Committee. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月5日閲覧。
  256. ^ England — Introduction”. Commonwealth Games Federation. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月3日閲覧。
  257. ^ London Defeats Doha to host 2017 International Athletics Championships”. Gamesbids.com. 2011年12月13日閲覧。
  258. ^ Premiership Rugby: Clubs”. Premier Rugby. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月5日閲覧。
  259. ^ Wembley Stadium History — Official Website”. Wembley National Stadium Limited.. 2008年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月29日閲覧。
  260. ^ Wembley Stadium — Presspack — Facts and Figures. Wembley National Stadium Limited. Archived from the original on 16 May 2008. Retrieved 6 June 2008. 
  261. ^ RFU apply for two additional concerts at Twickenham Stadium in 2007. The Twickenham Rugby Stadium. Archived from the original on 25 June 2008. Retrieved 6 June 2008. 
  262. ^ About Lord's—the home of cricket — official website”. MCC (2008年). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月29日閲覧。
  263. ^ The Brit Oval — Official Website”. Surrey CCC (2008年). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月29日閲覧。
  264. ^ Wimbledon — official website”. The All England Tennis and Croquet Club (AELTC). 2008年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月29日閲覧。
  265. ^ Flora London Marathon 2008”. London Marathon ltd. 2008年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月29日閲覧。
  266. ^ The Oxford and Cambridge Boat Race — Official Website”. The Oxford and Cambridge Boat Race. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月29日閲覧。
  267. ^ Jack Malvern. Richmond, in Surrey, is the most widely copied British place name worldwide, Timesonline 29 December 2008. The original byline for the article in The Times of the same day was "The 55 corners of foreign fields that will be for ever ... Richmond" (page 9). Cites The Times Universal Atlas of the World. http://www.webcitation.org/5yoKJBWF8
  268. ^ a b London is twinned with New York, Moscow and Berlin. Interesting Facts About London”. insideguide to London. 2011年7月27日閲覧。See Fact 2 by Big Ben photo.
  269. ^ a b Friendship agreement to be signed between London and Delhi”. Mayor of London (2002年7月25日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月23日閲覧。
  270. ^ Twinning agreements”. Making Joburg an entry point into Africa. City of Johannesburg. 2009年8月28日閲覧。 [リンク切れ]
  271. ^ Barfield, M (2001年3月). “The New York City-London sister city partnership”. Greater London Authority. 2010年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月26日閲覧。
  272. ^ Shanghai Foreign Affairs”. Shfao.gov.cn (2009年7月27日). 19 May 201時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月23日閲覧。
  273. ^ Beijing, London establish sister city ties”. Gov.cn (2006年4月10日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月23日閲覧。
  274. ^ Mayors of London and Dhaka, Bangladesh sign friendship agreement”. Mayor of London (2003年9月10日). 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月23日閲覧。
  275. ^ London, UK”. Sister cities of Los Angeles, Inc.. 2011年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月13日閲覧。
  276. ^ Les pactes d'amitié et de coopération”. Paris.fr. 2010年5月23日閲覧。
  277. ^ 世界大都市気候先導グループへの東京都の参加について2006.12.01
  1. ^ According to the Collins English Dictionary definition of 'the seat of government',[31] London is not the capital of England, as England does not have its own government. According to the Oxford English Reference Dictionary definition of 'the most important town'[91] and many other authorities.[92]

London Minicab Dial a Car

文献[編集]

外部リンク[編集]

行政
日本政府
観光

座標: 北緯51度30分28秒 西経0度07分41秒 / 北緯51.50778度 西経0.12806度 / 51.50778; -0.12806