大韓民国

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大韓民国
대한민국
韓国の国旗 大韓民国の国章
国旗 国章
国の標語:널리 인간 세계를 이롭게 하라 - 홍익인간
(韓国語 : 遍く人間世界を得にさせよ - 弘益人間)(非公式)
国歌愛国歌
韓国の位置
公用語 韓国語
首都 ソウル
最大の都市 ソウル
政府
大統領 朴槿恵
国務総理 黄教安
面積
総計 100,210km2109位
水面積率 0.3%
人口
総計(2015年 51,431,100人(25位
人口密度 503(12位)人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2015年 1,449兆4,940億ウォン
GDP (MER)
合計(2015年 1兆7,898億ドル(11位
GDP (PPP)
合計(2014年 1兆6,220億ドル(13位
1人あたり 36,601ドル
独立
憲法制定 1948年7月17日
大韓民国樹立宣言 1948年8月15日
アメリカ軍政の終了 1948年8月15日
通貨 ウォン (KRW)
時間帯 UTC +9(DST:なし)
ISO 3166-1 KR / KOR
ccTLD .kr
国際電話番号 82
大韓民国
各種表記
ハングル 대한민국
漢字 大韓民國
発音 テハンミングク
日本語読み: だいかんみんこく
ローマ字 Republic of Korea
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大韓民国(だいかんみんこく、朝鮮語: 대한민국漢字: 大韓民國)、通称韓国(かんこく)は、朝鮮半島(韓半島)南部を実効統治する東アジア共和制国家であり、戦後の冷戦で誕生した分断国家憲法上は鴨緑江豆満江以南の「韓半島及び付属島嶼」全域を領土とするが、現在、北緯38度付近の軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国の統治下にあり施政権は及んでおらず、1953年の休戦以来軍事的に対峙した状態が続いている。このため韓国では国家保安法により、朝鮮民主主義人民共和国(北韓と呼称)を公然と支持する事は禁じられており、「北韓」を支持しているとみられる人物の入国や言論に制限が加えられることがある。海上では南と東に日本、西に中華人民共和国と各々国境を接する。英名のKoreaは、高麗(現代韓国語読み: 고려、コリョ)を由来とする。5千万人の人口のうちおおよそ半数が、世界第5位の人口を有するソウル首都圏に居住する[1]

目次

国名[編集]

太極旗
大韓民国
人口 - 経済
教育 - 交通
言語 - 軍事
政治
文化
遺跡 - 映画
芸術 - 文学
演劇 - 舞踊
宗教 - 民俗
地理
温泉 - 国立公園
歴史
先史時代
古朝鮮 - 檀君朝鮮
箕子朝鮮 - 衛氏朝鮮
三韓時代 - 三国時代
統一新羅
後三国時代
高麗
李氏朝鮮 - 大韓帝国
日本統治時代
連合軍軍政期
大韓民国
カテゴリ
政治 - 法律 - 経済
教育 - 軍事 - 交通
組織 - 文化 - 歴史

正式名称は、ハングル表記:대한민국漢字表記:大韓民國。読みは、テハンミングクKo-Daehan_Minguk.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]。略称は、한국韓國、ハングク)。

大韓民国の名は、李承晩金九などが、中国などで亡命政権として活動していた「大韓民国臨時政府」を正当とする勢力の強い意向により決まった。

1948年憲法制定国会の憲法起草委員会において「高麗民国」「韓民国」なども国号候補に挙がっていた。委員会が決しかねていたある日、臨時政府側の池青天(チチョンチョン)将軍(光復軍司令官)が起草委員でもないのに突然委員会に姿を現し、国号は「大韓民国」、年号は「檀紀」に即決せよ、さもないと割腹自殺すると頑張ったので、その主張どおりに決まったという[2]

日本語表記は、大韓民国。略称は、韓国。北朝鮮政府は、南朝鮮という呼称を使用している。日本においても、南朝鮮・南鮮あるいは南韓と呼ぶ場合があるが、日韓国交樹立以降は公式の場面では用いられない[3]。日本語での伝統的な異称としては高麗(こま、「狛」とも表記)があり「こまひと(高麗人)」といえば朝鮮半島の人々の異称であった。

ヨーロッパ諸語でのコリア(Korea)はマルコ・ポーロの『東方見聞録』における「高麗(コリョ)」に由来する。大韓民国のヨーロッパ諸語の呼称はRepublic of Korea(英語)を公式に使用している。また、北朝鮮をNorth Korea、韓国をSouth Koreaと略称することも多い。

「韓」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓辰韓弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名。日本との間で取り交わした下関条約の後、1897年に当時の朝鮮国(朝鮮王朝)がから独立するにあたって国号大韓帝国に改めたことで正式の国名となった。1910年大日本帝国による朝鮮併合後、この地域の呼称は朝鮮に戻された。のち、1919年李承晩(のちの初代大統領)・金九ら独立運動家が朝鮮半島外の中華民国の地で樹立した大韓民国臨時政府は、亡命政権の名称として「大韓」の名を用いると同時に、初めて共和制国家としての名を採用した。

韓国において「朝鮮」という呼称は、北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや韓国を「南朝鮮」と呼称していること、韓国人から歴史的にあまり芳しくないと考えられている日本統治時代や李氏朝鮮を想起させること[4]を背景として、忌避される傾向がある。「朝鮮民族」「朝鮮語」などの言葉が日常で使われることはほとんどなく、「韓民族」「韓国語」などと呼ばれる。また、朝鮮半島を「韓半島」、朝鮮戦争を「韓国戦争」または「韓国動乱」などと呼称するのが一般的である。北朝鮮は「北韓」、朝鮮人参も「高麗人参」という[5]。ただし、ホテル名学校名朝鮮日報のような大韓民国成立以前から存在する組織など、ごく少数の固有名詞では、伝統的な語感を生かそうとしている名称[6]に「朝鮮」が使用されることもある。

歴史[編集]

朝鮮歷史
朝鮮の歴史
考古学 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 AD
伝説 檀君朝鮮?)
箕子朝鮮?
辰国? 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 楽浪
帯方郡


三国 伽耶
?-
562
百済
?-660
高句麗
37 BC-668
新羅
356-
統一
新羅
熊津安東都護府
統一新羅
676-892
安東
都護府
渤海
698
-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901
-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代 日本統治 1910-1945
現代 連合軍軍政期 1945-1948
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮

連合軍軍政期から、大韓民国政府の成立まで[編集]

第二次世界大戦中に連合国の首脳は1943年カイロ会談で戦後の朝鮮の自由を合意し、1945年2月のヤルタ協定にて、日本の統治下にあった朝鮮の米英中ソ四国による信託統治が決定された[7]。ヤルタ会談と米軍との秘密協定に基づき、ソ連軍は8月9日の対日参戦後速やかに朝鮮半島の北緯38度以北を占領した。1945年8月15日大日本帝国ポツダム宣言を受託した後、解放された朝鮮半島では国内に残っていた呂運亨安在鴻などの活動家により朝鮮建国準備委員会(建準)が樹立され朝鮮人民共和国の設立が宣言されたが、同1945年9月8日仁川に上陸したアメリカ軍によって建準は解体され、朝鮮半島南部は在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁により、日本の植民地統治機構を一部復活させての直接統治が実施された[8]。その後1945年12月にソ連モスクワで開催されたモスクワ会議にて朝鮮半島の信託統治が協定されると、連合軍軍政期の朝鮮半島南北全土でこの信託統治への賛否を巡って抗争が勃発し、アメリカ軍政下の南部では李承晩金九中華民国重慶から朝鮮半島に帰還した大韓民国臨時政府系の右派が信託統治への反対(反託)を、呂運亨ら左派が信託統治への賛成(賛託)を打ち出して対立が激化した[9]1946年1月に首爾で開催された米ソ共同委員会は米ソ対立から同年5月8日に無期限休会となり、更に南部の再建朝鮮共産党は46年5月8日に警察による本部ビルの捜索を受けたが、これにより党員による朝鮮銀行100圓券の大量偽造が発覚したと5月15日に米軍政当局により発表された。アメリカ軍政はこれを機に共産党の非合法化に転じ、9月には朴憲永などの指導者に逮捕状が出たため、朴憲永は北朝鮮臨時人民委員会が樹立されていた北部に越北し、平壌から南朝鮮労働党を指導して右派との抗争を行わせた[10]1947年第二次米ソ共同委員会が決裂した後、朝鮮問題は国際連合に持ち込まれ、ソ連が国連朝鮮委員団の入北を拒否した為、国際連合は南部単独での総選挙の実施を決定、金九金奎植らによる南部単独での総選挙反対を押し切って1948年5月10日に南部単独で初代総選挙が実施され、制憲憲法を経て李承晩初代大統領の下、1948年8月15日に朝鮮半島南部のみを実効支配したまま大韓民国が建国された[11]。朝鮮半島南部単独で大韓民国が建国された翌月の1948年9月9日に、大韓民国の実効支配が及ばなかった残余の朝鮮半島北部は金日成首相の下、朝鮮民主主義人民共和国として独立した。互いに朝鮮半島全土を領土であると主張する分断国家はそれぞれの朝鮮統一論を掲げ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金日成首相は建国翌日の9月10日最高人民会議の演説で「国土完整」を訴え、他方大韓民国(南朝鮮)の李承晩大統領は軍事力の行使をも視野に入れた「北進統一」を唱えた[12]。互いを併呑しようとする両政府は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争によって、実際に干戈を交える事になるのである。

朝鮮戦争[編集]

1950年6月25日朝鮮人民軍(北朝鮮軍)は韓国との境界であった北緯38度線を越えて南下を開始し、朝鮮戦争(韓国動乱)が勃発した。その頃、弱体であった韓国軍は敗退を重ね、洛東江以東の釜山周辺にまで追い詰められた。北朝鮮の侵攻に対して国連安保理は非難決議を上げ、米国を中心とする西側諸国国連軍を結成して韓国軍と共に後退戦を戦っていたが、仁川上陸作戦により北朝鮮軍の戦線を崩壊させ、反攻に転換した。韓国軍・国連軍は敗走する北朝鮮軍を追ってを鴨緑江近辺にまで侵攻した。これに対し中国が義勇軍を派遣して北朝鮮の支援を開始、韓国軍・国連軍を南に押し戻し、一時再びソウルを占領した。その後、38度線付近で南北の両軍は膠着状態になる。この戦争により、朝鮮半島の殆ど全域が戦場となり、インフラや文化財の焼失、戦闘での死者のみならず、双方とも敵の協力者とされた者の大量の処刑を行うなど、物的、人的被害が著しく、国土は荒廃した。1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定を以って、大規模な戦闘は停止した。

李承晩時代[編集]

1948年に初代大統領に就任した李承晩は朝鮮戦争という危機的事態にも、権力を維持し、休戦後に再びソウルに政府を戻す事が出来た。李承晩は政敵の排除や反政府運動に対する厳しい弾圧とともに、権威主義的体制を固めていった。しかし、不正な憲法改正や選挙など法を捻じ曲げての権力の維持を図ろうとしたものの、1960年4月19日の学生デモを契機として、政権は崩壊し、李承晩はハワイに亡命した。(四月革命

朴正煕時代[編集]

李承晩失脚後は、張勉内閣の下、政治的自由化が急速に進展したが、学生を中心とした北への合流を目指した南北統一運動が盛り上がりを見せるに至り、危機感を抱いた朴正煕少将を始めとした軍の一部が1961年5月16日クーデターを決行し、国家再建最高会議 が権力を掌握した。第三共和国憲法の承認後、朴正煕は1963年10月に第5代大統領に当選 した。1972年、野党勢力の伸張により政権の合法的延長が難しくなった朴正煕は10月17日非常戒厳令を発し憲法を改正(第四共和国)、大統領の直接選挙を廃止して、自らの永久政権化を目指した。「維新体制」と呼ばれるこの時期には反対派に対する激しい弾圧により、政治的自由が著しく狭まったが、1979年10月26日、側近の中央情報部長により朴正煕は暗殺された。 朴正煕時代は強権政治の下、低迷していた経済の再建を重視した。ベトナム戦争への参加を通したアメリカからの特需の獲得や、日韓関係の正常化を進めて、1965年日韓基本条約を締結するなどして日本から援助を引き出し、産業インフラへの投資を進めて「漢江の奇跡」と呼ばれる経済の急成長を実現した。朴政権は人材登用や産業投資に際し、自身の出身地である慶尚道を優遇し、全羅道に対しては冷遇をしたため、慶尚道と全羅道の地域対立、差別の問題が深刻になり、今に至るまで解決していない。

全斗煥・盧泰愚時代[編集]

朴正煕暗殺により、急速に規制が解かれた韓国の政治はソウルの春と呼ばれる民主化の兆しを見せたが、1979年12月12日より始まった粛軍クーデターにより、全斗煥陸軍少将を始めとした「新軍部」が軍を掌握した。新軍部の権力奪取の動きに対して、反対運動が各地で発生したが、80年5月17日非常戒厳令拡大措置が発令され、政治活動の禁止と野党政治家の一斉逮捕が行われた。5月18日、光州では、戒厳軍と学生のデモ隊の衝突が起こり、これをきっかけに市民が武装蜂起したが、5月27日、全羅南道道庁に立てこもる市民軍は、戒厳軍により武力鎮圧された。(光州事件)。新軍部は朴正煕暗殺後に大統領の職を引き継いでいた崔圭夏8月16日に辞任させ、全斗煥が大統領に就任し、憲法を改正。翌81年2月25日に行われた選挙により全斗煥が大統領に選出された。1987年、大統領の直接選挙を求める6月民主抗争が起こり、与党の盧泰愚大統領候補による6.29民主化宣言を引き出されため、大統領直接選挙を目指した改憲が約束された。しかしながら、12月に行われた大統領選挙では、野党側の有力な候補が、金泳三金大中に分裂したために、全斗煥の後継者である盧泰愚が大統領に当選し、軍出身者の政権が続くこととなった。
全斗煥、盧泰愚の時代は、軍政に反対する民主化運動とそれに対する弾圧の激しい時代であったが、朴正熙時代から引き続いた高度な経済成長と、ソウルオリンピックの成功、中華人民共和国ソビエト連邦との国交樹立、国際連合への南北同時加盟などにより新興工業経済国として韓国の国際的認知度の上がった時代でもあった。

文民政権登場以後[編集]

1990年金泳三率いる統一民主党金鍾泌の率いる新民主共和党とともに盧泰愚政権の与党である民主正義党と合同し、巨大与党である民主自由党が発足した。金泳三は1992年大統領選挙に民主自由党の候補として出馬し当選した。金泳三は久しぶりに軍出身者でない文民の大統領であったが、旧軍事政権と協力したために実現したものだった。しかしながら、金泳三政権時代に、全斗煥、盧泰愚元大統領らに対する軍事政権下の不正追及が開始された。
1997年大統領選挙では、長年に渡って反軍政・民主化運動に関わってきた金大中が大統領に当選した。金大中政権に於いて民主化、自由化は本格化し、国家安全企画部の改組、民主労総の合法化などが行われた。民主労総を支持基盤とした民主労働党が結成され、後に国政進出を果たした。対北朝鮮政策も「太陽政策」の下2000年6月南北首脳会談を実現させ、分断された鉄道の連結や経済協力など南北融和が進み、近い将来の統一の期待を膨らませた。金大中は日本文化の開放も進め、日韓ワールドカップの共催を頂点に日韓の友好ムードは高まった。
2002年大統領選挙で当選した盧武鉉は支持基盤的に金大中の後継であり、政策も引き継いだ。
2007年大統領選挙に当選した李明博2012年大統領選挙に当選した朴槿恵により、再び政権は慶尚道系保守勢力へ戻り、各種政策も揺り戻しが起こっているが、民主的政体は大韓民国に於いてもはや定着しているとは言える。

年表[編集]

大韓民国成立後の歴史は、憲法大韓民国憲法)による政体の相違によって、7つの時代に区分される。

1945年 - 1948年アメリカ軍政庁期連合軍軍政期、非独立)
1948年済州島4・3事件
1948年5月10日 : 南朝鮮単独での初代総選挙が実施される。
1948年7月12日 : 大韓民国憲法が制定され、7月17日に公布される。
1948年 - 1960年第一共和国期
1948年8月15日アメリカ合衆国の承認を得て李承晩大韓民国の独立を宣言。
1948年済州島4・3事件継続。
1948年:麗水・順天事件
1949年聞慶虐殺事件
1949年:対馬領有宣言[13]
1950年1月12日アメリカ合衆国国務長官ディーン・アチソンが「アチソンライン」を表明する。
1950年6月25日:北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国朝鮮人民軍が南進を開始し、朝鮮戦争が勃発する。
1950年:保導連盟事件
1952年1月18日李承晩ライン宣言により竹島を取り込む[14]
1953年竹島近海の日本巡視船への銃撃開始[14]
1953年7月27日:「北進統一」に固執した李承晩大韓民国大統領を除いた上で、中朝連合軍代表の南日朝鮮人民軍大将国連軍代表のウィリアム・ハリソン・Jr英語版アメリカ軍中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名される。
1953年10月1日米韓相互防衛条約が署名され、米韓同盟が結ばれる。
1954年韓国沿岸警備隊竹島派遣公表[14]
1955年8月18日日本との経済関係断絶[15]
1959年12月4日新潟日赤センター爆破未遂事件
1960年4月27日四月革命によって李承晩初代大統領が失脚し、第二共和国が始まる。
1960年 - 1961年第二共和国期
朴正熙少将による5・16軍事クーデターによって国家再建最高会議が設置される。
1961年 - 1963年国家再建最高会議軍政)期
朴正熙が軍職を辞して大統領となり、第三共和国が始まる。
1963年 - 1972年第三共和国期
1964年 - 1973年ベトナムに出兵する。
1965年1月:竹島密約
1965年6月22日朴正煕大統領と日本国佐藤栄作内閣総理大臣との間で日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)を批准。日本との国交を回復する。
1968年青瓦台襲撃未遂事件
1971年8月23日実尾島(シルミド)事件
1972年10月17日十月維新後の憲法改正で第四共和国が始まる。
1972年 - 1979年第四共和国期
1973年8月8日大韓民国中央情報部(KCIA)によって日本国内に滞在していた大韓民国の民主化運動家、金大中を拉致する事件が発生し、この日本国への主権侵害によって日韓関係は悪化する。
1974年8月15日朴正煕大統領の陸英修夫人が在日韓国人文世光によって暗殺される文世光事件が発生する。
1976年8月18日ポプラ事件
1970年代コリアゲート事件発覚。
1979年10月26日朴正煕暗殺事件によって崔圭夏によって第五共和国が始まる(ソウルの春)。
1979年 - 1987年第五共和国期
1980年5・17非常戒厳令拡大措置
1980年5月18日 - 5月27日光州事件
1983年9月1日 - 大韓航空機撃墜事件
1983年10月 - ラングーン事件
1987年6月29日盧泰愚による民主化宣言により第六共和国が始まる。
1987年 - 現在:第六共和国期
1987年11月29日大韓航空機爆破事件
1988年 - ソウルオリンピック
1991年湾岸戦争に参戦。
2000年6月13日:「太陽政策」を推進していた金大中大統領が朝鮮民主主義人民共和国金正日国防委員長南北首脳会談を実施、6月15日6.15南北共同宣言を締結する。
2002年アフガニスタンに出兵する[16]
2003年イラクに出兵する。
2004年9月:イラクアルビール県ザイトゥーン部隊を派遣する。
2007年10月:盧武鉉大統領と金正日国防委員長の間で第2回南北首脳会談が行われる。
2008年ザイトゥーン部隊をイラクから撤収する。
2010年3月26日韓国哨戒艦沈没事件
2010年11月23日延坪島砲撃事件
2014年4月16日2014年韓国フェリー転覆事故

地方行政区分[編集]

特別市(Teukbyeol-si、トゥクピョルシ)
1:ソウル特別市(ソウルとくべつし)
広域市(Gwangyeok-si、クァンヨクシ)
2:釜山広域市(プサンこういきし)
3:大邱広域市(テグこういきし)
4:仁川広域市(インチョンこういきし)
5:光州広域市(クァンジュこういきし)
6:大田広域市(テジョンこういきし)
7:蔚山広域市(ウルサンこういきし)
特別自治市(Teukbyeol-jachisi、トゥクピョルヂャチシ)
#:世宗特別自治市(セジョンとくべつじちし)
道(Do、ト)
8:京畿道(キョンギどう)
9:江原道(カンウォンどう)
10:忠清北道(チュンチョンブクどう)
11:忠清南道(チュンチョンナムどう)
12:全羅北道(チョルラブクどう)
13:全羅南道(チョルラナムどう)
14:慶尚北道(キョンサンブクどう)
15:慶尚南道(キョンサンナムどう)
特別自治道(Teukbyeol-jachido、トゥクピョルヂャチド)
16:済州特別自治道(チェジュとくべつじちどう)

なお、現在大韓民国の統治の及んでいない黄海道平安南道平安北道咸鏡南道咸鏡北道の「以北五道」の道庁がソウル市に設置されている。

地理[編集]

NASAからの2012年における夜間の朝鮮半島の合成写真。光量は経済活動の直接的な指標である。
大韓民国の地形図

大韓民国は朝鮮半島全域を領土と主張し、その内の南北軍事境界線以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府によって実行統治されているが、大韓民国では北朝鮮地域を指す表現として「北韓북한 プッカン、ほっかん」が用いられている。

西には黄海、東には日本海に面し、朝鮮海峡対馬海峡の西水道)を隔てて釜山対馬とは約50kmの距離である。全国土面積は98,480km²で、これは日本の総面積377,961km²のほぼ1/4(26%)にあたり、北海道本島の面積77,984km²の1.26倍に相当する。国土は古期造山帯が支配的である。

地震九州など日本から伝わるものを除き殆ど発生しないことから、比較的安価に高層マンションが建設可能であり、戸建より人気がある。活火山も全く存在しない(済州島鬱陵島火山島だが活動していない)が少数の温泉はある。

日韓間には、竹島(韓国名:独島)領有問題が存在する他、1990年代以降、日本海(韓国名:東海)の国際的な呼称を巡って日本国政府と大韓民国政府が対立する等、幾つかの問題がある(参考:日本海呼称問題李承晩ライン)。

1948年8月の建国以降も日本統治時代の植林政策を受け継ぎ、1970年代から数えて国内に100億本(1日あたり約68万本、1秒あたり8本)もの木を植林してきた山林大国であることを誇る[17][18]

韓国の範囲
最北端(韓国政府の実効支配下にある地域) - 江原道高城郡
最北端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 咸鏡北道
最南端 - 馬羅島済州特別自治道西帰浦市
最西端(韓国政府の実効支配下にある地域) - (ペンニョンとう、仁川広域市甕津郡
最西端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 平安北道
最東端(韓国政府の実効支配下にある地域、韓国政府が主張) - 竹島(独島)
最東端(日本政府が主張) - 竹嶼

気候[編集]

ケッペンの気候区分によると、ソウル春川堤川などの北部や内陸部、山岳地帯は亜寒帯冬季少雨気候、それ以外の地域は温帯夏雨気候および温暖湿潤気候に属する。半島状に位置しているものの、顕著な大陸性気候であり、寒暖の差が激しく気温の年較差、日較差が大きい。南部や東部沿岸部を除いて、1月の平均気温は氷点下になり、特に最低気温が低くなる。は大陸からの季節風の影響を受け、日本の同緯度の地域に比べると寒冷である[19]。例えばソウルは新潟県長岡市付近と同緯度にあるが、1月の平均気温は-2.4度で、冬の寒さは日本の北東北から北海道南部と同じである。強烈なシベリア寒気団に覆われると、ソウルでも最低気温が-10~-15度前後になり、郊外では-15度を下回ることもあるなど平年を大きく下回る寒さになることもある。また釜山名古屋京都と同緯度にあるが、1月の平均気温は3.2度で、東京より平均気温が2, 3度低い。全体的に、日本の北関東から東北地方北海道南部の気温に匹敵する。この気候はオンドルを発達させた。

冬季は晴れる日が多いため朝夕の冷え込みが厳しい反面、韓国一の豪雪地帯である鬱陵島の他、過去に1mを超える積雪を観測したことのある日本海沿岸の江陵東海市束草や内陸の平昌郡大関嶺)など江原道を除けば降雪量は少なく、東日本西日本の太平洋側の降雪量と同程度かむしろ少ないくらいである。実際に、ソウル周辺地域の過去最深積雪でさえ30㎝程と少ない。寒冷な気候はそれほど長く続かず、2月になれば三寒四温となり大分暖かくなり、4月に入るとが開花する。

済州島九州北部の福岡県と同緯度にあり、韓国では最も温暖とされるが、冬は半島部と同様の北西季節風の影響、また(38度線以南の現在の)韓国では最高峰である漢拏山標高1950m)がそびえる地形的要因により非常に風が強く、済州市の1月の平均気温は5~6度と東京などとほぼ同じ寒さである(体感温度はさらに低い)。西帰浦市の位置する南部は温暖で高知県宮崎県北部の気温に匹敵する。

は半島部においては日本列島よりは湿気が少ない。ソウルの夏の気温は30度を超えることもよくあり、また内陸の盆地にある大邱は韓国で最も暑いとされるが、湿気が少なく、また熱帯夜になる事は殆どないため、エアコンが無くても寝苦しいということは殆どない。

近年は中国の砂漠化の進行に伴う黄砂被害の拡大が問題となっている。

大韓民国各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年、出典:大韓民国気象庁
平年値
(月単位)
北西部沿岸 北部内陸 北部高地 ソウル都市圏 北東部沿岸
江華 鉄原 春川 原州 楊平 堤川 忠州 清州 平昌郡
大関嶺
太白 ソウル 水原 仁川 利川 天安 束草 江陵
気候区分 Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Cfa Dfb Dwb Cwa Cwa Cwa Dwa Cfa Cfa Cfa
平均
気温
(℃)
最暖月 24.5
(8月)
23.8
(8月)
24.6
(8月)
24.8
(8月)
25.0
(8月)
23.8
(8月)
24.9
(8月)
25.8
(8月)
19.1
(7,8月)
21.0
(8月)
25.7
(8月)
25.6
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
25.1
(8月)
23.7
(8月)
24.6
(8月)
最寒月 -3.8
(1月)
-5.5
(1月)
-4.6
(1月)
-4.3
(1月)
-3.4
(1月)
-5.2
(1月)
-4.2
(1月)
-2.4
(1月)
-7.7
(1月)
-4.8
(1月)
-2.4
(1月)
-2.9
(1月)
-2.1
(1月)
-3.1
(1月)
-2.9
(1月)
-0.3
(1月)
0.4
(1月)
降水量
(mm)
最多月 358.2
(7月)
400.9
(7月)
383.8
(7月)
362.2
(7月)
429.4
(7月)
373.5
(7月)
293.5
(7月)
285.1
(8月)
420.9
(8月)
287.3
(7月)
394.7
(7月)
351.1
(7月)
319.6
(7月)
370.2
(7月)
298.3
(7月)
293.0
(8月)
298.9
(8月)
最少月 17.7
(1月)
20.6
(1月)
20.3
(1月)
22.0
(1月)
16.6
(12月)
23.0
(12月)
21.1
(12月)
25.3
(12月)
36.8
(12月)
19.2
(12月)
20.8
(1月)
21.8
(12月)
19.3
(12月)
16.3
(12月)
23.4
(1月)
38.2
(12月)
38.3
(12月)
平年値
(月単位)
中西部沿岸 中部内陸 鬱陵島 南東部沿岸 南部内陸 南部沿岸 済州島
瑞山 保寧 群山 大田 全州 南原 安東 大邱 鬱陵 浦項 蔚山 光州 密陽 木浦 釜山 統営 昌原
馬山
済州 西帰浦
気候区分 Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cwa Cfa Cwa Cwa Cwa Cfa Cfa
平均
気温
(℃)
最暖月 25.1
(8月)
25.5
(8月)
25.7
(8月)
25.6
(8月)
26.2
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
26.4
(8月)
23.6
(8月)
25.7
(8月)
25.9
(8月)
26.2
(8月)
25.8
(8月)
26.1
(8月)
25.9
(8月)
26.1
(8月)
26.5
(8月)
26.8
(8月)
27.1
(8月)
最寒月 -2.0
(1月)
-0.8
(1月)
-0.4
(1月)
-1.0
(1月)
-0.5
(1月)
-1.4
(1月)
-2.2
(1月)
0.6
(1月)
1.4
(1月)
1.8
(1月)
2.0
(1月)
0.6
(1月)
0.0
(1月)
1.7
(1月)
3.2
(1月)
3.1
(1月)
2.8
(1月)
5.7
(1月)
6.8
(1月)
降水量
(mm)
最多月 295.9
(8月)
297.1
(8月)
263.1
(8月)
333.9
(7月)
299.6
(7月)
346.1
(8月)
244.3
(7月)
235.9
(8月)
170.7
(9月)
227.4
(8月)
240.3
(8月)
308.9
(7月)
269.5
(7月)
236.7
(7月)
316.9
(7月)
313.5
(7月)
299.0
(8月)
262.5
(8月)
309.8
(7月)
最少月 26.6
(2月)
28.1
(1月)
29.3
(12月)
25.9
(12月)
31.1
(12月)
25.4
(12月)
16.6
(12月)
15.3
(12月)
72.2
(3月)
25.7
(12月)
23.0
(12月)
33.5
(12月)
16.4
(12月)
29.3
(12月)
22.8
(12月)
21.1
(12月)
22.0
(12月)
47.7
(12月)
45.1
(12月)
  • 最暖月22度未満・・・薄水色
  • 最寒月-3度未満(=亜寒帯(D)の条件)・・・薄水色、水色、青色

政治[編集]

政治体制[編集]

1948年8月15日の建国以来、大韓民国は共和憲政体制を採用している。国家体制を定める憲法は、建国直前の1948年7月17日最初の憲法を採択して以来、9回の憲法改正を経て現在に至っている。特に、国家体制を大きく変えた5回の改憲は韓国政体の歴史的な一区切りとされ、それぞれの時期に存続していた憲法は第一から第六憲法と呼称されている。それにともない、各憲法に基づいて構成されていた政体も、第一から第六共和国と呼称されている。

現在の憲法は第六共和国憲法と呼ばれ、1987年10月29日に採択された。この憲法は、5年毎の直接選挙による大統領の選出を定めている他、大統領の再選禁止なども盛り込まれており、韓国憲政史上最も民主主義的な体制を規定した内容である。第六共和国憲法に基づいた第六共和国は、1988年2月25日盧泰愚大統領の就任以来、今日まで持続している。

現在でも役人の権限が非常に強い役人社会である。

地方自治[編集]

1990年代以降は地方自治体の選挙も実施されているが、それ以前の広域自治体の首長は政府の任命、基礎自治体の首長は知事や特別市長、直轄市長による任命であった。

警察[編集]

軍事[編集]

国防部と国軍[編集]

大韓民国大統領陸軍海軍空軍の最高司令官であり、大統領、国防部長官、合同参謀本部議長のもとに陸海空軍本部が所属する。2011年の国防予算は約31兆4千億ウォン、兵力は陸軍約52万、海軍約6.8万人(大韓民国海兵隊2.8万人含む)、空軍約6.5万人である。26ヶ月から30ヶ月の徴兵制志願兵制を併用しており、全ての男性には兵役義務があるが、近視等の身体的問題やその年度の予算不足のため免除や短縮勤務となる者もある。政治家の息子や有名俳優やスポーツ選手などの中には徴兵逃れをしている者もおり、度々報道されている[20]

大韓民国国軍の主たる国防対象は軍事境界線38度線)を挟んで対峙する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の朝鮮人民軍であり、大半の陸上戦力を向けている。1950年に勃発した朝鮮戦争以来、朝鮮戦争休戦後の1953年に締結された米韓相互防衛条約に基づいた米韓同盟によりアメリカ軍と緊密な繋がりがあり、しばしば朝鮮半島有事を想定した米韓合同軍事演習を実施している。協定により平時の作戦統制権は韓国軍が単独行使するが、有事の際の戦時作戦統制権は少なくとも2020年代半ばまでは米軍と共同行使するため米韓連合司令部がおかれている[21]。2008年4月に行われた米韓首脳会談において、在韓米軍を2万8,500人体制で維持することが決定されている。

また、韓国軍は国防対象を日本へも向けている。日本から韓国への策源地(敵地)攻撃能力が皆無なのとは対照的に、韓国国内から日本のほぼ全域を射程とする射程1500kmの玄武-3巡航ミサイルシリーズや、射程180km~500kmの玄武-1・玄武-2弾道ミサイルシリーズやATACMS弾道ミサイル、イージスシステムを搭載し巡航ミサイルの発射が可能な世宗大王級駆逐艦の配備をするなど、日本本土をも攻撃可能な兵器の増強をしている。また、新造する強襲揚陸艦に竹島の韓国名である「独島」と名づけたり、最新鋭機のF-15Kに空軍参謀総長が自ら乗り込んで、日本に対して竹島の実効支配を見せ付けるために竹島上空を飛行するなどしている。さらに政府要人や軍幹部が相次いで公然と日本に軍事的に対抗する意思を示しており[22]、盧武鉉大統領時代にはアメリカ政府に対して「日本を仮想敵国にするよう」正式に要請している[23]。また伊藤博文を暗殺したテロリストの名を冠した潜水艦安重根文禄・慶長の役で豊臣軍と戦った武将の名を冠した李舜臣級駆逐艦を保有し、日本に対する海軍艦艇の数的劣勢を補うために、日本本土と至近の済州島に建設中の海軍基地に独島級揚陸艦と最新鋭の214型潜水艦を配備する予定であるなど、日本に対する軍事的対抗心を露にしている。

情報機関[編集]

核開発疑惑[編集]

1970年代に大韓民国大統領であった朴正煕は大韓民国独自の核兵器開発を構想しており、大韓民国の核保有を望まないアメリカ合衆国との政治問題に発展していた[24]2004年には過去において韓国がウラン濃縮など核兵器開発の研究を行っていた事実が発覚し、国際原子力機関(IAEA)の査察を受けている。

また、1979年朴正煕暗殺事件以後も現職の政治家や大統領が核武装を肯定する発言が相次いでいる。ハンナラ党鄭夢準議員や宋永仙議員は北朝鮮への対抗上、韓国は核武装を進めるべきだと述べている[25][26]2013年2月、李明博大統領は韓国国内から核武装論が出ていることについて、「愛国的で、高く評価する」、「北朝鮮と中国への警告になり、間違っているとばかり言えない」と述べた[27]

その他にも外国への核拡散関与が発覚することもある。2005年には大韓民国の放射性アイソトープ販売企業であるキョンド洋行が、イラン企業のパトリス社に放射性物質であるニッケル63を売ったほか、フランスからは別の放射性物質である三重水素(トリチウム)を買い入れ、パトリスに売り渡していたことが、報道された。

国際関係[編集]

朝鮮民主主義人民共和国との関係[編集]

1948年8月15日の朝鮮半島南部に於ける大韓民国建国以来、翌月の1948年9月9日に朝鮮半島北部にて建国された朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは「朝鮮唯一の正統な国家」としての立場を巡り、敵対的な関係が続いた。2013年3月6日付の朝鮮労働党機関紙『労働新聞』が「米帝核兵器を振り回せばわれわれは精密核打撃手段でソウルだけでなくワシントンまで火の海にするだろう[28]」と大韓民国とアメリカ合衆国を並べて非難したように[29]、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国は南韓、大韓民国を「米帝傀儡」だと看做し(「南朝鮮傀儡」)、特に米韓合同軍事演習実施の度に関係が悪化する。

1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争以後、朝鮮半島の分断は決定的となった。強硬な反共主義者であり、「北進統一」論を掲げていた李承晩初代大統領は軍事力による朝鮮半島統一の可能性を断ち切らなかったため、1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定国連軍中朝連合軍の間で署名された際も、北側は朝鮮人民軍南日大将が署名したのに対し、南側はアメリカ軍ウィリアム・ハリソン・Jr中将が署名し、大韓民国の要人は休戦協定に署名しなかった。朝鮮戦争休戦後も初代大統領の李承晩朴正煕全斗煥らによる軍事政権は強固な反共主義政策を実行し、1987年6月29日民主化宣言まで朝鮮民主主義人民共和国が「対南工作」で派遣したスパイや、大韓民国国内の共産主義者に対しては「国家保安法 (大韓民国)」やその他の法令に基づき厳重な取締が行われた。ただし、1987年の民主化以後は「国家保安法」の存在にも拘らず、大韓民国にも政治集団として朝鮮民主主義人民共和国と朝鮮労働党の指導理念である「主体思想」を支持する「主体思想派」が存在する。また、1990年代北朝鮮の経済が崩壊し、北朝鮮で「苦難の行軍」と呼ばれる飢餓が発生した後には「脱北者」と呼ばれる亡命者が南朝鮮、大韓民国に流入している。

大韓民国政府は1万人を超える「北派工作員」を北朝鮮に送り込み多くの犠牲を出している[30]1971年8月23日に発生した実尾島事件はこの「北派工作員」派遣の過程で発生した事件であった。朝鮮民主主義人民共和国政府も様々な手法で韓国に対する「対南工作」を行っており、青瓦台襲撃未遂事件ラングーン事件文世光事件で大韓民国大統領の暗殺を謀ったり、イ・スンボク事件江陵浸透事件等で大韓民国への侵入事件を引き起こしている。また、大韓航空機YS-11ハイジャック事件等で韓国国民の拉致事件を引き起こしており、大韓航空機爆破事件では韓国国民を標的とした無差別テロ事件を引き起こしている。また陸上の軍事境界線や海上の北方限界線をめぐっては、南北分断以降、1976年ポプラ事件1999年第1延坪海戦2002年第2延坪海戦2009年大青海戦2010年天安沈没事件延坪島砲撃事件等の武力衝突が断続的に発生している。

このような中、統一に向けた努力が試みられているが、実を結ぶには至っていない。1960年四月革命によって学生と市民が李承晩初代大統領を退陣させた後、同1960年8月14日に朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は南北朝鮮統一のために「連邦制統一案」を発表、両政府代表による「最高民族委員会」の結成を提唱し、初めて具体的な平和統一案を提出したが、大韓民国の張勉首相がこの提案を検討することのないまま、翌1961年5・16軍事クーデターによって朴正煕少将が軍事政権を樹立したため、この提案は流れてしまった[31][32]1972年ニクソン大統領の中国訪問によってそれまで敵対していた米中関係が改善した結果が南北朝鮮に波及したため、同1972年7月4日に大韓民国の朴正煕大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は共同で南北共同声明を発表したが、その後朴正煕大統領が維新クーデターで更なる権力集中を進め、また1973年金大中事件で大韓民国国内の民主派を弾圧する姿勢を維持した為、以後北側からの南北間の対話は途絶えた[33]。なお、金大中事件直前の1973年6月23日に朴正煕大統領は「平和統一外交宣言」を、金日成主席は「祖国統一五大方針」をそれぞれ提出しているが、国際連合同時加盟問題に対する南北両政府の主張の隔たりの大きさが浮き彫りになる結果に終わっている[34]

1979年10月26日朴正煕暗殺事件が発生した後、翌1980年5月に5・17非常戒厳令拡大措置によって全斗煥将軍が実権を握ると、同1980年10月10日に朝鮮民主主義人民共和国の金日成主席は、軍事政権である大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の両国間の政治体制の相違を乗り越えて低い段階での連邦制を実現するため、「高麗民主連邦共和国」創設を提示した[35]

冷戦終結以後は雪解けが進み、1991年の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の国際連合同時加盟や南北基本合意書に結実した。1993年に大統領に就任した金泳三は「三段階統一論」を提示した[36]1998年に発足した金大中政権は「太陽政策」の名の下、積極的に朝鮮民主主義人民共和国との融和政策を進め、2000年6月には金正日国防委員長南北首脳会談を実施、6.15南北共同宣言を締結し、大韓民国国内に和解ムードが広がっていた。

2003年に発足した盧武鉉政権も太陽政策を引き継ぎ、朝鮮民主主義人民共和国による2006年の核実験以後も、2007年10月に第2回南北首脳会談を実施したが、北朝鮮による日本人拉致問題が発覚し、相次ぐ北朝鮮によるミサイル発射実験北朝鮮核問題を巡る六者会合の実施など北朝鮮包囲網が国際的に形成されたこともあり、2008年2月25日に発足した李明博政権以降は太陽政策を転換した。李明博政権下では南北間の緊張が高まり、2009年大青海戦2010年天安沈没事件延坪島砲撃事件等の軍事衝突が勃発している。

朴槿恵政権下の2014年には韓国政府から北朝鮮に対して30億ウォン(約3億円)規模の人道支援が実施された[37]

なお、北朝鮮と韓国は、対中関係で大きく変化してきており、2014年の北朝鮮による核実験の強行によって、建国以来、血盟関係にあった中朝関係は急速に悪化する一方、習近平中国国家主席が北朝鮮首脳との面会に先だって訪韓するなど中韓両国は急速に接近し、北朝鮮政府は中国に派遣する自国の貿易商に中韓関係の情報収集を命じているとされ北朝鮮は警戒を強めているとされている[38]。2015年2月に北朝鮮は中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加しようと特使を派遣したが中国側の拒否によって失敗に終わったのに対し[39]、韓国は同年3月にアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加した。2015年9月の中国の軍事パレードでは、韓国は大統領の朴槿恵が参加し国家主席である習近平と肩を並べて参観したのに対し、北朝鮮は朝鮮労働党書記である崔竜海を派遣したが席は端に近い位置であった[40]。韓国の聯合ニュースはその写真と1954年に金日成と毛沢東が同じ場所で軍事パレードを参観した写真を並べ、「主人公の変化は、半世紀を超える間に韓中関係と中朝関係がどれだけ変化したかを象徴している」と報じた[40]

中華人民共和国との関係[編集]

反共期[編集]

1948年8月15日に建国された大韓民国は、李承晩初代大統領の反共主義の影響もあって、1949年10月1日中国共産党毛沢東主席によって中華人民共和国が建国された後、中国国民党蒋介石総統と共に台湾に逃れた中華民国と親交を深めた。1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、緒戦での首都ソウルの最初の陥落後、臨時首都釜山にまで追い詰められた李承晩政権はダグラス・マッカーサー司令官率いる国連軍の介入によって朝鮮民主主義人民共和国が統治していた38度線以北を北上し、1950年中に大韓民国国軍は一時中朝国境の鴨緑江にまで到達したが、毛沢東主席はアメリカ合衆国(中国語では国)にして鮮民主主義人民共和国をける為(「抗美援朝」)に朝鮮戦争参戦を決断、彭徳懐司令官率いる中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)はアメリカ軍主体の国連軍を38度線以南にまで押し戻し、一時中朝連合軍国連軍が奪還した首都ソウルを再占領した

1953年7月27日中朝連合軍代表の南日大将と国連軍代表のウィリアム・ハリソン・Jr中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名された後も、大韓民国は反共主義から中華人民共和国と敵対した。中華人民共和国も1961年7月11日中朝友好協力相互援助条約締結で示したように、大韓民国よりも朝鮮民主主義人民共和国を重視する姿勢を示した。

しかし、1976年の毛沢東主席の死後、中華人民共和国の実権を握った鄧小平1978年12月にそれまでの経済政策を変更して改革開放路線を歩み、西側諸国からの外資導入への意欲を見せたことと、1990年の東西冷戦体制の崩壊を要因として、大韓民国の対中政策は転換した。

1992年8月24日に盧泰愚大統領は、人口が多く市場として有望で、安価な労働力の提供が可能な中華人民共和国との国交樹立を模索する産業界からの要請もあり、中華人民共和国との国交を正常化し(中韓国交正常化)、「一つの中国論」に基づいて中華民国台湾)とは断交した。

中韓国交正常化後[編集]

中韓国交正常化以降、韓国では対中投資ブームが起こり、多くの韓国企業が安い労働力を求めて中華人民共和国に進出した。現在では韓国の対中投資額は日本のそれを上回り、投資額は国家としては第1位となっている[41]。とくに山東省青島遼寧省大連吉林省延辺朝鮮族自治州には、韓国企業の投資が累積している。また中華人民共和国に留学する外国人学生数で、韓国はトップを占めるほどになっている。

投資額が国家として1位とはいえ、韓国企業の対中投資実行額は04年の62億5000万ドルから、07年には1~11月段階で32億3000万ドルと3年でほぼ半減のペースとなっている。要因としては2008年1月より施行された外資優遇を原則廃止した新たな企業所得税法、従業員の待遇を向上させる労働契約法や現地トラブルも重なり「中華人民共和国離れ」が加速している[42]

また、WTO香港ラウンドに於いて、韓国の農業従事者が香港で激しいデモ活動を展開した。香港の警察はデモを行った人々を拘束した。

韓国は2014年3月に中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加することを決定し、韓国の企画財政省高官はAIIBを通じた北朝鮮でのインフラ開発に期待感を示している[43]。また、2015年9月3日に中国が開催した抗日戦争勝利70年記念式典には大統領の朴槿恵が出席した[44]

ソビエト連邦及びロシアとの関係[編集]

1945年第二次世界大戦終結により、朝鮮半島は北緯38度線を完全な境界線として、8月に進駐したソビエト連邦軍軍政下の北部と、9月に進駐したアメリカ軍軍政下の南部と分断占領された(連合軍軍政期)。朝鮮半島北部では1945年9月11日朴憲永ら朝鮮半島内部で抗日運動を行っていた共産主義者が中心となって朝鮮共産党が再建された後、中国共産党八路軍に所属し抗日闘争を戦っていた中国朝鮮族の共産主義者や、ソ連や満洲から帰還した抗日パルチザンが朝鮮半島北部に流入し、こうした社会主義者共産主義者の協同戦線党として1946年8月に北朝鮮労働党が結成され、その中でもソ連軍の士官として朝鮮半島に帰還した金日成は1946年2月に北朝鮮臨時人民委員会委員長に就任した後、農地改革を実施する中で徐々に権力基盤を固めた[45]

1948年にアメリカ合衆国主導の南北統一総選挙が国連で決議されたが、北部を軍政統治するソビエト連邦が拒否し、南北分断が確定した。同1948年8月15日には朝鮮半島南部単独で大韓民国が独立を宣言し、追って9月9日には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が残余の朝鮮半島北部のみで独立を宣言したため、大韓民国は建国当初からソ連と敵対関係になった。

ソ連は朝鮮半島北部で朝鮮労働党の指導による社会主義国の建設に成功し、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発後は朝鮮人民軍の南侵を支持したが、国際連合安全保障理事会における欠席戦術を逆手に取られてアメリカを中心とした国連軍の編成と介入を許し、朝鮮半島全域への勢力拡大は失敗した。この際、ソ連軍は直接介入を控えたものの、軍事顧問団の派遣や兵器の供給で朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国の中朝連合軍による軍事作戦を支えた。

1950年代[編集]

1953年の朝鮮戦争休戦後、朝鮮民主主義人民共和国の執政党となった朝鮮労働党党内では、1950年代金日成首相を領袖とする満州派の権力基盤独占化の過程で、1956年8月宗派事件によって朝鮮労働党ソ連派南日ら極一部を除いて粛清されたが、北朝鮮に於ける親ソ派の粛清にも拘らずソビエト連邦は1961年7月6日に朝鮮民主主義人民共和国とソ朝友好協力相互援助条約を締結し、朝鮮半島唯一の正統政権と認め、大韓民国とは全く外交交渉を行わなかった。

その後のベトナム戦争では、アメリカ合衆国の要請に応じて南ベトナムに出兵した大韓民国国軍北ベトナムを通じてソ連と中華人民共和国の支援を受ける南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と激しい戦闘を行った。朴正煕大統領率いる大韓民国の軍事政権反共主義を唱え、朝鮮民主主義人民共和国の背後にいると考えられていたソ連や中国を強く警戒しており、この1960年代から1970年代の東西冷戦の激しい時期では大韓民国とソ連の関係は絶たれていた。

1980年代[編集]

1981年、首都ソウル1988年ソウルオリンピック開催都市に決まると、韓国はホスト国としてソビエト連邦を含む全ての国を安全に招待する義務を負った。しかし全斗煥政権は対ソ強硬姿勢と国内の民主化運動弾圧を継続し、1983年9月1日には大韓航空の旅客機がソビエト連邦領空を侵犯した後に撃墜された大韓航空機撃墜事件も発生して、両国間の関係は全く改善されなかった。

この敵対的な韓ソ関係が変化したのは、1985年に登場したソビエト連邦のゴルバチョフ政権が「新思考外交」による冷戦の緩和を訴えた以降である。韓国も1987年大統領選挙に勝利し、翌1988年に成立した盧泰愚政権が民主化を進めつつソビエト連邦や中国との緊張緩和を目指す「北方外交」を提唱した結果、1988年9月17日から10月2日にかけて開催されたソウルオリンピックはソビエト連邦や東欧諸国の参加を得て無事に開催された。この際に両国の接触が本格的に開始され、首脳会談を経て、1990年9月30日に韓国とソビエト連邦は国交を樹立した。1991年にはゴルバチョフが初訪韓(済州島を訪問)し、同年に大韓民国は朝鮮民主主義人民共和国と同時に国際連合加盟を果たした。また、第二次大戦後に旧日本領の南樺太(その後ソビエト連邦がサハリン州に編入)に取り残され、無国籍状態やソビエト連邦国籍になっていた残留朝鮮人の韓国訪問・帰還事業や、第二次世界大戦前にヨシフ・スターリンによって極東の沿海地方から中央アジアへ民族全員が強制移住させられたソビエト連邦国籍の朝鮮人(「カレイスキー/高麗人」と称される)との交流が開始された。

1990年代[編集]

1991年12月にソビエト連邦が崩壊した後、後継国家としてロシア連邦やその他の独立国家共同体(CIS)諸共和国が完全な独立国家として成立しても、韓国側からの積極的なアプローチは続いた。現代自動車はロシアの外国自動車市場で最大のメーカーとなり、LG電子も家電市場で3割のシェアを獲得したと伝えられている(ジェトロレポートより[46])。巨大財閥以外の韓国企業もロシアに進出し、ウラジオストクを重要な拠点としてシベリア開発にも関与している。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は社会主義体制を放棄した現在でも北朝鮮との友好関係を維持し、南北等距離外交を推進している事から、北朝鮮の核開発問題をめぐる六者会合への参加国に含まれている。

また、ソ連崩壊後に新たに中央アジアに独立したカザフスタンウズベキスタンにも韓国企業が進出している。両国には韓国からの直行便が就航し、高麗人(カレイスキー)への朝鮮語教育の支援などを含めた関係強化が進められている。

アメリカ合衆国との関係[編集]

2013年5月7日の二国間首脳会議における朴槿恵大統領及びバラク・オバマ米大統領

第二次世界大戦終結後、アメリカ合衆国(米国)を盟主とする西側諸国ソビエト連邦(ソ連)を盟主とする東側諸国の間で東西冷戦体制が形成される中、朝鮮半島南部は在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による連合国軍政に置かれた。1948年5月10日左派や朝鮮半島北部の反対の中で実施された朝鮮半島南部単独での初代総選挙を経て、同1948年8月15日李承晩初代大統領の下、アメリカ軍軍政下にあった朝鮮半島南部に右派を中心とする大韓民国が成立し、1948年11月20日に大韓民国国会でアメリカ軍の無期限駐留要請が決議された。1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争では朝鮮民主主義人民共和国朝鮮人民軍が大韓民国の首都ソウルを攻略した後釜山に逃れた李承晩政権の防衛には、ダグラス・マッカーサー元帥率いるアメリカ合衆国を中心とする国連軍が大きな役割を果たした。1953年7月27日朝鮮人民軍南日大将とアメリカ陸軍ウィリアム・ハリソン・Jr中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名された後、同1953年10月1日に調印された米韓相互防衛条約によって大韓民国はアメリカ合衆国の同盟国となった。

1960年代[編集]

朝鮮戦争休戦後の1950年代の大韓民国は軍事的、経済的にアメリカ合衆国に依存していたが、李承晩政権の末期にはアメリカ合衆国からの援助が減額されるようになった。1961年5・16軍事クーデターにより軍人出身の朴正煕軍事政権を設立した韓国はベトナム出兵の承認をアメリカ合衆国に求めたが認められなかった。1963年11月22日民主党ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺され(ケネディ大統領暗殺事件)、副大統領だったリンドン・ジョンソンが大統領に昇格すると大韓民国国軍のベトナムへの出兵が認められ、朴正煕大統領はアメリカ軍に次ぐ大部隊を南ベトナムに派遣し、民間人を含む多くのベトナム人を殺戮した[47]大韓民国軍のベトナム派兵は、1968年2月12日に発生した「フォンニィ・フォンニャットの虐殺事件」のような戦争犯罪を伴い、ベトナム戦争終結後の越韓関係にしこりを残している。ベトナム出兵によりアメリカからの経済援助も増額され、戦争特需によって三星・現代などの財閥が形成された[47]。米国は韓国が導入した外資40億ドルの内およそ20億ドルを直接負担し、その他の負担分も斡旋し、日本からは約11億ドル、西独などの西欧諸国からは約10億3千万ドル調達した。また、戦争に関わった技術者・軍人・建設者・用役軍納などの貿易外特需(7億4千万ドル)や軍事援助(60年代後半の五年間で17億ドル)も、韓国の高度成長を支えた[48]。こうして韓国は、ベトナム参戦を契機に急成長を遂げていく(「漢江の奇跡」)[49]。また、韓国人の米国への移住が許可され、在米韓国人は200万人に達している。しかしながらベトナム派兵によって強化された後の米韓関係も、1970年代に入ると朴正煕大統領の核武装構想によって大韓民国の核兵器保有を望まなかった民主党ジミー・カーター大統領との間で軋轢を起こしている。また1970年代には、KCIAが関与したアメリカ合衆国下院議員買収工作が発生し、米韓両国の政治問題と化した(コリアゲート事件)。

1980年代[編集]

1987年6月29日民主化宣言と、翌1988年盧泰愚政権の発足、朴正煕全斗煥両大統領の軍事政権による開発独裁下で実現した韓国経済の躍進(漢江の奇跡)、1990年以降の東西冷戦体制の崩壊は、この構図を転換する要因となった。大韓民国はソビエト連邦中華人民共和国ベトナム社会主義共和国と、それまで反共主義から対立していた社会主義国との国交を樹立し、これら諸国に対する経済投資も拡大した。また、1991年に勃発した湾岸戦争に際しては、多国籍軍に大韓民国国軍を派遣している。

1990年代[編集]

1998年金大中政権成立後は太陽政策によって朝鮮民主主義人民共和国との関係も金泳三政権期に比べて改善された。一方、1999年老斤里事件報道後、在韓米軍に対する反感が強まり、2002年に米軍車両に韓国人女子中学生が轢き殺された事件(議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件)によって米軍に対する反感がいっそう高まった。同時に米軍兵器の近代化と展開能力の向上により、想定される戦闘の様相が、米軍が駐留し始めた頃とは異なってきているため、米軍が韓国に駐留する必要性は減少している。このため、米国も在韓米軍を削減する政策を打ち出している。

2000年代[編集]

2003年2月25日に発足した盧武鉉政権はイラク戦争に際して米英軍主導の有志連合大韓民国国軍を派兵し、2004年にはイラクアルビール県ザイトゥーン部隊を派遣した一方、金大中政権以来の太陽政策を引き継ぎ、特に2006年の北朝鮮の核実験後も北朝鮮との宥和政策推進のために2007年10月に第2回南北首脳会談を行う親北反米政策を取ったため、米国との関係は悪化した。

2008年2月25日に発足した李明博政権は金大中政権以前の親米路線に方針を転換したため、対米関係も改善されると見込まれていた。しかし4月、BSE問題に端を発する米国産牛肉の輸入をめぐり反発する野党、市民と政権の対立が激化しており、今後も米国との良好な関係が維持できるのか不透明な状態が続いている。

アメリカとは固い絆を築いているとされ、アメリカ軍への慰安婦[50][51]として数十年に渡って提供された女性たちが謝罪と補償を求めているが[52][53][54]、日本を相手とした場合とは異なり、韓国政府は女性たちを支援しないこととしており[52][55]、韓国人とアメリカ人によってアメリカ各地の公共施設に建立が進められている慰安婦追慕碑にはアメリカ軍慰安婦や韓国軍慰安婦は対象外としている[56][57]。一方で、日本軍慰安婦を非難することには共同歩調をとっている[58]

2010年代[編集]

しかし、2014年2月末以降、日韓の歴史問題をめぐるシャーマン米国務次官の発言、韓国国内でのリッパート駐韓米大使襲撃事件の発生、中国主導のアジアインフラ投資銀行への韓国の参加表明などにより米韓関係には不協和音が生じていると報道されており、4月には米韓連合軍の防衛力強化を主要議題として米韓国防相会談がセッティングされたが、中国への配慮から米国が求めている最新鋭ミサイル防衛システム「最終段階高高度地域防衛(THAAD)」の在韓米軍への配備は議題に含まないとされた[59]

日本国との関係[編集]

大韓民国は1965年朴正煕大統領佐藤栄作内閣総理大臣との間で批准された日韓基本条約に基づき、日本国朝鮮半島の唯一の正統国家として承認している国家であり、隣国であるだけでなく、かつては日本の一部であったという歴史的背景もあり、政治・経済・文化などあらゆる分野で比較的緊密な関係にある。

一方で、歴史的経緯や政治・教育などの誘導により韓国民における反日感情は著しく高い。特に1910年朝鮮併合から1945年第二次世界大戦大東亜戦争)までの日本の統治に対して朝鮮半島の近代化などを無視した否定的な意見は多く、2003年に発足した盧武鉉政権下では日本統治時代の「親日派」の子孫を排除・抑圧する法律(日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)が施行されている。これらの法律は法の不遡及の原則に反するとの指摘があり(法の不遡及#韓国法)、このような法律が施行されることで自国民を政治的に反日派へ誘導し日韓関係に対し思想や言論などの自由を失わせている。

公然と戦前・戦中の日本(韓国や北朝鮮では「日帝」と呼ばれる)について肯定的な発言をおこなう人物は激しく非難され、出国拒否、発言の撤回などの制裁を受けている。

韓国側では李承晩金九右派民族主義者を中心として建国された当初から現在に至るまで、朝鮮併合と、それに伴う同化政策(皇民化教育など)に屈辱的な感情を抱いており、戦前の大日本帝国の朝鮮併合案に異論を唱え朝鮮国家の樹立に尽力していた伊藤博文を暗殺した安重根を英雄視するなど、根強い反日感情がある。外交の舞台でも日本に批判的な発言が多く、金泳三大統領は中国の江沢民国家主席との中韓首脳会談で、竹島問題について「日本のポルジャンモリ(ばかたれ)をしつけ直してやる」と発言している[60]

連合軍占領期と大韓民国建国後[編集]

1945年第二次世界大戦終結後、朝鮮半島南部はそれ以前の大日本帝国の一部としての立場から、連合国軍の一国であるアメリカ合衆国を中心とした在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による軍政が敷かれた。

1948年8月15日の大韓民国建国直前に発生した済州島4・3事件では、南朝鮮政府の弾圧から逃れるために済州島民が日本に移入することとなった[61]

また、李承晩政権下では反民族行為処罰法に基づき、1949年反民族行為特別調査委員会が組織され、親日反民族行為者が法的に認定された。

1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争では、連合軍占領下にあった日本は、韓国を助けるために海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、開戦からの半年間だけでも56名が命を落としていることが確認されている[62]。一方、韓国政府は犯罪者や密入国の韓国人の強制送還の大半を拒んだため、日本政府は抑留された日本人の返還と引き換えに韓国人の密入国者・犯罪者の送還を諦め[63]、日本国内で釈放した。1959年には在日朝鮮人の帰還事業を阻止する目的で在日米軍立川飛行場経由で工作員を日本に送り込み、新潟日赤センター爆破未遂事件を起こしている。

日本が自国領土とする竹島(韓国名は独島:독도)を、韓国が自国の領土と主張して武力占拠、日本海上に一方的に李承晩ラインを設定し、この線を越えて操業する日本漁船を拿捕し乗員を抑留殺害してきた。この時代には、第一大邦丸事件のように、多数の日本人が韓国人によって殺害された。1965年に国交が回復するまでに、韓国によって、日本漁船328隻が拿捕され、日本人44人が殺傷され、3929人が抑留されることとなった[64]

国交樹立後[編集]

李承晩政権期は国交断絶状態であったが、1960年四月革命で李承晩政権が打倒された後、1961年5・16軍事クーデター朴正煕帝国陸軍士官学校第57期生にして、日本名は高木正雄であった)政権が成立した後、両国の国交正常化交渉が本格化した。国交正常化交渉の過程では請求権問題が最も紛糾した。韓国による対日請求権の主張に対して日本側は、日本統治時代に朝鮮半島に投下した資本および引き揚げた日本人が残した財産(GHQ調査で52.5億ドル[65])を主張することで韓国側に対抗した。

1965年日韓基本条約とともに締結された財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定にもとづいて、日本が朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助することによって、日韓間の両国間及び国民間の請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されていることが確認された[66]。しかし、韓国政府や韓国メディアは国民に積極的に周知を行わなかったため、日本政府への新たな補償を求める訴えや抗議活動がなされ続けていたが、2009年8月14日にソウル行政裁判所による情報公開によって韓国人の個別補償は日本政府ではなく韓国政府に求めなければならないことが韓国民にも明らかにされている[67]。なお、韓国はその資金をインフラの整備に充て、戦時徴兵補償金は死亡者一人あたり30万ウォン(約2.24万円)であった[68]

1970年代[編集]

朴正煕政権時代の1973年8月8日には大韓民国中央情報部(KCIA)が日本国に滞在していた大韓民国の民主化運動家、金大中拉致し、日本国の主権を侵害する金大中拉致事件を引き起こしている。

1990年代[編集]

1997年アジア通貨危機により、韓国の経済は危機に瀕した。発足したばかりの金大中政権は国際通貨基金の支援とその経済政策を受け入れ、新自由主義的傾向をもつ構造改革政策によって危機を乗り切った。この時期、首相は金大中と立場を異にするものの経済通と呼ばれた金鍾泌であった。IMF支援の際、日本は韓国に対する緊急支援のうち最大の百億ドルの準備を行った[69][70][71]

1999年には新日韓漁業協定が発効し日韓暫定水域が設定された。これにより竹島周辺海域も日本漁船が操業できる海域に設定されたが、暫定水域は日本側に大きく食い込む形で設定されたため、日本の漁業は大きなダメージを受けている。たとえば新協定の発効以降、暫定水域での韓国漁船による乱獲とゴーストフィッシングと事実上の占拠が続いており、韓国漁船は資源の保全状況が比較的良好な日本のEEZにまで進出して違法操業を行っている。これに対して日本側は官民を上げて、協定改定による暫定水域での漁法に対する法的拘束力の実現や是正、取り締りの強化を要請しているが、韓国側はこれを無視し続けている[要出典]

2000年代[編集]

2003年に発足した盧武鉉政権は、当初「歴史問題に言及しない」と発言するなど、両国関係の改善が期待されたが、国内においては日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定するなど、一貫して反日的な態度を取り矛盾を伴う二枚舌な政策を行う。盧武鉉政権は日本時代の親日派問題の清算として、「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」及び「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を制定し、反民族行為認定者の子孫の土地や財産を国が事実上没収する人権蹂躙とも取れる法を制定し、実際に「親日派」10人の子孫が所有する約13億6000万円相当の土地を没収する[72]など韓国民主化以前の反共主義さながらの反日主義で上記特別法適用を開始している。2006年に韓国政府は親日反民族行為者財産調査委員会を設置し、2010年までに親日反民族行為者の子孫の資産約180億円を没収した[73]

両国の関係は、竹島問題、韓国の日本の国連常任理事国入りを目指した動きへの反対運動、靖国神社歴史教科書に対する内政干渉問題もあり悪化した。民間交流のあり方も一様ではなく、韓流ブームも影響して民間交流は活発化しているかに見える一方で、2004年から2005年にかけては日本に対する抗議デモの影響により、韓国側が交流行事をキャンセルする事態がいくつか発生した。

2008年韓国通貨危機では日本は韓国と300億ドルの通貨スワップの協定を締結した[74]。2008年7月21日、韓国国会議員50名によって対馬島返還要求決議案が韓国国会に提出された。

2000年代以降、韓国政府が日本の国際的地位を失墜させることを目的とした『ディスカウント・ジャパン運動』を行っており、VANK等の民間団体を強力に後援しながら、世界に向けて日本を貶める対日宣伝工作活動を行っている[75]

韓国政府は、日本軍慰安婦は日本軍により組織的に拉致・監禁・強姦された「性奴隷」だったとして、日本への謝罪と賠償を求める運動を世界各国で行っており[58][76][77][78][79]、その結果、世界各国の議会で対日謝罪要求決議が可決され[80][58]、米国の複数の公共施設で韓国人によって当事国であるアメリカ軍慰安婦[81]韓国軍慰安婦[82]ではなく、第三国である日本軍の慰安婦を対象とした追慕碑の設置が行われる事態となっている[57][56]2011年には、韓国の市民団体が駐韓日本大使館正面に13歳の少女慰安婦と称する像を建立し[83]、訪日した李明博大統領が野田佳彦首相に対し、日本国が韓国の求める誠意を示さない限りさらなる銅像の建立がなされるとする強要を行った[84]。また、大韓民国女性家族部が、韓国漫画映像振興院や漫画家と協力してアングレーム国際漫画祭で日本を非難する慰安婦の漫画を出展し、世界各国で慰安婦写真展を開催し、ユネスコ世界記憶遺産に慰安婦の証言録を登録することを企画している。さらに、訪韓外国人観光客に韓国の歴史認識に基づいたパンフレットを配るなどして日本の「不当性」を知らしめる運動も企画している[75]。これと同時に、韓国政府は政府見解に反し日本軍慰安婦が自発的な売春婦であったことを公に発する国民に対しては検挙するなどして言論統制を行っており[85]、慰安婦の自発的売春や、日本の朝鮮半島統治による恩恵の存在、竹島に対する日本の領有権を主張をしているブログや掲示板などの「親日賞賛サイト」の記述を、放送通信審議委員会の指示の下で強制的に削除したり接続を遮断している[86]

また、韓国は官民をあげて世界各国で「竹島は韓国の独島である」「日本海呼称は東海呼称が正しい」「韓国が日本に文化を伝えてあげた(一部韓国起源説も含む)」という宣伝工作活動も行っており[87][88][89]、VANKが協力していることも助力して、1999年時点で3%しかなかった世界の主要機関・地図制作会社・出版社の日本海/東海併記の世界地図が、13年後の2012年時点では30%にまで増加している[90]2014年にアメリカバージニア州で、在米韓国人の政治運動により、全ての教科書で日本海と東海を併記することを決定する法律が成立した[91]。日本政府は、このような竹島問題や日本海呼称問題などの外交案件に関わる韓国側の宣伝工作活動に対しては抗議を行っている[92][93]

日韓間では、文化財についても問題となっている。韓国政府は、日本にある朝鮮半島から流出した文化財の「返還」を日本政府や民間機関に求めている。これらの文化財は売買や寄贈、所有権の移転等の合法的な手段によって日本に持ち込まれたものや、朝鮮併合以前に由来したものがほとんどであることから、韓国に引き渡す場合は「返還」ではなく「寄贈」となるのだが、韓国政府や韓国マスコミは「略奪文化財」なので「返還」が正しいと主張している。そして、菅内閣はこれに迎合する形で日韓図書協定を結び、1200冊あまりの図書文化財の事実上の「返還」を談話で決定した[94]

また、韓国では小中華思想韓民族優越主義の観点から「日本文化のほとんどが日本人が朝鮮半島から盗み出したもの」という韓国起源説が蔓延しており、「日本に略奪された韓国文化財と文化を取り戻しにいく」と言う名目で、韓国人によって日本にある様々な文化財が組織的・計画的に韓国に盗み出され[95][96][97][98][99]、日本文化が剽窃される事例が相次いでいる[100]。特に日本人が正当に入手した高麗仏画が盗難の標的にされ、このうち長崎県壱岐市安国寺から盗まれた「高麗版大般若経(重文)」は大韓民国指定国宝284号に指定され、兵庫県高砂市鶴林寺から盗まれた「阿弥陀三尊像(重文)」は韓国の寺に寄付されている。対馬市の観音寺からは、長崎県指定有形文化財「観世音菩薩坐像[101]」が盗み出され韓国に持ち込まれたが、韓国地裁は観音寺返還を事実上拒否する判決を下した[102]。韓国政府は日本の外務省からの度重なる文化財の返還要請にも関わらず、文化財不法輸出入等禁止条約を無視し続け、盗難文化財の日本への返還を拒否し続けている。このような状況がありながら、菅内閣が在韓日本文化財については完全に無視したまま朝鮮半島由来の文化財の「返還」を決定したため、野党から批判された。

日本では韓国ドラマの放送は禁止されていないが、韓国はテレビ地上放送での日本の番組を禁止している[103]

2010年代[編集]

2010年韓国哨戒艦沈没事件では日本政府は韓国を強力に支持した[104][105]

2012年6月、日韓間で結ばれる予定だった軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結が、締結1時間前になって突然韓国側からキャンセルされた。 同年8月、李明博大統領が竹島に上陸し、天皇への謝罪要求を行うと、日韓関係は一気に悪化した。 同年12月、 韓国政府は東シナ海での韓国の大陸棚を同国沿岸から200カイリ(約370キロ)を越えた沖縄トラフ付近まで、大陸棚を拡張することを求める大陸棚境界画定案を国連の大陸棚限界委員会に提出した[106]

2013年1月、韓国は日韓間で締結した犯罪人引渡し条約を無視して、靖国神社に放火した刑事犯の中国人の日本への引渡しを拒否して、「政治犯」として中国に送還した。これに対して内閣総理大臣安倍晋三は抗議声明を発表した[107]。同年3月11日、韓国は日本政府主催の東日本大震災二周年追悼式を中国と共に欠席した[108]

近年、韓国側が行っている様々なディスカウント・ジャパン運動、全米各地への慰安婦像の建立、軍事情報包括保護協定締結の突然のキャンセル、日韓犯罪人引き渡し協定を無視しての中国人靖国神社放火犯の引渡し拒否、対馬の盗難仏像の返還拒否、韓国三大紙中央日報東日本大震災時の「日本沈没」報道や「原爆は神の懲罰」コラム、大統領の竹島上陸と天皇謝罪要求など、韓国側の反日的な動きが活発になっているが、この原因として、中国の国力の増大と日本の国力の低下により、韓国が伝統的に持つ「従中卑日」の小中華思想が強くなって先祖返りしていることが原因であると専門家から分析されている[109]。またこれを裏づける証言として、竹島に上陸した李明博が日本の国力が落ちたことに言及している[110]

日本の外務省は韓国について「報道の自由」などに疑念があるとし、2014年版外交青書にあった「自由、民主主義、基本的人権などの基本的な価値を共有する」という表現を2015年版外交青書では削除した[111]

韓国与党セヌリ党の金乙東(キム・ウルドン)最高委員は「日王(天皇)はひきょうにも命乞いして生き残った」と述べている。[112]

経済的関係[編集]

経済面において韓国は、日本との関係が深い。韓国から日本への電子部品や工作機械などの輸出も増大している。韓国の対外輸出の増加に伴い、日本からの部品輸入や日本への特許使用権料の支払いも増加しており、戦後一貫して韓国の対日貿易は赤字が続いている。 2007年度には対日貿易赤字が過去最高の289億ドル(約3兆2000億円)に達した[113]。 原因として、韓国は自国で賄えない技術、部品、素材の日本への依存度が極めて高い上、その加工技術、信頼性は日本製品に比べて著しく劣ることから、韓国製品の日本輸出が難しいという構造的問題があり[114]、「韓国が世界貿易で稼いでも、その半分以上を日本へ引き渡している構図である」[115]と指摘されている。対日輸入の金額自体は増加しているが、輸入に占める割合は2005年には18. 5%、2006年は16. 8%、全体的に減少傾向にであり、また輸出でも同様の現象が起こっている。

しかし、韓国の対日貿易赤字は日本の経済政策における為替変動が問題であるとして、2013年2月のロシアモスクワにおいてのG20では、「円安は日本政府の意図的政策によるもの」として問題提起[116]、続いて同年4月米国ワシントンでのG20においても「日本の量的緩和は韓国輸出競争力に打撃と懸念する」として声明を発表、公式会議において名指しで日本を非難する立場をとっている[117]

李承晩政権時代には外貨流出や北送事業(北朝鮮帰国運動)への抗議を理由に、1955年8月~翌年1月と1959年6月~翌年4月の2度に渡り通商断交を宣言したことがあるが、2回とも韓国側の要請で1年以内に通商再開をしている。2003年に両国首脳は自由貿易協定 (FTA) 締結を目指すことで合意したが、交渉は難航している。

2011年3月以降、日本の排他的経済水域(EEZ)内で、韓国のはえ縄漁船が違法行為を繰り返していることが問題となっている[8]

経済[編集]

経済史概要[編集]

1962年から1994年までの間、韓国の経済は年20%の輸出の伸びにより加速し、毎年平均10%成長した。この期間は漢江の奇跡と呼ばれる。
28色のカテゴリに分けられた韓国の輸出品目
ファイル:Gangnam, Seoul, Korea.jpg
国内の経済活動の中心であるソウル江南区にて、サムスン本社ビル

韓国の経済は、朝鮮戦争以降大きく立ち後れていたが、ベトナム戦争参戦と日本との日韓基本条約を締結し対日民間請求権補償金や経済・技術援助を契機として、1962年から1994年の間、年20%の輸出の伸びを記録し[118]、毎年平均GDPが10%成長した。これは漢江の奇跡と呼ばれ、アジア四小龍のひとつにも例えられた。 高度経済成長を遂げ、新興工業経済地域 (NIEs) の一つに数えられた時期を経て、1996年にアジアで2番目のOECD(経済協力開発機構)加盟国になった。

1997年にはアジア通貨危機により韓国経済は大きな危機に直面し、大量倒産や失業と財閥解体が起こり、外資導入と市場の寡占化が進んだ。大手輸出企業や銀行の株主の多くは外国人になった。2000年頃には一時期な経済の立ち直りがあったものの、政府の金融政策のためクレジットカードを大量に発行した余波もあり、2003年頃には個人破産が急増し国内での信用不安が高まり金融が危機的状態となった。2008年時点では、大学新卒者が正規社員として働くのは困難であり[119]2009年大卒者就業見込みは55万人中4万人だけであった[120]。徴兵義務や就職難のため、優秀な若者は韓国国内の経済状況に関わらず海外への脱出を目指す傾向が強いが、経済的苦境のため、ますます国を離れて米国や日本の企業に就職する若者が多くなっており、頭脳流出が懸念されている。

大手製造業である一部財閥系輸出企業は好調だが、韓国全体の雇用に寄与しているとは言いがたく、内需は極めて停滞しており、韓国国内においては財閥系企業の寡占が問題となっている[121]2008年時点で、韓国の国内総生産の18%、輸出の21%を三星財閥ひとつで占めていた[122]。このため、社会では「二極化」という言葉がよく使われるようになり、経済的格差の拡大が問題となっている。2000年頃から富裕層向けの高層マンションブームとなり、2002年から2012年までの10年間に不動産価格は68.5%上昇(日本のバブル景気とほぼ同率)した。しかし人口動態の高齢化や内需の不振により、既に不動産価格は下落を始めており、ソウルのアパート価格は2011年2月以後22ヶ月連続で下落した[123]2010年段階で国民の約10人1人にあたる500万人が、屋上部屋、地下、ビニールハウスなどの、政府が定めた最低居住水準に満たない住居で暮らしている[124]

2007年頃には、韓国の製造業が、技術的に先行する日本と、大量生産により追い上げる中国の存在に追い込まれるのではないかとする「サンドイッチ現象」への懸念が持ち上がっていたが[125]、2010年頃から2012年末までに続いた超円高や、2011年タイの大規模洪水や東日本大震災等の天災で、日本の製造業が大規模な被害を被ったため、韓国の製造業は大きく業績を伸ばした。特に好調なのがサムスン電子で、迅速な投資判断、的確なマーケティング、デザイン戦略、日本人技術者のヘッドハンティングによる先端技術の蓄積により、売り上げ高と利益を伸ばし、世界最大の電機企業になっている。また現代・起亜グループはデザイン戦略で成功し、世界における自動車販売台数を急激に伸ばした。

主要な産業は情報技術、造船、鉄鋼、自動車などである。主要な企業としては、サムスン電子や、現代自動車、LG電子ポスコ、現代重工業などがある。リーマン・ショック以降、ウォン安政策によって輸出の伸ばし、2011年には韓国の貿易依存度は対GDP96%となった。2011年度の統計によると、核心技術や素材、部品産業を日本に依存しているために、日本との貿易収支は277億ドルの赤字であるが、好調な輸出に支えられて、韓国の総貿易収支は333億ドルの黒字であった[126]。2011年度は東日本大震災の影響で石油製品や鉄鋼の対日輸出が43%増加し、前年度比で85億ドルの対日貿易赤字が解消されている。

2013年時点での国内総生産は世界14位。近年は知的財産への投資も増加している(韓国の知的財産権問題も参照)。

建築・土木・プラント[編集]

韓国の建築・土木企業は1990年代頃まで、「不実工事」(手抜き工事)による三豊百貨店聖水大橋KBブリッジの崩落事故等により多数の死者を出したことから信頼性に疑問符をもたれることもある[127]が、近年は韓国建設業界の発展は目覚しく、世界への進出を加速させている。

2000年以降、韓国建設業界は単純な土木工事から脱却し石油化学などのプラント受注等に力を入れていて、中東地域やアジアからの受注が多い。また、リゾートやニュータウンの建設にも力を入れており、サムスン建設がドバイで完成時点で世界一の高さになったブルジュ・ハリファを外国企業と共同で建設した。

韓国の建築企業は、発電所や淡水・発電プラント等の大型プロジェクトを一括(ターンキー方式)受注するだけでなく、高度な技術が必要とされる基本設計市場も開拓しており、海洋構造物(海洋プラント)市場では、韓国の造船企業が、FPSO(浮体式原油生産貯蔵設備)やドリルシップ(深海原油・ガス試錘設備)などの高価格の海洋試錘設備市場で大きなシェアを得た[128][129]。ただし海洋構造物市場では核心技術の不足により国産化率が20%ほどにとどまり、大半の利益は海外企業に流れており見かけのシェアほどの利益を得られていない[130]

主な企業は、斗山重工業現代重工業サムスンエンジニアリングサムスン物産現代建設サムスン建設SK建設SKエンジニアリングGS建設大宇インターナショナル韓電KPSハンソルEME

造船[編集]

現代重工業鄭周永会長が、創建期に研修生を1年間日本の造船会社に派遣してコンテナ2台分の設計図などの各種資料を不法に盗み出させたことを告白しているように[131]、韓国の造船業は日本からの技術移転や不法なスパイ行為による技術流出により発展してきた。

その後、プラザ合意以降の日本の円高による競争力低下とアジア通貨危機を受けての空前のウォン安が韓国造船業界に追い風になり[132]、2000年に建造量と受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)で日本を抜き世界1位の造船大国になった。それと共に造船技術も発展し、2002年から2006年までに世界で発注されたLNG船の78.3%、ドリルシップの68%、油田開発用洋上石油生産設備(FPSO)の53.8%を韓国メーカーが受注し、高付加価値船舶市場でも高いシェアを得た[133]

しかし2008年に世界金融危機をうけて世界経済の収縮が始まると、造船業界の景気も急激に悪化し韓国造船業界の成長も急速に落ち込んでいる。2009年の9月期までの韓国大手造船メーカーの受注額は年初計画の3%から10%に留まり[134]、年間建造量こそ世界1位を維持したが年間受注量と受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)が初めて中国に抜かれ世界2位になった[135]。2010年上半期には建造量、受注量、受注残量すべての指標で中国に抜かれた[136]

軍需産業[編集]

兵器の製造の受注においては、韓国の国内企業ではほとんどを現代重工業が担っており、歩兵用銃器の製造に関しては大宇重工業が行っている。また兵器の多くを輸入(ライセンス生産も含む)に頼っており、韓国の2006年から2010年までの兵器輸入額は74億300万ドルで、インドと中国に次ぐ世界3位であった[137]。2000年代に入り兵器の国産化が続々と進められたが、K2戦車K9 155mm自走榴弾砲K21歩兵戦闘車K11複合型小銃コムドクスリ級ミサイル艇などの初期運用前後に欠陥が次々と発覚し、新型国産兵器の生産や配備が遅滞する事例が続出している[138]

工作機械・金型/製造装置[編集]

2000年代初頭より中小企業庁は京畿道富川市の金型産業を地域特化品目に認定するなど金型産業にも力を入れている。これを受け富川市は金型産業支援条例を制定し、世界で初めての金型集積化団地を造成し今では世界的な金型都市になりつつある。

事務用機器、医療用機器、自動車用ギアボックス、携帯電話、PDA・半導体用金型部品、プレス用金型部品、自動車用プレス金型部品、エンジニアリングプラスチック金型、二重射出金型、ダイキャスティング金型、ブロー金型、マシニングセンタ、放電加工機、NCフライス盤、研削盤等のさまざま金型メーカーが存在している[139]。長らく金型・工作機械産業は輸入超過の赤字であり韓国の産業界では問題児とされていたが2005年以降黒字に好転し、外貨獲得率80~90%の優秀な産業に変貌している。

アメリカの最先端ブロンコ・スタジアムの骨組みとなる数十トンの鉄骨用高強度ボルト・ナットの輸出や独BMWの部品供給メーカー、カイザー社への工作機械供給など世界各国に輸出している[140]

韓国にはKPF、ファチョン機械牙城精密貨泉機工ドラゴン電気などの中小企業から斗山インフラコアのような大企業まで1000社以上が存在している。

製鉄[編集]

ポスコ(POSCO=旧浦項製鉄)などの製鉄会社がある。ポスコは新日本製鐵から当時の最新の技術をそのまま導入して設立された。近年、中国で粗鉄の需要が急速に伸び中国国内の調達だけでは間に合わないため、中国は韓国から輸入するケースが出ている。また日本の自動車メーカーもポスコの鋼板を採用するようになった。

ポスコの製鉄技術は2004年頃から急激に品質が向上し新日本製鐵の高品位製品のシェアを奪っていったが、これは90年代に新日鐵を退職した技術者が、新日鐵が数十年と数百億円をかけて開発した門外不出の「方向性電磁鋼板」の技術をポスコに流出させたことよるものである[141]2012年、ポスコと新日鐵の元技術者は、新日鐵から、不正競争防止法の「営業秘密の不正取得行為」にあたるとして、1000億円の損害賠償と高性能鋼板の製造・販売差し止めを求めて提訴されている[142]。この裁判によると、ポスコ本社の社長の意思決定により日本から機密情報が盗用されており、ポスコ東京研究所の実態について、「研究所とは名ばかりで実験設備は何もなく、もっぱら日本の鉄鋼メーカーの情報を収集し韓国の本社に送っていた」ことが明らかになった[143]

自動車[編集]

2012年時点の韓国の独立系自動車資本は現代-起亜自動車グループだけであり、その他の自動車メーカーは外国企業の傘下である。

韓国の自動車産業の歴史は日本企業との提携から始まった。現代自動車三菱自動車、現在では現代自動車の傘下に入っている起亜自動車マツダ大宇自動車(GM大宇を経て現在は韓国GM)はトヨタルノーサムスン自動車日産自動車と提携していた。韓国国内では1988年に自動車の輸入が自由化されたが、「輸入先多辺化(多角化)制度」と呼ばれる事実上の対日輸入禁止品目において自動車が指定されていたために、日本車の輸入・販売は1998年7月に至るまで禁止されていた[144]

現代-起亜自動車グループは、2000年代中盤までには日本以外の世界市場ですでに一定の低 - 中価格帯の車種のシェアを獲得し、2000年代後半にはさらなる高価格帯への参入を企図し、2008年に初めて海外の高級車マーケットにヒュンダイ・ジェネシスを投入した。一方、趣味性の高いスポーツカーはほとんど販売しておらず、数々の特色のあるスポーツカーを市場に投入してきた日本の自動車メーカーとこの点で異なる。2002年、現代・起亜はアメリカで、エンジン出力水増し広告が発覚し、集団訴訟され、補償金を支払った。2012年、今度は燃費水増し広告が発覚し集団訴訟されている[145]

韓国車のデザインは2000年代前半頃までは日本車の影響が強かったが、2000年代後半からその影響を脱し飛躍的に向上している。これは現代-起亜自動車グループが、生産効率よりもデザイン優先に経営方針を定め、起亜がアウディのチーフデザイナーだったペーター・シュライヤーを獲得して最高デザイン責任者に据え、現代がBMWのチーフデザイナーだったクリストファー・チャップマンを獲得してデザイン責任者に据えたことが影響している[146]。現代起亜グループの立役者となったペーター・シュライヤーは2012年12月に現代起亜グループの社長となった。また品質の向上も著しく、世界金融危機以降の円高ウォン安の影響もあり、特に米国や欧州市場で販売シェアを伸ばしており、2011年の現代-起亜自動車グループの現代自動車と起亜自動車の合計販売台数は660万台で世界4位であった(ルノー・日産アライアンスを順位に入れると5位)[146]

半導体・電子部品[編集]

DRAMでは世界シェアの約半数近くを占める。半導体技術力が向上し、大規模な投資を行って高収益を上げ、その大半を再投資に振り向けて政府の後押しにより最先端生産ラインを増強した結果である。半導体技術力向上の一環として、世界中から人材を集めるのが特徴で、日本の技術者も高額の給料で雇われ、土日のアルバイトで働く者もいた。その結果、1990年代まで日本が優位にあったDRAM業界のシェアを韓国が塗り替えることになった。これに対し日本や他国の企業は技術流出の対抗策として、自社技術者の監視、生産技術の内製化を進めている。一方で韓国企業でも同様に他国への技術流出対策を積極的に行っている。フラッシュメモリーは日本や米国にも輸出する反面で部品を輸入し、水平分業が盛んである。パソコンや携帯電話等で使われる汎用品の液晶パネルでもDRAMと同じ産業構造であり、韓国が世界トップのシェアを占めている。

家電・情報通信製品[編集]

LGディスプレイの3D対応型OLEDテレビ

韓国の家電・情報通信製品は世界有数の販売シェアを得ており、液晶テレビ等のAV機器や携帯電話等の情報通信機器の分野ではサムスン電子が様々な製品で世界トップシェアであり、冷蔵庫、洗濯機、エアコン等の白物家電の分野ではLG電子が世界的に有名である。

特にサムスン電子の製品は、新興国のみならず欧米でも価格や品質やデザインが高く評価されており、世界トップレベルのブランド価値を得ている。この分野での日本企業の凋落と入れ替わる形で韓国企業が世界的に躍進しており、近年ではウォン安の影響もあり、様々な製品の販売シェアで日本企業を完全に追い抜き国際的な認知を得ている。デジタルカメラプリンターなど日本企業が健闘していた製品領域での伸びも著しい。携帯電話の分野では国際マーケットでノキアモトローラなどと熾烈な競争を続けている。基幹部品のフラッシュメモリーや液晶パネルのシェアで世界トップであることが強みであり、第三世代携帯電話 を中心に韓国製のシェアが伸びている。この分野についてはOEM(相手先ブランドによる生産)やEMSなどが広範におこなわれており、いわゆるブランドシェアと実際の国際マーケットにおける貢献の詳細については不明な点も多い。

様々な製品で直接日本製品と競合するため、特許侵害を巡って日本企業と互いに提訴を繰り返しており、特に液晶テレビで顕著である。また日本企業と同じくアメリカ企業の「パテント・トロル」にも苦しめられている。

クレジットカード照会機、PCPOSシステムと周辺機器、複合クレジットカード照会機をはじめとした各種の電子機器の海外輸出も行われている。

情報通信インフラ[編集]

韓国ではブロードバンドが普及しており、インターネット放送や通信型ゲーム、サイワールド(Cyworld)などのソーシャル・ネットワーキング・サービス(Social Network Service, SNS)やオーマイニュース(OhmyNews)などの市民参加型インターネット新聞サイトなど多様なサービスを展開している。部分的には、IPマスカレードが法律で禁止されているため、ルーターをあまり使用せず、IPアドレスが不足するといった問題もある。これは電話会社との料金設定上の契約によるものである。全世界のスパム発信元ランキングではワースト6位であり[148]、全体としてのセキュリティ対策は十分とは言い難い現状である(日本は33位)が、セキュリティに対する関心は高まっている[149]。また、韓国国内ではネット上のマナーや倫理問題から、韓国内サイトでの発言は、匿名性を廃止し、個人名や国民番号を記載させる傾向にある。

無線通信技術の分野では、CDMA技術など米国の会社に対する基本技術への特許使用料が増加しており、新規技術開発が急がれていた。こうした中、韓国電子通信研究院 (ETRI)が 2007年に「WiMAX」規格の派生規格である「WiBro」の開発に成功し、「モバイルWiMAX wave1」規格はWiBroに準拠して策定された。しかし世界的に導入が進み事実上の国際標準になっているのは「モバイルWiMAX wave2」規格であり、期待通りの成果を収めたとはいえない。

農業[編集]

第二次世界大戦以降、韓国の農業技術は向上した。韓国の農業関係者の努力と、日本の農業技術の導入などが要因である。禹長春の業績が知られている。

医療・生命科学[編集]

再生医療は世界的に将来有望な市場とみなされており、近年、韓国でも再生医学などの医療・生命科学技術(バイオテクノロジー)を振興している。2004年から2005年にかけてのソウル大学の黄禹錫教授のヒト胚性幹細胞(ES細胞)に関する一連の世界初の成果により、韓国は再生医学分野における世界の先頭走者に躍り出ると見られていた。しかし、実験に用いる卵子採取に際して倫理的な問題が浮上し、黄禹錫教授が米科学雑誌Scienceで発表した、世界初の「ヒトクローン胚からのES細胞作製に関する論文」についての捏造疑惑が浮上した。捜査と再検証によりイヌクローンの論文以外の一連の世界初の成果は全て捏造だということが判明した。これにより黄禹錫はソウル大学を免職処分になり、さらには詐欺と横領罪により起訴されるに至っている(事件の詳細は黄禹錫の項を参照)。

経済自由地域[編集]

韓国政府は、2003年8月に「経済自由地域の指定運営法」に基づいて、仁川の永宗島、松島、青羅地区を経済自由区域に指定し、同年10月24日には釜山及び鎮海光陽湾一帯に対しても同様の指定を行い、仁川・釜山及び鎮海・光陽湾による「3特区体制」を整備した。政府はこの3地域を「北東アジアのハブ(中心国家)構想(仁川は国際空港を中心とした金融・物流・国際業務センターとしての役割を担い、釜山及び鎮海(東南地域担当)と光陽湾(西南地域担当)は中国上海と競争する港湾物流・工業団地として育成する)」の拠点に据えるとの計画を発表した。

また、2006年からは、外国企業誘致の為、経済自由区域内では英語を公用化する必要性があるとして、公文書を英語で受付け、処理されるようになり、公文書や看板等には英語が併記される様になった。

他にも、外国企業誘致策の一環として、2006年3月より、松島地区において韓国では初めての公的教育機関としての外国人学校(対象は、韓国に住む外国人、仁川経済自由地域に進出する外国企業で働く外国人の子弟)となる松島国際学校の建設が進められ、完成すれば、幼稚園から高校までの13年課程の学校となる(永宗島と青羅地区にも、同様の外国人学区が建設される予定)。

交通[編集]

最高350km/hのKTX-山川

道路[編集]

鉄道[編集]

空運[編集]

国民[編集]

朝鮮は古代より、「陳勝などの蜂起、天下の叛秦、の民が数万口で、朝鮮に逃避した。(『魏志東夷伝』)」「辰韓馬韓の東において、その耆老の伝世では、古くの亡人がを避ける時、馬韓がその東界の地を彼らに割いたと自言していた。(『魏志東夷伝』)」という様に、国を割いてまで秦の亡民の建国を許しているように多様な経路からの異民族の移住が多く、また、朝鮮半島中・西北部は楽浪郡真番郡臨屯郡玄菟郡植民地漢四郡が置かれ、植民地だった時期に漢族が移住して土着化し、東北部は高句麗人渤海人女真人ツングース民族の流入が相次ぎ、また、高麗時代前時期にかけて異民族が23万8000人余りも帰化したが[150]李氏朝鮮時代から日本統治時代にかけて住民の均質化が進み、ほとんどが朝鮮民族となっている。

大韓民国は分断国家朝鮮の片方である朝鮮民主主義人民共和国と同様に、単一民族国家意識が強いのが特徴的である。

自殺率が年々増加し続けており、10万人あたり31人という自殺率(2010年調べ)は、OECD加盟国中、トップである。また、社会保障の政府支出が対GDP比で7.7%と少なく、OECD加盟国中、最下位である。

民族構成[編集]

民族構成は、そのほとんどが朝鮮民族である。日本同様、晩婚化や少子化が問題となっており2000年代以降の合計特殊出生率は世界最低レベルである[151]。このため若年人口が減少傾向であり、2020年頃に総人口と労働力人口の減少が始まり、世界一急速に高齢化社会が進行し、2050年頃には高齢化率が日本に追いつき世界最高水準になることが予測されている[152][153]。他にはごく少数ながら中国系住民(華僑華人)も存在する。韓国に永住権をもつ外国人の大半は華人であるが、華人に対して排外的な風土と諸施策が影響し、過去数十万人いたが現在では数万人以下に減少している。

韓国統計庁「婚姻・離婚統計」によると、2005年度の全結婚件数の13・6%が国際結婚で、特に花嫁不足の地方では35・9%が国際結婚であり[154]、2020年までに200万人の混血児の誕生を見積もっている[155]

近年、在韓外国人が急増しており、その数は126万5006人に達し[156]、外国人の占める割合は2%を超え日本を上回る。急速に、かつての単一民族国家から日本以上の移民社会へと変貌を遂げつつある。大半は中国人、特に中国朝鮮族が占めているが、国際結婚の急増から東南アジアも非常に多い。また、カレイスキー(高麗人)との関係から旧ソ連を構成していた中央アジア諸国出身者も20,265人と多いのが特徴である[157]

言語[編集]

公用語ソウル方言をもとにした朝鮮語(「韓国語」)であり、文字は主にハングルを用いる。「韓国語」とは主に外国向けの表現であり、韓国民は「国語」(ウリマル)と呼ぶことが多い。最近ではハングルのみで読み書きするための教育を受けた世代が多くなり、古文書を扱う公務員や教育関係者など一部を除き、漢字を読むことができない国民が多い。最近は再び、学校での漢字教育も重視すべきとされているが、全般的に漢字表記は少ない。2002年のW杯前後より、東亜漢字文化圏からの観光客への便宜及び同地域の国際交流推進を目的に、交通施設の標識などに漢字が増えてきている。

宗教[編集]

大韓民国の宗教性 (ピュー研究所)[158]
宗教名 割合
無宗教
  
46%
仏教
  
23%
プロテスタント
  
18%
カトリック
  
11%
民間信仰
  
1%
その他
  
1%

2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割がクリスチャンであり[159]、約2割が仏教徒である。韓国の宗教人口はほぼ半数で、残りのほぼ半数は無宗教者ながら祖先崇拝法事は熱心に行う。

CIAによる『ザ・ワールド・ファクトブック』に記された2010年の調査では、大韓民国国民の内31.6%がキリスト教徒であり、キリスト教徒の内の24%がプロテスタント、7.6%がローマ・カトリック大韓民国のカトリック)となっており、仏教徒が24.2%と続き、不明若しくはその他が0.9%、無宗教が43.3%となっている[160]韓国のキリスト教は信者の絶対数でフィリピンに続き、アジア第二のキリスト教国家である[161]

古来中国の影響から仏教が重要な宗教であり、日本と同様に、伝統信仰である巫俗朝鮮半島シャーマニズム)と仏教の習合もなされている。

クリスチャンの多くはプロテスタントであり、特に長老派メソジスト派が多く、この教派は1910年日韓合併の時から朝鮮半島内部で1919年三・一運動の参加、神社参拝強要への拒否など朝鮮独立運動を続けてきた。初代大韓民国大統領李承晩もメソジスト牧師出身であった。プロテスタント信者の増加にはアメリカからの宣教師の影響も強かったが、朝鮮戦争後のキリスト教の急速な普及の背景には、日本と同様に高度経済成長期(「漢江の奇跡」)に多くの人口が農村部から都市部へと移動し、故郷を離れ孤独な人々が宗教組織に入ったという事実もあると言われる[誰によって?]

日本統治時代1930年代以来、キリスト教系の新宗教も数多く存在し、一部の教派(統一協会等)は社会問題となっている。

儒教と人間関係[編集]

大韓民国社会における人間関係上の慣習は急速に変容しているが、儒教の影響で宗族秩序などの影響は未だ色濃く残っている。上下関係に厳しく、現在でも目上の人の前での喫煙や、許可を得ないままの飲酒は礼儀違反とされている。親戚同士の結束は強く、6親等以内の親戚は助け合うべきだとされる。これをユックチョン(六寸)というが、現実に親戚づきあいは非常に多く、初対面の親戚でも就職進学時の世話をすることは普通である。

教育[編集]

日本同様の6-3-3-4制の学校制度を持つ。日本以上の学歴社会であり大学受験は熾烈を極め、予備校などのための教育費負担が大きいことも問題となっている[162]。大学進学率は極めて高く子弟が塾へ通う割合も極めて高く、公式統計によると、2012年の大学進学率(大学入学者数/高校卒業者数)は71.3%である[163]。初代大統領の李承晩が、プリンストン大学で博士号を取った人物ということもあって、アメリカの一流大学で博士号を取得する学生が尊ばれた。政府高官や大学教授などの高い地位が約束されていて、1970年代後半までは、新聞に顔写真と経歴が掲載される程だった。また、企業や奨学財団も、アメリカ留学を積極的に推し勧めた。そのため、厳しい受験競争を勝ち抜いたトップクラスの学生は、アメリカ留学へと向かった。1980年代以降は、博士号取得者が増加し、その数は1998年までで3万人に達するといわれている。今では単にアメリカで博士号を取得した程度では、大学教員として迎え入れられることはなくなっているという。こうした人材が経済発展の礎となった。米国際教育研究所によると、2010~11年学期にアメリカの大学に在籍した韓国の留学生数は、中国15万7千人、インド10万3千人、に次いで第3位、7万3千人である[164]

公式統計によると、一般大学の就職率は2010年51.9%、2011年54.5%、2012年56.2%である(就職率の分母は卒業者数から進学者や兵役に就いた者、外国人を除く)[165]

一方で、英語教育への過度の熱心さゆえに、TOEFL受験受付ページへのログインのために連続クリックツールなどを使いそれが原因でサーバーに多大なる負担を与える事件が起き、その結果TOEFLは世界で唯一韓国だけは除外されている[166]時期があった。また、政権の維持・愛国心醸成・自民族観向上などを目的として、これらに沿った形でいわゆる反日教育と指摘されている教育が実施されている。

社会[編集]

地域対立と不平等[編集]

人口の85%は都市部に住んでいる。特に首都のソウル特別市には全人口の2割に当たる約1000万人が住んでいる。また一般に首都圏として扱われるソウル、仁川、京畿道の合計人口は全人口の半分近くにのぼり、非常に強い人口の一極集中がみられる。人々の方言や、価値観や意識は地域間の差が大きく、現在でも地域対立は強く選挙などへの影響も強い。これは伝統的なものとされる。

軍事政権時代は朴正煕大統領の出身地である慶尚北道大邱市慶州周辺に多額の予算が投入される一方、光州市など全羅道は、予算配分でも就職など社会においても、様々な差別があったことも、地域対立の原因である。大邱地域と慶尚道の出身者はTKとよばれ社会のあるゆる面で優遇された。嶺南圏(ヨンナムコン)といわれる慶尚道と、湖南圏(ホナムコン)といわれる全羅道の、東西での対立感情は今でも強い[167]。ただし、この地域対立がいつから発生したのかについては諸説あり、実際には詳細がわかっていない。

日本の職業価値観とは相違があり、特にブルーカラーの職業は冷ややかな目で見られているという指摘も日本の一部メディアにある[167]。この価値観のため、韓国の自営業は長くは続かないことが特徴とされる。また歌手や俳優などは、もともと貴族に仕えるための職業で、ホステスや水商売に近いイメージがあり、親戚に歌手がいる場合、恥ずべきこととして隠すことが多かった。しかし現在では、そのような価値観も大幅に変化している。韓国の経済成長期は、大量の人口が農村部から都市部へ移り、女性も工場労働者として、長時間労働により経済発展を支えたが、女性が働くことも身分が低いこととみなす差別感が根強い。最近では高学歴女性など積極的に働く人も多いが、女性の社会進出は遅れぎみであり伝統的な性別役割意識も強い。

中国東北部(主に朝鮮族)や東南アジア中央アジアなどからの外国人労働者が最近は増え、仁川広域市などには中華街もある。また、2006年の地方選挙では外国人参政権が認められた。

民族主義と対日観[編集]

朝鮮半島の歴代王朝は長期間に渡って中国大陸の歴代王朝に服属・朝貢しており、例えば新羅北斉北朝)・南朝)・朝貢し、高麗契丹)・女真)・に朝貢、に服属し、李氏朝鮮は明・に朝貢していた(日清戦争まで)。これらの歴代王朝の多くは中国歴代王朝による冊封を受け(朝鮮半島を中国とみなす記述を参照)、「礼教、音楽、法律、制度、衣冠(身分秩序)、文物(文化の産物)、ことごとく中国の制度に従い[168]」と記述されたように中華文化に対して卑屈なまでに尊ぶ事大主義と、自らは中国文明(大中華)に次ぐ「小中華」であり周辺国である日本や琉球満洲などの夷狄より文化的に優越するという「小中華思想」が形成されていた。しかし現実(李氏朝鮮時代)には極端な朱子学の影響もあり、実用的な商工業や産業は軽視され文化的にも停滞しており、「武」を忌避する文化から軍事的にも退廃し、結果として文禄・慶長の役で日本に攻められ、その300年後には、近代化に失敗し日本に統治される結果を招いた[169]

大韓民国建国後、1961年5・16軍事クーデターの後に第5代大統領となった朴正煕は、この朝鮮民族の属国史の原因を自分達の民族性によるものと考え[170]、「民族の中興の使命を達成するための主体的民族史観」に基づいた「国籍ある教育」を掲げて、愛国心教育や民族教育を徹底するようになった。この徹底した自民族優越主義的な愛国民族教育が伝統的な小中華思想や原理主義的な儒教と結びつくことで、韓国社会の間で自国を「歴史的な文化先進国」、日本を「歴史的に未開で野蛮な文化的劣等者」とする価値観がますます根付くようになった。

これは、学校教育や大手新聞やテレビや書籍で、「日本は韓国の優れた文化を受け入れるだけの文化劣等国」「有史以来一枚見下げるべき文化的劣等者」「韓半島に比べてみすぼらしくて短い歴史しか持たず、歴史を捏造するしかない日本」というような対日蔑視に基づいた誤った論評が日常的に行われたり[171][172][173][174]、日本列島を指す「島国」という言葉が「劣等で未開」という意味で使われて、駐日韓国大使がテレビのインタビューで使うまでになっていることからも伺える[175]。また、マスコミによって「チョッパリ」「ウェノム」「イルボンノムドル」などの日本人を指す侮蔑語が使用され[176][177]、「古代に韓民族の中の質の悪い犯罪者を「おぼれ死ね」と丸太に縛って海に流して島にたどり着いたのが国際的なならず者の低質日本民族の正体だ」[178]、「『日本猿』と『チョッパリ』、どちらが日本人の呼び名に相応しいか?」[179]、「『倭人』という言葉がある。とても小さくてみすぼらしいという意味の倭だ。人間の度量が小さくて狭い場合に私たちは『小さい奴』という言葉を使う。日本はそのような種族だ。」「『日本猿』という呼称がある。陰湿で凶悪で他人の真似はうまい人に、よく『猿のような奴』と非難する。日本はその猿のように卑怯な種族だ。」[180]、などといった論評まで行われていることからも伺える。また韓国社会では日本人を「文化的に劣等な『猿』」とみなすことが常態化しており、奇誠庸などの有名スポーツ選手や地方公共団体が公の場で日本人を「猿」として侮辱することがある[181][182][183]

そして、このような対日蔑視に基づいた「文化的劣等者の日本人に韓国が併合された」という認識が韓国国民の反日感情の大きな要因になっている[184][185]。こうした自民族優越主義的な価値観と対日蔑視に基づいて、偉業を成した日本の著名人を根拠なく勝手に在日コリアンやコリアン系の同胞だと主張する在日認定韓国起源説(他国文化の剽窃)は、インターネットを介して日本や中国にも知られるようになっている。

また、一部の韓国人は「歴史的に先進的な韓国とその従属国の日本」という認識を第三国にも広めようと熱心に活動しており、例えばカリフォルニア州在住の在米韓国人達が、「韓国が日本に東アジア思想と文物を伝えた。」「韓国の陶工が日本に渡って日本の文化形成に寄与した。」などの新たな記述をカリフォルニア州で使用される歴史教科書に反映させるための法案を通過させようと、カリフォルニア州議会議員達に対してロビー活動を行っている[89]

現代の日本社会や文化に対しては、ある程度の羨望と親しみを感じながらも、上記のような理由でスポーツイベントなどで民族差別と結びついた愛国心を表出させ反日行動を起こすことがある。第1回WBCでは、韓国のマスコミ各社がイチローの「韓国侮辱30年発言」を捏造したため大規模なイチローバッシングがおき、LGツインズ公認のイチロー射殺Tシャツが発売されるに至った[186]フィギュアスケートでは、韓国SBSが「国際大会で日本人選手が組織的にキム・ヨナの練習を妨害している」と事実無根の報道をしたため、日本人選手バッシングがおきYouTubeで日本人選手を非難する各種動画が投稿され100万件以上の閲覧がされるに至った。AFCアジアカップ2011の日本対韓国戦においては、キ・ソンヨンがゴール後に、韓国社会で日本人を「文化的劣等者」として言及する時に多用される蔑称である「猿」を真似たパフォーマンスを行った[187]。当初は、試合前から用意していた日本人に向けたパフォーマンスだとキ自身が認めていたが、問題が大きくなると日本応援席に掲げられた旭日旗を見たことを理由に(実際には旭日旗は存在していない)、次いで「欧州での自身に対するアジア人差別に抗議するため」と前言を翻した[188]。 近年では司法が韓国国民の反日感情を『道徳的社会秩序』として、通常の法理より優先する判例が多発しており、韓国の新たなカントリーリスク (詳細はコリアリスクも参照) と認識されている[189]

一方、韓国社会における非正規雇用の増加や物価急騰、過酷な受験戦争と男女差別等により、世論調査で、韓国人全体の1/4と、20代女性の半数が「韓国に生まれ変わりたくない」と否定的な回答をしたり[190]高麗大学の学生の51%が「韓国が嫌い」と回答した調査もあり[191]、近年の韓国人の愛国心は低下しているという調査結果もあるが、上記のような対日蔑視に変化はないのが現状である。

治安[編集]

韓国の治安は国際的には良いほうとされるが、殺人・強姦・強盗などの凶悪犯罪を含む犯罪発生率は日本と比べると大幅に高い[192]。犯罪割合は日本の3倍以上、殺人は2.4倍、強姦わいせつ事件は5.8倍という統計データがある。聯合ニュースは2009年7月31日付けで韓国での殺人、強盗、強姦、窃盗、暴力の5大犯罪の発生件数がここ5年間で20%近く増加していることを伝えている[192]。韓国警察研究学会の資料によると、殺人、強盗、強姦の三大凶悪犯罪の発生件数は、2001年に14896件、2010年には27482件となっており、10年間でほぼ倍増している。また、消防防災庁の発表によると、2008年に韓国内で発生した放火事件は4420件である[193]

韓国の警察庁の発表によると、2007年から2011年の5年間で発生した性犯罪事件は81760件で、その半数以上は強姦事件である。2011年の強姦事件は19598件であり、10万人当たりの発生率は日本の約40倍である[要検証 ]2008年には、再発を防止するために、性犯罪前歴者に電子足輪の装着が義務付けられたが、足輪をつけたまま暴行する再犯者が後を絶たない[194]。韓国女性の半数が性犯罪に遭遇している(2012年調査)ことから男性から女性への性犯罪が日常茶飯事であるとされている[195]

特に未成年者による性犯罪が多く、低年齢化も進んでいる[196]。強姦事件は日本の10倍、アメリカの2倍(人口10万人当たり)となっており、2003年から2008年にかけて42.9%増加するなど減少傾向にあるアメリカや日本と対比的である[196][192]

また、未成年者による強姦の50.7%は輪姦である[196]。アメリカ国務省は、韓国の犯罪発生率は低いが、強姦事案が報告されており、性犯罪に巻き込まれないよう夜間の一人旅は慎重にすべしと旅行者に呼びかけており、韓国の大都市ではアメリカの大都市と同程度の安全対策をすることが望ましいとしている[197]。また、同様の警告は、イギリス外務省よりも発せられている[198]

韓国法務部の資料によると、2008年に、詐欺205140件、横領26750件、背任5135件も起きている。また、2007年に、偽証罪で1544人、誣告罪(日本では虚偽告訴罪)で2171人が起訴されている。

2010年現在、韓国女性10万人以上が海外で売春を行っているが、その半数に当たる5万人が日本で売春をしており、韓国内で募集された高校生を含む未成年者までもが売春目的で渡航するなど深刻な問題となっている[199][200]。また、韓国国外で収監されている韓国人犯罪者の43.2%が日本で収監されている[201]。しかし2008年3月31日にソウル市城北区下月谷洞のアパート工事現場前で売春に従事する女性と売買事業主ら300人余りが片道2車線の道路を占拠して本地域での営業権を求めデモ活動を行うなどアングラな産業として売春が黙認されているのも事実である。また『ハント全国連合』と呼称する性売買事業主達による連合団体が存在し売春を禁止する法律自体の変更、撤回を求め活動していることから国際的な世論とは裏腹に売春業に従事する者は権利や保障を求め活発である。

2012年6月15日付の朝鮮日報の記事によると、2007年に女性家族部が実施した実態調査の結果、韓国の風俗産業の経済規模は約14兆952億ウォン(当時の為替レートで約9,622億円)と試算されており、これは同年の国家予算239兆ウォン(約16兆円)の約6%に相当する額である[202]。また同調査によると、韓国全土で46,247カ所の風俗店が営業しており、これらの店で働く女性は269,707人に達し、客となる男性は年間延べ9,395万人、1人の成人男性が1年に5回近く風俗店を利用している事となる。一般的に売買春行為が密かに行われている点を考慮すると、実際の数はこれよりも遥かに多いと考えることも出来、男性の権利擁護を目指す男性連帯は2011年12月に韓国国内の風俗店で働く女性の数を189万人(韓国女性人口の約7.5%)と推定され、同団体の関係者により「自発的に売春を行う女性が、現実として非常に多いことも問題だ」と指摘された事が同記事にて報道された。

韓国籍と国際結婚[編集]

優れた人材の確保などを目的として国籍法を改正し、成人の二重国籍を条件付きで容認している。嘗ては韓国人と日本人の間に生まれた子どもは、22歳までは韓日の二重国籍として取り扱われ、22歳の時点で何れかの国籍を選択しなければならず、日本国内に居住している二重国籍保有者の大半は、日本国籍となる例が殆どであった。約58万人いる在日韓国・朝鮮人の結婚相手は、最近9割程度が日本人であり、その間に生まれる子どもは毎年5千人前後に上る。韓国大使館によると、韓国の改正国籍法は1997年5月に一部施行され、韓国と他国との二重国籍になった者は22歳までに、韓国内で外国籍を行使しないと誓約すれば、外国籍を放棄せずに韓国籍を維持できるようになった。既に韓国籍を失った元二重国籍者も、2012年5月までに申請すれば外国籍を持ったまま韓国籍を再取得できる。日本の国籍法では二重国籍を認めておらず、法務省は「韓国籍を維持、再取得すれば日本国籍を失う可能性がある」(民事1課)と指摘する[203]1998年6月13日以前に生まれた者は父が韓国人である場合のみ大韓民国の国籍が付与される[204]

文化[編集]

伽耶琴の演奏家

チョゴリないし韓服、キムチ朝鮮人参に代表される韓食、オンドルに代表される住居などに伝統文化が息づいている。韓国の伝統社会では地理的な関係から中華文明の影響が大きかった。

近年、大統領直属の大韓民国国家ブランド委員会の指導の下、官民を上げて様々な組織が韓国のイメージや「国格」を高めるため、韓食の世界化などの対外文化広報を行っており、伝統文化やハイカルチャーの広報を韓国文化院が担い、大衆文化については韓国コンテンツ振興院(KOCCA)が民間企業のコンテンツ制作と輸出と宣伝に多額の国費を投入して強力に後援している。韓国の2008年度の文化振興予算は1169億で日本の1018億円より多く国家予算比では日本の7倍であり海外への宣伝と輸出に極めて積極的である[205]。また韓国政府が後援する民間団体のVANKなども積極的な宣伝活動を行っている。

文学[編集]

映画[編集]

大衆文化[編集]

韓国は自国の地上波テレビで日本のドラマ・映画、日本語の歌が放映されることは、かつて法律で禁止ないし強く制限されており[206]1998年から日本の大衆文化を順次受け入れ始め、2004年にはケーブルテレビなど有料放送においてのみ、年齢制限付きで日本のドラマ放映は解禁され、また最近は日本のドラマのリメイクや日本の小説・漫画を原作としてドラマの製作も行われてはいるが、地上波テレビ放送においては現在も日本のドラマ・映画、日本語の歌の放映は放送局側が「国民情緒に配慮し」録画放送だけに限ってきた。2010年9月10日にはSKE48が「2010ソウルドラマアワード」の授賞式に出演し、日本語で歌う姿が韓国の地上波で初めて生放送された[207]

韓国政府が韓国コンテンツ振興院(KOCCA)を設立して、国家戦略として映画・放送映像(テレビドラマ)・K-POPゲームアニメマンファキャラクターなどの大衆文化の振興を図っている。対外世論工作や様々な韓国製品の輸出の尖兵としての役割も果たすため、韓国政府が国策として民間企業のコンテンツの制作と輸出を強力に後援している。映画やテレビドラマの制作やK-POPシンガーの育成やコンサートの開催にも国費が投入され、コンテンツ制作企業に制作費の10%の輸出実績があれば、韓国政府が金融機関に貸し出し保証書を発行しており、これにより韓国のコンテンツ制作企業は金融機関から積極的に融資を受けることができるようになっており、韓国のコンテンツ制作企業から輸出相手国企業に補助金が支払われるまでになっている[208]。韓国ドラマの放映権を購入した台湾のある企業は、買い付け金額より多い補助金を韓国側から受け取っている[208]。またJapan ExpoやKorean Connectionなどの国際イベントでも韓国政府の各機関が文化の輸出と宣伝を行っており、ここで韓国起源説を交えながら韓国文化を宣伝することで日本人と摩擦を引き起こしている[209][205]。日本においても2010年から韓国のポップソンググループをK-POPなどと称して頻繁に取り上げた。

また、韓国の文化産業の保護育成を目的とした、国内映画の上映割合を義務付ける排他的なスクリーンクウォーター(割当)制を実施している。スクリーンクウォーターとは別にアニメや歌謡曲に対する商業規制もあり、これは「国民感情に配慮」を名目としているが、事実上の国内文化産業の保護育成策にもなっている(文化の日韓関係を参照)。また国・地方自治体レベルでアニメーション産業を育成するなどしている。

インターネットにおける大衆文化[編集]

韓国では、多くの人が映画や音楽やゲームなどの様々な大衆文化をネット経由で楽しんでおり、韓国の大衆文化とインターネットは密接な関係にある。街中にPC房(PCバン、インターネットカフェ)が至る所にあり、ブロードバンドを手軽に利用することができ、インターネットテレビのストリーミング放送やミュージックビデオの無料閲覧が早くから実現するなど、特色あるインターネット文化を構築している。2000年には世界で逸早くブロードバンド利用者が1千万人を突破し、2002年の日韓ワールドカップの頃には盛んに「インターネット強国」を自称し海外に宣伝していた。韓国ではインターネットが現実世界に与える影響力が大きく、盧武鉉の大統領選挙当選や2008年韓国蝋燭デモにおいても大きな影響力を発揮している。

大衆文化における日韓関係[編集]

韓国での日本大衆文化の流入制限

詳しくは韓国での日本大衆文化の流入制限を参照

韓国政府による日本の大衆文化に対する規制と段階的撤廃

詳しくは韓国における日本大衆文化の開放を参照。

韓国政府は、長い間「国民感情を害する」との名目により、日本の大衆文化が韓国に流入することを禁止してきた(倭色を参照)。このような中、一部の韓国国民は、日本の地上波放送の電波が届く釜山や日本海側沿岸部で日本のテレビ放送を鑑賞する、規制の対象外の日本の輸入書籍を購読する、治外法権のある在韓日本大使館公報文化院を利用する、台湾からの輸入CDや海賊版を購入するなど、規制をかいくぐって限定的ながら日本の大衆文化に接してきた。

韓国政府が日本の大衆文化を段階的に開放したのは1990年代後半の金大中政権からであり、1998年の第1次日本大衆文化開放では、漫画販売の全面開放と、世界4大映画祭(アカデミー賞世界3大映画祭)受賞映画と日韓合作映画に限っての映画館上映のみ開放された。翌年の1999年の第2次開放では、年齢制限のない実写版映画の映画館上映と、2000席以下での室内での日本語歌謡公演(コンサート等)に限って追加開放された。

開放が大幅に進んだのは2000年の第3次開放からであり、日本語歌謡公演の全面開放、日本語歌唱のない日本の音盤(CD等)販売、PC・オンライン・店舗用ゲーム機(家庭用の据え置きと携帯ゲーム機以外)の販売・稼働、「青少年観覧不可」以外の実写版映画の映画館上映、国際映画祭を受賞したアニメ映画の映画館上映、スポーツ・報道・ドキュメンタリー・韓国で映画館上映された映画の有料放送(ケーブルテレビ衛星放送)が追加開放された。これを受けて、韓国デジタル衛星放送・スカイライフや多くのケーブルテレビ局が、韓国の総代理店(スバルコリア)を通じて日本放送協会(NHK) に使用料を支払いNHKワールドプレミアムの再送信を行うようになった。ただし地上波放送では依然として厳しい規制が続いた。日本語歌謡公演では、2000年8月にCHAGE & ASKAが韓国女性団体の招聘を受けて蚕室体操競技場で日本人アーティスト初となる大規模公演を2日間開催した。

2002年には日韓ワールドカップ=サッカーワールドカップが韓国と日本により共同開催され、日韓国民交流年として850件を超える交流行事が行われた。これを機に日韓間の文化的交流が爆発的に広まった。草彅剛は、チョナン・カンという名前で韓国で活躍するようになり、2009年に草彅が引き起こした公然わいせつ事件も韓国メディアで報道された。

そして2004年の第4次開放ではさらに開放が進み、実写版映画の映画館上映、音盤(CD等)販売、ゲーム販売が全面開放された。ビデオでは韓国の映画館で上映されたものに限っての販売・レンタルが開放された。有料放送(ケーブルテレビ・衛星放送)では、生活情報、教養、日本語歌唱、韓国で映画館上映された映画の放送が全面開放され(アニメ映画のみ2006年から)、ドラマについては「12歳以上視聴可」と日韓合作ドラマの放送に限って開放された。日本語公演についても第4次開放以降安室奈美恵L'Arc〜en〜CielMISIAV6X JAPAN堂本光一Perfume安全地帯などが単独公演を行ってきた。また、各種イベントに日本人アーティストが出演する機会もある。

一方、地上波放送での日本文化開放は、「国民への多大な影響」を名目に強い規制があり、日韓合作以外のドラマ(日本の一般ドラマ)、日本人歌手の公演中継と日本人歌手の韓国国内放送出演以外の日本語歌謡の放送は規制されたままである。また、韓国で映画館上映されていないビデオの販売・レンタル、連続アニメ番組と娯楽型番組(コメディ・バラエティ・トークショー等)の放送に関しては、有料放送と地上波放送の両方でいまだに規制されたままである。地上波放送の日本語歌謡の規制については、前述の通り公演中継や韓国国内放送への出演であれば第4次開放で開放されていたが、放送局の自主規制により長らく歌唱の一部を切り取った録画放送にとどめていた。しかし、2010年9月10日に、事前に放送通信審議委員会を通した上で、SKE48が「2010ソウルドラマアワード」授賞式で「強き者よ」「青空片想い」を日本語でフルコーラス歌う姿が初めて韓国の地上波テレビで生中継された[210]

韓国国民は、このような韓国政府による日本の大衆文化の規制の段階的撤廃以外にも、2000年前半から韓国内でインターネットが普及したことにより、直に日本の大衆文化に触れられるようになった。また著作権を侵害して日本のアニメなどがインターネットにアップロードされることにより、規制をかいくぐって日本の大衆文化に触れられるようになっている。

韓国社会における日本に対する表現の自主規制

親日的な言論や大衆文化上の表現に対する法的な規制はないが、日常的に行われる扇情的な韓国国内の反日教育と反日報道により韓国国民の反日感情は強く、親日的な発言をした(と見なされる)人物は、韓国社会から凄まじい弾圧を受ける傾向にあり、様々なメディアで親日的な表現の事実上の自主規制が行われている。親日的というだけでなく言語表現にも自主規制がなされることもある。例えば2014年K-POPガールズグループCRAYON POPの新曲の歌詞に日本語的な表現があるとして、テレビ局であるKBSから放送不適合と判定された。新曲「オイ」の中で「ピカポンチョク」とう表現の中に日本語の「ピカピカ」の「ピカ」が入ったことが理由であると当該局は説明している[211]。このような「自主規制」を行わなかった『親日派のための弁明』を書いた金完燮は、国中から猛烈な非難を浴びた上に、名誉毀損と外患煽動の容疑で逮捕・告訴され、『殴り殺される覚悟で書いた親日宣言』の著者趙英男は番組降板・公開謝罪に追い込まれている。

一方、南北和解の進展に伴い、共産主義的な書籍の発行、共産主義的な言論を規制の対象としてきた「国家保安法」の改正が論議されているが、まだ同法は実行力をもっており、自主規制のみならず、親北朝鮮的な言論や大衆文化上の表現に対してはさまざまな明文化された規制がある。

韓国による日本の大衆文化の盗作と知的所有権の侵害

韓国では、長年、日本の文化が禁止されていたことを逆手にとって、韓国のドラマ、アニメ、音楽、漫画、ゲーム製作者などが、日本の作品を盗作するケースがかなり多く見られ、日本の歌を盗作していたアイドル・グループが、盗作していることを暴露されて自殺に追い込まれるという事件もあった。盗作は日本の菓子などの食品類に至っているケースもあり、日本のテレビ局が韓国にある食品の盗作元に取材した所「たまたま似てしまっただけ」と答えている[212]。これらの盗作に対する韓国司法による司法判断では国際的な基準とかけ離れた日本側に不利な判決が続出し、ありとあらゆる分野で日本の知的所有権が侵害される事態が発生している[213]。その反面で、日本の出版社が韓流スターの肖像権を侵して提訴されるなどの日本からの知的所有権侵害という珍しい現象も起きている[214]

韓国には大衆文化に限らず『日本で成功したものは必ず韓国でも成功する』という神話ジンクス)があり[215]、特に大衆文化の分野において、実に様々な日本の事物が直輸入され盗作ともいえる『韓国風』への改装を経て韓国市場に放たれてきた。金大中政権によって「日本文化開放」が提案された折には、支持の理由として「実現されれば韓国の根深い日本剽窃問題がなくなるから好ましい」との意見を表明する韓国人も多かった[216]

日本における韓国の大衆文化

一方日本においては、韓国が日本の大衆文化を開放し、日韓ワールドカップが開催されたことから、マスコミが韓国を取り上げることが激増した。2003年から2004年にNHKが韓国TVドラマ『冬のソナタ』を地上波放送したことをきっかけに、2004年から2005年にかけて民放テレビ局や女性週刊誌でも頻繁に韓国の芸能情報を報道するようになり、中高年女性を中心として「韓流ブーム」が起きた。しかし、韓国映画の殆どは赤字を記録し[217]2006年以降にブームは急速に失速、2007年に日本で公開された韓国映画112本のうち99本が赤字であり、韓国映画の輸出額は2005年の3分の1に落ち込んだ[218]。音楽面では東方神起BoAが成功し、東京ドームでの講演や紅白歌合戦への参加も行った。2010年以降は日本のテレビメディアがK-POPグループとしてKARA少女時代等の韓国のアイドルグループを頻繁に取り上げたが、韓国の反日の実態を隠し「韓国賞賛」を繰り返したと見なされたメディアへの不審も相まって、2011年のフジテレビ騒動フジテレビ抗議デモなどの嫌韓世論が沸き起こった。そして、韓国が次々に送り出すK-POPアイドルの粗製乱造による飽きや、李明博の竹島上陸による日本人の対韓国感情の悪化により、2012年頃から急速に韓流とK-POPの人気が低下した[219]

韓国起源説への注目

また日韓間の人的・経済的交流が広がることによって、歴史や伝統を媒介とした文化交流も始まっているが、近年、特にインターネット上において日韓間で相違のある歴史認識や伝統文化の取り扱いが問題となっている。たとえば、日韓ワールドカップを境に、韓国や日本のウェブサイト等を介して、韓国側のマスコミ報道や歴史教育や対日世論が日本側に紹介される事例が増えたが、ここで韓国起源説が注目され物議をかもしている。この問題は現実世界にも波及し、2005年には韓国起源説を大きく取り扱った『マンガ嫌韓流』が日本で出版されベストセラーとなり、韓国でも各種マスコミに報じられた。また韓国起源説の一つの「コムド起源問題」では全日本剣道連盟[220]及び、全日本剣道連盟配下の国際剣道連盟[221]のウェブページで剽窃問題として正式に取り上げられるまでに至った。また朝鮮通信使再現パレードや四天王寺ワッソなどの文化交流事業が韓国側に都合の良い歴史観を押し付けるものであり、韓国起源説を助長させるのではないかという異議が唱えられている[222]

世界遺産[編集]

韓国国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が10件、自然遺産が1件存在する。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 新正 신정 「新暦(太陽暦)の元日」という意味
12月30日 (旧暦)
1月1日 (旧暦)
1月2日 (旧暦)
旧正月ソルラル 구정(설날) 旧正月、こちらの方が韓国で言う正月
3月1日 三一節 삼일절 三・一独立運動が起こった日(1919年
5月5日 子供の日 어린이 날 日本のこどもの日と同じ日
4月8日 (旧暦) 釈迦誕生日 석가탄신일 日本の「花まつり」に相当
6月6日 顕忠日 현충일 殉国者に敬意を払う日
8月15日 光復節 광복절 日本統治からの解放を祝う日
8月14日 (旧暦)
8月15日 (旧暦)
8月16日 (旧暦)
秋夕(チュソク) 추석 韓国のお盆
10月3日 開天節 개천절 開国記念日(檀君説話に基づく)
10月9日 ハングルの日 한글날 1446年に世宗がハングルを発明し公布したことを記念する日
12月25日 聖誕節 성탄절 クリスマス
  • 休日が集中していた10月初旬の「国軍の日국군의 날)」(10月1日)と「ハングルの日한글날)」(10月9日)は、休日の多さが経済発展に悪影響を及ぼす懸念から1991年より公休日でなくなった。しかし、ハングルの日は2013年より公休日に再指定された。
  • 植木日식목일)」(4月5日)は2006年より公休日でなくなった。
  • 「三一節」「制憲節」「光復節」「開天節」「ハングルの日」の5つを「国慶日(국경일)」と呼ぶ。「ハングルの日」は2006年より国慶日となった。
  • 制憲節제헌절)」(7月17日)は2008年より公休日でなくなった。

スポーツ[編集]

野球サッカーバスケットボールが盛ん。野球においては、1982年に韓国野球委員会が発足しプロ野球がスタート。サッカーにおいては、1983年にプロリーグであるKリーグが開幕し、バスケットボールにおいては、1996年に韓国バスケットボールリーグ(KBL)が開幕した。特に野球とサッカーは国民的スポーツの地位を得ていて、国内のビッグゲームや国際大会での国民の熱狂振りは有名である。また国際大会での対戦相手が日本ともなれば、その熱狂振りの度合いは更に増す。一方で審判に賄賂を渡したりラフプレーの多さ、対戦国への差別的な侮辱など道徳的な問題もよく指摘される[223]

サッカー[編集]

サッカー大韓民国代表は、アジアの中では最多となる8回のFIFAワールドカップへの出場を果たしている。2002年には日本との共同開催という形で、第17回ワールドカップ開催を実現させている。この大会においては様々な疑惑の判定があったものの[224]、代表チームはオランダ人監督のフース・ヒディンクの下、イタリアスペインといった強豪国を破り、過去最高となる4位の成績を収めた。サポーターは「プルグン・アンマ(붉은 악마:赤い悪魔)」と呼ばれ、「テーハンミング(대한민국:大韓民国)」や「オー、ピルスンコリア(오 필승 코리아:オー、必勝コリア) 」といった熱狂的なコールが日本でも注目された。

韓国のサッカーはアジアで高い地位にあったにも関わらず、国内リーグであるKリーグは、かつては企業色の強いクラブが中心のリーグ構成で、運営面や興行面ではヨーロッパの各国リーグと比べると見劣りしていたが、90年代後半以降はクラブの拡張や移転の政策もあって市民クラブなども増え、運営面や興行面もかなり改善されてきている。それに加えて、先述の日韓共同開催のサッカーワールドカップに向けての機運の高まりもあり、韓国のサッカー人気にさらに拍車をかけた。一方で2011年には、現役選手数名が逮捕されるという八百長事件が発生した。

日本のJリーグにおいては、かつてはサンフレッチェ広島などに在籍した盧廷潤を初めとして、洪明甫安貞桓らが活躍していた。現在でも多くの韓国出身選手が在籍している。また京都サンガF.C.でキャリアをスタートさせた朴智星は、2011-12年シーズンまでイングランドプレミアリーグマンチェスター・ユナイテッドFCに所属しプレーした。(2012-13年シーズンからは、クイーンズ・パーク・レンジャーズFCに所属)

野球[編集]

野球大韓民国代表は、2000年のシドニーオリンピックで初のメダルとなる銅メダルを獲得し、2004年のアテネオリンピックへの出場は逃したものの、野球が正式競技種目として最後の大会となった2008年の北京オリンピックでは念願の金メダルを獲得した。

またWBCにおいては、2006年の第1回大会では準決勝で日本に敗れ、2009年の第2回大会では決勝まで進んだが、接戦の末またも日本に敗れ準優勝となった。

国内リーグであるKBOは、90年代後半のアジア通貨危機や、先述の日韓共同開催のサッカーワールドカップに向けての機運が高まっていた影響を受けて低迷を続けていたが、李承燁のホームラン記録への関心の高まりや、WBCや北京オリンピックで好成績を収めたこともあって、再び人気を取り戻しつつある。

日本のプロ野球においては、中日ドラゴンズで抑えとして活躍した宣銅烈千葉ロッテマリーンズ読売ジャイアンツオリックス・バファローズと日本の3球団を渡り歩き活躍した李承燁など、日本でプレーする韓国出身のプロ野球選手はここ数年で徐々に増えてきている。

格闘技[編集]

2000年シドニーオリンピックから正式競技種目として採用されているテコンドー国技とされる。また日本の相撲によく似たシルムという格闘技も存在する。

ウィンタースポーツ[編集]

最近はウィンタースポーツでも顕著な成績を上げている。中でも2010年バンクーバーオリンピックにおいては、金妍兒が女子フィギュアスケートで韓国史上初の金メダルを獲得している。またスピードスケートでも、牟太釩を筆頭に金メダル3個・銀メダル2個の快挙を成し遂げた。

通信とメディア[編集]

1961年から1987年までは、軍事政権による言論統制が続き、新聞業界の再編などが行われた。放送局民放2局が公営の韓国放送公社 (KBS) に統合され、残った民放の韓国文化放送 (MBC) も65%の株式をKBSが保有した。

1987年民主化宣言以降は言論の自由が一応は保障され、新聞社が増大した。しかし政府が報道内容に干渉することも多く、本格的な言論の自由1998年以降である。最近もKBSとMBCは、日本の日本放送協会 (NHK) 以上に政府の影響力が強く、テレビ報道の内容は政府寄りである。民放のSBSもあり、ケーブルテレビ局の放送も増えている。

日本との間に起こる歴史期認識問題や領土問題などの報道では、日本側の主張を「歪曲」「捏造」「妄言」等と主観的な言葉で断じた上で報道することが多い[225][226]。一般的に愛国心を鼓舞するような報道が頻繁になされ、スポーツイベントなどでも顕著である[227]

インターネット[編集]

報道規制[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ R.L. Forstall, R.P. Greene, and J.B. Pick, Which are the largest? Why lists of major urban areas vary so greatly, Tijdschrift voor economische en sociale geografie 100, 277 (2009), Table 4
  2. ^ 任文桓「日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想」(ISBN978-4-7942-1837-7)
  3. ^ 日本においては、大韓民国の建国当初は南朝鮮・南鮮などの呼称が一般的であったが、日韓国交樹立後は主に朝鮮半島における大韓民国の正統性を認めない(北朝鮮を正統とする、または南北とも正統と認めない)立場から「南朝鮮」の呼称が用いられた。21世紀前半の日本においては、韓国に対し批判的・否定的なインターネットユーザーの間で用いられることが多い。
  4. ^ 「李氏朝鮮」は韓国では単に「朝鮮」といい、衛氏朝鮮箕氏朝鮮は「古朝鮮(コジョソン)」という。「李氏朝鮮」「李朝」という表現は日帝時代の使用され始めた歴史用語だと忌避される傾向がある。
  5. ^ 「高麗人参」は土産物用、輸出用に限られ、韓国内では「人参」という。野菜のニンジンは「タングン」(唐根)という
  6. ^ 「朝鮮」と同様の統一王朝の「高麗」「新羅」も伝統的語感があり団体名に使用されることがある((例)高麗大学、ソウル新羅ホテル)。
  7. ^ 田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、4頁。
  8. ^ 田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、5-7頁。
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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