オセアニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
オセアニア
An orthographic projection of geopolitical Oceania.
オセアニア
面積 8,525,989 km2 (3,291,903 sq mi)
人口 36,659,000 (2010, 6th)
人口密度 4.19 /km2 (10.9 /sq mi)
住民の呼称 Oceanian
国数
保護領
言語
標準時 UTC+14 (キリバス)からUTC-11 (アメリカ領サモア & ニウエ) (最西端から最東端)
最大都市
オーストラリアの旗 シドニー
オーストラリアの旗 メルボルン
オーストラリアの旗 ブリスベーン
オーストラリアの旗 パース
ニュージーランドの旗 オークランド
オーストラリアの旗 アデレード
ニュージーランドの旗 ウェリントン
アメリカ合衆国の旗 ホノルル
オーストラリアの旗 キャンベラ
ニュージーランドの旗 クライストチャーチ
パプアニューギニアの旗 ポートモレスビー
フランスの旗 ヌーメア
テンプレートを表示

オセアニア(Oceania)は、六大州の一つ。大洋州とも言う。もっとも広く解釈すると太平洋上の陸地のすべてを指して使われる[脚注 1]。すなわち、日本フィリピンインドネシアおよび、ハワイ州ガラパゴス諸島イースター島アリューシャン列島も含まれる。しかし一般的ではない。狭義には、ニュージーランドを含むポリネシアニューギニアを含むメラネシア、そしてミクロネシア全体を指す。六大州中最小の州であり、その小さな陸地面積のうちオーストラリア大陸が86%を占め、さらに島々の中で最も大きなニューギニア島とニュージーランドを含めると98%にもなる[1]。残りは、太平洋の中に点在する小さな島々であり、それがオセアニア(大洋の州)との州名の由来にもなった。これらの諸島は陸地面積こそ小さいものの、マレー・ポリネシア系民族が独特の航海術によって隅々まで植民しており、独自の海洋文明を築いていた。ここでは広義のオセアニアを扱う。オセアニアの人口は約3567万人である。

名称[編集]

これらの3地域の名称は、ヨーロッパ人探検家たちによる命名が始まりである。1756年、フランス人探検家シャルル・ブロス(Charles Brosses)「多くの島々」を意味するギリシャ語の「ポリネシア[脚注 2]」を太平洋全島々の総称として用いたのがはじまりである[脚注 3]。その後、同じくフランスの探検家デュモン=デュルヴィユ(J-S-C Dumont D'Urville)がオセアニア島嶼部を3地区に分けることを考えだし、1831年にパリの地理学会で公表した。現在は、この案を基本的に踏襲している。「メラネシア[脚注 4]」はギリシャ語で「黒い島々」を意味し、「ミクロネシア[脚注 5]」はギリシャ語で「小さな島々」を意味することから名づけられた[脚注 6]

ミクロネシアの位置

歴史[編集]

オセアニアの位置

先史時代[編集]

今から約5~6万年前から3万5000年前、東南アジア方面から現在のオーストラリアニューギニアの内陸部や沿岸部へ住み始めたのはオーストラロ・メラネシア系(オーストラロイド)の人々であったといわれている。これらの人々は、このオセアニアに移住する前は、東南アジアの島々や東アジア大陸に居住し、狩猟採集しながら暮らしていた。

ところで、約5~3万年前は、更新世最終氷期の時代であり、地球規模で気温がさがり、海面も現在の海面よりも最大で150メートルも下がり、島々は大陸とつながっていた。たとえば、ボルネオ島やジャワ島などはアジア大陸(スンダ陸棚)とオーストラリアやニューギニアは陸続き(サフル大陸)であった。しかし、この両者(スンダ陸棚とサフル大陸)はこの時代も海によって隔てられており、多くの島々が存在した。ウォーラシア海域と呼ばれ、最短でも直線で100キロメートルほど離れていた。

人々は海を渡り、各島へ移住していったのは約3万5000年前のことといわれる。これらのことを示す証拠として有袋類のクスクス黒曜石が多数出土している。しかし、ソロモン諸島より東への移住はこの時代でなく、はるか後の約3300年前にまで下がってくる[脚注 7]

やはりオーストロネシア語系の言語を持つモンゴロイド系のラピタ人と呼ばれている。彼らはパプアニューギニアのビスマーク諸島から東南方向に島伝いで移動しフィジーにたどり着いた。そこから南西方向(ヴァヌアツとニューカレドニア)と南東方向(トンガとサモア)の二方向に分かれて遠くまで移動を続けた。こうしてトンガやサモアにたどりつたラピタ人は、そこで1000年ほど留まり今のポリネシア文化の祖形を作り上げた。そして、ポリネシア人へと変容した。およそ2000年前に移動を再開し、1600年前ごろにはハワイ諸島やイースター島まで到達していた。さらに、彼らポリネシア人は、800年前にはニュージーランドにたどり着いている[脚注 8]

ヨーロッパとの接触[編集]

初めてこの地域に白人が訪れたのは、大航海時代さなかの16世紀初頭のことである。1521年にはフェルディナンド・マゼランがヨーロッパ人として初めて太平洋を横断した。1565年にはマニラ・ガレオンアカプルコマニラの間を往復するようになり、またアベル・タスマンによってニュージーランドとタスマニアが発見されるなど徐々に地理的知識は蓄積されていったが、領土進出という点ではスペインがマリアナ諸島カロリン諸島を領有した程度で、それほど積極的に進出してはいなかった。また、地理的にもいまだ発見されていない島が多数存在していた。太平洋における地理的「発見」の最後を飾ったのはジェームズ・クックである。彼の1768年からの三回の探検によって、オセアニアの地理はほぼ完全に明らかとなった。

ヨーロッパ人による植民が本格的にはじまったのは、1788年1月26日にイギリスからの最初の植民船団(ファースト・フリート)がオーストラリア大陸南東部のシドニー湾に到達してからのことである。これ以降オーストラリアには続々と移民が送り込まれ、先住のアボリジニを駆逐しながら植民地化が進められていった。19世紀初頭にはニュージーランドもヨーロッパ人が多く進出するようになり、1840年にはワイタンギ条約が締結されてニュージーランドもイギリス領となった。19世紀後半には太平洋諸島も分割が進み、19世紀末にはすべての島々が植民地化された。

1851年にオーストラリア南東部でが発見されるとゴールドラッシュが起き、オーストラリアの人口は急増した。1901年にはオーストラリア大陸にあった諸植民地が合同し、オーストラリア連邦が誕生した[2]

第2次世界大戦[編集]

ミクロネシアやメラネシアが太平洋戦争大東亜戦争)の時、主戦場の一つであった。日本がアメリカとオーストラリアの共同作戦を阻止するために、ポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)と当時イギリス領であったフィジー・サモア、同フランス領ニューカレドニアを攻略する作戦(FS作戦)を計画した。

国々の誕生(現代)[編集]

第二次世界大戦後の植民地独立の波を受け、オセアニアにおいても1962年の西サモア(現サモア)の独立を皮切りに、1968年にはナウルが、1970年にはトンガとフィジーが、1975年にはパプアニューギニアが、1978年にはソロモン諸島とツバルが、1979年にはキリバスが、1980年にはバヌアツがそれぞれ独立した[3]。いっぽうで、フランス領ポリネシアやニューカレドニアのようにフランスの海外県にとどまるところや、ハワイのように本国の一州として加入するもの、またマーシャル諸島やミクロネシア連邦、パラオ、クック諸島、ニウエのように自由連合の形をとり、独立はするものの軍権や外交権は旧宗主国が統括する国々も現れた。こうした国々は地形的、言語的、文化的、民族的に多様性に富み、国家の誕生に大変苦しんでいる [脚注 9][脚注 10]

オセアニア諸国[編集]

オセアニア全体の面積は約850万km²である

独立国[編集]

記号 国名 首都 面積 人口
AU オーストラリアの旗 オーストラリア連邦 キャンベラ 768万6850 km² 2129万3000 人[4]
CK クック諸島の旗 クック諸島
ニュージーランドと自由連合
アバルア 237 km² 2万1008 人[5]
FJ フィジーの旗 フィジー共和国 スバ 1万8270 km² 84万9000 人[4]
FM ミクロネシア連邦の旗 ミクロネシア連邦 パリキール 702 km² 10万8155 人[6]
KI キリバスの旗 キリバス共和国 タラワ 811 km² 10万0798 人[6]
MH マーシャル諸島の旗 マーシャル諸島共和国 マジュロ 326 km² 6万1963 人[7]
NR ナウルの旗 ナウル共和国 ヤレン地区(中心街) 21 km² 1万0131 人[8]
NU ニウエの旗 ニウエ
   ニュージーランドと自由連合
アロフィ 260 km² 2156 人[6]
NZ ニュージーランドの旗 ニュージーランド ウェリントン 26万8680 km² 426万6000 人[7]
PG パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア独立国 ポートモレスビー 46万2840 km² 673万2000 人[4]
PW パラオの旗 パラオ共和国 マルキョク 458 km² 2万0303 人[7]
SB ソロモン諸島の旗 ソロモン諸島 ホニアラ 2万8450 km² 52万3000 人[4]
TO トンガの旗 トンガ王国 ヌクアロファ 748 km² 10万4000 人[4]
TV ツバルの旗 ツバル フナフティ 26 km² 9652 人[8]
VU バヌアツの旗 バヌアツ共和国 ポートビラ 1万2200 km² 24万0000 人[4]
WS サモアの旗 サモア独立国 アピア 2944 km² 17万9000 人[4]

主な各国領[編集]

記号 領名 首府 面積 人口
AS アメリカ領サモアの旗 米領サモア        
   アメリカ準州
パゴパゴ             199 km²       7万0260 人[5]
CC ココス諸島の旗 ココス (キーリング) 諸島
   オーストラリア領
ウェスト島(中心街) 14 km² 628 人[6]
CX Flag of Christmas Island.svg クリスマス島
   オーストラリア領
フライングフィッシュ
コーブ
143 km² 1493 人[8]
GU グアムの旗 グアム
   アメリカ準州
ハガニア 549 km² 16万3941 人[5]
ID 西パプアの旗 パプア州西パプア州
   インドネシア州
ジャヤプラ 420,540 km² 359万4236 人[9]
MP 北マリアナ諸島の旗 北マリアナ諸島
   アメリカ自治領
ススペ 477 km² 8万0006 人[5]
NC ニューカレドニアの旗 ニューカレドニア
   フランス領
ヌーメア 1万9000 km² 21万9246 人[8]
NF ノーフォーク島の旗 ノーフォーク島
   オーストラリア領
キングストン 35 km² 1841 人[6]
PF フランス領ポリネシアの旗 仏領ポリネシア
   フランス海外領邦
パペーテ 4167 km² 24万5405 人[6]
PN ピトケアン諸島の旗 ピトケアン諸島
   イギリス領
アダムスタウン 47 km² 48 人[5]
TK トケラウの旗 トケラウ諸島
   ニュージーランド領
アタフ島(中心街) 10 km² 1450 人[6]
US ハワイ州の旗 ハワイ州
   アメリカ合衆国州
ホノルル 1万6635 km² 125万7608 人[5]
WF Flag of Wallis and Futuna.svg ウォリス=フツナ
   フランス領
マタウトゥ 274 km² 1万5734 人[5]
UM Flag of Wake Island.svg ウェーク島
   アメリカ領有
7 km² 約75 人[10]
UM Flag of Johnston Atoll (local).svg ジョンストン環礁
   アメリカ領有
3 km² 無人[11]
UM Flag of the Midway Islands (local).svg ミッドウェー環礁
   アメリカ領有
6 km² 約40 人[10]
km²未満は四捨五入

政治[編集]

オセアニア諸国の政治・経済状況は、オーストラリアおよびニュージーランドとその他島嶼国群とに大きく二分される。オーストラリアとニュージーランドは19世紀に入って植民したイギリス系の住民が多数を占め、政治的には入植初期から民主主義が発達し、経済的にも先進国の一員となっている極めて安定した豊かな国家である。これに対し、島嶼国群は1970年代以降に独立した新興国が多く、人口も少なく面積も少ないうえ可住地が広い範囲に点在している国家が多いため、経済開発がうまく進んでいない国家が多い。

政治的には面積・人口・経済力で他を圧倒しているオーストラリアがこの地域のリーダー格であり、ニュージーランドもイギリスから引き継いだ属領諸島をいくつか島嶼部に持ち、影響力を持っている。島嶼諸国のリーダー格は人口・経済力的にフィジーが務めることが多かったが、1980年代以降フィジー人インド人との対立によってクーデターが多発するようになり、政治的影響力を減退させた。

この地域の地域協力機関として最も古いものは、1947年にイギリス、アメリカ、フランス、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドの6ヶ国が設立した南太平洋委員会である。メンバーはこの地域に植民地を持つ宗主国によって占められ、のちに独立した域内諸国が加盟したものの、どちらかといえば旧宗主国主導の色合いが濃い国際機関だった。これに対し、独立した小島嶼国が主体として1971年に設立された国際機関が南太平洋フォーラムである。のちに、2000年に南太平洋フォーラムは太平洋諸島フォーラムに、南太平洋委員会は1998年太平洋共同体にそれぞれ改組された。また、1985年に南太平洋フォーラムの加盟8か国によって南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)が締結され[12]、2009年には13か国がこの条約に加盟している。

言語[編集]

本来この地域で話されていた言語は、オーストロネシア語族パプア諸語オーストラリア諸語の3つの言語群に属する言語のみである。その名の通りオーストラリア諸語はオーストラリア大陸のアボリジニが使用していた言語であり、パプア諸語はニューギニア島にて使用されていた諸言語の総称である。この2つの言語群内部において系統性は立証されておらず、そのため語族ではなく諸言語の集合という扱いとなっている。これに対し、オーストロネシア語族は東南アジアから太平洋の諸島群に進出したメラネシア人やポリネシア人の言語であり、系統性は明確に立証されている。その後、19世紀にオーストラリアとニュージーランドに進出したイギリス人が両国で増加したため、話者数的には現代ではインド・ヨーロッパ語族に属する話者が圧倒的に多い。この語族の言語のうち最も多く話されるものは英語であるが、他に同じく19世紀にイギリスによってフィジーに移民したインド人も、ヒンディー語を母体としたフィジー・ヒンディー語を話す。オーストラリア諸語の話者は英国系住民に圧倒されて話者数が非常に減少し、絶滅が危惧されている言語も多い。これに対し、パプア諸語はニューギニア島で、オーストロネシア語族は太平洋諸島において、いまだ多数派を占めている。

海面上昇[編集]

地球温暖化に伴う海面上昇は、海抜の低い小島嶼国家の存立に深刻な影響を与える。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル、Intergovermental Panel on Climate Change)の報告書はミクロネシアのマーシャル諸島共和国について、環礁の約8割が海面下になる可能性を警告している[脚注 11]

地域機構[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典』 ティビーエス・ブリタニカ 出版、3巻、398ページ
  2. ^ ギリシャ語「ポリ」(poly、多くの)と「ネソス」(nesos、島々)(棚橋訓「解説 アセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 178ページ)
  3. ^ 棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 178ページ
  4. ^ 地域の先住民の肌が比較的黒いことに由来し、「メロス」(Melos、黒い)と「ネソス」から命名された。(棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 180ページ)
  5. ^ 「ミクロス」(micros、小さい)と「ネソス」から命名された(棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 180ページ)。
  6. ^ 棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 178ページ
  7. ^ 小野林太郎「島じまの発見者」/吉岡政徳・石森大和編著『南太平洋を知るための58章 メラネシア ポリネシア』明石書房 2010年 50-52ページ
  8. ^ 棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 180-181ページ
  9. ^ 江戸淳子「ミニ国家の誕生」/吉岡政徳・石森大和編著『南太平洋を知るための58章 メラネシア ポリネシア』明石書房 2010年 64-67ページ
  10. ^ 高橋康唱「独立国家への道」/印東道子『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 184-187ページ
  11. ^ 柄木田康之「海面上昇と島嶼国家の危機」/ 印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 209-210ページ
  1. ^ 「オセアニアを知る事典」平凡社 p65 1990年8月21日初版第1刷
  2. ^ 「地球を旅する地理の本 6 北アメリカ・オーストラリア」p189 大月書店 1993年11月29日第1刷発行
  3. ^ 「地球を旅する地理の本 7 中南アメリカ」p210 大月書店 1993年11月29日第1刷発行
  4. ^ a b c d e f g 2008年
  5. ^ a b c d e f g 2003年
  6. ^ a b c d e f g 2004年
  7. ^ a b c 2005年
  8. ^ a b c d 2006年
  9. ^ 2010年
  10. ^ a b 通年平均
  11. ^ CIA World Factbook
  12. ^ 「地図で読む世界情勢 第2部 これから世界はどうなるか」p27 ジャン-クリストフ・ヴィクトル、ヴィルジニー・レッソン、フランク テタール 鳥取絹子訳 草思社 2007年8月23日第1刷

関連項目[編集]