ウイリアム・ウォラストン
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ウィリアム・ハイド・ウォラストン | |
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人物情報 | |
生誕 | 1766年8月6日 イギリス ノーフォーク |
死没 | 1828年12月22日(満62歳没) |
学問 | |
研究分野 | 化学、物理学、天文学 |
主な受賞歴 | コプリ・メダル(1802年) |
プロジェクト:人物伝 |
ウィリアム・ハイド・ウォラストン(William Hyde Wollaston、1766年8月6日- 1828年12月22日)は、イギリスの化学者、物理学者、天文学者である。1803年にロジウム、パラジウムを発見した。他に、1802年太陽光のスペクトルのなかに、太陽の元素により吸収されてできる暗線(フラウンホーファー線)のあることを見出した。プラチナの精製法も開発した。
ノーフォークのイーストドレアムに聖職者の息子として生まれた。イギリスのケンブリッジで薬学をまなび、一時開業医となるが、1800年からは開発したプラチナの精製法による器具の販売の収入で、科学の研究に専念した。
プラチナの鉱石を酸で処理し、不純物を除去した後、粉末冶金法に似た方法で展性のあるプラチナ金属を精製した。プラチナ鉱石からパラジウムとロジウムを分離した。パラジウムは、1802年に発見された小惑星パラスから命名された。ロジウムはロジウムのつくる塩がばら(ローズ)色であることから命名された。
1809年、タンタルとニオブを同じ元素と見なし、統合したが、後に誤りと判明した。
太陽スペクトルの研究、木星の観測などの天文学的活動のほか、光学装置ではカメラ・ルシダを発明し、ウォラストン・プリズムにも名前を残している。晩年は電気モータの研究も行っている。
1793年から王立協会の会員となり、1820年には会長に選ばれた[1]。
生前には地質学との関わりはほとんどなかったが、遺言によって優れた業績をあげた地質学者を顕彰する「ウォラストン・メダル」を創設させている。
出典[編集]
- ^ “Wollaston; William Hyde (1766 - 1828)” (英語). Library and Archive catalogue. The Royal Society. 2011年12月11日閲覧。