長野智子

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ながの ともこ
長野 智子
プロフィール
本名 伊藤 智子
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニュージャージー州
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1962年12月24日(52歳)
血液型 O型
最終学歴 上智大学卒業
所属事務所 古舘プロジェクト
職歴 フジテレビアナウンサー
活動期間 1985年 -
ジャンル 報道、バラエティー(過去)
配偶者 あり
公式サイト 古舘プロジェクト
出演番組・活動
現在 報道ステーション SUNDAY
報道ステーション
ザ・スクープSP
過去 オレたちひょうきん族
朝まで生テレビ!
報道発 ドキュメンタリ宣言

長野 智子(ながの ともこ、1962年12月24日 - )は、日本報道キャスターフリーアナウンサー、元フジテレビアナウンサー。本名、伊藤 智子(いとう ともこ) 旧姓、長野。

所属事務所は古舘プロジェクトで、2014年1月からはハフィントン・ポスト日本版の編集主幹も務める[1]。身長166cm。二人姉妹の長女。

来歴・人物[編集]

アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれ。ただし、物心ついてから後述の渡米までは、2回程度旅行での渡米経験があるのみだった[2]:18。日本への帰国後には、私立田園調布雙葉中学校・高等学校を経て、上智大学外国語学部英語学科卒業。このほか、ユタ州に3ヶ月のホームステイ経験がある[2]:16

上智大学への在学中に、文化放送の『ミスDJリクエストパレード月曜日のパーソナリティーを担当(1982年12月 - 1983年6月)。当時朝日放送の人気番組だった『プロポーズ大作戦』の「フィーリングカップル5vs5」に、「ミスDJチーム」の一員として出演した経歴もある(相手男性陣とはカップルにはならず)。

1985年、フジテレビに入社。同期アナウンサーは三宅正治軽部真一松田朋恵永麻理小田多恵子(新人研修中に本人の希望により一般職転向)。入社後は数々の人気番組に出演。1990年、28歳の時に商社マンと結婚し退社。夫婦の間に子はいない。その後、フリーアナウンサーとなる。1995年、夫のアメリカ赴任に伴い渡米。1999年ニューヨーク大学大学院(メディアエコロジー専攻)修士課程を修了。

帰国後、2000年4月から鳥越俊太郎と共にテレビ朝日系不定期番組『ザ・スクープ』のキャスターを担当。TBSラジオなど他局も出演していたものの、2004年以後テレ朝専属扱いで、同局系の報道番組に数多く出演している。2014年1月には、朝日新聞社の提携によって運営するハフィントン・ポスト日本版の編集主幹に就任した[1]。同理由や他曜日担当だった蓮舫の降板により、同3月、TBSラジオBATTLE TALK RADIO アクセスを降板。蓮舫同様、降板の挨拶なしの翌週から後任担当者への突然の交代に当時さまざまな憶測を呼んだ(番組でも翌週以降、長野についての言及はなかったため。番組への電話とメールで長野の他、当時同時期に降板した蓮舫に対する心配の問い合わせが殺到したそうだが、1通も紹介しなかった。蓮舫も降板挨拶なしに降板し、番組で長野への言及はなかった)。結果的に同年以降テレビ朝日専属契約としたため、そのための降板だったとされる。

先祖には戦国時代の武将長野業正がおり、曾祖父は、日米修好通商条約の批准書交換の派遣船(米国軍艦「ポーハタン号」)で渡米し、明治維新後は新政府に勤めた長野桂次郎(立石斧次郎)である[3]

出演[編集]

太字は現在出演中の番組。

テレビ番組[編集]

ラジオ[編集]

著書[編集]

  • 運命を感じる瞬間(1994年、扶桑社
  • デリシャスな結婚(1995年、世界文化社
  • 普段着のニューヨーク(1997年、扶桑社)
  • 可笑しなアメリカ・不思議なニホン ― NYのメディアを通して見えてきた新しい世界感覚(2001年、青春出版社
  • ニュースの現場から(2002年、NTT出版
  • 麻薬の運び屋にされて(2003年、扶桑社) - メルボルン事件を描いたノンフィクション

レコード[編集]

  • 「気分は、はじけるピーチ」(1986年)
    • 『FNNモーニングコール』の初代テーマソングで、当時の同僚アナウンサー・川端健嗣アナとのデュエット曲。
    • 既に廃盤になっており、リリース枚数も非常に少なかったために現在では入手困難。
    • 東海テレビでは、同局ローカル版の司会者(アナウンサー・タレント)が歌ったバージョンがオンエアされていた(非売品)。

脚注[編集]

  1. ^ a b 長野智子さん、ハフポスト日本版編集主幹に - 朝日新聞デジタル(2014年1月20日)
  2. ^ a b 『普段着のニューヨーク』1997年
  3. ^ さむらいビール - 長野智子ブログ(2008年11月17日)。ブログ中「桂二郎」とあるのは誤記とみられる(参考リンク[1][2])。

外部リンク[編集]