スロベニア
- スロベニア共和国
(スロヴェニア共和国) - Republika Slovenija
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(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:祝杯
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公用語 スロベニア語 首都 リュブリャナ 最大の都市 リュブリャナ 通貨 ユーロ (€) (EUR) [2][3] 時間帯 UTC +1(DST:なし) ISO 3166-1 SI / SVN ccTLD .si 国際電話番号 386
スロベニア共和国(スロベニアきょうわこく、スロベニア語: Slovenija: [sloˈveːnija])、通称スロベニア、スロヴェニアは、中央ヨーロッパに位置する国で[1] 、主要なヨーロッパの文化や交易の交差路である。[2][3]
目次
概要[編集]
スロベニアは西はイタリア、北はオーストリア、南や南東はクロアチア、北東でハンガリーとそれぞれ国境を接している。[4]国土面積は20,273km2 (7,827 sq mi)で、人口は205万人を擁する。[5]議会制共和国で、欧州連合や北大西洋条約機構の加盟国である。[6]スロベニアではアルプス山脈とディナル・アルプス山脈、地中海のアドリア海に沿った少ない海岸部分のヨーロッパの4つの大きな地理的な部分が接している。[7][8] スロベニアの国土はモザイク状の構造で多様性に富んだ景観や[8]、生物多様性があり[9][10]、この多様性は自然の特質と長期の人間の存在による。[11]主に丘陵地の気候[7]であるが、スロベニアの国土は大陸性気候の影響を受け、プリモルスカ地方は亜地中海性気候に恵まれており、スロベニア北西部では高山気候が見られる。[12] スロベニアはヨーロッパの国の中でも水が豊かな国の一つで[13]、密度が高い河川や豊かな帯水層、かなりのカルスト地形(クラス地方はカルストの語源)の地下水流がある。[14]スロベニアの国土の半分以上は森林に覆われている。[15] スロベニアの集落は分散しており、一様ではない。[16]
スラヴ語派やゲルマン語派、ロマンス諸語、フィン・ウゴル語派などの言語や文化のグループはスロベニアで接し領域は均質でないが[17][18][19] 、人口数ではスロベニア人が優勢である。[20]スロベニア語はスロベニアの唯一の公用語であるが、イタリア語やハンガリー語などは地域の少数言語となっている。スロベニアの大部分は宗教と分離しているが[21]、文化やアイデンティティの面ではカトリック教会やルーテル教会の大きな影響を受けている。[22] スロベニアの経済は小規模で、輸出志向型工業化の経済[23] でありその後の国際的な経済情勢に大きく影響を受けている。[24]スロベニアの経済は2000年代後半に始まった欧州経済危機により厳しい痛手を負っている。[25] 経済の主要な分野は第三次産業で、工業や建設がそれに続く。[26]
多くのスロベニア人がスポーツ界で成功しており、特にウィンタースポーツ、ウォータースポーツ、登山、耐久性が要求されるエンデュランススポーツで顕著である。[27]
歴史的に現在のスロベニアの領域は多くの異なった国により支配されており、その中にはローマ帝国や神聖ローマ帝国、それに続くオーストリア=ハンガリー帝国が含まれる。1918年、スロベニアは国際的には認められていないものの自己決定を行使し他民族と共同でスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国を樹立し、後に1つとなりユーゴスラビアとなった。第二次世界大戦中、スロベニアはナチス・ドイツやイタリア王国、クロアチア独立国、ハンガリー王国に占領や併合されていた。[28]戦後は新たに樹立したユーゴスラビア社会主義連邦共和国の共和国の一つとなった。1991年6月に複数政党制の間接民主制を導入し、スロベニアはユーゴスラビアから独立した国となった。[29]2004年にはNATOとEUに加盟し、2007年には元共産主義国としては最初にユーロ圏に加わり、2010年にはOECDに加盟している。[30]
国名[編集]
正式な国号はスロベニア語で Republika Slovenija (レプブリカ・スロヴェニヤ)。通称は Slovenija 。公式の英語表記は Republic of Slovenia 。通称 Slovenia 。スロヴェニア共和国政府による日本語の公式表記は「スロヴェニア共和国」。ただし日本の外務省による日本語の公式表記は、「スロベニア共和国」。通称「スロベニア」。
語源については諸説ある。一つに、「スラヴ」(Slav)と同源であるとする説がある。「スラヴ」は古スラブ語で「栄光」や「名声」を意味する sláva に由来している。一方、「言葉」や「会話」を意味する slovo に由来するとの説もある。9世紀頃のスラブ民族は、自らを「スロヴェーネ」(slověne:同じ言葉を話す=意思疎通が出来る人々)と呼んでいたとされる[31]。現代英語でスロベニア人に対する総称(デモニム)は Slovenian と Slovene であるが、後者は上述の slověne に由来する。
歴史[編集]
中世・近世[編集]
6世紀ごろに南スラヴ人が定着する。7世紀には初の南スラヴ系のカランタン人による国家であるカランタニア公国が成立する。カランタニアはその後、バイエルン人、ついでフランク王国の支配下にはいる。 この地域はその後もフランクの遺領として扱われ、14世紀以降、東フランク王国、すなわち後の神聖ローマ帝国に編入された。そのために、同様に神聖ローマ帝国領となった現在のチェコともども西方文化とカトリック教会の影響を強く受け、他の南スラヴ人地域と異なった歴史的性格をスロヴェニアにもたらすことになる。
15世紀にはハプスブルク家(オーストリア公国)の所領となり、以降オーストリア大公国、オーストリア帝国そして1867年にオーストリア=ハンガリー帝国領となった。
19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトのフランス帝国による支配を受ける。リュブリャナはフランス第一帝政イリュリア州の首都だった。フランス統治下ではイリュリア州が設置され、スロベニア語が州の公用語のひとつとなった。1809年から1813年の間、リュブリャナはフランス第一帝政イリュリア州の首都だった。これは、スロベニア語が公的地位を得た初めてのことであり、文語としてのスロベニア語の発展は勢いづいた。ナポレオンが去ると、ウィーン会議で締結された議定書によって再びオーストリア領となった。
近代[編集]
その後1918年に第一次世界大戦が終了しオーストリア=ハンガリー帝国が解体されると、セルビア王国の主張する「南スラヴ人連合王国構想」に参加。セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に加わった。この際スロヴェニアの一部地域ではオーストリアとの経済的・文化的な結びつきが強かったため、住民投票が行われ、オーストリアに帰属するか、スロヴェニア(セルビア・クロアチア・スロベニア王国)に帰属するかを住民投票で決めた地域が存在する。この王国は、1929年にユーゴスラビア王国に改称した。
1941年にユーゴスラビアに枢軸国が侵入すると、スロヴェニアはナチス・ドイツの占領下に置かれた。西に接するイタリア王国はスロヴェニア沿岸地方を自国の領土と考えていたため、ベニート・ムッソリーニ指揮下のイタリア軍によって首都リュブリャナを占領され、北東の一部の地域はハンガリーが占領、更にクロアチア独立国が成立するとイタリア占領地域のうち南東部がクロアチア統治下となり、スロベニア人の住む地域は都合4つの勢力(実質的には3勢力)によって分断された。占領に反対した右派ナショナリストたちはロンドンに逃れたユーゴスラビア王国亡命政府を支持したが、後に枢軸陣営に加わった。他方、共産主義者たちはヨシップ・ブロズ・ティトーのパルチザンに加わり、ドイツ軍などと戦った。
パルチザンはスロヴェニアを含むユーゴスラビア全土を武力でドイツ軍から解放した。大戦前はイタリア領とされていたイストリア半島(イストラ半島)はユーゴスラビア領となり、スロヴェニアはコペル周辺で海岸線を手に入れることとなった。また、スロベニア人が多く住むオーストリアのケルンテン州の一部も求めたが、この要求は認められなかった。
社会主義時代[編集]
1945年、社会主義体制となったユーゴスラビアに復帰し、ユーゴスラビアの構成国スロベニア人民共和国となる。ユーゴスラビアでは戦後一貫して政治・経済の分権化が進められていた。社会主義のユーゴスラビアは、ソビエト連邦の影響下に置かれた東側諸国とは異なる独自の路線をとっていた。政治の分権化と自主管理社会主義はその典型例であり、政治においては連邦から共和国、そして自治体へと権限が移管され、経済でも末端の職場に大きな権限が与えられていた。そのためそれぞれの地域では、その地域性を生かした独自の経済政策を採ることが可能であった。また、ユーゴスラビアがソビエト連邦と距離をおき、西側諸国との友好関係を維持していたこともスロヴェニアには有利に働いた。中央の意向に縛られることなく、西側諸国に隣接する先進的工業地帯というスロヴェニアの利点を最大限に発揮できたため、スロヴェニア経済は大きく発展し、1980年代になると他のユーゴスラビア内の諸地域に大きく差をつけるようになっていた。
政治に関しては、ユーゴスラビアでは比較的言論の自由が認められており、またその地方分権政策によってスロヴェニアをはじめ各共和国は大きな裁量を手にしていた。スロヴェニアでは、更なる独自の権限を求める声、連邦からの独立を求める声は次第に高まっていった。1980年代にユーゴスラビアが経済苦境に陥ると、スロヴェニアではその原因が連邦にあると考えた。連邦は通貨発行など一部の経済政策のみを握っていたが、経済改革を進めるために過度に分権化した経済政策の集権化を求めていた。また経済先進地域であるスロヴェニアが連邦に支払う負担金が、コソボやマケドニアなどの貧しい地域のために使われているという不満から、スロヴェニア共和国は連邦政府の経済改革を妨害し、連邦に対して支払う負担金を一方的に削減し、連邦に対する反発をあらわにしていった。
さらに、セルビアではユーゴスラビア連邦におけるセルビア人の支配力拡大を狙うセルビア民族主義者のスロボダン・ミロシェヴィッチが台頭し、ミロシェヴィッチはモンテネグロ、ヴォイヴォディナ、コソボの政府を乗っ取って支配力を強め、スロヴェニアに対しても圧力を強めていた。
こうしたことによって、スロヴェニアは連邦からの離脱を決意した。連邦からの離脱権を明記した新しい共和国憲法を制定すると、議会での決定と住民投票を経て、1991年6月にユーゴスラビアとの連邦解消とスロヴェニアの独立を宣言した。
独立後[編集]
短期的、小規模な十日間戦争を経て、スロヴェニアは完全独立を果たした。1992年5月、連邦構成国だった隣国クロアチア、同じく連邦内にあったボスニア・ヘルツェゴビナと同時に国際連合に加盟した。同時期に連邦を離脱したクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナでは激しい内戦が続いた中、スロヴェニアではユーゴスラビアという市場を失ったこともあり、1991年から1992年にかけて経済不振が続いたものの、その後はヨーロッパ志向を強め、経済は回復に向かった。政治面においては、ユーゴスラビア離脱前から民主的な制度の整備が強力に進められてきたこともあり、他のどの旧ユーゴスラビア諸国よりも早く、民主的体制が整えられていった。2004年3月にはNATOに、同年5月1日に欧州連合(EU)に加盟した。2008年には、2004年に新規加盟した国々の中で初めて欧州連合の議長国を務め、同年2月にコソボが独立を宣言したことによる一連の危機の対応にあたるなど、議長国として欧州連合の中で指導力を発揮した。
政治[編集]
独立後の政治[編集]
ユーゴスラビア末期の壊滅的な経済苦境、そして台頭するセルビア民族主義への反発から、スロヴェニアはユーゴスラビアからの独立を志向するようになった。1989年9月にはユーゴスラビア連邦から合法的に離脱する権利を記したスロヴェニア共和国憲法の改正案が共和国議会を通過する。1990年4月、第二次世界大戦後初の自由選挙を実施。共産党政権は過半数の票を集めることができず、野党連合のデモスが勝利した。首相には第三党のスロベニアキリスト教民主党のロイゼ・ペテルレ党首が選ばれている。同時に、共産党の改革派だったミラン・クーチャンが大統領となった。
1991年6月に独立を発表すると、スロヴェニア国内に基地を置いていたユーゴスラビア連邦軍と戦闘状態に入るが、7月には停戦に成功、同年10月には連邦側が独立を認めた。12月23日には現在の憲法が有効となり、複数政党制と大統領制が確立する。
1992年12月には独立後、第1回となる大統領選挙を実施、ミラン・クーチャンが選ばれた。同氏は1997年11月にも再選されている。2000年10月の総選挙では自由民主主義党が第1党となったため、連立政権が発足した。2002年12月の大統領選挙ではヤネス・ドルノウシェク首相が当選した。2007年12月、リュブリャナ大学法学部副学部長のダニロ・テュルクが大統領に就任した。
政治制度[編集]
国家元首の大統領は任期5年で、国民の直接選挙によって選出される。行政府の長である首相は議会の下院が総選挙後に選出し、大統領によって任命される。
立法府は両院制をとっている。下院(国民議会)は定数90で、うち40議席を小選挙区で、残る50議席を比例代表で選出する(小選挙区比例代表併用制)。任期は4年。上院(国民評議会)は定数40で、各種団体による間接選挙で選出される。任期は5年。上院の立法権限は下院よりも弱く、諮問機関としての性格が強いが、国民投票を行うか否かの決断を下す権限を有する。
有力な政党はスロベニア民主党、スロベニア人民党、社会民主党、スロベニアキリスト教民主党である。
2011年12月4日、国民議会(下院、定数90)選挙が行われた。暫定集計(開票率約99%)によると、中道左派の新党「積極的なスロベニア」が28議席を獲得し第1党になった。中道左派の与党・社会民主党は10議席にとどまった。中道右派の野党・スロベニア民主党が得票率約26%で2位。今後、連立政権樹立に向けて交渉が始まる。[32][33]
政治問題[編集]
スロヴェニアはユーゴスラビア時代から経済的な先進地域であり、ユーゴスラビア紛争が収束する中でセルビア人、クロアチア人労働者を受け入れてきた。しかし、EUではEU内の労働者の移動、就労は自由化されるが、一方でEU外の労働者の受け入れは厳しく制限される。そのため、2004年のEU加盟に前後してセルビア人労働者を制限する方向に転換しており大きな政治焦点になっている。
地方行政区分[編集]
スロヴェニアは、193の市(自治体)に分かれる。そのうち、特に人口の多い11の市は、特別の地位にある(日本の政令指定都市に相当)。以下にあげるのは、その11の市で、カッコ内はドイツ語・イタリア語名。
- ヴェレニェ(ヴェラン) - 旧ユーゴスラヴィア時代にチトヴォ・ヴェレニエと改称していたことがある。(1981-1991)
- クラーニ(クラインブルク) - かつて地方政権の首都だった古都。
- コペル(カポディストリア) - 海に面する国土が少ないスロヴェニアの唯一の商業港。
- スロヴェン・グラデツ(ヴィンディッシュグラーツ)
- ツェリェ(ツィリ) - スロヴェニア第三の都市。ハルシュタット文明時代から
- ノヴァ・ゴリツァ(ノイゲルツ) → 参照:イタリア領ゴリツィアと双子都市。
- ノヴォ・メスト(ルドルフスヴェルト) - 先史時代より居住の歴史がある。
- プトゥイ(ペッタウ) - スロヴェニア最古の都市の一つであり、石器時代から人の定着が見られる。
- マリボル(マールブルク・アン・デア・ドラウ)- 第二の都市であり東部の中心都市でもある。人口は11万人(2002年)
- ムルスカ・ソボタ(オルスニッツ)
- リュブリャナ(ライバッハ)- 首都、人口26万人(2002年)はスロヴェニア最大の都市。
その他の都市:
地理[編集]
スロヴェニアは、アルプス山脈の南端、スロベニア・アルプスの山々の麓に位置する山岳国である。登山や山岳スキーに世界中から観光客がやってくるスロベニア・アルプスはオーストリアとの国境ともなっている。
また、イタリアのトリエステとクロアチアの世界遺産プーラに挟まれたアドリア海の最奥の海岸線の一部も国土であり、ヴァカンス向きのリゾート地となっている。アルプスとアドリア海の両方を持つ風光明媚な国である。
これに対し、クロアチアへと続くスロヴェニアの内陸部は石灰岩からなるカルスト地形で荒涼とした風景が広がる不毛の土地である。もともと地理用語の「カルスト地形」はスロヴェニアの地名に由来しており、クロアチア国境に近いクラス地方(Kras、ドイツ語名:カルスト)が「カルスト」の語源である。カルスト地形の窪地・穴を表すドリーネも、スロベニア語の谷に由来する。スロベニアは鍾乳洞の宝庫で、リュブリャナの西には巨大なポストイナ鍾乳洞がある。延長24kmに及ぶ。
首都リュブリャナからハンガリーにかけてはハンガリー大平原の西の端、穀倉地帯である。そして、スロヴェニアはハンガリーとともに隠れた温泉国でもある。
経済[編集]
1991年10月のユーゴスラビア連邦からの離脱により、既存の連邦市場から切り離されたこと、連邦内の分業体制から外れたことにより、一時的に経済が不安定化した。独立時に導入した新通貨トラールの信用も高くはなかった。しかしながら、連邦内の内戦からは距離を置くことができたため、交通輸送、エネルギーなどの社会的インフラを無傷で保持できた。このため、経済成長にもかげりが見えない。例えば、2000年のGDPは前年比4.6%成長しており、その後も3%、2.9%と順調に推移している。旧共産圏随一の生活水準を誇り、国民1人当たりのGDPはポルトガルに迫る。失業率は2000年時点で11.9%と、イタリアを含む周辺諸国と同水準である。近年は消費者物価の上昇に悩まされており、2000年以降、消費者物価の上昇率は8-9%と高い。リーマンショック後の現在はスロヴェニア「史上最悪」の経済危機にあり、近いうちに国際的な救済措置を受ける事態に陥るのではないかという報道が出ている[34][35][36]。
ユーゴスラビア連邦内では工業を担っていた。繊維産業を筆頭に、組み立てを含む電気機器製造、金属加工業が充実している。農業国でもある。主食となる穀物栽培と商品作物の生産にバランスが取れていることが特徴。貿易では機械の加工貿易の比重が極めて高い。[37]
通貨については、インフレ率の低下などに伴い基準を満たしたため、EUの新規加盟国の先頭として2007年1月1日にユーロへ移行している。2010年には、 エストニア、イスラエルとともにOECDに加盟している。
なお、以下の統計資料はFAOのFAO Production Yearbook 2002などを用いた。
鉱工業[編集]
地下資源には恵まれておらず、石灰岩以外には天然ガスと品質の低い石炭を産出するのみである。しかしながら、自国の石炭と豊富な水力をエネルギー源として利用できるため、貿易に占める化石燃料の比率は12%と高くない。主な産出地を挙げると、原油や天然ガスはプレクムリェ地方、水銀鉱山はイドリヤ(ただし1977年に廃止された)、石炭はトルボヴリェ、ザゴリェ・オプ・サヴィ、フラストニク、亜炭鉱山はノヴォ・メストである。
電力生産は116億8200万キロワット時で、内訳は火力が40%、水力が25%、原子力が35%である(1993年)。
工業では、絹織物の生産が際立つ。生産量1036万平方メートル(1995年)は世界第10位である。
麻薬精製の原料である無水酢酸の押収量が世界で最も多い。
農林水産業[編集]
全土がケッペンの気候区分でいう温暖湿潤気候と西岸海洋性気候に覆われているため、気候は農業に向いている。しかしながら起伏に富んだ地形が広がるため、耕地面積は全土の14.1%と少ない。
ビールの原料となるホップ生産は2002年時点で世界第8位(シェア2.0%)を占める2000トン(ジャレツでの栽培が盛ん)。主食となる穀物では約2/3がトウモロコシ、残りが小麦。漁業は未発達であり、年間漁獲高は2000トンに達しない。穀倉地帯は平坦な土地が広がるリュブリャナ周辺やプレクムリェ地方である。またブドウの栽培とワインの醸造は古い歴史を持ち、ポドラヴェやポサヴェ、プリモスカなどで年間8000万から9000万リットルのワインが製造されている。
牛や豚、羊などの家畜も飼育されており、そしてカルスト地方のリブニツァという村では昔からウィーンの宮廷でパレードなどに使われる儀典用馬の飼育がなされている。
貿易[編集]
2002年時点では、輸入額109億ドルに対し、輸出額が95億ドルであるため、貿易赤字の状態である。これを11億ドルの観光収入などで埋め合わせているため、貿易外収支を含めると、バランスの取れた状態であると言える。貿易依存度は輸出43.1%、輸入49.8%と非常に高い(例えば隣国イタリアはいずれも20%程度)。国際貿易港はコペルである。他にもピランとイゾラに小さな港がある。
輸入[編集]
2002年時点では、主な輸入品目は工業製品であり、金額にして80%を超える。次いで、原料・燃料、食料品である。細目では、一般機械、自動車、電気機械の順。輸入相手国はドイツ (19.1%)、イタリア、フランスの順であり、対EUが60%を超える。旧ユーゴスラビア諸国に対しては、クロアチアが3.6%と最も高いが、輸入相手国としては重要ではない。
輸出[編集]
主な輸出品目は工業製品であり、金額ベースで90%を超える。輸入品目と合わせると、スロヴェニアが加工貿易に強いことが理解できる。細目では、電気機械、自動車、一般機械の順である。輸出相手国はドイツ (24.7%)、イタリア、クロアチアの順である。
日本との関係[編集]
2003年時点で、輸入9665万ドルに対し、輸出3172万ドルと、貿易赤字である。主な輸入品目は自動車 (58.0%)、オートバイ、医薬品、輸出品目は、衣類、家具、スキー用品となっている。リュブリャナ大学とマリボル大学その他の一般講座で日本語教育が実施されている。
観光[編集]
代表的な観光資源は首都リュブリャナ、アルプス山脈(トリグラウ山(2864m)、ブレッド、ボーヒニなど)、アドリア海(コペル、ピラン)、カルスト地方の洞窟(シュコツィアン洞窟群、ポストイナ)、温泉である。
国民[編集]
住民は、スロベニア人が89%、旧ユーゴスラビア系の住民(クロアチア人、セルビア人、ボシュニャク人など)が10%、ハンガリー人やイタリア人が0.5%である。ハンガリー人とイタリア人は議会内に1議席ずつ代表を持つ。ドイツ系住民は数百人しか残っていない。
言語[編集]
言語は、スロベニア語が公用語になっている。ユーゴスラビア時代、多くの国民は教育によってセルビア・クロアチア語を習得しており、一定以上の世代ではセルビア・クロアチア語の通用度が高い。独立後の教育では、第二言語として英語が最もよく教えられている。
宗教[編集]
宗教は、ローマ・カトリックが6割弱、その他無神論者、東方正教(主にセルビア正教、マケドニア正教)、イスラム教などである。
文化[編集]
哲学[編集]
スロヴェニア出身の特に著名な哲学者として、ラカン派精神分析とカントなどのドイツ観念論、ヘーゲル、映画を組み合わせてグローバル資本主義を分析するマルクス主義者スラヴォイ・ジジェクの名が挙げられる。ジジェクの他にラカンに影響を受けた哲学者としてはアレンカ・ジュパンチッチなどが存在する。
伝統料理[編集]
ドレンスカ地方のコステル地区には、チュースパイスという、シチューのような伝統料理がある。
世界遺産[編集]
スロヴェニア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が1件存在する。
- シュコツィアン洞窟群 (1986年登録) - 「地理」の章も参照。
祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日、1月2日 | 元日 | Novo leto | |
2月8日 | プレシェレンの日、スロヴェニアの文化の祝日 | Prešernov dan, slovenski kulturni praznik | スロヴェニアの詩人、フランツェ・プレシェーレンが死亡した日。 |
移動祝日 | イースターおよびイースター・マンデー | Velika noč in velikonočni ponedeljek | |
4月27日 | 占領に対する反乱の日 | Dan upora proti okupatorju | かつては、「解放戦線の日」(Dan Osvobodilne fronte)と呼ばれていた。1941年にドイツ、イタリア、ハンガリーのスロヴェニア支配に対する戦いの解放戦線が設立された日。 |
5月1日、5月2日 | 労働者の日 | Praznik dela | |
移動祝日 | ペンテコステ・サンデー | Binkoštna nedelja | |
6月25日 | 国家の日 | Dan državnosti | 1991年に独立宣言を行ったことを祝う日 |
8月15日 | 聖母被昇天祭 | Marijino vnebovzetje (veliki šmaren) | |
10月31日 | 宗教改革の日 | Dan reformacije | |
11月1日 | 追悼の日 | Dan spomina na mrtve | かつては、「死者の日」と呼ばれていた。 |
12月25日 | クリスマス | Božič | |
12月26日 | 独立記念日 | Dan neodvisnosti | 1990年の国民投票の結果、独立が決まったことを祝う日。 |
スポーツ[編集]
国内に数多くのスキーリゾートを抱えていることからスノースポーツが盛んである。クランスカ・ゴーラにおけるアルペンスキーや、世界最大のジャンプ台を擁するプラニツァにおけるスキージャンプは世界的にも有名である。一方、ヨーロッパの国の中ではサッカーは人気があるスポーツではなかったが、その中で2000年のヨーロッパ選手権本大会、2002年のFIFAワールドカップ本大会に出場したことは国内外で大きな驚きと共に捉えられ、新興国スロヴェニアの知名度を大いに高めることになった。なお、2010年のFIFAワールドカップ本大会に2大会ぶりに出場した。
バスケットボール[編集]
人口わずか200万足らずにも関わらず多数のNBA選手や、ヨーロッパを代表する選手を輩出している欧州でも有数の強豪国。国内には数多くのNBA選手や有名選手を輩出してきた、プレミアリーグ(通称1. A SKL)と呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。代表チームの課題は、有力な選手の多くがNBAに行っている為、オフシーズンの代表招集で常にベストメンバーが揃わない事がある。そんな中でも、バスケットボール欧州選手権(通称『ユーロバスケット』)では、2005年には6位に入賞し、独立後初の世界選手権出場を掴んだ。翌年日本で開催された世界選手権では見事予選リーグを突破し決勝トーナメントに駒を進め、ベスト16入り。最終順位12位を獲得した。2007年には北京オリンピックの欧州予選を兼ねた2007年ユーロバスケットにおいて、7位決定戦でトニー・パーカー率いるフランスを破り、最後の最後で何とか世界最終予選の切符を獲得したが、この世界最終予選の決勝トーナメントでプエルトリコに破れ、独立後初のオリンピック出場の夢は叶わなかった。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- ジョルジュ・カステラン、アントニア・ベルナール、訳:千田善 (1999年8月20日). スロヴェニア. 日本: 白水社. ISBN 978-4-560-05827-5.
脚注[編集]
- ^ Armstrong, Werwick. Anderson, James (2007). “Borders in Central Europe: From Conflict to Cooperation”. Geopolitics of European Union Enlargement: The Fortress Empire. Routledge. p. 165. ISBN 978-1-134-30132-4 .
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- ^ Murovec, Nika. Kavaš, Damijan (December 2010). SWOT Analysis: Status of the Creative Industries in Ljubljana. Ljubljana: Inštitut za ekonomska raziskovanja [Institute for Economic Research]. p. 5 .
- ^ Europe beyond 2000: the enlargement of the European Union towards the East. Whurr Publishers. (1998). p. 121. ISBN 978-1-86156-064-3 .
- ^ “About Slovenia: Republic of Slovenia”. Vlada.si. Government of Slovenia, Republic of Slovenia. 2012年11月25日閲覧。
- ^ “Slovenia First 20 Years”. Slovenia: South Australia Newsletter (Winter 2010/2011). 2012年11月25日閲覧。
- ^ a b Fallon, Steve (2007). “Environment”. Slovenia (5th ed.). Lonely Planet. p. 40. ISBN 978-1-74104-480-5 .
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外部リンク[編集]
- 政府
- スロヴェニア共和国政府 (スロベニア語)(英語)
- スロヴェニア大統領府 (スロベニア語)(英語)
- スロヴェニア首相府 (スロベニア語)(英語)
- 駐日スロヴェニア共和国大使館 (日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - スロベニア (日本語)
- 在スロベニア日本国大使館 (日本語)
- 観光
- スロヴェニア政府観光局 (日本語)
- スロベニアの山 (スロベニア語)(英語)
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