貨幣学

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様々な硬貨

貨幣学(かへいがく、ギリシャ語νομισματική英語:numismatics)は貨幣とその形態史に関する科学的研究の総称。日本語では貨幣学の他、古銭学古泉学銭貨学等と呼ばれるが、日本銀行金融研究所の金融研究会などではもっぱら貨幣学と呼称している。

貨幣学者による貨幣研究[編集]

貨幣学者は硬貨の研究を主体としているとされることが多いが、貨幣学の概念は紙幣株券メダル大メダル代用硬貨の研究も含まれるため、その研究分野はかなり広い。小切手銀行券収集、株券債権収集、そしてクレジットカード等もまた貨幣学的興趣の対象とされる。先人が使用していた古代の貨幣は珍奇なものであるとされるが、物々交換に利用された物品はそれらが当時流通通貨として使用されていたものであっても、貨幣としては除外される。例として、キルギスに住む人々は主要通貨単位としてを使用し、小銭として羊皮を使用していた。この場合、羊皮は貨幣学的研究として適していると思われるが、馬は研究の対象にならない。

厳密には、貨幣使用とその発展の経済的・歴史的研究と、貨幣の物理的具体化に関する貨幣学研究とは別個のものとして考えられる。具体的な例を挙げれば、貨幣の起源について述べた経済学的な理論は貨幣学によるもので、分野は関連しているが似て非なるものである。

歴史[編集]

起源[編集]

貨幣学は一つの古代学問であり、その歴史は史上初の貨幣学についての本を書き記したとされる、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)に遡る事ができる。また貨幣学は硬貨に関した歴史、地理、経済、金属工学、使用、そしてその製造過程など、多数の異なった側面からの研究が含まれる。

日本の貨幣学の歴史[編集]

和同開珎銀銭

日本では貨幣学は古銭の収集や研究としての意味合いが比較的強い。日本において古銭の歴史は古く、中国古文銭にその期限を辿る事ができる。621年当時の時代であった中国の高祖によって青銅を使用して鋳造され、やがてそれは遣唐使によって日本に伝わることとなる。708年に日本で初めて鋳造されたとされる和同開珎が日本における事実上最初の古銭の始まりとなった。以来、和同開珎を始めとする皇朝十二銭平安時代にかけて政府によって造られるが、その後は中国との日宋貿易を経て、宋銭が、後には勘合貿易永楽通宝などの明銭が大量に輸入され、渡来銭が貨幣として流通した。それに伴い、日本では独自の貨幣鋳造は行われることがなくなった。後醍醐天皇が新貨幣鋳造を計画をしたが、建武政権崩壊で水泡に帰した。また、中世には、国家による貨幣鋳造が行われなくなった代わりに、私に貨幣を鋳造する者が多く出た。それらは、真銭を型に鋳型を造り、真銭より質の悪い銅を原料に大量に鋳造する。これらの貨幣を私鋳銭模鋳銭)と呼ぶ。これら私鋳銭は、銭影も不鮮明で、素材も劣悪なため、市場では鐚銭(びたせん)と呼ばれて嫌われた。しかし、中世に発展した貨幣経済に対する市場に流通する貨幣は少なく、これら私鋳銭の量は時代を経るごとに多くなる。市場を安定化するために、地方政権である戦国大名はたびたび撰銭令を出して私鋳銭も通貨として流通させようとしたり、甲州金などの地方に限定された通貨を鋳造したが、成果は上がらなかった。

その後、統一政権である豊臣秀吉天正大判を鋳造させたが、一般流通用というより、恩賞の意味が大きかった。貨幣制度を整備するまもなく、豊臣政権は崩壊し、江戸幕府によって本格的な貨幣制度が整備された。幕府は小判丁銀をはじめとする様々な種類の金貨銀貨を流通させるとともに、銭貨として寛永通宝を鋳造した。それまでの渡来銭を完全に駆逐できるだけの質と量の貨幣を鋳造できた。また、地方における藩札、更に幕末期にかけて丁銀豆板銀一分銀小判等が流通し始める。日露戦争が始まった頃から、軍事用途として使用された軍票などの紙幣が見られたが、その後の第二次世界大戦では軍資金重視の為、硬貨にアルミや銅などの極めて安価な素材が使用されるようになり、戦争の歴史を色濃く浮き立たせている。1964年東京オリンピックより記念硬貨の発行が行われるようになり、その後天皇の即位、成婚や国際博覧会の開催を記念したものなどが発行されている。

近年では奈良県他で1999年に多数発見され、日本最古の貨幣ではないかと物議を醸した富本銭の存在や、日本書紀中の無文銀銭についての記述など、古銭の歴史に関しては研究が続けられている。2000年にはミレニアムを記念して2000円紙幣を発行したが、自動販売機ATMなどの新紙幣への対応が間に合わなかったことや、際立った必要性の無さなどから多くの批判が噴出した。さらにその後、複合機などのデジタル技術の進歩に伴い、紙幣の模造が比較的容易になったため、偽札の偽造が相次いだ。そのため、最先端の偽造防止技術を駆使した新500円硬貨2000年に、1000円、5000円、10000円の各新紙幣が2004年に発行開始されるなどした。この新たな5000円紙幣の肖像には、樋口一葉が表に描かれた肖像としては、日本の紙幣史上において2代目女性となった。しかしながら既に新500円硬貨の偽造硬貨が一部で出回るなどし、政府の新たな技術進歩への対策を定期的に差し迫られる状況は依然続くと見られる。一方でデジタル技術の波及は貨幣のあり方そのものを変化させており、Edyなどを始めとするおサイフケータイ電子マネーなどの新たな貨幣形態は経済学的な側面からの研究も進められている。

貨幣学者[編集]

貨幣学者とコイン収集家は時に区別される。前者は貨幣の図案や貨幣構造の知識習得により関連する一方で、後者は主として異なったデザインの貨幣を単に収集することに喜びを見出すものである。事実、多くの貨幣学者は収集家でもあり、逆もまた同様の事例が多い。ウォルター・ブレーンは熱心な収集家ではない貨幣学者として著名な人物の例であるが、他方エジプトファルーク1世は貨幣学に殆ど興味は無かったが、熱心なコイン収集家であったことでよく知られている。対照的にハリー・バスはコイン収集家であり、貨幣学者でもあったことで著名である。 日本においては田中啓文がコイン収集家として有名。日本銀行金融研究所貨幣博物館に所蔵される貨幣の多くは第二次世界大戦中に日本銀行へ贈られたものである。

今日において貨幣学者は自身の調査報告をインターネットで公表することも多い。特によく知られる例としては、初期の南アフリカの貨幣学的歴史を研究するため30年間もの間を現地で過ごした、スコット・バルソンが有名である。結果として彼の調査は、南アフリカにおいて最初に広く流通した通貨が、1874年に東グリクァ貿易会社ストラッチャン会社によって発行された、貿易用の代用貨幣であったことを示すものだった。下記外部リンクを参照されたい。

また貨幣学者は、自身らが研究する硬貨の相対的な希少さを測定するために、造幣局または他の機関の記録を使用して、歴史的背景に照らし合わせた貨幣の用途と鋳造量を頻繁に調査している。その貨幣の種類、造幣局によるエラー貨幣、金型の擦り減りの進行度合い、コイン上に描かれている人物や、更には硬貨が鋳造された際の社会政治的背景さえも彼らが関心を置く対象である。総じて、貨幣学的分野の研究においては、貨幣に関することで重要でない事象の方が少ないのである。

多くのプロの貨幣学者は硬貨を商用目的で証明・格付けを行っている。硬貨のコレクションをプロの貨幣業者に売却したりまたは彼らから購入することは貨幣の研究をより前進させることであり、熟練した貨幣学者ともなれば歴史学者、博物館の学芸員、そして考古学者から助言を得る者もいる。

希少硬貨の市場価値[編集]

米国の貨幣市場[編集]

硬貨など貨幣学的なものを一つの投資媒体として使用する考え方は、ここ数十年でより一般的になった。超希少な米国硬貨がオークションで何千ドルもの値段で落札された事に関心を寄せると、人々の投資熱は継続される。硬貨の価値が最も高騰したことで知られる年代は、1989年前後であった。1987年に起こったブラックマンデーの結果として、希少価値のある米国硬貨が資産の多様化の一手段であると考えられたのである。

特定の時期に発行された稀な日付の米国硬貨は、短期間で2倍、3倍、それ以上と価値が膨れ上がった。「投資適格」硬貨は強迫観念の対象となった。証明済み、及びグレード硬貨の誕生である。その後、硬貨の偽造制止と信頼性を保証する目的で、1986年に「第一世代」の第三者グレード会社としてPCGS(Professional Coin Grading Service)が設立された。今や硬貨は現物の下調べの必要が無くても比較できるように簡易化された既定のグレードを有しており、それがコイン市場をより不安定にしている。面白いことに、コイン市場の絶頂期にはPCGSによるグレードの提出が殺到し、11ヶ月間もの飛行機の往復時間を経験した硬貨もあった。コイン市場の上げ相場はその後すぐに崩壊し、コイン価格はその頂点から急落することとなった。

現在第三者グレード市場において最も大きい部分を占めるのは大きく分けてNGC(Numismatic Guaranty Corporation)とPCGSの二つである。またANACS(American Numismatic Association Certification Service)は第三者コイングレードにおける原型とも言える。二大会社の世評の強みや市場価値を除けばグレード会社で第2の位置にあるとされる。市場において三番目の位置に属する会社層も存在するが、市場の評価によればグレードの信用性はより低いとされる。こうした硬貨の格付けを行う会社は、精通した収集家によって一般的に避けられる傾向にある。

米国のコイン市場は一般的に3つの主要市場に分類される。

  • Classic U.S. Coins
  • Modern U.S. Coins
  • World and Ancient Coins

Classic硬貨とModern硬貨においての正確な区別についての論争が存在し、Classic硬貨を1792年から1964年に鋳造されたものとして定義する人々もいる。時が経つにつれ、「Modern」を構成するものの認識は間違いなく変化するはずである。

紙幣・小切手手形類の収集は、コイン収集ほど一般化されてはいないが、同様の収集における重要な分野である。現在これらはNGCの姉妹会社で、PCGSの紙幣類の証明とグレードを行う部門である、PMG(Paper Money Guaranty)を通して複数の主要第三者グレード会社への導入が目下進められている。こうした動きは市場調整として手形、紙幣の価格決定と収集価値に大改革をもたらすと考えられている。

日本の貨幣市場[編集]

寛永通寳
東京五輪千円銀貨

日本の貨幣市場においては、かつては穴銭と呼ばれた、江戸時代以前の寛永通宝に代表される銅銭のコレクションが主流を成し、研究家も多く専門的な書籍も多数存在した。その後、明治以降の近代銭に人気は移り、更には、東京オリンピックにおける日本初の記念貨幣の発行により、ブームは頂点に達した。当時は切手収集とならんで、子供たちや若者のごく一般的なコレクション趣味として定着し、菓子メーカーの景品にコインを付けるなどということも行われた。やがて、ブームは下火になり、子供たちや「にわか収集家」といわれるブーム便乗収集家がコレクションから撤退したあとは、本格的な収集家のみが残り、これらの人々はかなり専門的なコレクションを行っていた。
現在では概ねこのような専門的な収集家と、現行のコインを年号別にコレクションしたり、紙幣の変わり番号をコレクションする人々に二分される。また中には希少年号やコインに開けられた穴の位置のずれ、紙幣における印刷ミスなどのエラーコインや紙幣を専門に収集する人もいる。エラーコインや紙幣の収集家は諸外国にも多いが、単なる変わり番号の紙幣の収集においては、日本ほどの人気は無く、マーケットも確立していない。
日本では希少な番号の紙幣を入手しようと、2004年のE券新紙幣発行の際には日本銀行の一部支店において、行員が連番の新紙幣数枚と通常の番号の紙幣を無断で交換する事件もあった。日本における商用を目的とした貨幣商の動向として、日本貨幣商協同組合に代表される組織・団体が、定期的に東京、名古屋、大阪などで展示即売会を開催し、販売、鑑定、買取などを行う他、インターネットを利用した古銭・他通貨のオークションも一般的である。また、収集型金貨や、地金型金貨を専門に扱った企業も存在するなど、日本における貨幣市場も意外に大きい。

日本におけるコイングレーディングの実情[編集]

日本では従来よりコインの状態標記に「未使用」「極美品」「美品」「並品」という極めて曖昧な主観的要素の強い表現が使用されてきた。このことは特に通信販売などでコインを購入した場合など、販売者と購入者の間で、状態基準に差があり、トラブルの原因となることが少なくない。このようなことを避けるため、最近日本でも第三者による科学的な状態判定を基準にすることが、徐々に浸透してきている。これは、アメリカに代表されている世界的なグレーディング機構のPCGSやNGCの基準に従う状態表示をすることにより行われている。コインの展示即売会などの会場で「この未使用品はNGC MS63相当です」といった会話をしばしば耳にするのは、同じ未使用でもどのくらいの状態なのかをより詳細に表したものである。

現在日本の業者の店頭に並ぶコインの多くは、いわゆる「洗浄品」であることにも注意する必要がある。貨幣商組合主催のイベントにおいても、コインクリーナーなどという商品が堂々と販売されているのも非常に問題であり、コインを洗浄するのは「傷のないことを見せる」ためだというような業者もいる。これは日本の業者と収集家が、アメリカやヨーロッパとは異なった独自の文化を生み出してきた結果なので、それ自体は非難するには当たらない。ただし、この種の日本国内の習慣のおかげで、国際的な市場での価値評価において著しい不利をこうむることは強調してもよいだろう。国際的な市場にあっては、「未洗浄」、つまりコインが発行・流通していた当時から今日に至る経年変化(銅貨や銀貨の曇り、黒色化、その他の経年による汚れ)をそのまま評価の対象とするからである。ちなみに「洗浄品」のコインは、NGCやPCGSのグレーディング機構では、かなりのマイナス評価の対象であり、国外のオークションカタログにも、わざわざ「洗浄品cleaned」と特記されることがあるくらいである。

日本におけるコインディーラーの実情[編集]

世界的なコインディーラーの協会として、IAPNという団体がある。このIAPNは、1951年に28デーラーでスタートし、2008年現在は21カ国114ディーラーが加盟している。この団体に加盟するには、それなりの知識や実績が求められるが、日本の業者でこの協会に加盟しているのは僅か2社であり、この2社を始めとし現在の日本の業者で、欧米の著名な業者と同等の知識、ノウハウを有しているのはほんの数社であろう。多くの業者が先代からの財産を引き継いだ単なる「古物商」的な業者である実情からは、この現状も いたしかたないであろう。

先に記したように多くの店頭のコインが「洗浄品」であるなら、ナチュラルな未洗浄のコインを探すのはどうすれば良いかということになるが、これは日本ではかなり困難である。IAPNに加盟しているコインディーラーから購入するのが賢明であると思われるが、これらの業者が扱っているコインが全て未洗浄であるとはいえない。従って結局はスラブケースに入ったNGCやPCGSのグレーディング済みのものを購入すれば良いということになる。もちろんスラブケース以外でもナチュラルなコインは存在するので、最終的にはコレクター自身の鑑定眼にゆだねられる。

ただ、このようなことは、あくまで貨幣学上、過去の遺産であるコインをなるべく当時の状態のまま保存し、後世に伝えるという目的での話であり、実際にコインコレクター全てにこれらを強要することはできない。コレクションはあくまで、個人の趣味であり、コレクター自身のスタンスがあるので、あながち「洗浄品」コインが全く価値が無いと決め付けるのも早計である。

いずれにせよ、現在の日本の貨幣市場には明確なスタンダードが無く、完全中立な第三者鑑定機関も未だ存在しないため、アメリカのような真の意味のマーケットが確立されていないともいえよう。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]