西インド連邦
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- 西インド連邦
- West Indies Federation
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←1958年 - 1962年 ↓ (国旗) (国章) - 国の標語: To dwell together in unity
- 国歌: 女王陛下万歳
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公用語 英語 首都 チャガラマス 通貨 イギリス領西インド諸島ドル 国際電話番号 1-809(1958年) -
先代 次代 バルバドス
ジャマイカ
トリニダード・トバゴ
イギリス領リーワード諸島
イギリス領ウィンドワード諸島アンティグア・バーブーダ
バルバドス
ケイマン諸島
ドミニカ
グレナダ
ジャマイカ
モントセラト
セントクリストファー=ネイビス=アンギラ
セントルシア
セントビンセント・グレナディーン
トリニダード・トバゴ
タークス・カイコス諸島
西インド連邦(にしインドれんぽう、英語: West Indies Federation)は、1958年から1962年までの間に存在したイギリス連邦内の自治国である。カリブ海地域のイギリス植民地で構成され、連邦制を採用していた。
概要[編集]
カリブ海のイギリス領島嶼を統合し、将来的な独立を視野に入れた、外交と防衛を除く自治権を有する半独立国としてスタートした。しかし、広大なカリブ海に点在する島々を無理矢理繋ぎ合わせたため、島によって人種、産業、政治制度、歴史の相違は著しく、国の中心的役割を担うトリニダード島とジャマイカ島は1500キロメートルもの隔たりがあるなど、当初から問題は山積していた。それらの歪みは構成国間の対立として現れ、とりわけ国家運営の在り方をめぐってトリニダード・トバゴとジャマイカの対立が深まっていった。
1961年、ジャマイカとトリニダード・トバゴが相次いで連邦離脱と単独での独立を決定し、国の2大中枢を失った連邦は瓦解。翌1962年、各島は再びイギリスの植民地に戻った。短命に終わった西インド連邦であったが、通貨の西インド諸島ドルは東カリブ・ドルへと名を変え、現在でも多くの旧連邦構成国で共通通貨として使用されている。
略歴[編集]
- 1938年頃 西インド諸島およびカリブ海沿岸のイギリス植民地を西インド連邦(カリブ海連邦)として独立させようとする動きが始まる。
- 1945年3月 イギリスが西インド諸島を統合する具体案を打ち出すが、バハマとバミューダが拒否、離脱。
- 1950年 カリブ海連邦案の勧告をイギリス領ホンジェラスとイギリス領ギアナが拒否、離脱。
- 1958年 10植民地による西インド連邦成立、西インド連邦労働党が総選挙に勝利。
- 1961年 ジャマイカが分離独立、続いてトリニダード・トバゴも分離独立。
- 1962年 解散、各連邦構成国は再びイギリスの直轄植民地に復帰。
構成国[編集]
- アンティグア・バーブーダ
- イギリス領ジャマイカ
- グレナダ
- セントクリストファー=ネイビス=アンギラ
- セントビンセントおよびグレナディーン諸島
- セントルシア
- ドミニカ
- トリニダード・トバゴ
- バルバドス
- モントセラト