声優

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

声優(せいゆう)とは、映像作品や音声作品に、の出演をする俳優のこと。ナレーターについても、こう呼ばれることがある。 英語圏では、一般的に「voice actor、voice actress」が用いられる。日本でもボイスアクターと表記される場合がある。

「キャラクターボイス(Character Voice)」は和製英語で、CVと略される。これは1980年代後半にアニメ雑誌アニメック』で副編集長だった井上伸一郎が提唱した用語で、その後、井上が角川書店で創刊した『月刊ニュータイプ』でも用いられている[1]

声優の仕事内容[編集]

アニメオリジナルビデオアニメ(OVA)ラジオドラマドラマCDテレビゲームテレビ映画洋画海外ドラマの日本語吹き替えなどがある。

アニメ[編集]

画面を見ながら台詞を吹き込むアフレコと、事前に台詞を収録し、それに合わせて後から動画を制作するプレスコの2種類の方法がある。日本ではアフレコが主流である。近年のアニメ制作のデジタル化により、アフレコ後に絵を修正するケースも多い。なお、声をあてることからアテレコとも言う。収録はスタジオに声優を集めて一度に行うのが主流だが、芸人や歌手などの非声優を起用する場合は、個別に別録りする事が多い。

出演料はランク制の適用を受ける。

日本語吹き替え[編集]

海外ドラマ・外国映画などの登場人物の声を演じる。アニメ同様、ランク制の対象となる。

ゲーム[編集]

基本的に、かけ合いではなく一人ずつ個別に収録する。そのため、共演者であっても顔を合わせたことがないというケースも多い。

CD-ROMの普及し始めた1980年代末から増えた仕事である[2]1990年代に、PlayStationなどの高性能なゲーム機が登場し、声優が起用されることが一般的になった。出演料については、当初は明確な基準がなかったが、1998年日本俳優連合(日俳連)と社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)の間で協議が持たれてからは、一般向けのゲームでは、アニメと同様にランク制が適用されるようになった。

ラジオドラマ・ドラマCD[編集]

ラジオドラマドラマCD作品の登場人物・登場キャラクターの声を演じる。

ナレーション[編集]

テレビ番組・テレビやラジオのCM・PRビデオなどの原稿を読む。

ランク制の対象外の仕事[注 1]で、アニメ・日本語吹き替え・ゲームよりも高額とされる[3]

舞台演劇活動[編集]

声優としての仕事ではないが、声優と舞台役者を兼任している人は多い。

歌手活動[編集]

歌のCDを発売したり、コンサートを開催するなど、歌手として活動する。逆に、アイドル歌手が声優に転身するケースもある。

アニメ・ゲームにおいては、メインキャラクター級の担当声優が、その作品の主題歌を歌うことがある。また、キャラクターが歌っているという設定で、声優本人の名義ではなく、キャラクター名義でCD(キャラクターソング)を出すことがある。

1990年代以降は、レコード会社との専属契約を結び、本格的に歌手活動をするケースが多くなった。

数名の声優が音楽ユニットを結成し、歌手(音楽)活動をするケースもあり、そういう音楽ユニットのことを声優ユニットと称されることが多い。「アイドルマスター」や「ラブライブ!」のように、アリーナ級の会場でライブを行う人気作品もある[注 2]

オリコンなどのヒットチャートでは、アニメソングは児童向けの曲として別に集計されていた。また、アニメ専門店や電気量販店は集計の対象外だった。これらが改善された1990年代中頃から、声優の歌のCDがランキング上位になることが増えた[4]

1997年2月に椎名へきるが声優初となる日本武道館単独コンサートを開催したのを皮切りに、声優が武道館のような大きな会場で単独コンサートを開催するようになっていった。2011年12月には水樹奈々が声優初となる東京ドーム単独コンサートを開催。

一般の音楽テレビ番組に出演し歌を歌うこともある。2009年に水樹奈々が声優初となるNHK紅白歌合戦第60回NHK紅白歌合戦)出場を果たす[注 3][注 4]

ラジオパーソナリティ[編集]

声優によるラジオ番組のパーソナリティは、古くから行われているが、1990年代に入ってからは、文化放送やラジオ大阪が専門の放送枠を儲けるなど、数が急増した。2000年代以降は、地上波放送だけでなくインターネットラジオ番組も増えている。

アダルト(18禁)作品への出演[編集]

アダルトゲーム(エロゲー)・アダルトアニメなどのアダルト(18禁)作品に声をあてる。この場合、声優名を非公表とするか、別の芸名を使うことがほとんどである[注 5]。アダルト作品を専門としている声優もいる。

特撮番組への出演[編集]

スーパー戦隊シリーズ』『仮面ライダーシリーズ』『ウルトラシリーズ』などといった特撮番組に登場するキャラクターの声を演じる。

人形劇・着ぐるみショー[編集]

人形劇はキャラクターの演技とタイミングを合わせながら台詞を言う。

着ぐるみショーでは生で声を合わせることもあるが、基本的には事前に声を収録してそれに合わせて着ぐるみの中の演者(スーツアクター)が演技を行う。

その他の仕事[編集]

番号案内の録音されたメッセージ、デパートでの録音案内、駅や路線バスなどの公共交通機関のアナウンス(自動放送)、出演作のイベント出演、テレビ番組への顔出し出演、など。

声優の仕事の取り方[編集]

アニメ
オーディションを受けて自分の手で仕事を獲ってくるというシステムが主流[5]。作品世界・登場人物のイメージに適合した声(声質)や演技力を持つ人物が採用され、新人や大物の区別なく選考オーディションを受ける。
通常は制作会社などから声優の事務所庶務にオーディションのお知らせが通達され、事務所は役柄に合うと判断した所属声優を数人選び、その選ばれた者だけがオーディションを受けられるというのが通例である。そのため大人数の声優を抱える大手事務所では、まず事務所内での競争を勝ち抜かないとオーディションを受ける機会すらない[6]。そして、たとえオーディションを受けられたとしても、60本に1本受かればいいというほどの競争率と言われる[7]
ゲーム
オーディションで配役を決めることが多いが、ゲーム制作会社などからの指名で決まることもある。
日本語吹き替え
アニメとは異なりオーディションはほとんど行われず、プロデューサーやディレクターなどが声優を指名して決めることがほとんどとされる[5][8]。ただし、ディズニー作品、スティーブン・スピルバーグ作品、ジョージ・ルーカス作品などでは指名ではなく、アニメ同様オーディションが行われるという[9]
ナレーション
日本語吹き替え同様、オーディションはほとんど行われず、指名で決まることがほとんどとされる[10][11]

声優の歴史[編集]

日本で声優の専業化が進んだ理由は、

  • ラジオドラマ全盛期に、NHK民放が自前の放送劇団(NHK東京放送劇団など)を組織して専門職を育成したこと
  • テレビの黎明期はソフト不足のため、主にアメリカからドラマやアニメが大量に輸入され、声優による日本語吹き替えの需要が増大したこと
  • アニメやゲームの人気の高まりにより、最初から声優専門の演技者を志望する者が増えたこと

などが考えられる。

ラジオドラマ時代[編集]

1925年3月、NHKの前身である社団法人東京放送局がラジオ放送を開始。そのわずか1ヶ月後に「映画劇せりふ」の番組内でサイレント映画『大地は微笑む』の台詞劇が放送された。この時の声の出演は新派劇俳優の井上正夫、女優の栗島すみ子などであった。専門職としてではないが、実質的に彼らが「日本で最初の声優」である[12][注 6]。同年7月には舞台中継をスタジオで再現した『桐一葉』(出演:中村歌右衛門 (5代目)など)、さらに日本初の本格的なラジオドラマとして『大尉の娘』(出演:井上正夫、水谷八重子)が放送される。同年9月、東京放送局は声だけで演技を行う専門の俳優としてラジオドラマ研究生を公募。百余名の応募者のうち12名の女性が選ばれ、11月にラジオドラマ『太っちょう』に声をあてる。声優の歴史に関する多くの資料では彼女たちが「日本の声優第1号」とみなされている。この当時は新聞では「ラヂオ役者」と呼称していた。また、この頃(主に1930年代)活躍していた者として舞台女優の飯島綾子が挙げられる[注 7]。彼女はラジオドラマの他に日本舞踊家歌手(流行歌・歌謡曲・童謡オペレッタ)としても多彩な活動をしていた。

1941年、NHKはラジオドラマ専門に俳優を養成する東京中央放送局専属劇団俳優養成所の研究生を公募。翌、1942年に東京放送劇団の第1期生がデビューを果たし、これが声優第2号とみなされ[14][注 8]、そして「声優」という言葉が使われたのはこの頃からである[16]。声優という呼称は、読売新聞の芸能記者だった小林徳三郎によるものという説と、NHKの演芸番組担当プロデューサー大岡龍男が命名したという説がある[17]。声優は当初、ラジオドラマを専門に行う東京放送劇団員やその他の放送局の劇団員を指し、テレビ時代になって吹き替えとアニメを行う役者を指す用語として定着していった。

1951年に民間ラジオ局のラジオ東京(現:TBSラジオ&コミュニケーションズ)が開局、専属の放送劇団(ラジオ東京放送劇団、後のTBS放送劇団)を設立して1957年に放送した連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。テレビ放送がなく、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役の声を多く演じた名古屋章には月に何十通ものファンレターが届いたという[18]。ラジオドラマは全盛期を迎え、声優の紹介記事が新聞のラジオ欄に掲載されるようになると、声優へのファンレターと同時に声優に憧れ、声優志願者も急増した。1953年のNHK東京放送劇団の第5期生募集には合格者が10名程度のところへ6000名の応募が殺到したという。この時代を声優の勝田久は第1期声優黄金時代としている[19]

アニメでは、1933年には日本初のトーキーの短編アニメーション映画『力と女の世の中』が公開。アニメキャラクターに声をあてたのは、喜劇役者の古川ロッパをはじめとする映画俳優達だった。1942年には中国の長編アニメーション映画『西遊記・鉄扇姫の巻(鉄扇公主)』が日本で公開され、活動弁士出身の徳川夢声山野一郎などが声をあてた。第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると、映画俳優、コメディアン、放送劇団員が使われた。また、洋画の吹き替えはテレビ時代になってから行われるようになった。

第1次声優ブーム[編集]

民放テレビの草創期には、1961年五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマや洋画などのいわゆる外画の日本語吹き替え版が数多く放送された[20][21][22]。当初、NHKは基本的に字幕スーパーで日本国外の作品を放送していたため、日本語吹き替え版は民放が中心となっていた。以後、日本国外の作品は1960年代前半をピークとして放送された。これらを背景として声優人気が高まっていったという。ブームの中心人物はアラン・ドロンを持ち役とした野沢那智[23]追っかけまでいたという[24]

テレビや映画の俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため、テレビでの吹き替えは、ラジオ時代からの放送劇団出身者や新劇の舞台役者が多く行った[25]。ちなみに、当時新劇の舞台役者が吹き替えの仕事をアルバイトでやるようになったことを、放送劇団出身の若山弦蔵は「吹替時代になってから参入した新劇の舞台役者の多くが片手間で声の仕事をやっており、それが腹立たしかった」と批判した発言をしている[26]。海外アニメにおいては、落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。

労働環境や待遇は恵まれていなかったことから権利向上のために結束しようという動きがあり、久松保夫は清水昭の太平洋テレビジョンに参加するが同社で労働争議が発生。これを受けて東京俳優生活協同組合(俳協)が誕生したが、前述の若山弦蔵のように所属せず独立した者もいた[27]。後に俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された。この時代にはまだ声優という言葉は一般には認知されておらず[28]、別称として、吹き替えを主にしたことから吹き替えタレント、声をあてることからアテ師[29][30]というものがあった。

テレビの日本語吹き替え作品第1号はTBSの前身であるKRTテレビが1955年10月9日より放送開始したアメリカのアニメ『スーパーマン』であると言われる。実写では1956年TBSの前身であるKRTテレビで放送された『カウボーイGメン』と記録されている。これらKRTテレビでの放送はいずれも生放送による吹き替えで、あらかじめ録音したアフレコによる作品第1号は、アニメでは1956年4月8日日本テレビが、番町スタジオの安井治兵衛に依頼して放送した海外アニメ『テレビ坊やの冒険』。

1966年に『土曜洋画劇場』(現・『日曜洋画劇場』)の放送が始まり、この番組によってスターの声を特定の声優に固定する持ち役制(フィックス制度)が始まった[31]

第2次声優ブーム[編集]

1970年代後半の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』のヒットによるアニメブームと並行して起こったブーム。そのブームに押される形で声優業と並行した音楽活動も盛んになり、神谷明古谷徹古川登志夫などのアニメの美男子キャラクターを持ち役とする人気声優によるバンド『スラップスティック』を結成してライブ活動を行ったほか[32]、多くの声優がレコードを出すなどした。当時万単位のレコードを売り上げる声優として、潘恵子戸田恵子、神谷明、水島裕、スラップスティックの名が挙げられている[33]1979年に放送開始した『アニメトピア』などアニメ声優がパーソナリティを務めるラジオ番組なども誕生。ラジオドラマでは声優人気を背景にした『夜のドラマハウス』があり、アマチュア声優コンテストも開催されていた[34]

この時代はアニメ雑誌が創刊され始めた時代であり、『アニメージュ』の創刊編集長である尾形英夫は、声優のアイドル化を編集方針の一つとして打ち出した[35]。『アニメージュ』以外の他のアニメ誌も同様に誌面に声優コーナーを設けて、定期的に声優の情報を発信した。人材の供給・育成面では、声優専門プロダクションが分裂することによって次第に数が増え始め、各プロダクションにより声優養成所が設けられた。これらにより、放送劇団出身者や舞台役者などの俳優活動の一環や余技としての声優業ではなく、最初からアニメ声優を目指した声優が登場し始めた。このブームはおおむね1980年代前半頃までとされている。

1990年前後[編集]

1980年代末のテレビアニメ『鎧伝サムライトルーパー』に出演した5人の男性声優で1989年に結成したユニット『NG5』が人気を集め、ニュース番組で取り上げられるほどであった。声優がマルチ活動をするようになった先駆け的グループであるとも言われている[36]。しかし、その人気はNG5に限定されて、声優界全体のブームと言えるほどの人気とまではいかなかった[37][38]。一方で、林原めぐみ井上喜久子といった女性声優にも注目が集まるようになる。

一方、1990年代になって、吹き替え作品が、地上波放送の他にも、DVDなどのパッケージやCS放送などさまざまな形態で発信されるようになると、従来の持ち役制度はほぼなくなったとされる[39]

第3次声優ブーム[編集]

用語として一時期ひんぱんに用いられていたが、明確な定義は存在していない。おおむね1990年代中頃に起こったとされる。

  • 声優のマルチ活動化やアイドル化が進む。
  • 声優の音声入りのテレビゲームやパソコンゲーム、声優がパーソナリティを務めるラジオ番組、声優が出演するイベントが増える。
  • 声優の歌手活動が増える。
  • 1994年に初の声優専門誌『声優グランプリ』『ボイスアニメージュ』が創刊される。
  • 1995年に初の声優専門のテレビ番組『声・遊倶楽部』が誕生。
  • 声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿の良さや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになってきたこと。

などといったようなことが、このブームの主な特徴として挙げられる。

第4次声優ブーム[編集]

一部のマスコミで用いられていたが、「第3次声優ブーム」ほどには普及せず、明快な定義はない。おおむね2000年代後半頃から以降とされる[40][41]。深夜アニメを中心に、若手声優が大量にデビューし、世代交代が進む現状を指すと思われる。

アイドル声優・声優アーティスト[編集]

アイドル声優とは、第3次声優ブームと称されていた1990年代中頃から出てきた俗称。本業に留まらず、歌を唄いそのCDを発売したりライブを開催するなど歌手活動をする、声優専門誌のグラビアに登場する、写真集やイメージビデオを発売する、などといったアイドル的活動を行う声優がこう称された。日本の女性声優に特に多い。本業を蔑ろにしているという揶揄的なニュアンスも含んでいる。

声優アーティストとは、上記のアイドル声優に代わって2000年代半ばから後半頃から出てきた俗称であり、主に、声優業と歌手業を両立させている声優を指す事が多い[40]

近年では本格的なアイドルもしくはアーティスト活動までは行かずとも、アニメに出演する場合、主題歌などを担当したり(作品限定の声優ユニット活動を行う事もある)、各種関連番組(アニラジニコニコ生放送など)やイベントへの出演など、タレント活動を求められるケースが一般的になっている[42]

声優プロダクション[編集]

声優プロダクションは、声優から手数料を徴収し、音響制作会社や放送局などに対して、アニメ・日本語吹替・ナレーションなど得意分野ごとに配置されたマネージャーが営業活動や声優の売り込みなどを行う。専門の養成所を持ったり専門学校と提携して新人の育成も行う。

近年は、制作会社の一部門として直営しているプロダクションもある(例:MAGES.-アミュレートブシロードミュージック-学研パブリッシング-office EN-JIN)。

諸外国の声優[編集]

諸外国では日本のように専業の声優が確立している国は少なかったが、アメリカやフランスでは声優を専門とする役者も増えている。韓国では、放送局が放送劇団(声優劇会)を持っている。

声優の経歴[編集]

声優の経歴を見ると、以下のようなケースがある。

放送劇団出身[編集]

NHKと民放が組織した劇団で、局のアナウンサーとは別個に、芸能を担当するために放送局で養成され、主にラジオドラマを担当した放送タレントである。彼らを指す言葉として「声優」が生まれた。芸能事務所などの台頭で現在では全て解散している[43]

NHKの東京放送劇団からは、巖金四郎加藤道子中村紀子子黒沢良山内雅人勝田久名古屋章高橋和枝里見京子川久保潔、NHK札幌放送劇団出身の若山弦蔵、NHK九州放送劇団出身の内海賢二など多数。民放では後のTBSにあたるラジオ東京放送劇団からは大平透中村正滝口順平田中信夫朝戸鉄也向井真理子など。地方局では、CBC中部日本放送劇団出身の中江真司、RKB毎日放送劇団出身の八奈見乗児など。地方局で活動していたのはラジオドラマ時代までで、テレビ時代になると海外作品の日本語吹き替えなどの声優の仕事は東京に集中していった。

声優養成所・声優学校出身[編集]

声優プロダクション付属の声優養成所(養成所)、声優になるためのレッスン指導を主とする養成所、声優関連の学校(声優養成学科がある専門学校)などの出身。

養成所・専門学校[編集]

声優になることを目指すには、声優の養成所や専門学校に通うのがもっとも一般的である。養成期間はおおむね1年から3年で、養成期間修了後に行われる所属オーディションに合格するとプロダクション所属となる。この時点では「新人・ジュニア・仮所属」などと称される見習い期間となる。見習い期間が終了し、内部審査を経て、認められた者だけが正所属(正規に所属する)となる。

こうした養成機関でのレッスン経験が全く無く、現役声優だった父・大塚周夫の紹介で声優事務所に所属した大塚明夫は、自著『声優魂』で、ステレオタイプな役者が多く輩出している元であると批判している[44]

舞台役者出身[編集]

主に舞台演劇やミュージカルなどをやる舞台役者が声優としても活動するケースは多い。

子役出身[編集]

児童劇団に所属する小中学生が声優の仕事をすることが多いが、そのまま、声優業を中心に活躍するケースも、古谷徹古川登志夫など、古くから多くの例がある。

その他の出身[編集]

アイドルグラビアアイドルモデル特撮番組系俳優・歌手お笑いタレントレポーターといった経歴のタレントが、その知名度を買われて声優業に進出するケースは多い。その後、声優として活躍するようになる事も増えてきている。

他の芸能人・著名人などの声優活動[編集]

俳優・歌手・音楽家・アイドル・グラビアアイドル・モデル・お笑いタレント・スポーツ選手・アナウンサーなどといった他の芸能人・著名人が、声優活動をすることがある。

もともと、専業の声優が確立されていなかった時代、東映動画の長編作品の頃から、長編アニメーション映画において、他の芸能人・著名人などを声優に起用することは珍しくない。1990年代以降のスタジオジブリ制作作品、2000年代以降のスタジオ地図制作作品に至るまで、こうした傾向は続いている。

批判[編集]

作品の質よりも話題性を狙って他の芸能人・著名人などを声優に起用するということも多いため[45]、他の芸能人・著名人などの声優起用に批判が出ることもある。

2007年公開のアニメ映画『ザ・シンプソンズ MOVIE』や2012年公開の映画『アベンジャーズ』などで、これまでのシリーズで日本語吹き替えを担当していた声優が、新作映画で俳優・タレントに交代する事態が発生しており、企業への批判が殺到した。『ザ・シンプソンズ MOVIE』、『TAXi4』、『エクリプス/トワイライト・サーガ』では、ソフト化に伴い劇場公開版に加え、元々担当していた声優陣による新たな吹き替え版が同時収録された。しかし、ソフト化の際に劇場公開版のみが収録される作品が大半である。特に『アベンジャーズ』ではキャスティングの変更などに対する批判のコメントがAmazon.co.jpの本作品のレビュー欄に殺到する事態となった[46]2012年公開の映画『プロメテウス』の主人公エリザベス・ショウ役の吹き替えにタレントの剛力彩芽が起用された際、ソフト化に際して変更もなかったため『エイリアン』シリーズのファンなどから酷評され、Amazon.co.jpのレビューが炎上した[47]

ターミネーター3』や『サイレントヒル: リベレーション3D』のように、劇場公開版では芸能人が吹き替えを担当したが、ソフト版ではプロの声優に差し替えて収録する場合もある。また、『X-MEN フューチャー&パスト』のように、新規バージョンをソフト化する際は、プロの声優で収録し直すケースもある。

2004年公開のアニメ映画『イノセンス』では、プロデューサーの鈴木敏夫が大物俳優の起用を立案し、草薙素子役を田中敦子から山口智子に変更しようとしていたが、スケジュールの都合に加えて「出来上がっているイメージを変えるべきではない」と出演を固辞した山口と、監督や声優陣の反対により田中が続投したということがあった。

ちなみにオリコンスタイルで「タレント(他の芸能人や著名人など)を声優に起用するべきか、それともしないべきか」というアンケート調査を2014年に行ったところ、ほぼ半々に意見が分かれた[48]

俳優を声優に起用すること[編集]

アニメ監督の原恵一は、他の芸能人や劇団の子役・俳優を声優に起用している[49]。同じくアニメ監督の富野由悠季は、声優の演技は型にはまっていると批判したことがある[50]。同じくアニメ監督の押井守は、存在感と新鮮さが声優に勝ることがあるとして[51]、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』ではメインキャラクター全員に有名俳優を起用している。

上述の俳優が声優に起用されることに関して、アニメを多く手がける脚本家の首藤剛志は「マイクの前で声を出しているだけの声優よりも、声優としての技量が劣っても、実際に観客の前で芝居をする俳優が買われているのではないか」と述べている[52]

特撮番組系の俳優の声優活動[編集]

東映特撮変身ヒーロー作品、とりわけ「仮面ライダーシリーズ」の「昭和ライダー」最終作にあたる『仮面ライダーBLACK RX』および「スーパー戦隊シリーズ」では『炎神戦隊ゴーオンジャー』に至るまで長きにわたりオールアフレコで制作されてきた。

所謂「平成ライダー」第1作にあたる『仮面ライダークウガ[53]および『侍戦隊シンケンジャー[54]から、俳優が顔出しで演じるシーンは基本的に一般的なドラマと同様の撮影同時録音方式に切り替えられたものの、現在でもスーツアクターが演じる変身後のシーンなど番組制作の各所でアフレコが多用されているため、特撮番組に出演経験のある俳優は、声優としての演技経験を事実上しているとも言える。そういうこともあってか、特撮番組で出演経験のある俳優がアニメなどの声あてをやることもあり、中には声優業をメインに転向した者もいる。

声優の経済環境[編集]

声優は、所属事務所からの基本給というものは存在せず、各人の仕事実績によるギャランティ(報酬金)が収入となる個人事業者である。所属事務所とは通常1年更新のマネジメント契約を締結し、売込みやマネジメントの対価として業界平均で出演料の約20%から30%を事務手数料として事務所へ支払い、源泉徴収も10%[注 9]引かれ[注 10]、この残りが声優の手取りの報酬となる[55]。歌手や俳優など他の芸能の世界と何ら変わりない厳しい競争社会であり、経済的に自立できずに脱落していく者も多い。

日本語吹き替えが始まった1960年代には、声の仕事は顔出し出演の7割の出演料「顔出しの七掛け」とされ[56]、低い位置にある仕事とみなされ、舞台俳優がアルバイトのような形でやっていた。ただし実写の仕事と比較して、吹き替えの仕事は拘束時間が少なく掛け持ち出演が可能だったため、一概に低収入とは言えなかった。

声優の待遇改善については、声優の多くが日俳連に所属しており、日俳連は音響制作会社の集合体である日本音声製作者連盟(音製連)、声優のマネージメントを行う事業者で組織する日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)と「三団体実務小委員会」を設けて、出演ルールの改定や待遇の改善を申し入れて来た。ときにはストライキ1973年8月8日)や街頭デモ活動を行うなどして、1973年には報酬が約3倍アップ、1980年には再放送での利用料の認定、1991年には報酬が約1.7倍アップするなどの成果を勝ち取って来た。業界に対してのみならず、1973年と2001年にはデモ行進、1988年には永井一郎が『オール讀物』(文藝春秋)において『磯野波平ただいま年収164万円』と題してアニメ出演料の安さを訴える記事を寄せて、世間一般への理解を求める行動を起こしている[57]

日俳連・マネ協・音声連による協議の結果、外画動画出演規定、新人登録制度、CS番組に関する特別規定、ゲーム出演規定などを締結した。アニメでは、放送局と、アニメ制作会社で組織される日本動画製作者連盟も加わって、団体協約が締結されている。これにより、仕事1作品あたりの報酬は作品のジャンル・放送時間帯・放送回数・ソフト化などによる2次利用、そして経験実績などの条件によって受け取る額が算出される方法を取られており、音響制作会社の一方的な言い値で手取りを決定されるということはない[注 11]

以上の協定は、声優・マネジメント事業者・音声製作事業者がそれぞれの団体に所属しなければ縛られることはない。例えば、石原裕次郎は映画『わが青春のアルカディア』の出演料が1千万円だったと言われている[58]。そのため組織率を高めるために、音製連が製作する作品に出演する人数について「日俳連に属さない出演者の数は全体の20%以内」とし、日俳連に属さない出演者については加盟を推奨することが音製連には課せられている。逆にマネ協・日俳連側は、音製連に入っていない製作会社へ音声連への加盟を奨めることとなっている。

これらの協定を嫌う日本アドシステムズなどの製作者側もあり、日俳連に所属しない声優を起用するケースが1990年代半ばより増加したが、東映アカデミーラムズのように事業を停止したケースもある。音製連に属していない事業者としては神南スタジオや脱退した音響映像システム(現・サンオンキョー)などがあり、マネ協に属していない事業者としてはネルケプランニングなどがある[注 12]

ランク制[編集]

日俳連に所属する声優が、アニメと日本語吹き替え作品に声をあてる際の出演料についての規定で、この制度では報酬は、ランクと拘束時間によって算出され、演じる役の台詞量にかかわらない。また、社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)に加盟するゲーム会社との間にも同様のランク制が設けられている。ランクの設定は毎年4月に更新され、人気が上がったりキャリアを重ねると、マネ協や音製連との協議の上、ランクが上がっていく。ランクが1つ上がるごとに出演料が千円ずつアップする。例外として、60歳以上の者はランクを上げることは出来ても下げることは出来ない。1991年に出演料が約1.7倍アップしたこともあり、予算の限られたアニメや吹き替えにはランクの高い(出演料が高い)ベテラン声優が起用されなくなる弊害が生じるようになった。それにより、2001年から2年の期間限定でランク下げを認める特例期間が設けられた。

30分枠作品の最低ランクの出演料が1万5千円で、最高ランクが4万5千円、その上に上限なしのノーランクが設定されており、これが基本出演料となる。またその基本出演料に「目的使用料」として、アニメは1.8倍が加算され、吹き替えは1.7倍が加算される。予告編の台詞をやった場合、基本出演料のランクを基にしたギャラが加算される。放送時間枠が60分や120分の場合は「時間割増」となり、その分のギャラが支払われる。出演作品がソフト化されたり再放送された場合、規定に基づいて「転用料(2次使用料)」が支払われる。これらの合計が声優の総出演料となるのだが、そこから事務手数料や税金などで約30%から40%引かれる。

なお、アニメ・日本語吹き替え・ゲーム以外のナレーションの仕事は、このランク制の適用を受けない。

新人声優の待遇[編集]

声優学校や声優養成所を卒業して、マネ協加盟の声優事務所のオーディションに合格した新人声優は、まず預かりという身分から声優業をスタートする場合が多い。この時点ではまだ声優個人としての日俳連への加盟はできない。預かりは声優業の最初のステップとして、ランク制の事実上の番外とでもいうべき存在である。次いでジュニアランクとなり、ジュニアランクでいられる期間は3年間ないし所定の起用率に到達するまでで、その後は日俳連へ加盟し通常のランクに移行する[55]

出演料が安すぎるという理由で1990年に一度ジュニアランクを撤廃したことがあったが、1994年から新たな形で再び導入された。

ジュニアランクの声優の出演料は1万5千円で、ランクが付いた声優とは違い、上述の「目的使用料」「予告編の台詞代」「時間割増料」「転用料」は支払われない。

ベテラン声優の収入源[編集]

ベテラン声優の中には本業の傍ら、声優事務所の経営、声優の養成所や専門学校の講師、カルチャースクールの喋り方教室の講師、音響監督などといった副業をしている者もいる。またベテラン格になると、そういった副業の収入のほうが本業よりも多いという声優も珍しくないとされる。

声優の数[編集]

1996年発売のキネマ旬報刊『声優名鑑』には約2400人の声優が掲載されていたが、このうち声優としての地位が確立されている者は約300人だけで、しかもそのうち声優業だけで食べていける者は約半数だという[59]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ ただし、アニメ・日本語吹き替え・ゲームのナレーションはランク制の対象となる。
  2. ^ 特にラブライブ!のμ'sは、2016年3・4月に声優ユニットとしては初となる東京ドーム単独コンサートを予定している。
  3. ^ その後も2014年まで6年連続6回出場した。
  4. ^ 2015年に声優ユニットのμ'sが、水樹に次いで声優2組目となる紅白出場を果たす。
  5. ^ まれに普段使用している声優名のままでクレジットされていることもある。
  6. ^ ただしこれは無声映画作品に声をつけたものとして放送されており、本格的なラジオドラマとは質が異なる。
  7. ^ 村田美弥子(当時は村田美禰子)、村田竹子(いずれも女優・村田嘉久子の妹)とともに「スター」として取り上げられていた[13]
  8. ^ 第1期生の加藤道子が死去した際、読売新聞は「声優の草分け」と紹介[15]
  9. ^ 平成25年度以降の25年間は復興特別所得税が加算されるため、10.21%となる[1]
  10. ^ ただし、年収が少ないため結果的に源泉徴収税を納めすぎとなっているという者は、翌年の確定申告で還付を受けることができる。
  11. ^ 一概には言えないが、日俳連は基本的に土日祝日のゴールデンタイムに放送される番組に最も高いクラスの報酬を設定している。
  12. ^ ただし、現在ではスタッフの移籍がより増えたため、実質的に加盟している状況の会社もある。

出典[編集]

  1. ^ 小牧雅伸 『アニメックの頃…―編集長(ま)奮闘記』 NTT出版2009年、210頁。ISBN 4757142161 
  2. ^ NECホームエレクトロニクスの発売した家庭用ゲーム機PCエンジンのCD-ROMドライブの発売は1988年12月。
  3. ^ 大栄出版編集部・編『なりたい!!声優』大栄出版、1998年、p.152
  4. ^ 椎名へきる、林原めぐみ、國府田マリ子 ヒットチャートは声優だらけ!!、『日経エンタテインメント!』1997年6月号より(インターネット・アーカイブのキャッシュ)。
  5. ^ a b 市原光敏『声優になれる本』世界文化社、1996年、p.120。当時江崎プロダクションの社長だった江崎加子男の証言
  6. ^ 野村道子 2009, p. 130.
  7. ^ 橋本崇宏、柳谷杞一郎・著『声優になる!』雷鳥社、2008年、p.157。こおろぎさとみインタビュー
  8. ^ 山本健翔『声優になるには』ぺりかん社、2007年、p.136
  9. ^ 高田城、中川奈美『声優になるには』ぺりかん社、1997年、p.135。加藤敏音響監督インタビュー
  10. ^ 松田咲實 2000, pp. 121-122.
  11. ^ 大栄出版編集部・編『なりたい!!声優』大栄出版、1998年
  12. ^ “声優”の歴史をひもとく頁「いにしへの声優列伝」内。
  13. ^ 読売新聞 1930(昭和5)年1月6日付朝刊。
  14. ^ 西澤實『ラジオドラマの黄金時代』河出書房新社、2002年、18-19頁。
  15. ^ 読売新聞 2004年2月1日。
  16. ^ 浦崎浩實「映画人、逝く 七尾伶子」『キネマ旬報』2006年10月上旬号、キネマ旬報社
  17. ^ 勝田久「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、174頁。
  18. ^ 能村庸一『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』東京新聞出版局、1999年、20-21頁。
  19. ^ 勝田久「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、175頁。
  20. ^ 乾直明『外国テレビフィルム盛衰史』晶文社、1990年、60頁、118頁、557頁。
  21. ^ 串間努『少年ブーム 昭和レトロの流行もの』晶文社、2003年、41頁。
  22. ^ 引田惣彌『全記録テレビ視聴率50年戦争 そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、38頁。
  23. ^ ハイパーボイス監修『すごい!アニメの音づくりの現場』雷鳥社、2007年、79頁。音響スタッフだった田中英行の証言。
  24. ^ 松田咲實 2000, p. 15.
  25. ^ 野村道子 2009, p. 24.
  26. ^ とりみき 『映画秘宝Vol.3 とり・みきの映画吹替王』 洋泉社、2004年、274頁。
  27. ^ 「太平洋テレビジョンの労働争議」について若山は実名を避けながらも証言をした数少ない一人である。
  28. ^ 高田城、千葉節子『声優になるには』ぺりかん社、1983年初版、1994年改定版、47頁。
  29. ^ 松田咲實 2000, p. 43.
  30. ^ 『テレビ黄金時代の立役者12人の告白 あの日、夢の箱を開けた!』小学館、2003年、190頁。
  31. ^ 酒井広「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・六本木」『映画はブラウン管の指定席で』淀川長治監修、テレビ朝日編著、全国朝日放送株式会社、1986年、p.38
  32. ^ ドン上野『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年、152頁。
  33. ^ 『ジ・アニメ』1982年3月号、108頁。
  34. ^ 藤井青銅『ラジオな日々 80's RADIO DAYS』小学館、2007年、24頁。
  35. ^ 尾形英夫『あの旗を撃て! 「アニメージュ」血風録』オークラ出版、2004年、60頁、120頁。
  36. ^ アニメージュ編集部・編『声優になりたいあなたへ』徳間書店、1994年、p.46
  37. ^ 「声優業界の明日はどこにあるのか?」『流行批評SPECIAL EDITION オタクになれないアニメ好きの本』キルタイムコミュニケーション、1997年、107頁。
  38. ^ 堀田純司『萌え萌えジャパン』講談社、2005年、264頁。
  39. ^ 松田咲實 2000, p. 16.
  40. ^ a b 声優ブームが生んだ功罪 今の声優に求められるものとは?”. ORICON STYLE. オリコン株式会社 (2015年2月8日). 2015年8月9日閲覧。
  41. ^ 『週刊プレイボーイ』集英社、2013年7月1日号、70頁。
  42. ^ 「新人で歌やイベントがNGなら仕事が難しい」変わりゆく声優の現状をプロが真剣討論 エキサイトレビュー 2015年5月11日、同9月22日閲覧。
  43. ^ 「ラジオ名作数々残し 来春NHK放送劇団が"終幕"」『中日新聞』1989年11月5日付け夕刊
  44. ^ 「声優だけはやめておけ。」と声優・大塚明夫が綴った「声優魂」 GIGAZINE 2015年3月29日、同5月8日閲覧。
  45. ^ 原恵一、浜野保樹・編著『アニメーション監督 原恵一』晶文社、2005年、p.48。「劇場版『クレヨンしんちゃん』の有名人のキャスティングは宣伝の一環だ」と原恵一の証言
  46. ^ 批判殺到でコメント欄の炎上も!タレントの日本語吹き替え版起用に映画ファンの怒り爆発!(シネマトゥデイ)
  47. ^ 映画『プロメテウス』声優にタレント剛力彩芽を起用して強い批判の声 / ファン「メーカーは正気なのでしょうか?」 ロケットニュース24、2015年3月17日閲覧。
  48. ^ タレントの声優起用、ほぼ半々に意見が割れる ORICON STYLE 2014年8月1日閲覧。
  49. ^ 「原恵一監督が語る新作映画のキャスティング!」『サイゾー』インフォバーン、2007年8月号。
  50. ^ 富野由悠季 『富野由悠季インタビュー集 富野語録』 ラポート1999年1月、195頁。ISBN 978-4-89-799296-9
  51. ^ 押井守 『すべての映画はアニメになる』 徳間書店、2004年3月27日、307-309頁。ISBN 978-4-19-861828-5
  52. ^ 首藤剛志「シナリオえーだば創作術 第39回 『戦国魔神ゴーショーグン』予告のわけ……」”. WEBアニメスタイル (2006年3月1日). 2013年4月18日閲覧。
  53. ^ BIGLOBEポータル内旧コンテンツ「お仕事DB」第33回・鈴村展弘インタビュー記事より。2014年2月8日確認(2014年2月22日時点のアーカイブ
  54. ^ 侍戦隊シンケンジャー 第二幕 極付粋合体 東映公式サイト 2014年1月9日閲覧。
  55. ^ a b 野村道子 2009, p. 148-149.
  56. ^ とり・みき『映画秘宝Vol.3 とり・みきの映画吹替王』洋泉社、2004年、p.141。野沢那智インタビュー
  57. ^ 日本俳優連合30年史 本編 1986年〜1990年 ショッキングな実態公表日本俳優連合公式サイト
  58. ^ アニメージュ編集部・編『劇場アニメ70年史』徳間書店、1989年、93頁。
  59. ^ 市原光敏 『声優になれる本 - あの声優がすべてを明かす!』 世界文化社、1996年、101頁。ISBN 4418965084 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]