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 11月に出る予定の本のゲラと格闘中。
 11年連載してきた記事の総集編で、130回、約150人の写真家にインタビューし、写真を撮った。

 塵も積もれば凄い分量の記事で、全部で550ページ(二段組み
)ほどの分厚い本になる。
 
 ただ、雑誌自体の文字が大きくなり文字量が減ったり、レイアウトを変えたりしているので、最初の頃と比べると、今は記事の分量が3分の2ぐらいになっている。だから、初期数年間の記事をバッサリ削って分量を合わせる作業が、初校の主眼になる。

  文章というのは削ろうと思えばいくらでも削れるから、それはい
いのだけれど、何しろ分量が多い。一回あたり平均10枚(400字詰原稿用紙換算)としても1300枚。標準的な単行本の2冊以上である。それに、10年前の雑誌記事に自分が何を書いたなど全部は覚えちゃいないので、ついつい、「おー、ええこと書いてるやん、俺」とか、「最初の頃は文章に勢いがあるな」などと、感慨にふけってしまうのでなかなか進まない。

  なかでも、最初の2年ぐらいは、文藝春秋「本の話」(『戦士の
肖像』文春文庫発売中)と「月刊写真工業」(『撮るライカ』光人社より単行本発売中)と連載を掛け持ちしていたせいか、ノリに乗って書いている感じがする。


  そういえば、連載開始当時は胃潰瘍が癒えたばかりで体調は悪か
ったが、体重はいまよりかなり軽く、そのぶんフットワークもよかったように思う。担当編集者が折に触れ撮ってきた私の取材風景の写真を見ても、自分の成長ぶりはめざましく、やっぱりこれではいかんとダイエットの誓いを新たにしているところだ。



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 昭和十七年十月一日、南東方面の海軍部隊では若干の編成替えがあり、草鹿任一中将が十一航艦司令長官として、南東方面の基地航空部隊の総指揮官となり(十二月、南東方面艦隊司令長官)、第八艦隊付属であった二空が、六空と同じ二十六航戦に編入された。


 十月一日現在の海軍戦闘機搭乗員の実数は、航空本部の「搭乗員現在員調」によると、以下のようになっている。(カッコ内は、その内、司令部勤務や療養などで搭乗配置についていないもの)

 中佐八(四)、少佐十三(二)、大尉三十九(五)、中尉二十八、予備大尉二、予備中尉〇、予備少尉八。 (士官・予備士官計九十八名)

 飛行特務大尉〇、飛行特務中尉二、飛行特務少尉十二、飛行兵曹長三十六。 (特務士官・准士官計五十名)

 一飛曹百四十九、二飛曹八十八、三飛曹百四十八、兵三百七十一。 (下士官兵計七百五十六名)

 ――総計九百四名。


 たったこれだけの人数で、最前線の七つの基地航空隊、五隻の母艦航空部隊から練習航空隊を含む内地の航空部隊まで、すべてをまかなっていたのだ。



 宮野善治郎大尉以下、木更津に残っていた六空戦闘機隊主力が、空母瑞鳳に乗って横須賀を出港したのは、九月三十日のことである。飛行機は、クレーンで瑞鳳に搭載された。

 搭乗員は二十七名(士官二、予備士官一、准士官一、下士官七、兵十六)、瑞鳳に搭載された六空の戦闘機は、予備機もふくめて一号戦十三機、二号戦十九機、計三十二機で、二十七機が発艦してラバウルに向かい(到着は十月七日)、残った五機はトラック基地に陸揚げされ、別途ラバウルに空輸されることになっていた。


 十月二日には司令や本部要員を乗せた九六式輸送機が木更津基地を発進する。偵察分隊長・美坐正巳大尉の率いる九八陸偵三機も、輸送機に随伴して進出の予定であったが、防弾工事で重量が増加し、第一中継点の硫黄島まで飛べず、増槽を改修してから改めて進出することになった。柴田首席参謀の覚書には、「九八偵駄目」と、苛立ちを隠せないような殴り書きが残っている。

 偵察分隊には、双発の二式陸偵三機もあったが、「八月末供給の予定のものが今尚発動機がごねておる。九八陸偵よりはまし。十三試艦爆(注:のちの彗星)配備の希望を出すも、艦隊が先になっておって、月五、六機程度で(こちらまで)回ってこない」(同)と、補充は思うようにいかなかった。

 偵察分隊のラバウル進出ははるかに遅れて十二月。飛行機は、海軍の陸上偵察機が性能が不足している上に生産が間に合わず、当面は陸軍の百式司令部偵察機の貸与を受けることになる。



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 NPO法人「零戦の会」慰霊祭・総会から二週間になる。

 去年の総会からの一年間に、残念ながら物故のお知らせを受けた、会員の元搭乗員の方々。

 皆さん思い出深く、哀惜の念は尽きない。

 以下、50音順に。


 伊藤 久 氏 (海兵73、二〇三空戦闘三〇三飛行隊)
 江上純一氏 (海兵71、三八一空、元零戦搭乗員会事務局長)
 加藤 清 氏 (丙飛2、筑波空戦闘四〇三飛行隊)
 黒澤丈夫氏 (海兵63、第七十二航空戦隊司令部)
 小町 定 氏 (操練49、横空、元零戦搭乗員会副代表世話人)
 小柳正一 氏 (丙飛14、二五二空 ※平成21年ご逝去)
 鈴木英男 氏 (予学13、七二一空桜花)
 長野道彦 氏 (丙飛11、三三二空)
 肥田真幸 氏 (海兵67、一三一空攻撃二五四飛行隊)
 桝谷秋雄 氏 (丙飛7、霞空)
 松本豊次 氏 (予学13、三一二空)
 宮崎 勇 氏 (丙飛2、三四三空戦闘三〇一飛行隊)


 こうやってお名前を挙げているだけでも胸がいっぱいになる。
 肥田さんの訃報は、慰霊祭の前日に伝わったので、一同大いに驚き、悲しんだ。


 物故された方々のご冥福をお祈りするとともに、ご存命の元搭乗員の皆さんのご長寿を願わずにはいられない。






 
 
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