早崎内湖ビオトープ聞取調査結果広報びわ

手をつなぐ、未来へつなぐ 内湖の記憶

 奥びわスポーツの森の北側に広がる広大な田んぼ。そこでは春には田植え、 秋には稲刈りと、びわ町に住む私たちにとって見慣れた光景を見ることができます。 この当たり前に見えるこの風景の裏には、失われてしまったもの、失われつつあるもの、残していかなければならないものがあります。それは自然であり、心の中に残る記憶です…。今、それをつなぎ、未来に伝えていく取り組みが始まっています。

 このの広大な田んぼは、かつては琵琶湖とつながり、水が流れ込み、多くの魚の産卵場となり、
多様多様な生物や植物が住む
『内湖』でした。 この「早崎内湖」は、戦後の食糧増産の必要性から埋め立てられ、米が作られてきたのですが、時は流れ今、この「早崎内湖干拓地」を再び、かつての内湖に戻そうという計画が進められています。 早崎区で地域福祉事業に取り組む早崎JHの会(広報びわ1月号で紹介)のメンバーは、「内湖を以前のように復元するのであれば、当時の早崎内湖の様子とその記憶をしっかりした形に残して、それを将来に生かしていかなければ」と考えました。
 そこで、29日(日)、当時を知る地元の人たちから、埋め立てが始まる昭和39以前の早崎内湖の自然について、聞き取り調査を行いました。

内湖で真珠養殖?
 「真珠の養殖があの時うまいこと行ってたら、今ごろ早崎に真珠工場の社長がごろごろいて、御殿が建ってたやろな〜」という、びっくりするような話が飛び出しました。昭和30年代、5,000円(当時の1か月分くらいの給料といいます)を出資して、権利を買い、真珠の養殖に取り組んだ家があったそうです。「田んぼの農薬の影響でみな死んでまいよった。干拓も始まるということで権利も売ってもたんや。今から思うと夢ですわ!」という思い出話に、会場のみんなが笑います。真珠の養殖をやろうという話がでることからも、当時の水質の良さがわかろうというものです。

 この日の聞き取り調査は、こんなふうになごやかな雰囲気で進みました。聞き取りを行った村上先生は西浅井中学校の校長先生であり、琵琶湖の生態系の専門家。昨年実施された「早崎生きもの観察会」でも、アドバイザーとして活躍していただいています。好奇心おう盛な先生からは、矢継ぎ早に質問が浴びせられました。そしてその質問に、早崎のみなさんは当時の記憶を呼び起こしながら、答えてくれました。

 引き続いて、魚や水草といった、当時の内湖の生態系に話はおよびます。

ビチビチビチビチ!魚のしぶきで眠れぬ日も
 驚くべき話は続きます。
 魚は琵琶湖から内湖に産卵にやってきて、卵を生んだ後、また琵琶湖に帰っていきました。「内湖は水は動かんし、水深も
1.5mほどと、浅くも深くもないんで、魚にとっちゃ最高の環境なんやろね」というとおり、産卵時ともなると、内湖にはおびただしい数の魚がやってきて、それは壮観なながめだったといいます。しかも、産卵は水深の浅い岸側(早崎の集落側)で行われるため、「魚が動くしぶきの音がうるさくて、夜眠れない日があったくらい」だったのだとか。
 そういう場を再現しないとね…」と村上先生はつぶやきます。そこで間髪入れず「でも今、琵琶湖と内湖をつないだらブラックバスが入ってきよるがな!」という声が。確かにそうかもしれません。繁殖力のあるブラックバスなどの外来魚のために、琵琶湖に生息する在来魚を始めとする生態系が脅かされている状況に県では頭を悩ませており、41日から施行される「琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」では、釣った外来魚を再び琵琶湖に戻さないように定められました。

一人で1日400kg?内湖の「もんどり」漁
 話を昭和30年代の内湖に戻します。当時の早崎区にはこの豊富な魚を捕って、収入を得ていた漁師が10人ほどいたといいます。早崎内湖は早崎から安養寺、湖北町海老江地先にまでまたがっているので、それぞれの住民が内湖で漁をしていました。内湖の中でそれぞれの区の縄張りみたいのが何となくあったようや。海老江の漁師が益田川のへんまできょったりしたときには、ケンカもあったみたいやね」とふりかえります。
 早崎内湖では「もんどり」という器具を使った漁が主に行われていたといいます。「もんどり」は円柱形で、リング状態の竹ひご3本に網をかぶせたもの。円柱を寝かせた状態で水中に設置し、翌朝、中に入った魚を引き上げます。各戸それぞれが500から1000個のもんどりをせっせと作り、しかけていたため、魚の確認するため、もんどり全部を引き上げるだけで午前中いっぱいかかってしまったとか。でもこの手間の甲斐あって、1人で100貫から150貫捕れる日が1年に何回かあったそうです。1貫は3.75kgですから、1日に400kg前後にもなります。「そんな日は人を雇わな追いつかんかったわ。雇た人は魚をやるだけで良かったんやから」、「漁ができる4月から6月の3か月がかせぎ時やけど、1日に5,000円の水揚げにはなった。あのころの会社員の日当が200円やったから、ほらすごいもんや。ほれでも今、御殿を建ててるもんはいんな〜」、「ほら、もうけたはたから酒飲んどったんやろ!」一堂は大笑い。昔なつかしい話はつきません。

ヨシを刈って、焼く四季にあわせた営み
 4月から6月にかけては漁を、春から夏にかけては米作り、早崎内湖の周辺では、四季にあわせた営みが行われていきました。 冬になると、今度は『ヨシ刈り』の季節がやってきます。(ヨシについては広報びわ1月号特集:ヨシ行けどんどん作戦でも紹介しています)雪が降り始める前、11月末から12月末にかけて行われます。ヨシはヨシぶきの屋根の資材として他の集落から買いに来る人がいるほど需要があり、当時はよい収入源となっていました。区が所有する土地については入札を行って、みなが良い土地を争うほどだったといいます。3月末から4月の間にかけて、今度は刈った後のヨシを焼き払います。ヨシは新芽が出る前に病害虫もろとも焼き払うことで、あくる年、よりよく育つのです。ヨシの入札制度も昭和5758年ごろに廃止。干拓が行われた後に内湖のヨシも少なくなってきたといいます。「ヨシ焼きとかのサイクルがなくなると、ヨシもすたれてくるんかな…」というつぶやきが聞こえてきました。

子どものころ遊んだあの内湖を再び
 内湖でとれた魚は、炊いたり、焼いたり、漬けたり、刺身にしたりと、日々の食卓をにぎわせました。また、大雨があった時には内湖の水位が上がり、田んぼが水びたしになってしまうというので、南郷の洗堰(大津市)まで陳情に行ったりもしたそうです。こんなふうに、早崎をはじめ内湖の周辺に住む人たちにとって、内湖は暮らしの中にありました。「子どもたちは内湖のそばでみんな遊んでやあったんかいな?」と村上先生がたずねました。すると、「危ないから行くなとも言われんかったな…」「男女を問わずみんな行ってた…」「ごはんつぶをエサにして魚釣りをようしてたわ、他にすることもなかったし…」昔、早崎内湖で遊んでいた本人たちが口々に語り始めます。席上、「やっぱり、釣りができるようにしてほしいな!」という声があがりました。

 村上先生は「この早崎内湖が淡水魚の博物館のようなものになればいいなと思います」と、この日の聞き取りを締めくくりました。内湖復元をめぐる思いは人それぞれです。

 平成13726日、益田公民館で行われた「知事と気軽にトーク」において、國松知事が「早崎内湖干拓地を湖に戻す」計画を発表して以来、内湖復元に向けた取り組みが色々な面から進められています。 この、内湖の復元という、全国でも例のない歴史的な事業。どのように進んでいくのでしょうか?

湖には放っといても 自然が戻ってきています

坂井博さん(早崎)
 私は今、干拓地排水機場の管理当番をしている関係で、しょっちゅう水張り調査をされている水田を見てまわり、写真を撮ったりしているのですが、水を張った当初には見られなかったヒシやヨシといった植物が次々と生えてきています。また、去年実施した生き物観察会の折には、いろいろな種類の魚を見ることができました。このように内湖では、人が特に手をかけずとも自然と生態系は戻ってくるものです。昔、早崎内湖では、魚は春に内湖にやってきて卵を生み、稚魚は育ち、夏に水位が下がりかけると、琵琶湖に帰っていきました。そして水位が下がった内湖からは湖底の泥か、水草が枯れたためか、臭いにおいがしてきたものです。

 新たに内湖を再生し、生き物の生息地にするのなら、年中、水位が保たれ、水が対流するような構造にしないといけないと思いますね。

昔のようすを伝えてくれたみなさん

酒井猛さん、河崎義隆さん、松井茂さん、坂井博さん、松井和士さん、中川善一さん、倉橋義廣さん 萩崎五雄さん、吉川季雄さん

話しを先輩から聞き取ったみなさん
 倉橋義廣さん(早崎JHの会会長)、土永彩さん(京都大学大学院農学研究科)、村上宣雄さん(全国学校ビオトープネットワーク副会長)、萩崎二三雄さん。松井賢一さん、兼房見喜男さん(いずれもJHの会)。 このほか、地域情報誌「み〜な」小西光代さんも同席。

 県で策定している琵琶湖総合保全整備計画『マザーレイク21計画』も、琵琶湖の自然や、琵琶湖が持つさまざまな機能を取り戻すための道筋を示したものです。いずれの法律・計画も、行政、住民、NPO、専門家が協力して自然再生事業を進めていくことが掲げられており、早崎内湖の再生事業も例外ではありません。例えば、この日の聞き取り調査、早崎区内の有志のグループである早崎JHの会が、環境省の補助を受けて実施したもの。平成1415年度の2か年事業ですが、会では今後、今回の調査結果のとりまとめや、早崎内湖のホームページの立ち上げ、内湖での自然観察会を予定しています。

 217日(月)には、県で設けられているビオトープ検討委員会が開催されました。こちらは専門家が主体になって内湖の生態系の検討をしています。席上では、今回の聞き取り調査の結果も報告されました。いっぱう、現在行われている早崎内湖干拓地の一部に水をはって、水質や生態系の変化を見る調査も、来年度いっぱい実施される予定になっています。 

 この一大プロジェクトは、県が国の補助を受けて実施されることになります。
  その実現の方向性は未だ不透明な段階ですが、町としては、地域振興策検討委員会で取りまとめられた地元の声が、数多く実現するよう、県や国に働きかけていくこととともに、今後も情報の提供に努めていきたいと考えています。

お問合せ 企画調整課 ? 0749- 72‐5252

早崎崎内湖聞き取り調査に参加して
  京都大学大学院農学研究科   土永 彩さん
 調査当日は、話しを聞かせてくださったみなさんが早崎内湖の昔の姿をとてもくわしく覚えていらっしゃることに驚きました。内湖に舟で漕ぎ出したときの竿の感触、水の冷たさ、魚を釣った時の様子など、私自身がまるで体験しているような感じになりました。当時を語るみなさんはとても楽しそうで、「そんな体験をまたできたら楽しそうだな」と単純に思いました。ただ、現在は当時とライフスタイルが違いますし、内湖に復元したからといって、当時のような環境に完全に戻るとは限らないと思います。ですが、当時のような自然環境や生物多様性を取り戻した内湖が復元されたなら、早崎内湖は地元の人にとってだけではなく、県内外の人にとっての憩いの場、体験型の環境学習ができる魅力的な場所になるのではないかと思いました。

早く田んぼを買い上げて 憩える場所に!
 早崎JHの会 倉橋義廣さん
 干拓が行われた当時に田んぼを買った人たちは、田んぼへの思い入れは相当なものがありました。ひどい泥質だった田んぼを改良に改良を重ね、今、やっと既成田なみの収穫量を確保できるようにまでなったくらいでしょうか。しかし、こうした農家も代がわりが進み、田んぼへの思いも変わってきているのも事実です。今、早崎を見渡しても、あと5年、10年したら田んぼをやる人が何人いるか…。
 早崎に住む多くの人の思いとしては、「田んぼを早く買い上げてもらって、何らかの活用をしてほしい!」の一言に尽きるでしょうか。それも自然保護ガチガチで近づけないような場所なく、地元の人が気軽に憩える場所になってほしいですね。

「広報びわ」より




早崎ビオトープネットワーキングホームページへ