アボリジニ

京都産業大学文化学部 国際文化学科 佐藤 富美

 

1、はじめに

 私はこの半年間オーストラリアに留学し、その文化や社会について学びました。その中でも強く心に残ったことの一つは先住民、アボリジニの人たちについてです。彼らは世界的にも有名で、私自身も留学をする以前から知っていたけれど、現地に行ってみるとアボリジニのオーストラリアにおける地位やその存在について、自分が思っていたことが多少異なっていたことがわかりました。彼らが実際にどんな歴史や文化を持ちどんな社会で暮らしているのか、また彼らと‘オーストラリア’の関係はどうなのかを調べていくことで、先住民と非先住民、多文化社会と人種差別の問題についてより深く考えたいと思いました。

2、アボリジニとは

アボリジニとはラテン語の「Aboriginal」(最初からの)に起源を持つ言葉で、その祖先は今から4−5万年前に東南アジアからニューギニアを経てオーストラリアに渡ったとされています。現在は全人口の1.5%を占めていますが、白人入植以前(18世紀後半まで)はおよそ30万の人々が大陸全土に広がり、500くらいの部族に分かれていました。定住はほとんどせずに、狩猟採集民族として先祖の代から決められた特定の領域を、季節の移り変わりと共に移動しながら生活していました。

3、白人入植と迫害

先に述べたように、アボリジニは定住の概念を持たない狩猟採集民族だったため、定住農耕民族型の白人から、「アボリジニは政治制度がなく、成文法も規律ある社会生活もなく、土地の所有関係をはっきりさせるものがないので、土地は未開、未所有のものであるので、誰でも自由に開拓してよい」(注1)とみなされ、1770年、キャプテン・クックがオーストラリアを大英帝国のものであると宣言したときから、彼らは白人入植者によって不法占拠民のレッテルを貼られ土地を追い出されるようになりました。牧羊産業が盛んになり始めた1830年代には白人とアボリジニの対立はさらに激しくなり、その牧草地拡大を目指す白人の武力、暴力、虐殺によって土地をどんどん追いやられ、白人によって持ち込まれた病原菌などにより人口も急激に減少し、1930年代には6万人台となってしまいました。オーストラリアの東南部では1840年代に純血のアボリジニは消滅し、タスマニアでは1876年に絶滅してしまいました。

4、アボリジニ保護政策

 しかし1911年、ノーザン・テリトリーが南オーストラリア州から連邦直轄地になりアボリジニ問題が連邦によって取り扱われるようになると、少しずつ変化が見られるようになりました。そして1937年に行われた連邦・州アボリジニ担当部局会議で「アボリジニは死に行く民族という規定を廃止、純血、混血を問わず白人社会に同化させる事を基本方針とし、そのためにアボリジニを積極的に援助し機会の均等を目指す」ことが決められました。さらに1965年には、アボリジニに対する強制同化政策を廃止し、文化の維持を認めつつオーストラリア社会への統合を促進する統合政策が採用されました。また、所有の概念こそ違うものの、精神的にも経済的にもアボリジニが土地と強く結びついていたことが知られるようになるとともに、アボリジニ側からの訴えや土地復権運動などが盛んになると、アボリジナルランド・ライト法(1976年)や先住民族土地所有権(1993年)などの土地所有権も認められ、返還された土地はオーストラリア全土の17%ほどに達しました。人口も増え始め、1991年の調査ではおよそ26万5千人いるとされました。

5、現在と諸問題

 現在、アボリジニを自認する35万人のうち、8割が都市部生活者となっています。残りの2割は一般の観光客は許可なしに入ることができないアボリジナルランドで狩猟採集と現代の生活をミックスした形で生活しています。観光地にいるアボリジニの人たちはスタッフとして雇われ、文化を伝えているものの狩猟などをしている人々はまれです。私もアボリジニの子孫であるという人たちに出会いましたが、他のオーストラリア人たちと同じように生活をしている人がほとんどで、言われなければアボリジニであるということにも気づかないくらいでした。しかし都市部に住む彼らの多くは今も偏見や差別、低学歴などで定職につく人が少ない状況です。失業率も高く、平均収入は全豪平均の半分ほどで、彼らの収入の大半は政府からの福祉手当、失業手当に頼っているのが現状です。その他にも、健康状態が悪く不衛生な環境から来る平均寿命の短さ、アルコール中毒とそれに伴う犯罪率の高さなど、問題は依然としてたくさんあります。その中でも大きな問題のひとつとしてあげられるものが、盗まれた世代です。

豪政府は1910年ころから1970年代にかけて、アボリジニの子供も「進んだ文化」のもとで育てられるべきという考え方から、主に混血児らを親元から引き離して白人家庭や寄宿舎で養育する政策を実施しました。このためにおよそ1割が家族とアボリジナル文化を奪われた「盗まれた世代」として広く知られるようになり、政府による公式謝罪を求めていましたが、ついに今年、2008年2月13日、ラッド首相が約30分かけて演説をし、謝罪しました。(2)

しかしこの政策の影響はいまだ大きく、約10万人の人がアイデンティティの喪失に苦しみ、現在の諸問題もこの政策が理由ではないかといわれているほどです。

6、おわりに

 先住民と非先住民社会の健康、教育そして経済的水準などにおける格差は国内の深刻な問題となっています。しかしこれに対して豪人にはアボリジニ自身の責任だとする意見もあります。公的機関が住環境を整え、生活向上をめざし、犯罪防止に努めようとしても結果的にはアルコールやドラッグ中毒者は増え、犯罪は減りません。失業に関しても、彼らは自分で努力しようとせず、ただ政府に頼っているだけだ、政府はアボリジニを甘やかしすぎなのでは、という意見も聞かれました。しかし、いずれの問題も、もともとアボリジニ社会にはなかったものだとアボリジニ側は反論します。

 私は今回のことを調べていて、オーストラリアはいろんな国の人が人種の枠を超えて共に暮らす多文化社会でありながら、同時に一番歴史と関りの深いアボリジニと未だこんなにも大きな問題を抱えていて、歴史や文化、背景が異なると誤解が生じたり、問題が次から次へと出てきてしまったりと、異文化理解の難しさと大切さを知りました。他にも世界には先住民と非先住民、先進国と発展途上国などで様々な問題があるけれど、本当の意味での保護と援助、そして互いの理解、協力と歩み寄りが必要だと、改めて痛感しました。

 

《引用》

注1:FX|Aboriginal  http://www.globalcom-japan.com/aust10.htm

2NICHIGO PRESS VIC EDITION  20083月号

《参考文献》

・『アボリジニで読むオーストラリア もう一つの歴史と文化』青山晴美著 明石書店

2008

NICHIGO PRESS VIC EDITION 20083月号

FX|Aboriginal   http://www.tradition-net.co.jp/door/door_oz/oz_aboriginal

・アボリジニ   http://www.globalcom-japan.com/aust10.htm