イタリア

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イタリア共和国
Repubblica Italiana
イタリアの国旗 イタリアの国章
国旗 国章
国の標語:なし
国歌
マメーリの賛歌
イタリアの位置
公用語 イタリア語[1]
首都 ローマ
最大の都市 ローマ
政府
共和国大統領 セルジョ・マッタレッラ
閣僚評議会議長首相 マッテオ・レンツィ
面積
総計 301,230km269位
水面積率 2.4%
人口
総計(2008年 59,870,000人(23位
人口密度 193人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 1兆5,722億[2]ユーロ (€)
GDP (MER)
合計(2008年 2兆3,138億[2]ドル(7位
GDP (PPP)
合計(2008年 1兆8,145億[2]ドル(10位
1人あたり 30,580[2]ドル
成立
イタリア統一運動 1861年3月14日
ローマ遷都 1871年7月2日
ファシスト政権成立 1922年10月22日
共和制移行 1946年6月2日
通貨 ユーロ (€) (EUR) [3][4]
時間帯 UTC +1(DST:+2)
ISO 3166-1 IT / ITA
ccTLD .it
国際電話番号 39
  1. ^ 南ティロルではドイツ語ラディン語フリウリ=ヴェネツィア・ジュリアではスロヴェニア語ヴァッレ・ダオスタではフランス語
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧 ([1])
  3. ^ 1999年以前の通貨はイタリア・リラ
  4. ^ イタリアのユーロ硬貨も参照。

イタリア共和国(イタリアきょうわこく, IPA: [iˈtaːlja] ( 聞く), イタリア語: Repubblica Italiana)、通称イタリアは、ヨーロッパにおける単一国家議会制共和国である。総面積は301,338km2で、イタリアではlo Stivaleと称されるブーツ状の国土をしており、国土の大部分は温帯に属する。人口は約6,100万人でヨーロッパ第5位である。イタリアは非常に高度な先進国であり[1]ユーロ圏では第3位、世界では第8位の経済大国である[2]

古典古代以来、現在のイタリアに相当する地域には、エトルリア人マグナ・グラエキア人及びその他文化が栄え、何世紀にもわたって西洋文明の主要な政治及び宗教の中心地、すなわちローマ帝国及びキリスト教の首都であり続けた古代ローマにより最終的に併合された。イタリア半島は民族移動時代に侵略に直面したが、11世紀初頭頃、多数のイタリアの都市国家が、海運業、商業、銀行業で大いなる繁栄を得た。現代の資本主義は中世イタリアを起源とする[3]。特にルネサンス期、レオナルド・ダ・ヴィンチガリレオミケランジェロマキャヴェッリのような、学者、芸術家、博学者を生み出し、イタリアの文化は繁栄した。マルコ・ポーロコロンブスヴェスプッチヴェラッツァーノのような探検家は、極東及び新世界への新航路を発見し、ヨーロッパの大航海時代における先導に一役買った。それにもかかわらず、中世後半にイタリアは多くの戦争国家に分裂し、後にフランススペインオーストリアのようなヨーロッパ列強の犠牲になった。それ故、イタリアは19世紀中頃まで続く長い衰退期に突入した。

第二次イタリア独立戦争及び第三次イタリア独立戦争により、1859年から1866年までの間に現在のイタリアの大部分の統一がもたらされた[4]。19世紀後半から20世紀前半まで、新たなイタリア王国は急速に工業化し、植民地帝国を獲得して列強になった[5][6]。しかしながら、イタリア南部及び農村部の大部分が工業化から除外され、大規模かつ影響の大きな離散を巻き起こした。第一次世界大戦での勝利にもかかわらず、イタリアは1922年のファシスト独裁の設立に好都合な経済危機及び社会的混乱に突入した。後の第二次世界大戦への枢軸国側での参加は、軍事的敗北、経済的破壊、内戦に終わった。その後の数年間で、イタリアは君主制を撤廃し、民主主義を回復し、長期に及ぶ好景気を享受したことにより、1990年までに先進国の一つになり[7][8][9]、世界第5位の経済大国になった[10]

イタリアは世界的な軍事、文化、外交において大きな役割を果たし[11]、主要な地域大国であると考えられている[12][13][14]欧州連合の原加盟国及び指導国であり、国連NATOOECDOSCEDACWTOG4G6G7G8G10G20地中海連合ラテン連合欧州評議会中欧イニシアティブアジア欧州会合コンセンサス連合を含む多くの国際機関の加盟国である。

国名[編集]

正式名称は、Repubblica Italiana (イタリア語: レプッブリカ・イタリアーナ)。通称は、Italia [iˈt̪aː.l̺i̯a] ( 聞く)(イターリア)。

公式の英語表記は、Italian Republic(イタリャン・リパブリク)。通称は、Italy [ˈɪtəli] ( 聞く)(イタリ)。

日本語の表記は、イタリア共和国。通称はイタリアであるが、イタリヤと表記されることもある。古くはイタリーとも表記された(発音は英語のItaly、フランス語のItalieに近い)。また、漢字による当て字で、伊太利亜、伊太利、以太利[15]などと表記することもあり、伊と略されることもある。

イタリアという名の由来に定説はない。確かなことは、イタリアという単語は元々、半島の南端部の狭い地域の名だったということである。由来についての有力な説は、古ラテン語vitulus (ウィトゥルス、雄の子牛)から転じたという説である。また、古代ローマの歴史家・ハリカルナッソスのディオニュシオスによれば、ギリシャ人が現在のカラブリアに上陸した時、初めて接触した民族がイタロス人英語版Ἰταλός)だったため、その地域が「イタリア」と呼ばれるようになったという。この伝説についてはアリストテレストゥキディデスも言及している。

歴史[編集]

ローマ以前-ローマ期[編集]

ピサ
Palazzo della consulta

ギリシア時代から都市国家が成立。なお、伝説では紀元前753年にローマ建国 エトルリア人も12の都市国家による都市連合の王政を築いていた。

伝承によれば、紀元前509年にローマ人パトリキ(貴族)がエトルリア人の王を追放し共和制を開始した。サムニウム戦争紀元前343年 - 紀元前290年)などにより紀元前272年にイタリア半島を制圧。

フェニキア人の植民国家カルタゴとの戦争(ポエニ戦争)(紀元前264年 - 紀元前146年)によりシチリア島を獲得。地中海の覇権を握る。

その後もイタリアはローマ帝国の中心地域として栄えたが、395年に帝国の統治機構及び皇帝位を東西に分割し[16]、イタリアが所属する西ローマ帝国476年に滅びる。西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルイタリア王となり、これが国号としてのイタリアの走りとなった。

ローマ帝国分割以降[編集]

493年にはオドアケルが滅ぼされ東ゴート王国が成立、さらに553年には東ローマ帝国が全土を掌握し、イタリアは80年ぶりにローマ帝国領として奪還された。しかし、帝国にとってもはやイタリアは1属州に過ぎず、さらにランゴバルド人の侵入により、ローマのイタリアに対する支配力は大きく低下した。なお、イタリアに常駐した最後のローマ皇帝は7世紀のコンスタンス2世である。彼は南イタリアとアフリカを中心に帝国を再編成しようと意図したが、失敗に終わった。8世紀には、東ローマ帝国の勢力はイタリア半島の南端部にまで後退した。

その後は南端部の東ローマ帝国、シチリア島のイスラム教徒、ローマを中心としたローマ教皇領、北部には神聖ローマ皇帝といった勢力が割拠した。この他多数の都市国家が発展、11世紀になると東ローマに代わりノルマン人が侵入した。これらの中にはイタリアの統一を試みる者もいたが、ローマ教皇庁の思惑もあって分裂状態が続く。

18世紀末にイタリアに侵攻したフランスのナポレオン・ボナパルトは全イタリアを手中に納めたが、1815年に、ナポレオンが失脚するとヴェネツィアジェノヴァの共和国を除きほぼ元の分裂状態に戻った。

イタリア王国[編集]

1861年2月に、ジュゼッペ・ガリバルディらの協力を受けたサルデーニャヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が統一に成功し、1861年3月17日イタリア王国を樹立した。

(なお、1873年に日本の岩倉使節団がイタリアのフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアを歴訪しており、当時の様子が「米欧回覧実記」に一部イラスト付きで詳しく記されている。[17])

1922年には、ファシスト党ベニート・ムッソリーニ首相となる。その後ムッソリーニは権力の集中を進め、1929年にはローマ教皇庁との間にラテラノ条約を結び、関係を修復する。

ムッソリーニ首相とヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国王の指導の下、政治経済の回復に成功し各国からの称賛を得たものの、その後1935年にはエチオピアを再度植民地化すべく第二次エチオピア戦争によりエチオピアへ侵攻するなど拡張政策を取る。

さらに1937年には日本ドイツと共に日独伊防共協定を結び、1939年9月に勃発した第二次世界大戦には、1940年6月に参戦し同年9月には日独伊三国同盟を締結、1941年12月にはドイツと共に対米宣戦布告を行った。 1943年後半には敗色が濃い中ムッソリーニが失脚し連合国側に鞍替え参戦する。同時に、救出されたムッソリーニを首班としたドイツの傀儡政権であるサロ政権が北イタリアを支配する状況になる。しかし、1945年5月8日にドイツが敗北したことにより同政権は崩壊した。

イタリア共和国[編集]

大戦終結後の1946年6月2日に行なわれた共和制への移行を問う国民投票では、僅差で共和制移行が決定し、ウンベルト2世は廃位され、サヴォイア家による君主制は廃止され、現在のイタリア共和国が成立した。

1948年に、初代大統領エンリコ・デ・ニコラが就任。その後の冷戦では、社会主義勢力の影響を受けながらも、アメリカ合衆国西ドイツなどとともに西側諸国の1国として東側諸国と対峙した。主要国首脳会議の参加国であり、現在も政治や経済だけでなく、文化的な側面においても世界的に重要な位置を占める。

政治[編集]

行政[編集]

国家元首は共和国大統領。選出方法は間接選挙制で、条件は50歳以上、任期は7年となる。通常は内閣や議会の決定に基づく形式的な権限を行使するにすぎないが、首相任命権や議会解散権などを通じて実権を発動する可能性を秘めている。行政は首相と内閣が統轄する。首相は、大統領が指名し、議会が承認する。各省の大臣は、首相の指名に基づき、大統領が任命する。議院内閣制を採用しており、内閣は議会の信任を得なければならない。 かつては「おはよう、今日の総理は誰?」というジョークが広められたほど、首相の交代が頻繁な国として名高く、今もその傾向はおさまっていないが、1990年1月-2013年4月現在の間での首相は9人(延べ13人)と、日本の15人(延べ16人)に抜かれている。ちなみに、同じく首相が政権を代表する議会内閣制の先進国での同期間における首相在任者は、ドイツが3人、イギリスカナダが各5人である。

立法[編集]

イタリア議会元老院(上院)と代議院(下院)で構成される両院制(二院制)である。元老院は、任期5年の民選議員(315議席)、および終身議員(現在8名)とで構成される。大統領経験者は本人が拒絶しない限り、終身議員たる資格がある他、科学や芸術などの分野で国の名誉を高めた功労者の中から大統領が指名した者が終身議員となる。一方、代議院は全630議席で、任期5年の民選議員によって構成される。また日本では衆議院の優越が認められているが、イタリアでは両院の権能は完全対等、双方とも大統領によって解散されうる。

憲法改革案を否決[編集]

2006年6月25-26日、憲法改革案を問う国民投票が行われ、開票の結果、60%を超す反対で否決された。改革案は、退陣したベルルスコーニ右派連立政権が2005年末、野党・中道左派勢力の反対を押し切って議会を通過させたもの。改革案の中味は、議会の解散権を大統領から首相に移し、保健や教育、警察などの権限を国から州 (regioneに委譲するというもの。開票結果は、反対が61.7%。そのうち、南部で74.8%、中部で67.7%、北部で52.6%の多数を占めた。投票率は53.6%であった。

緊急財政法案可決[編集]

2010年7月15日、上院は、ベルルスコーニ政権が提出していた緊急財政法案を賛成170、反対136、棄権0で可決した。政府は、月内にも下院を通過させて法案の成立を目指す。しかし、最大野党の民主党は、16、17日の両日、全国規模の抗議行動を計画している。本法案は5月に提案され、公務員給与増の凍結、省庁予算の削減、地方自治体への交付金削減などの実行によって、今後2年間に財政赤字比率を国内総生産(GDP)比3%以内に下げる発表している。

司法[編集]

 イタリアの刑事司法は市民6人と裁判官2人が一緒に審理する参審裁判と裁判官だけによる裁判がある。参審裁判は殺人など重大事件が対象で、重罪院で審理される。重罪院の控訴審は重罪控訴院で、参審裁判による。上告審は日本の最高裁に当たる破棄院が担当するが、憲法判断が必要なケースは、憲法裁判所に移送される。参審員はイタリア語で「市民裁判官」と呼ばれ、35歳以上60歳以下で一審は中卒以上、控訴審は高卒以上。くじで選んだ市民に希望者を加えた名簿から、3ヶ月ごとに再びくじで選出し、その期間中に起訴された事件を担当する。

警察[編集]

イタリアにおける法執行機関・警察機構は、複合であり、国家レベルの組織のみでも5つある。その他に、地方自治体の警察組織として、県レベルの地方警察 (Polizia Provinciale)、コムーネレベルの自治体警察 (Polizia Municipale) がある。国家レベルの警察組織は以下のものである。

このほか、イタリア沿岸警備隊イタリア海軍の傘下にあり、海上交通整理、捜索救難、漁業監視、不法移民に対する海上監視などを行っている。

情報機関[編集]

  • SISMI (Servizio per le Informazioni e la Sicurezza Militare) - 情報・軍事保安庁
  • SISDE (Servizio per le Informazioni e la Sicurezza Democratica) - 情報・民主主義保安庁

軍事[編集]

ISAFとしてアフガニスタンに従軍する陸軍部隊(アルピーニ兵)。イタリア陸軍は西部地区の軍指揮も委ねられている。
カヴール級空母
カラビニエリ
  • 軍事費は、202億ドル。GDP比は、1.64%。

陸軍[編集]

2007年現在現役兵約110,000人、予備役約33,500人が所属。

海軍[編集]

冷戦期においてはソ連黒海艦隊との戦闘を仮想目標とし、大きな海軍戦力を擁していた。今日でも海軍重視の傾向は変わらず、法改正によって保有が可能となった軽空母ジュゼッペ・ガリバルディ級に次いでカヴール級空母が戦列に加わるなど、予算削減で新型戦車の配備が滞りがちな陸軍に比べて一層の強化が進められている。日本海上自衛隊とは装備面でも共通点が多く、海軍国としての役割も類似している。イタリア空軍の保有するKC-767などのように、世界でイタリアと日本のみが保有する機種もあり、組織間交流も盛んである。また海軍旗艦カヴールと入れ替わる形で旧式化しつつあった軽空母ガリバルディの改修が開始された。

空軍[編集]

4万5879名の要員からなり、F-16タイフーンなど一線級の空軍機を保有している。航空機の国産化にも熱心で、アエリタリア(旧フィアット社航空機部門)が開発したG.91軽戦闘機は戦後復興から間も無い時期(1956年)でありながら高い性能を誇り、同じく国産に拘るイギリスやフランスは拒んだものの、ドイツ空軍ポルトガル空軍への採用が決定し、「ジーナ」の愛称で20年程前まで長らく愛用されていた。

近年はタイフーンに見られるような欧米での共同開発機に意欲を見せ、空母を増産した海軍の意向もあってか、オランダと共にF-35の開発計画でイギリスに次ぐ協力を示している。

カラビニエリ[編集]

正式名称はカラビニエリ (Carabinieri) で、国家憲兵である。日本では、そのままカラビニエリと称するほか、「国家憲兵」、「憲兵隊」、「国家警察」、「国防省警察」、「軍警察」など様々に訳されている。

平時は各種の警察活動として、警備や事件・事故対応、マフィア反政府グループなどの犯罪組織の摘発などを担当しており、戦時には戦地での警察・憲兵活動を行う。またテロ対策・要人警護人質救出などを担当する独自の特殊部隊(国家憲兵隊特殊介入部隊)を保持していて、同部隊はイラク戦争など海外戦争においても戦歴を重ねている。

地方行政区分[編集]

イタリアの地方行政区分の最上単位は、20の (regione) である。各州はさらに、110の (provincia) に分かれる。各県にはさらに、コムーネ(comune)(市町村と似た行政区分)が存在する。ローマにはさらに、ローマのムニチーピオイタリア語版が存在する。

イタリアの州
名称 人口(人) 州都/主府/本部 備考
ピエモンテ州
Piemonte
4,214,677 トリノトリノ県
Torino
1
ヴァッレ・ダオスタ州(特別自治州)
Valle d'Aosta
119,548 アオスタ(州と県が同じ)
Aosta
2
リグーリア州
Liguria
1,571,783 ジェノヴァジェノヴァ県
Genova
3
ロンバルディア州
Lombardia
9,032,554 ミラノミラノ県
Milano
4
トレンティーノ=アルト・アディジェ州(特別自治州)
Trentino-Alto Adige
940,016 トレントトレント自治県
Trento
5
ヴェネト州
Veneto
4,527,694 ヴェネツィア(ヴェネツィア県
Venezia
6
フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州(特別自治州)
Friuli-Venezia Giulia
1,165,761 トリエステトリエステ県
Trieste
7
エミリア=ロマーニャ州
Emilia-Romagna
3,983,346 ボローニャボローニャ県
Bologna
8
トスカーナ州
Toscana
3,497,806 フィレンツェフィレンツェ県
Firenze
9
ウンブリア州
Umbria
825,826 ペルージャペルージャ県
Perugia
10
マルケ州
Marche
1,470,581 アンコーナアンコーナ県
Ancona
11
ラツィオ州
Lazio
5,112,403 ローマローマ県
Roma
12
アブルッツォ州
Abruzzo
1,262,392 ラクイララクイラ県
L'Aquila
13
モリーゼ州
Molise
320,601 カンポバッソカンポバッソ県
Campobasso
14
カンパニア州
Campania
5,701,931 ナポリナポリ県
Napoli
15
プッリャ州
Puglia
4,020,707 バーリバーリ県
Bari
16
バジリカータ州
Basilicata
597,768 ポテンツァポテンツァ県
Potenza
17
カラブリア州
Calabria
2,011,466 カタンザーロカタンザーロ県
Catanzaro
18
シチリア州(特別自治州)
Sicilia
4,968,996 パレルモパレルモ県
Palermo
19
サルデーニャ州(特別自治州)
Sardegna
1,631,880 カリャリカリャリ県
Cagliari
20

主要都市[編集]

都市 行政区分 人口 都市 行政区分 人口
1 ローマ(ローマ県) ラツィオ州 2,718,768 11 ヴェネツィア(ヴェネツィア県) ヴェネト州 268,993
2 ミラノ(ミラノ県) ロンバルディア州 1,299,633 12 ヴェローナヴェローナ県 ヴェネト州 264,191
3 ナポリ(ナポリ県) カンパニア州 973,132 13 メッシーナメッシーナ県 シチリア州 243,997
4 トリノ(トリノ県) ピエモンテ州 908,263 14 パドヴァパドヴァ県 ヴェネト州 210,173
5 パレルモ(パレルモ県) シチリア州 663,173 15 トリエステ(トリエステ県) フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 205,356
6 ジェノヴァ(ジェノヴァ県) リグーリア州 610,887 16 ターラントターラント県 プッリャ州 195,130
7 ボローニャ(ボローニャ県) エミリア=ロマーニャ州 372,256 17 ブレシアブレシア県 ロンバルディア州 189,742
8 フィレンツェ(フィレンツェ県) トスカーナ州 364,710 18 プラートプラート県 トスカーナ州 185,603
9 バーリ(バーリ県) プッリャ州 322,511 19 レッジョ・ディ・カラブリアレッジョ・カラブリア県 カラブリア州 185,577
10 カターニアカターニア県 シチリア州 298,957 20 モデナモデナ県 エミリア=ロマーニャ州 179,937
2007年国勢調査


地理[編集]

イタリア上空からの衛星画像
ヴァッレ・ダオスタ州 国立公園 (Parco Nazionale del Gran Paradiso)

イタリアは地中海に突き出した長靴型イタリア半島、および周辺の島(サルデーニャ島、シチリア島など。コルシカ島はフランス領)から構成されている。東はアドリア海、西でティレニア海リグリア海、南でイオニア海と地中海に面している。国境を接する国としては、大陸部では西側をフランス、北側をスイスとオーストリア、東側をスロヴェニア。アドリア海を挟んで、クロアチアアルバニア、ギリシアなどとも地理、歴史的に結びつきが強い。キリスト教カトリック教会の治めるバチカン市国があるが、これはイタリアの首都ローマが周囲を囲んでいる。他にもアドリア海近くのサンマリノ共和国を包み込むように接する。さらに、スイス領内には飛び地として面積1.7km²ほどのカンピョーネ・ディターリアを持つ。

領土内北部ではアルプス山脈が東西に弧を描き、国境を成している。国境にはマッターホルンや、モンテローザモンブランのような高峰があり、イタリアの最高点はフランスとの国境線上のモンブラン頂上付近にある。アルプスは北西部で分岐し、イタリア半島を縦断するアペニン山脈を形成する。アペニン山脈はイタリア半島の気候をアドリア海側とティレニア海側とで非常に異なったものにする役割を果たしている。特にアドリア海側は寒冷であり、海岸部ではときにボラ(冬の北東季節風)の影響が及んで冷たい潮風が吹きつける。また火山国でもあり、とくに南部ではしばしば地震が起こる。エトナ山ヴェスヴィオ山等が有名で、エトナ山はヨーロッパ最大の活火山であり、ほとんど常に噴火している。時には大きな噴火を起こすこともあるが、特別に危険な火山とは見なされておらず数千人が斜面と麓に居住している。イタリアには多くの川があるが、ポー川アディジェ川テヴェレ川が上位三位の長さを持つ。テヴェレ川はアルノ川源流近くに源を発し、ローマ市内を抜けて流れることで有名である。

経済[編集]

イタリアは欧州連合 (EU) 加盟国であり、その単一市場の構成国である。
イタリア議会 (Parlamento Italiano)

IMFによると、2013年のイタリアのGDPは2兆719億ドルである[18]。世界9位であり、EU加盟国ではドイツフランスイギリスに次ぐ4位である。また、同年の一人当たりのGDPは34,714ドルである。

第二次世界大戦前のイタリアは農業国だったが、戦後は北部に多様な産業基盤が整備され、国の経済発展に大いに貢献している。現在のイタリア経済は民間企業を基盤としているが、以前は石油工業や交通輸送、電信電話をはじめ多くの商社やメーカーに対して国家が支配権をにぎっていた。だが、1990年代半ばに多くの企業が政府の管理からはなれ民間企業へと転換した。

1958年から1963年にかけてイタリアはGDP年率+6.3%の目覚しい経済発展を遂げ、1959年5月25日イギリスの日刊紙がイタリアの経済復興の目覚しさをさして、「奇跡の経済」と名付けた。1980年代初頭にはバブル経済を経験し、GDPでECの牽引役を担う存在であり、巨大な植民地大国だったイギリスを抜き世界第5位となったものの、1990年にはまた戻っている。以後政府は輸出を活性化させ、研究開発の促進よりも為替相場をリラ安に誘導することを選択した。

1960年代後半から圧迫されてきた膨大な財政赤字をたてなおし、EMU(経済通貨統合)への第1陣参加を実現するため、1993年から政府は大規模な歳出削減策を継続して実施した。その結果、財政赤字のGDP比は94年の9.5%から99年には1.9%にまで改善され、目標としていたEUの財政基準(3.0%以内)を達成することができた。

2010年欧州ソブリン危機により、EU各国は財政赤字を対GDP比3.0%以内に抑える基準の達成を迫られた。2014年5月、イタリアは財政赤字のGDP比率が低下させる裏技として、麻薬取引や売春密輸などの地下経済に着目し、これらを2015年からGDP統計に加算と発表した。2011年のイタリア銀行による推計では、イタリアの地下経済の規模はGDPの10.9%を占める規模とされている[19]

金融[編集]

10000 Lire紙幣

法定通貨として長年「リラ」が使われて来たが、2002年1月1日からEUの単一通貨ユーロ(EURO、エウロ)の紙幣や硬貨が流通し、リラは2月末をもって法的効力を失った。1998年12月31日に1ユーロ=1936.27リラという交換レートが固定された。中央銀行であるイタリア銀行は各県都に支店をもち、預金高を通じて都市銀行を統制する。ヨーロッパ域内の自由な資本の移動と通貨統合をめざすヨーロッパ共同体(現、EU)の動きにあわせて、1990年イタリアの銀行制度は大幅に変更され、公営銀行の削減、外国資本に対する規制緩和がおこなわれた。ミラノとローマが金融の中心である。主要銀行としてはEU圏1位の資本を持つウニクレディトなどがある。

貿易[編集]

1970-80年代にヨーロッパ共同体(現、EU)加盟国との貿易が増加したが、イタリアは石炭、石油などの原材料を輸入に依存しているため、貿易赤字がつづいていた。しかし、90年代初頭、リラ切り下げで、外国市場にとってイタリア製品の価格が低下したため、輸出が増加した。貿易相手国の5分の3近くはEU加盟国で、おもな輸出相手国はドイツ、フランス、アメリカ合衆国、イギリス、スペイン、輸入相手国はドイツ、フランス、オランダ、イギリス、アメリカ合衆国、スペインなどである。イタリアはヨーロッパの輸出大国の中で、ドイツに伍して輸出が成長している唯一の国である。2008年より過去7年間、ドイツは7.8%、イタリアは7.6%の割合で輸出が成長している。輸出先で成長著しいのは、南アメリカ (+79.3%)、トルコ (+35%)、OPEC諸国、ロシア、中国である。

エネルギー[編集]

イタリアはエネルギー資源の輸入国であり、ガス、石炭、石油の大部分を外国に依存している。イタリアの発電量の82%は、石油、天然ガス、石炭、亜炭をもちいた火力発電が生みだしており、13%が水力発電によるもの。イタリアは1950年代後半から原子力発電の研究開発を開始し、当時の世界原子力技術で最先端であり、1965年時点には3カ所の原子力発電所が稼動していた。しかしながらチェルノブイリ原発事故などがきっかけとなり、1987年の国民投票で原発の全面停止を決定。運転を停止する。1990年には停止中の原子力発電所の運転を再開しないことが決まった。

石油・ガス会社のEni (Eni S.p.A.) はイタリアで最も売り上げと利益の多い企業であり、スーパーメジャーの一角を占めている。もとは公営電力会社であったENELはヨーロッパ有数の規模を誇る電力会社で、地熱発電技術では100年の経験蓄積がある。

南北格差[編集]

イタリア北部の世界都市ミラノは経済的に非常に豊かである。

イタリア経済が依然としてかかえる課題は、南部の工業化の遅れである。ミラノやトリノなどの北部は工業化が進んでいるが、南部やサルデーニャなどの島嶼部は農業や観光業や軽工業中心なので南北格差が大きい。中心工業地帯はジェノヴァなどで、工業化が遅れている南部のターラントには半官半民の製鉄所があり、第三のイタリアが新たな経済の牽引役となっている。政府による工業化育成の努力も、労働力の問題や、多くの産業がマフィアとの結びつきによって成り立っているため大企業の南部進出がはばまれるといった複雑な現実に直面している。多くの労働者が職をもとめて南部から北部へ移住しており、南北の格差はいまだに大きい。

産業[編集]

農業[編集]

気候、土壌、高度が変化にとんでいるため、さまざまな農作物の栽培が可能である。イタリアは世界有数のワイン生産国であり、オリーブオリーブ・オイルの生産量も多い。酪農も主要な産業であり、ゴルゴンゾーラパルミジャーノ・レッジャーノをはじめ約50種類のチーズが生産される。イタリアの森林業資源はとぼしく、木材の多くを輸入にたよっている。森林はまず古代ローマ人によって、その後19世紀に大部分が伐採されてしまった。その結果土壌の浸食がすすみ、林業の発展の障害となってはいたが、近年は状況の好転がみられる。

工業[編集]

第二次世界大戦以降、工業が急速に発展し、イタリア製品は世界的な人気をえている。重要な工業に、繊維工業と、硫酸、アンモニア、水酸化ナトリウムの製造などの化学工業がある。そのほか自動車、鉄鋼、ゴム、重機械や電気機器とくに家電製品、パスタなどの食料品の製造業が盛ん。工業の中心地はジェノヴァ、ミラノ、ローマ、トリノである。

自動車[編集]

フィアット・パンダ

イタリアの経済に占める自動車産業の割合は、国内総生産の8.5%で、国内ではコンパクト・カー、エコノミー・カーが上位を占めている。エコロジカルな自動車の売れ行きが伸びている。輸出車では売上高800億ユーロ(約10兆4000億円)規模で、クライスラーゼネラルモーターズと提携したフィアットが知られている。 北部の都市モデナにはフェラーリランボルギーニアルファロメオがある。なお、フィアット・パンダは欧州における新車登録台数3万3593台(2009年3月)でEUトップとなっている。2位はフォルクスワーゲン・ポロ

ファッション[編集]

19世紀頃から近代服飾・装飾産業が発展し、20世紀から現在にかけては、服飾ブランドベネトンプラダグッチジョルジオ・アルマーニジャンニ・ヴェルサーチジャンフランコ・フェレバレンチノ、靴のサルヴァトーレ・フェラガモトッズ、宝飾品のブルガリなどが世界各国に輸出されており、大きな外貨獲得源となっている。

工芸[編集]

イタリアは幼稚園の先端的教育方法でアトリエリスタと呼ばれる芸術的、工芸的活動の専門家を配置し、人間を育成している。バイオリンなどの楽器ガラス細工や工芸美術品も主な産業となっている。

その他の産業[編集]

他にも伝統的に映画産業や観光産業が盛んであり、イタリア映画のみならず、イタリアを舞台にした映画が世界中で作られ公開されており、それらの映画が観光産業を後押ししていると評価されている。

マフィア[編集]

マフィアはイタリア経済と社会に多大な影響力をおよぼしている。もともと中世後期にシチリアで生まれた秘密結社で、親族組織からなり、冷酷な暴力とオメルタというきびしい掟で知られる。19世紀後半にはシチリアの田園地帯を支配し、地方当局への介入、ゆすり、市民に対するテロ活動をおこなっていた。1920年代から第二次世界大戦終結まではベニート・ムッソリーニによって弾圧される。この時代をのぞいて、マフィアはイタリアの南部を中心に、合法・非合法活動によって影響力を拡大しつづけた。また、マフィア勢力は移民とともに海外とくにアメリカにわたり、70年代までに世界のヘロイン取り引きの大部分がマフィアの支配下に入った。Confesercentiの報告書で、マフィアの総売上高は900億ユーロに相当するという。

この他、マフィア類似の犯罪組織として、コルシカ島のユニオン・コルス(コルシカ・ユニオン)に代表される「ミリュー」、ナポリの「カモッラ (Camorra)」、カラブリアの「ンドランゲタ (Ndrangheta)」、プッリャの「サクラ・コロンナ・ウニータ (it:Sacra Corona Unita)」、ローマの「シカーリ」などがある。

1980年代半ばに新政権がマフィアの大物たちの犯罪を告発しはじめたこと、多くの政治家とマフィアをつなぐ一連の政治スキャンダルの発覚によって、イタリアにおけるマフィアの影響力もおとろえる日がくるだろうという観測が生まれている。政府は2008年12月17日、一斉検挙で99人を逮捕した。その他、近年マフィア撲滅運動が加速しており、マフィアの重要な特徴であった頂上組織(縦割りの権力集中)が崩壊の危機にある事がベルナルド・プロヴェンツァーノの逮捕により発覚した。

交通[編集]

道路[編集]

アウトストラーダ(イタリアの高速道路)の図。

古くから地中海域の交通の要衝として栄え、古代ローマの頃には歴代執政官によって街道が整備され、それはアッピア街道のように史跡として残っているのみならず『執政官街道』と呼ばれ、現在も使用されている。ローマ帝国時代のローマは、「全ての道はローマに通ず」とさえ呼ばれた。

その後の20世紀前半のムッソリーニ時代よりアウトストラーダ (Autostrada) と呼ばれる有料高速道路網が整備されはじめた他、フィアット社のバックアップもあり高速道路網が全土に敷き詰められている。

鉄道[編集]

フェッロヴィーエ・デッロ・スタートのグループ会社であるトレニタリアと呼ばれる旧国鉄 (Ferrovie dello Stato) の業務を引き継ぐ民営鉄道会社が全土を網羅し、ローマ-フィレンツェ間の高速新線(ディレティッシマ)を中心にユーロスター・イタリアと呼ばれる高速列車も多数運転されている。旧国鉄以外ではヌオーヴォ・トラスポルト・ヴィアッジャトーリ(NTV)、チルクムヴェスヴィアーナ鉄道スッド・エスト鉄道などがある。

また、ローマ、ミラノ、ナポリなどの主要都市には地下鉄が整備されている。一部の都市では路面電車やケーブルカーが走っており、市民の足となっている。

海運[編集]

ローマ帝国時代前から地中海海域の海運の要所として重要な地であったこともあり、海運が古くから盛んである。現在も地中海クルーズの拠点とされることも多く、有名な港としてはナポリやヴェネツィア、ジェノヴァ、ブリンディジなどがある。

空運[編集]

アリタリア航空のA319-111型機。

政府が主要株主のアリタリア航空が、イタリアのフラッグキャリアとして国内線と域内及び中長距離国際線を運航する他、イタリアを本拠地として運航を行う航空会社として、メリディアーナ航空やエアワンエア・ドロミティなどの航空会社があり、それぞれが国内線や域内国際線を運航している。

現在、日本との間にはアリタリア航空が東京成田国際空港)と大阪関西国際空港)とローマとミラノの間に直行便を運航させている。

また、パリアムステルダムチューリヒなどのヨーロッパの主要都市や、バンコク香港ドバイなどのアジアの主要都市経由で行くこともできる。

国民[編集]

少子高齢化が進み、1人の高齢者を2.9人で支える高齢社会に突入しており(2012年)、OECD各国では日本ドイツの次に少子高齢化が進行している[20]

主要民族 [編集]

民族構成(イタリア)
イタリア人
  
93%
その他
  
7%
イタリアの人口ピラミッド

古代ローマ人を祖先とするイタリア民族が国民の主流を占める。国家公用語のイタリア語ロマンス諸語に属する事や、ローマ人ラテン人を中心とした勢力であった事から一般的にラテン系と考えられる事が多い。しかし他の欧州諸国と同じく単純化できるものではなく、ラテン人以外のイタリック人エトルリア人フェニキア人、古代ギリシャ人、ケルト系ゲルマン系など多様な祖先が民族の形成に影響を与えている。また近世・近代におけるフランス系オーストリア系スペイン系との関わりもある。

イタリア統一後、標準語の制定、方言や地方言語の廃止、徴兵制や初等教育の普及によって国民の均一化を進め、段階的に民族意識の浸透が進んだ。イタリア民族主義英語版の高まりは未回収のイタリアを求める戦争を生み、民族の完全統合を目指す民族統一主義(イレデンティズム)の語源ともなった。イタリアにおけるナショナリズムが最も大きく高まったのは第一次世界大戦であり、国粋主義や民族運動が高揚した。こうした流れは最終的に二十年以上に亘って続くファシズム政権を生み出し、全体主義体制によってイタリア化英語版と呼ばれる民族浄化政策が推進された。

少数民族・難民[編集]

イタリア国内における少数民族としては南チロルチロル人などが上げられる。かつてイストリア半島などではスラブ系の住民も存在したが、上記の通りファシズム体制下で徹底した弾圧を受けた。ファシズム政権後の現代では一定の自治権を認められつつあるが、統一以来の集権政策も継続されている。

近年は地中海アドリア海に面しているという要素から移民や難民の流入が続き、失業や貧困、治安問題、生活習慣や宗教上の軋轢など大きな社会問題を引き起こしている。移民大国のフランスやドイツには及ばないものの2016年における外国人人口は502万6153名を数え[21] 、イタリア国民の1割近くに達しつつあり、移民2世・3世の定着も進んでいる。移民グループで最も多いのは同じローマ人を祖先とするルーマニア人で、2014年時点で100万名以上が移民しており、国内で批判の対象とされる事も多い。次いで地中海やアドリア海を越えて訪れるモロッコ人アルバニア人が挙げられる。アジア系では中国系移民(華人)がトップを占め、数年で倍近く増加している。

対テロ戦争アラブの春シリア内戦イスラム国の台頭などで中東が混乱してからは海路でイタリアに不法上陸する者が急増した。2013年10月には、ソマリア人とエリトリア人を主に載せた船が沈没、368人が死亡する事件があり、それ以降、イタリア海軍は不法移民を救助する活動に力を入れているが[22][23]、国民の間では難民への反感も高まっている。

言語[編集]

公用語はイタリア語。エスノローグによる調査ではイタリア国民の内、約5700万名がイタリア語を使用していると報告している[24]。欧州連合による調査ではイタリア語を母国語としているのはEU圏内で約6500万名になっている[25]

方言・地方言語[編集]

等語線ラ・スペツィア=リミニ線があり、この線の北西の北イタリア(西ロマニアの側)と、南東にあたる中南部のイタリア(東ロマニアの側)では言葉が異なる。東ロマニアに分類される中部イタリアのトスカーナ州の言葉を中心に標準語が形成されている。北イタリアではフランス語などに近い西ロマニアの言葉であるガロ・イタリア語を使用する。この中でもロンバルディア州の言葉はロンバルド語という。

イタリアは歴史的に別の国に分れていた期間が長いため方言の差が激しいとされているが、そもそも言語成立の過程にも複雑な事情が絡んでいる。古代ローマで話されていた言葉(ラテン語)の俗語形である「俗ラテン語」が、ローマ消滅以降にかつての統治領(イタリア・フランス・スペインなど)ごとに統一性を失って方言化した際、イタリア各地のラテン語方言がイタリア地方特有の変化を遂げたと判断した人々が、近世になってこれらを一つの言語体系(イタリア語)と定めた事に起因する。

言語と言語の違いを研究する作業は古くから言語学の分野で行われていたが、どの程度の類似性をもって「同じ系統の言語」(方言)とするのか、或いは「異なる系統の言語」とするのかの客観的判断は殆ど不可能で、結局は個々人の価値観に頼るしかなく、民族問題や領土主張との兼ね合いもあって政治的判断が下されるケースが多い(「言語とは軍に守られし方言である」という皮肉も存在する)。よってイタリア語も方言の集合体とするか、無数の独立言語とするかは政治的に決定され、当時の民族主義政策に基づいて方言であるとされた。近年はEU統合の流れから欧州各国で方言を地域言語と認める動きが芽生え始めており、イタリアでも方言を地域言語として承認するべきかどうか盛んに意見が重ねられている。こうした現象はイタリアだけでなく、同じ経緯を持つ他のロマンス諸語でも発生している他、ゲルマン語派のドイツ語でも方言の尊重と権利拡大が進められている。

現在、エスノローグはイタリア共和国内に以下の少数言語の存在を認めている。

外国語[編集]

一部の特別自治州、ヴァッレ・ダオスタ州でフランス語、トレンティーノ=アルト・アディジェ州ではドイツ語も使用する。フリウリ地方ではフリウリ語、南ティロルではラディン語という、イタリア語よりラテン語に近いレト・ロマンス語系の言葉を母語とする住民もいる。また、最南部のカラブリア州には東ローマ帝国統治下(マグナ・グラエキア)の影響を残すギリシャ語系のグリコ語の話者も存在する。さらに、オスマン帝国時代のアルバニアからイタリア南部に定着した人々の子孫はアルバニア語の方言を母語とする。サルデーニャ島では、イタリア語系のサルデーニャ語(イタリア語の一方言とする説もある)が話される。アルゲーロではスペイン支配の影響からカタルーニャ語の方言が話される。

宗教[編集]

バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂

2014年の推定では、キリスト教カトリック教会が75.2%[26]と最大で、残りの大半が無宗教または無神論者で、数%のムスリムの他、その他宗教が1%未満となっていた[27][28]

4分の3と最大多数のカトリックであるが、信条はリベラルであり、カトリック教会の教義に反して同棲離婚妊娠中絶などについては大多数が肯定的であるとの報告も出ている[29]

プロテスタントは少数で、アラブ系移民の増加により、イスラム教は近年増加傾向にある。

保健[編集]

イタリアの医療は、1978年より税金を原資とするユニバーサルヘルスケアが施行されており[30]、公営・民営の混合制度となっている。公営制度はServizio Sanitario Nazionaleと呼ばれる公費負担医療であり、保健省が方針を定め、現場は地方自治体が運営している。保健支出は2008年にはGDPの9.0%ほどであり、OECD各国平均の8.9%より若干上であった。2000年にはWHOより、医療制度の効率性は世界2位、市民の保健状態については世界3位と評されている[31]

平均余命は82.7歳[32]、2013年には世界8位であった[33]。健康上のリスクとしては、イタリアは他の西欧各国と同様に肥満者が増えており、人口の34.2%が太りすぎと自己申告、また9.8%が肥満だと自己申告している[34]。日常的な喫煙者は2008年では人口の22%であり[35]、2005年からは公共のバー、レストラン、ナイトクラブにおいては隔離された喫煙室が設けられるようになった[36]

文化[編集]

北イタリアのトスカーナ地方はルネサンス発祥の地であり、また、その中心地でもあった。この影響下で数多くの芸術家が輩出され、同時に作品も制作された。詳しくはルネサンスの項を参照されたい。

また、ジュゼッペ・ヴェルディの『アイーダ』などオペラや音楽なども多く知られる。民衆音楽ではカンツォーネと呼ばれるナポリの歌謡曲が有名である。バレエも発祥の地とされる。現代においてもノーベル賞作家を輩出。映画においても絶えず世界的な作品を送り出している。

食文化[編集]

エスプレッソ

主にパスタやパンを主食とし、北部のポー川流域ではをよく食べる。北部の一部地域にはパンの代用としてトウモロコシの粉でできたポレンタを食べる地域もある。イタリア料理は地方色が強く各地方料理の集合体のようなものであり、北部はバターやチーズを多く使い、南部はトマトオリーブオイルを多用する傾向がある。また沿岸部は魚を食べるが、内陸部はほとんど食べない、シチリア島はマグリブの食文化の影響があり、北東部はオーストリア料理ハンガリー料理など中欧に近い食文化があるなど地域色豊かである。食事にワインを合わせる習慣があり、基本的にその土地のワインを飲む。また、サラミ、ハムなどの肉製品、チーズの種類の豊富なことも特徴である。コーヒーの消費も多く、イタリア式のいれ方にはエスプレッソカプチーノカフェ・ラッテが有名。また、ヨーロッパとしては珍しくタコも食べる。イタリア料理のピザなどもある。

文学[編集]

近代イタリア語の基礎はフィレンツェの詩人ダンテ・アリギエーリによって創設され、彼の偉大な作品『神曲』は中世ヨーロッパで最高の文学作品だと考えられている。イタリアはそれ以外にも祝福された文学者に不足しなかった。例を挙げるならジョヴァンニ・ボッカチオジャコモ・レオパルディアレッサンドロ・マンゾーニトルクァート・タッソルドヴィーコ・アリオストフランチェスコ・ペトラルカのような人物の名が挙げられ、彼等の最も知られた表現の媒体は彼等がイタリアで生んだソネットだった。近代の文学者であり、ノーベル文学賞受賞者には、1906年受賞の国民主義詩人ジョズエ・カルドゥッチ、1926年受賞の写実主義作家のグラツィア・デレッダ、1934年受賞の近代劇作家ルイージ・ピランデッロ、1959年受賞の詩人サルヴァトーレ・クァジモド、1975年受賞のエウジェーニオ・モンターレ、1997年受賞の風刺家かつ劇作家ダリオ・フォの名が挙げられる[37]

哲学[編集]

ルネサンスの時代には、ジョルダーノ・ブルーノマルシリオ・フィチーノニッコロ・マキャベリジャンバティスタ・ヴィコのような傑出した哲学者が現れた。

20世紀の前半において、イタリアではベネデット・クローチェジョヴァンニ・ジェンティーレによって新ヘーゲル主義新観念論に昇華した。ジェンティーレの哲学はファシズムの理論的支柱となった。その他にも特筆されるべき哲学者として、マルクス主義の新たな読み方を発見し、サバルタンヘゲモニーといった概念に繋がる思想を生み出したアントニオ・グラムシや、市民社会論的にヘーゲルを読み直したジョエーレ・ソラーリが挙げられる。

20世紀後半においてはマルチチュードを新たな概念として昇華したマルチチュード学派アントニオ・ネグリや、ホモ・サケル論で知られるジョルジョ・アガンベンなどが活躍している。

音楽[編集]

現在も世界で用いられる音楽用語の多数がイタリア語であることから推察できるように、イタリアはルネサンス期以来、もっとも長い期間、西洋音楽をリードし続けた。18世紀後半のウィーン古典派の台頭、続くバッハの復権などによって主導権はドイツ圏に移ったが、ことオペラに関してのみはヴェルディプッチーニらの大作曲家を輩出したイタリアがなお大勢力を保ち続け、古典派まではドイツ人作曲家も大部分のオペラをイタリア語で作曲したこともあり、今なおオペラといえばイタリアというイメージは強い(ただし、長年の財政難からカンパニーを維持できない歌劇場が多く、現在では上演数に関してはドイツに三倍の差をつけられてしまった。首都のローマ歌劇場すら今世紀に入って管弦楽団と合唱団の全員解雇が宣告されたことがある)。一方で交響曲など器楽曲分野では他国にやや見劣りがする感は否めない。また、北イタリアが長くオーストリアの支配を受けたこともあって、イタリア音楽とドイツ音楽をともに得意とする演奏家が伝統的に多く育っており(逆にイタリア音楽を得意とするドイツ系演奏家はカラヤンなどごく少数である)、世界の演奏市場で重要な役割を果たしている。

美術[編集]

映画[編集]

イタリア映画の歴史はリュミエール兄弟が活動写真の公開を始めてからわずか数カ月後に始まった。最初のイタリア映画は、教皇レオ13世がカメラに祝福して見せた数秒間のものだった。イタリアの映画産業は1903年から1908年の間に3つの映画会社と共に生まれた。ローマのチネス、トリノのアンブロシオ、イタラ・フィルム社がそれである。他の会社はすぐにミラノやナポリに設立された。間もなくこれら最初の会社は公正な制作力に達し、作品はすぐに外国に売られていった。映画は後にベニート・ムッソリーニによって第二次世界大戦までプロパガンダのために使われた。

戦後、イタリアの映画は広く認知され、1980年頃の芸術的な凋落まで輸出された。この時期の世界的に有名なイタリアの映画監督としては、ヴィットリオ・デ・シーカフェデリコ・フェリーニセルジオ・レオーネルキノ・ヴィスコンティピエル・パオロ・パゾリーニミケランジェロ・アントニオーニダリオ・アルジェントなどの名が挙げられる。ネオレアリスモと呼ばれる重厚な現実主義から出発し、次第に奔放華麗な前衛性を獲得、さらに残酷味を前面に出したマカロニウェスタンからホラーへと展開する娯楽映画など、その幅は驚くほど広い。お国柄を生かした歴史劇や、日本での紹介は少ないが喜劇の伝統も厚い。世界の映画史に残る作品としては、『甘い生活』、『続・夕陽のガンマン』、『自転車泥棒』などが挙げられる。

イタリアに関する芸術作品[編集]

音楽

文学

映画

  • ルキノ・ヴィスコンティ 『白夜』
  • フェデリコ・フェリーニ 『甘い生活』
  • ヴィットリオ・デ・シーカ 『昨日・今日・明日』
  • 宮崎駿紅の豚
  • オードリー・ウェルズ 『トスカーナの休日』

漫画

世界遺産[編集]

イタリア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が45件、自然遺産が4件存在している(2013年現在)。 2014年時点で、世界遺産が最も多い国である[38]

結婚[編集]

婚姻の際には基本的には夫婦別姓で、結合姓も認められている。子の姓に関しては、伝統的には父親の姓としていたが、父親の姓としなければならない、という法律は存在しない、との理由で、母親の姓を子の姓としてよいことが裁判を通し2012年に認められた[39]

イタリアは極めて離婚が少ない国として知られている[40]

祝祭日[編集]

イタリアの祝祭日
日付 日本語表記 イタリア語表記 備考
1月1日 元日 Capodanno  
1月6日 主の公現 Epifania Befana
移動祭日 復活祭 Pasqua  
移動祭日 復活祭後の月曜 Lunedì dell'Angelo Lunedì di Pasqua, Pasquetta
4月25日 解放記念日 Festa della Liberazione 1945年
5月1日 労働祭 Festa dei lavoratori  
6月2日 共和国祭 Festa della Repubblica 1946年
8月15日 聖母被昇天祭 Ferragosto Assunzione
11月1日 諸聖人の日 Ognissanti  
12月8日 聖母の無原罪の御宿りの祭日 Immacolata Concezione  
12月25日 クリスマス Natale  
12月26日 聖ステファノの祝日 Santo Stefano  

スポーツ[編集]

伝統的にサッカー(カルチョ)とF1ミッレミリアなどのモータースポーツ自転車競技やマリンスポーツ、バレーボールが特に盛んで、他にも北部山岳地域にコルティーナ・ダンペッツォなどのスキーリゾートが多数あることから、スキーなどのウィンタースポーツも盛んである。また、中部にはアペニン山脈があり、登山も盛ん。バスケットボール野球というアメリカ発祥のスポーツもプロリーグもあるなど他の欧州諸国に比べて盛んで、代表チームは国際大会の常連にもなっている。最近ではシックス・ネイションズに加わってラグビーも人気が高まっている。

競馬は古代ローマ帝国時代の伝統を受け継ぐ繋駕速歩競走が盛ん。近年では2001年世界的に活躍したヴァレンヌが大きな人気を博した。一方イギリス発祥の平地競走は英仏に対し低いレベルとみられており、人気・賞金水準共に低い。ただし突出した2頭のサラブレッド、リボーネアルコは競馬史に影響を与えるほどの名馬であり、競馬関係者の間では世界的に知られている。2014年には賞金不払い問題でEPCから追放され、全競走の国際格付けが剥奪されることが決定された(詳細についてはイタリアの競馬を参照)。

サッカー[編集]

カルチョと呼ばれるフィレンツェ古代サッカー発祥の地として知られ、イングランドフットボールと双璧の存在となっている。

イタリアはサッカーで今まで多くのスタープレイヤーを輩出してきた。FIFAランキング(2014年2月発表)は第8位。W杯にはこれまで全18回中16回出場しており、そのうち優勝4度(5度のブラジルに次いで2番目に多い)、準優勝に2度輝いている。

イタリア代表はユニフォームの青い色からアズーリと呼ばれる。カテナチオ(「鍵をかける」という意味)と呼ばれる鉄壁の守備を軸として現在に至る。近年は攻撃陣のタレントも豊富で、かつての守備だけのチームではなく、伝統の堅い守備からの素早い攻撃をするチームになりつつある。また各国からはそのプレーを「サッカーをしているというより、仕事をしている」とまで言われる。また、伝統的に綿密な戦術を重んじる傾向があり現代サッカーのフォーメーションを数々考案してきた(アリゴ・サッキジョバンニ・トラパットーニ他)。

イタリアの国内リーグであるセリエAは世界最高峰を争う程のレベルにあり、世界中のスター選手を集めている。また、コッパ・イタリアと呼ばれるカップ戦も行われる。主なクラブチームはACミランSSラツィオインテル・ミラノユヴェントスASローマなど。これらはチャンピオンズリーグの常連でもある。2009-2010シーズンのチャンピオンズリーグではインテル・ミラノが優勝を果たした。

バスケットボール[編集]

国内には欧州屈指の強豪リーグの一つ、セリエAと呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。外国人としては史上2人目、ヨーロッパ人選手としては史上初のNBAドラフト1位指名をされた、アンドレア・バルニャーニが最も有名。代表はこれまでにオリンピック出場12回、世界選手権出場6回を誇る。2004年アテネオリンピックではアメリカの銅メダルを上回る銀メダルを獲得。バスケットボール欧州選手権(通称『ユーロバスケット』)では、1997年に銀メダル、1999年に金メダル、2003年に銅メダル獲得。近年、NBA選手を続々と輩出して今後も躍進が期待される。代表チームのニックネームは「Gli Azzurri」。

モータースポーツ[編集]

フェラーリF1マシン

モータースポーツの創成期から多くのレーシングドライバーを輩出してきた。近年はF1のワールドチャンピオンを獲得するドライバーこそ少ないものの、常にトップクラスのドライバーが存在している。

2輪ロードレースの世界ではヴァレンティーノ・ロッシMotoGPにおいて5年連続最高峰クラスワールドチャンピオンとなり、現在でもMOTOGPトップライダーの一人である。

自転車[編集]

世界三大ツールの一つ、ジロ・デ・イタリアを開催する、最も自転車ロードレースの盛んな国の一つである。

登山[編集]

北にはアルプス山脈、半島にはアペニノ山脈、その他エトナ山などイタリアは様々な山岳地域に恵まれているので登山も盛んである。南チロルやアオスタ、トスカーナなど、上記の山脈に近い地域では山スキーのメッカである。

野球[編集]

ヨーロッパ野球選手権大会優勝10回、準優勝15回と長年にわたって欧州内ではオランダのライバルとして君臨。オリンピックにもこれまで4回の出場経験がある。WBCではイタリア系アメリカ人メジャーリーガーと国内プロリーグイタリアンベースボールリーグの選手で構成される。 2012年第32回ヨーロッパ野球選手権大会では、2011年のワールドカップで優勝、2013 ワールド・ベースボール・クラシックでベスト4に進出したオランダを2度破るなど、無敗の完全優勝で1989年、1991年大会以来の連覇を達成した。

2013年2013 ワールド・ベースボール・クラシックでは、1次ラウンドでメキシコカナダに勝利し、初の2次ラウンド進出を果たした。カナダにはコールド勝利をおさめた。2次ラウンドでは、ドミニカ共和国とプエルトリコに2連敗して2次ラウンドで敗退した。

なお、2014年11月時点でのWBSC世界野球ランキングが11位のため、2015年11月日本台湾で初開催される2015 WBSCプレミア12に出場する。

またイタリアンベースボールリーグには日本野球機構にかつて在籍していたレベルの高い外国人選手や日本人選手などが数多く在籍している。

観光[編集]

イタリア出身の人物[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ Human Development Report 2014 – "Sustaining Human Progress: Reducing Vulnerabilities and Building Resilience"”. HDRO (Human Development Report Office) United Nations Development Programme. 2014年7月25日閲覧。
  2. ^ International Monetary Fund (IMF), World Economic Outlook (WEO) Database- GDP Nominal 2010 to 2019, imf.org, October 2014 Edition
  3. ^ Sée, Henri. “Modern Capitalism Its Origin and Evolution”. University of Rennes. Batoche Books. 2013年8月29日閲覧。
  4. ^ Unification of Italy”. Library.thinkquest.org (2003年4月4日). 2009年11月19日閲覧。
  5. ^ The Italian Colonial Empire”. All Empires. 2012年6月17日閲覧。 “At its peak, just before WWII, the Italian Empire comprehended the territories of present time Italy, Albania, Rhodes, Dodecaneses, Libya, Ethiopia, Eritrea, 2/3 of Somalia and the little concession of Tientsin in China”
  6. ^ http://globalmakeover.com/sites/economicreconstruction.com/static/JonRynn/FirstChapterDissertation.pdf
  7. ^ The Economist Intelligence Unit’s quality-of-life index, Economist, 2005
  8. ^ Report for Selected Countries and Subjects”. Imf.org (2013年4月16日). 2013年4月17日閲覧。
  9. ^ CIA World Factbook, Budget”. Cia.gov. 2011年1月26日閲覧。
  10. ^ The world's largest economies: 1990 vs. 2011”. Business Insider. 2014年11月30日閲覧。
  11. ^ "Italy plays a prominent role in European and global military, cultural and diplomatic affairs. The country's European political, social and economic influence make it a major regional power." See Italy: Justice System and National Police Handbook, Vol. 1 (Washington, D.C.: International Business Publications, 2009), p. 9.
  12. ^ Verbeek, Bertjan; Giacomello, Giampiero (2011). Italy's foreign policy in the twenty-first century : the new assertiveness of an aspiring middle power. Lanham, Md.: Lexington Books. ISBN 9780739148686. 
  13. ^ Beretta, Silvio; Berkofsky, Axel; Rugge, Fabio (2012). Italy and Japan - how similar are they? : a comparative analysis of politics, economics, and international relations. Berlin: Springer. pp. 329–346. ISBN 8847025672. 
  14. ^ "Operation Alba may be considered one of the most important instances in which Italy has acted as a regional power, taking the lead in executing a technically and politically coherent and determined strategy." See Federiga Bindi, Italy and the European Union (Washington, D.C.: Brookings Institution Press, 2011), p. 171.
  15. ^ 久米邦武 編『米欧回覧実記・4』田中 彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年、252頁
  16. ^ 当時の認識としては二つの国に分裂したという意識はなく、一つの国の東西を二つの政府・皇帝で分権したという程度に過ぎない
  17. ^ 久米邦武 編『米欧回覧実記・4』田中 彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年、252~357頁
  18. ^ IMF:World Economic Outlook Database
  19. ^ “麻薬、売春など地下経済をGDPに加算へ、英伊で動き”. AFPBBNews (フランス通信社). (2014年6月25日). http://www.afpbb.com/articles/-/3018753?ctm_campaign=nowon 2014年6月25日閲覧。 
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参考文献[編集]

  • OECD Society at a glance 2014 (Report). OECD. (2014). doi:10.1787/soc_glance-2014-en. 
  • パンフィロ・ジェンティーレ/野上素一訳『イタリア現代史』世界思想社、1967年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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