パロマレス米軍機墜落事故
座標: 北緯37度15分 西経1度48分 / 北緯37.250度 西経1.800度
パロマレース米軍機墜落事故(パロマーレスべいぐんきついらくじこ)は、1966年1月17日にスペイン南部の上空で米軍機同士が衝突し、パロマーレス集落(自治体はアンダルシア州、アルメリア県クエバス・デル・アルマンソーラ)に水素爆弾4個が落下した事故である。
概要[編集]
冷戦中のクロームドーム作戦で、4発の水爆を積んでいた[1]アメリカ空軍戦略航空軍団(SAC)に所属する爆撃機B-52G(シリアルナンバー58-0256)と、空中給油機KC-135A(シリアルナンバー61-0273)が地中海の3万1千フィート上空で空中給油中に衝突、墜落した。KC-135Aの乗員4名は全員死亡。B-52Gの乗員は4名が脱出した[2]。4個の水爆(B28RI[3])のうち3個がパロマーレス近くの地上に落下し、1個が海中に落下した[4]。
地上に落下した水爆のうち2個で起爆用の通常火薬が爆発し、ウランとプルトニウムが飛散して2km2の土地が汚染された。米軍は1750トンの土を除去し、サウスカロライナ州のサヴァンナ川核施設に運んだ。しかし2011年現在でも、面積30ヘクタールの5万m3に500gのプルトニウムが残る。
事故直後、安全性をアピールするためにスペインの情報観光大臣マヌエル・フラガと在スペインアメリカ大使のアンジー・デュークは記者の前で海で泳いでみせた(これは実際には2度あり、1度目はデュークと随行員が15km離れたモハカルのビーチで泳ぎ、2度目はデュークとフラガがパロマーレスのビーチで泳いだものである)。
海に落ちた水爆は米海軍による長い探索ののち、80日後の3月17日に深海探査艇アルビン号に発見され、潜水艦救難艦ペトレルの上に引き上げられた。サルベージ船ホイストで引き上げ作業中、海軍のダイバーカール・ブラシアが事故で脚に重傷(のちに切断)を負った。2000年、このダイバーの事故を元にキューバ・グッディング・ジュニア主演の映画『ザ・ダイバー』が製作された。
事故後の現地[編集]
パロマーレスの落下地点近くでは住民が農業を続けていたが、2004年にスペイン政府は2ヘクタールを買収し、2007年までにフェンスで封鎖した。政府のエネルギー・環境技術センター(CIEMAT)は、「大気中の放射線値は国際基準より低く、住民の健康にも影響はない」と述べている。しかし、環境団体は政府の安全基準を上回る放射線が検出されたと主張し、2006年には実際にカタツムリから通常より高いレベルの放射線が検出された。スペイン政府は買収した土地の回復策と費用分担について米国と協議している。
スペイン政府は2006-08年に660ヘクタールを調査した結果、30ヘクタールで規制値以上(最大40倍)のプルトニウムを検出し、場所によっては深さ5mに達したため、41ヘクタールを鉄柵で囲った。
スペイン南部の海岸はヨーロッパからの観光客でにぎわい、パロマーレスでは外国人向けの別荘地が立てられている。住民は風評被害を恐れ、クエバス・デル・アルマンソーラの市長は「政府は安全宣言を出すべきだ」と述べている[5]。
脚注[編集]
- ^ an. 17, 1966: H-Bombs Rain Down on a Spanish Fishing Village
- ^ Ron Hayes, "H-bomb incident crippled pilot's career", Palm Beach Post, January 17, 2007
- ^ Randall C. Maydew. America's Lost H-Bomb: Palomares, Spain, 1966. Sunflower University Press. ISBN 978-0897452144.
- ^ 核兵器事故を、米軍では「折れた矢(Broken Arrow)」と呼び、最優先で対策が行われる。
- ^ 「事故後の現地」の節は、朝日新聞の記事による。
参考文献[編集]
- 沢村亙「水爆落下の村 戸惑い - 米軍機事故から41年 スペインで本格調査」朝日新聞2007年8月23日13版9面
- 三井美奈「放射能45年後も脅威 開発進むリゾート地」読売新聞 2011年7月12日
関連項目[編集]
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