レネ・イギータ
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はイギータ、第二姓(母方の姓)はサパタです。 |
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2007年のイギータ
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名前 | ||||||
本名 | ホセ・レネ・イギータ・サパタ José René Higuita Zapata |
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愛称 | エル・ロッコ (狂人) | |||||
ラテン文字 | Rene HIGUITA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | コロンビア | |||||
生年月日 | 1966年8月28日(50歳) | |||||
出身地 | アンティオキア県 メデジン |
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身長 | 172cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1987-1999 | コロンビア | 68 | (8) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ホセ・レネ・イギータ・サパタ(José René Higuita Zapata, 1966年8月28日 - )は、コロンビア・メデジン出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
長髪に髭をたくわえた独特の風貌でカルロス・バルデラマとともに長らくコロンビア代表のシンボルともいえる存在だった。
経歴[編集]
選手歴[編集]
クラブ[編集]
選手生活の大半をコロンビア・プロサッカーリーグのアトレティコ・ナシオナルで過ごし、同チームの幾多のリーグ優勝に貢献した。1989年にはコパ・リベルタドーレス優勝を果たし、同年12月のトヨタカップに出場。当時世界最強と言われたACミランと対戦し、延長戦の末に0-1で敗れた。
2007年にはベネズエラのグアロスFCと契約を結び、40歳で現役復帰した[1]。翌年はコロンビアに戻りデポルティーボ・ペレイラに所属していたが、2010年1月に再び現役を退いた[2][3]。
代表[編集]
コロンビア代表の一員としても長年に渡ってプレーし、68試合に出場した。しばしばセットプレーにおけるキッカーを担当し、フリーキックとペナルティーキックから8得点を記録している。
1990年のワールドカップ・イタリア大会決勝トーナメント1回戦カメルーン戦では、ハーフウェー付近でロジェ・ミラをドリブルでかわそうとして逆にボールを奪われ、ゴールを決められるというミスを犯した。試合後、シュートの瞬間に真後ろからミラの足めがけてスライディングにいったことも含め非難を受けたが、本人は「まったく後悔していない」とコメントした[要出典]。
1995年9月、イングランド代表との親善試合で、イギータは両足を揃えて飛び上がり、海老反りになって頭越しにボールをかかとで蹴り返し、ジェイミー・レドナップのループシュートを防いだ。まるでサソリの尾のようなその形状から自らそのキックを「スコーピオン」と名付けた[要出典]。しかしイングランドのテリー・ヴェナブルズ監督に「うちには手でセーブするキーパーがいるからイギータのような選手は必要ない」と言われた[要出典]。
指導歴[編集]
2008年12月、以前所属していたレアル・バリャドリードのゴールキーパーコーチに就任した[4]。
私生活[編集]
1993年6月4日、元プロボクサーのカルロス・モリーナ[5]の娘が誘拐された事件に介入し、逮捕された(後に冤罪と判明)。犯人グループへ身代金を渡したことの報酬として6400ドルを受け取ったため、事件から利益を得ようとする犯罪であるとして、7か月間投獄された。長期間、刑務所に収監されていたため、1994 FIFAワールドカップに出場できなかった。南米予選においてアルゼンチンに圧勝したことなどからコロンビアは優勝候補に挙げられていたが、イギータを失った同国はグループリーグで敗退した。
2004年11月29日、コカイン陽性反応により逮捕された[6]。その間テレビ番組の企画で整形手術を施すなど話題を振り撒いていた[要出典]。
2005年、サバイバーに似たテレビ番組 La isla de los famosos: Una aventura pirata (有名な島: 海賊アドベンチャー) に参加した。
2008年4月、コロンビア代表のコーチ就任を希望し、活発に政治的な活動をしたいと表明した[7]。
2009年11月、イギータの息子 Cristian Andres Higuita は、コロンビア1部リーグデポルティーボ・カリに所属し、南アメリカU-15 (Sudamericano Sub-15) に選出された[8]。
評価[編集]
ペナルティエリア外へ飛び出し、相手のスルーパスをカットするスイーパー的な役割を担ったり、ドリブルで敵陣深く攻め上がり、センタリングを上げたりするプレースタイルから「21世紀のキーパー」とも言われ、後に登場したホルヘ・カンポスやホセ・ルイス・チラベルトといった攻撃的なゴールキーパーの先駆けとなった。PK阻止率の高さゆえにレフ・ヤシン以上と言われた事もある。
所属クラブ[編集]
- ミジョナリオスFC 1985
- アトレティコ・ナシオナル 1986-1992
- レアル・バリャドリード 1991-1992
- アトレティコ・ナシオナル 1994-1997
- ティブロネス・ロホス・デ・ベラクルス 1997-1998
- インデペンディエンテ・メデジン 1999-2000
- レアル・カルタヘナ 2000-2001
- アトレティコ・ジュニオール 2001-2002
- SDアウカス 2004
- グアロスFC 2007
- デポルティーボ・リオネグロ 2008
- デポルティーボ・ペレイラ 2008-2010
脚注[編集]
- ^ http://home.skysports.com/list.aspx?hlid=478344&CPID=103&clid=&lid=2&title=Higuita+returns+to+football
- ^ Tormann Rene Higuita geht nicht mehr auf Torjagd (ドイツ語) kleinezeitung.at 2010.1.19付記事
- ^ Vickery, Tim The legacy of Rene Higuita (英語) BBS Sports 2010.2.1付
- ^ "Rene Higuita, nuevo preparador de porteros " (スペイン語) elvalladolid.com 2008.12.28付記事
- ^ (w:Carlos Molina
- ^ "Rene Higuita failed a drug test" (英語) BBS Sports 2004.11.29付記事
- ^ "Higuita wants to return to Colombia’s national team" (英語) Colombia Reports 2008.4.1付記事
- ^ Colombia inicia con goleada su participacion en Torneo de Las Americas (スペイン語) colfutbol.org 2009.11.27付記事
外部リンク[編集]
- FIFA公式サイトの試合出場記録(英語)
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