ロマーリオ
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はジ・ソウザ、第二姓(父方の姓)はファリアです。 |
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2015年のロマーリオ
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名前 | ||||||
本名 | ロマーリオ・ジ・ソウザ・ファリア Romário de Souza Faria |
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愛称 | バイシーニョ | |||||
ラテン文字 | ROMARIO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル オランダ |
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生年月日 | 1966年1月29日(50歳) | |||||
出身地 | リオデジャネイロ州リオデジャネイロ | |||||
身長 | 167cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足(利き手は左) | |||||
ユース | ||||||
1979-1980 | オラリア | |||||
1981-1985 | ヴァスコ・ダ・ガマ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1985-1988 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 47 | (17) | |||
1988-1993 | PSV | 107 | (96) | |||
1993-1995 | バルセロナ | 46 | (34) | |||
1995-1996 | フラメンゴ | 19 | (8) | |||
1996-1998 | バレンシア | 11 | (5) | |||
1997 | → フラメンゴ (loan) | 4 | (3) | |||
1998-1999 | フラメンゴ | 39 | (26) | |||
2000-2002 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 46 | (41) | |||
2002-2004 | フルミネンセ | 60 | (34) | |||
2003 | → アル・サッド (loan) | 3 | (0) | |||
2005-2006 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 31 | (22) | |||
2006 | マイアミ | 25 | (19) | |||
2006 | アデレード・ユナイテッド | 4 | (1) | |||
2007 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 6 | (3) | |||
2009 | アメリカ | 0 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
1987-2005 | ブラジル [1] | 70 | (55) | |||
監督歴 | ||||||
2007-2008 | ヴァスコ・ダ・ガマ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年10月16日現在。 2. 2014年10月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ロマーリオ・ジ・ソウザ・ファリア(Romário de Souza Faria, 1966年1月29日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ出身の元サッカー選手。現政治家。ポジションはフォワード。1980年代後半から1990年代を代表するストライカーの一人。なお日本では一般的にロマーリオと多く表記されるが、彼の母語であるブラジルポルトガル語では、冒頭の Ro はホと読む場合も多い(地域・年齢などで異なる)。そのため現地リオの発音にしたがってホマーリオなどと表記される場合もある。
現在はブラジル上院議員を務める。
長男はサッカー選手で日本のツエーゲン金沢に所属するロマリーニョ。
経歴[編集]
クラブ[編集]
ブラジル内外の強豪クラブを渡り歩き、スペイン・FCバルセロナ在籍時の1993-94シーズンは出場33試合で30ゴールという驚異的な決定力を発揮して得点王を獲得し、クラブをリーグ優勝に導いた。そのあまりに常人離れしたプレーぶりから、相手クラブの監督からは「アニメの世界の住人だ」と評された。とりわけハットトリックを達成した1994年1月の対レアル・マドリード戦で奪った見事な先制ゴールは「牛の尻尾」と呼ばれている。
2000年にはクラブ世界選手権を皮切りに5つの大会で得点王となり、ブラジルサッカー界の混乱が生み出した過密日程もあり、代表戦を含めて公式戦73試合で72ゴールという驚異的な成績を残している。
2004年にフルミネンセFCを解雇されたが、その後に自らがデビューしたCRヴァスコ・ダ・ガマに移籍。2005年ブラジル全国選手権セリエAで22得点を決め、得点王に輝いた。2005年末までの現役続行の予定だったが、米国下位リーグのマイアミFCに移籍し、現役を続けることになった。マイアミでは19得点を上げ、リーグの得点王になる活躍を見せた。その後、オーストラリアAリーグのアデレード・ユナイテッドFCに、リーグ戦4試合限定の「ゲストプレーヤー」として移籍する事が決定。前所属のマイアミFCとの親善試合なども契約に含まれている。
2007年から再び古巣のヴァスコ・ダ・ガマに復帰。1年間の内に3度移籍をしてはいけないというFIFAの規定によってFIFA側はその移籍を正式には認めていなかったが、ヴァスコ・ダ・ガマは「アデレード・ユナイテッド在籍は『招待』であり『移籍』ではない」と言う主張を掲げチームに帯同させ、試合にも出場させている。ちなみにその復帰初戦では、10分間でハットトリックを達成している。
なお、ロマーリオは、ペレに次ぐ世界2人目(アルツール・フリーデンライヒを含めれば3人目)の1,000ゴールをマークしている[2]。1,000ゴール目は2007年5月20日の全国リーグ・スポルチ・レシフェ戦でのペナルティーキック。1,000ゴール達成で引退するのではという噂もあったが、その後もプレーを続けて、更にゴールを重ねた。
これまで幾度となく引退をほのめかしその度に発言を撤回しプレーし続けてきたが、2008年4月、プロキャリアでの911ゴールを収録したオフィシャルDVDの発売記念会見の場で「これは公式のアナウンスである。私はもうプレーしない」と、これまでの引退宣言とは一線を画し正式に引退する意思がある事を表明した。自身がプレーしたヴァスコ・ダ・ガマ、フルミネンセ、フラメンゴによる3クラブ共催の試合がエスタジオ・ド・マラカナンで予定されており、この試合で現役を引退することが伝えられた。
しかし、2009年11月にはリオデジャネイロ州選手権2部のアメリカFCで、試合に出場した。
代表[編集]
1987年5月23日のアイルランド戦で代表デビューを飾るとレギュラーの座を掴み、1988年にオリンピックブラジル代表としてソウルオリンピック準優勝、1989年にはコパ・アメリカ優勝に貢献した。
しかし1990年のワールドカップ・イタリア大会ではカレカ、ミューレルらのライバルにポジションを奪われ、1次リーグ最終戦のスコットランド戦、1試合出場に終わった。
1994年のワールドカップ・アメリカ大会では、5得点を上げてブラジルの4度目の優勝に大きく貢献。同大会のMVPと同年のFIFA最優秀選手に選出され、スター選手の地位を不動のものにした。
1998年のワールドカップ・フランス大会は直前の怪我のために出場が叶わず、ブラジル代表は決勝でエース・ロナウドの不調が響き、フランスに3-0で破れ準優勝。
2002年の日韓共催ワールドカップでは、南米予選の後半で低迷するチームを救う救世主となるも、本大会のメンバー選考でルイス・フェリペ・スコラーリ監督の構想から外れた。落選を知ったロマーリオは、記者会見の場で人目をはばからず涙した。
2004年、ブラジル代表からの引退を表明。ホルヘ・カンポスと合同で代表引退試合を行った。
2005年、前年すでに代表引退試合を行っているにもかかわらず、1試合限りで代表に復帰した。試合前の宣言通り、有終の美となるゴールを決めて代表から引退した。
政治家として[編集]
2010年10月、ブラジル下院議員選挙にリオデジャネイロ州選挙区から立候補し、146,000票の得票で当選を果たした[3]。
2014年10月、ブラジル上院議員選挙に当選、同月からはアメリカFCの会長に就任した[4]。
1,000ゴール[編集]
ロマーリオは2007年5月20日のスポルチ・レシフェ戦で自称「1,000ゴール」を記録している。これについて「自己申告による1,000ゴール」と報道される場合もあったが、これは正しくなく、ロマーリオが公認する1,000ゴールは全て試合日と対戦相手が判明している[5]。
1,000ゴールの内訳はユース以下の選手として77ゴール、プロの選手として923ゴールとなっている。しかし、ロマーリオ自身は通算ゴールに入れていないが、確認されているゴールもあり、Rec.Sport.Soccer Statistics Foundationによるとロマーリオがプロとして記録したゴール数は968である[6]。
従って、確認されているもののロマーリオ自身が数えなかったゴールを加えれば、ロマーリオのゴール数は増え「1,000ゴール」をもっと早く記録していたことになる。なお、これらのゴール数には親善試合や公式戦以外の試合で記録したものも含まれているが、これはペレをはじめ1,000ゴール以上を記録している選手に共通していることである。
公式戦でのゴール数に限ればロマーリオはペレを超えており、確認できる選手としては史上最多である[7]。
個人成績[編集]
年度 | 国 | クラブ | 1部リーグ | 国内カップ | 国際カップ | その他[8] | 期間通算 | |||||
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試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | |||
1985 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 7 | 0 | 21 | 11 | 28 | 11 | ||||
1986 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 23 | 9 | 25 | 20 | 48 | 29 | ||||
1987 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 17 | 8 | 24 | 16 | 41 | 24 | ||||
1988 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 24 | 16 | 24 | 16 | ||||||
1988-89 | オランダ | PSV | 25 | 19 | 3 | 4 | 5 | 3 | 33 | 26 | ||
1989-90 | オランダ | PSV | 20 | 23 | 2 | 2 | 4 | 6 | 26 | 31 | ||
1990-91 | オランダ | PSV | 25 | 25 | 2 | 5 | 2 | 0 | 29 | 30 | ||
1991-92 | オランダ | PSV | 14 | 9 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 18 | 9 |
1992-93 | オランダ | PSV | 26 | 22 | 1 | 3 | 9 | 7 | 1 | 0 | 37 | 32 |
1993-94 | スペイン | バルセロナ | 33 | 30 | 2 | 0 | 10 | 2 | 2 | 0 | 47 | 32 |
1994-95 | スペイン | バルセロナ | 13 | 4 | 5 | 3 | 1 | 0 | 19 | 7 | ||
1995 | ブラジル | フラメンゴ | 16 | 8 | 5 | 1 | 4 | 2 | 22 | 26 | 47 | 37 |
1996 | ブラジル | フラメンゴ | 3 | 0 | 5 | 1 | 29 | 32 | 37 | 33 | ||
1996-97 | スペイン | バレンシア | 5 | 4 | 5 | 4 | ||||||
1997 | ブラジル | フラメンゴ | 4 | 3 | 8 | 7 | 24 | 25 | 36 | 35 | ||
1997-98 | スペイン | バレンシア | 6 | 1 | 1 | 1 | 7 | 2 | ||||
1998 | ブラジル | フラメンゴ | 20 | 14 | 4 | 6 | 3 | 4 | 13 | 11 | 40 | 35 |
1999 | ブラジル | フラメンゴ | 18 | 12 | 7 | 7 | 8 | 8 | 21 | 20 | 54 | 47 |
2000 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 27 | 19 | 2 | 1 | 15 | 14 | 27 | 31 | 71 | 65 |
2001 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 19 | 22 | 9 | 5 | 11 | 13 | 39 | 40 | ||
2002 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 7 | 5 | 18 | 21 | 25 | 26 | ||||
2002 | ブラジル | フルミネンセ | 26 | 16 | 26 | 16 | ||||||
2003 | ブラジル | フルミネンセ | 21 | 13 | 4 | 5 | 25 | 18 | ||||
2003 | カタール | アル・サッド | 3 | 0 | 3 | 0 | ||||||
2004 | ブラジル | フルミネンセ | 13 | 5 | 2 | 2 | 9 | 6 | 24 | 13 | ||
2005 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 32 | 24 | 2 | 1 | 10 | 7 | 44 | 32 | ||
2006 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 1 | 3 | 10 | 6 | 11 | 9 | ||||
2006 | アメリカ | マイアミ | 1 | 0 | 25 | 19 | 26 | 19 | ||||
2006 | オーストラリア | アデレード・U | 4 | 1 | 4 | 1 | ||||||
2007 | ブラジル | ヴァスコ・ダ・ガマ | 6 | 3 | 3 | 2 | 1 | 0 | 9 | 10 | 19 | 15 |
2009 | ブラジル | アメリカ | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||||
総通算[5] | 426 | 294 | 59 | 51 | 77 | 54 | 332 | 295 | 894 | 694 |
代表国際試合での成績
- ブラジル代表 70試合55ゴール
- ブラジル五輪代表 8試合8ゴール
- ブラジル20歳以下代表 11試合11ゴール
個人タイトル[編集]
- リオデジャネイロ州選手権得点王 : 1986, 1987, 1996, 1997, 1998, 1999, 2000
- オリンピックサッカー得点王 : 1988
- エールディヴィジ得点王 : 1988-89, 1989-90, 1990-91, 1991-92
- KNVBカップ得点王 : 1989, 1990
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王 : 1989-90, 1992-93
- リーガ・エスパニョーラ得点王 : 1993-94
- リーガ・エスパニョーラ・最優秀南米選手 (EFEトロフィー) : 1994
- FIFAワールドカップ最優秀選手 : 1994
- オンズドール : 1994
- FIFA最優秀選手 : 1994
- FIFAコンフェデレーションズカップ得点王 : 1997
- Torneio Rio-São Paulo 得点王 : 1997, 2000
- コパ・ド・ブラジル得点王 : 1998, 1999
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 26位 : 1999
- コパ・メルコスール得点王 : 1999, 2000
- Copa João Havelange 得点王 : 2000
- ボーラ・ジ・オーロ : 2000
- 南米最優秀選手 : 2000
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA得点王 : 2001, 2005
- FIFA 100 : 2004
- ゴールデンフット賞 (all time legend) : 2007
脚注[編集]
- ^ Romário de Souza Faria - Goals in International Matches
- ^ RSSSFによると、ゲルト・ミュラーとヨーゼフ・ビカンも1,000ゴール以上記録している。
- ^ 代議士ロマーリオ誕生! - スポニチWorldSoccerPlus
- ^ ロマーリオ氏、リオのクラブの新会長に選出 - Goal
- ^ a b Goles de todos los colores
- ^ Best Goalscorers All-Time (Official Matches)ただしロマーリオが「ユースでのゴール」としている20歳以下代表でのゴールをrsssfは「プロでのゴール」としている。
- ^ Romario is the best goalscorer in history 尚rsssfとEl Gráficoのゴール数の違いは、rsssfがリオデジャネイロ州選抜での3得点と、1997年6月16日のメキシコ戦でのゴール(本人はゴール数に含めているが、オウンゴールとも記録されている)を含めているからであり、その他の合計では一致している。
- ^ リオデジャネイロ州選手権など。
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