セントルシア

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セントルシア
Saint Lucia
セントルシアの国旗 Coat of arms of Saint Lucia.svg
国旗 国章
国の標語:The Land, The People, The Light
(英語: 国土、国民、光)
国歌Sons and Daughters of St. Lucia
セントルシアの位置
公用語 英語
首都 カストリーズ
最大の都市 カストリーズ
政府
女王 エリザベス2世
総督 パーレット・ルイジー英語版
首相 アレン・チャスタネット英語版
面積
総計 616km2178位
水面積率 1.6%
人口
総計(2008年 172,000人(189位
人口密度 267人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 27億[1]東カリブ・ドル(EC$)
GDP (MER)
合計(2008年 10億[1]ドル(163位
GDP (PPP)
合計(2008年 18億[1]ドル(163位
1人あたり 10,819[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスより
1979年2月22日
通貨 東カリブ・ドル(EC$) (XEC)
時間帯 UTC -4(DST:なし)
ISO 3166-1 LC / LCA
ccTLD .lc
国際電話番号 1-758

セントルシアは、西インド諸島ウィンドワード諸島中央部に位置する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家で、イギリス連邦加盟国である。島国であり、海を隔てて北にフランス領マルチニーク、南にセントビンセント・グレナディーン、南東にバルバドスが存在する。首都はカストリーズ

国名[編集]

正式名称は Saint Lucia ( [seɪnt ˈluːʃə] ( 聞く) セイント・ルーシャ)。

日本語の表記はセントルシア。

セントルシアの名は、クリストファー・コロンブスがこの島を「発見」したとされる日が、聖ルチアの祝日であったという伝承に由来する。聖ルチアは、ナポリ民謡サンタ・ルチア」で歌われていることで有名なキリスト教聖人である。

歴史[編集]

アラワクと呼ばれるアメリカ先住民3世紀頃に南アメリカ大陸ギアナ地方から海を渡って定住したが、その後、カリブと呼ばれる別のアメリカ先住民が進出してきた。

ヨーロッパ人による島の「発見」の歴史的経緯ははっきりとしていないが、1500年頃にスペイン人の探検家 フアン・デ・ラ・コーサによって発見されたのではないかと考えられている。ヨーロッパ人による定住はフランスが最初で、約100年間ほどフランスが島を統括していた。現地語のクレオール語フランス語を語源とするのは、ここに由来する。

その後島を巡りイギリスとフランスが争い、17世紀から18世紀にかけて14回領有権が変わった。最終的に1814年パリ条約においてイギリスの領有が確定した。1958年から1962年の間は、西インド連邦に加盟していた。1962年に西インド連邦が解体した後、1967年自治領となり、1979年2月22日に独立した。

政治[編集]

セントルシアは立憲君主制英連邦王国)、議院内閣制をとる立憲国家である。現行憲法1979年2月22日の独立に伴い施行されたもの。

国家元首は国王だが、英連邦王国のため、イギリスの国王がセントルシアの国王を兼ねる。国王の職務を代行する総督は、国王により任命される。政治の実権は行政府たる内閣にあり、その長である首相は総督が任命する。この任命は通常、下院総選挙後に多数派を構成した政党の指導者に対して成される。閣僚は首相の指名に基づき、総督が任命する。総督による任命は形式的なものである。

立法府たる議会は両院制で、上院下院により構成される。上院は11議席で、全議員が任命によって着任する。その任命は、6議席が総督、3議席が野党指導者、残り2議席が宗教界や財界などの社会的集団によって成される。下院は17議席で、全議員が直接選挙小選挙区制)によって選出される。両院とも任期は5年。

二大政党制であり、保守系の統一労働者党(UWP)と社会民主主義を掲げるセントルシア労働党(SLP)の力が強い。他の小政党も存在するが、二大政党の勢力を覆すほどの勢力は持っていない。

セントルシアは中華民国台湾)を承認している。

軍事[編集]

正規軍は無く、代わりにロイヤル・セントルシア警察隊準軍事的組織として存在している。また、警察隊の中に沿岸警備隊が含まれている。

地域安全保障システムには1982年の設立当初から加盟している。

地方行政区分[編集]

セントルシアの地方行政区分

11地区 (quarter) に分かれる。

  1. アンス・ラ・レイ (Anse-la-Raye)
  2. カストリーズ (Castries)
  3. ショゼール (Choiseul)
  4. ドーファン (Dauphin)
  5. デナリー (Dennery)
  6. グロス・イスレット (Gros-Islet)
  7. ラボリー (Laborie)
  8. ミクッド (Micoud)
  9. プラスレン (Praslin)
  10. スフレ (Soufriere)
  11. ビュー・フォート (Vieux-Fort)

地理[編集]

セントルシアの地理

ウィンドワード諸島南部に位置し、島の北部にはセントルシア海峡を挟んでマルティニーク島があり、島の南部にはセントビンセント海峡を挟んでセントビンセント島である。火山島で最高峰は標高951mのジミー山である。山がちな島で豊かな熱帯雨林があり、島の南西部、スフリエールの南の方にあるプチ・ピトン山(748m)とグロ・ピトン山(798m)は双子の山として有名である。2004年にはピトン管理地域として世界遺産に登録された。

経済[編集]

農業バナナが中心で、他にはココアコプラなどもある。また、観光業も有望である。

2005年国際通貨基金の調査では、一人当たりGDPは4,658米ドルとなっている。

交通[編集]

島内に鉄道は敷設されておらず、道路も整備されたものは首都を中心とした西海岸とヘウノラ国際空港を中心とした南東海岸に限られる。内陸の山岳地帯では未だに徒歩ないしラバが主な交通手段である。

国民[編集]

住民は、90%がアフリカ系である。また、混血が6%、インディオが3%、白人が1%である。

言語公用語英語である。また、フランス語をベースとしたパトワと呼ばれるクレオール語が使われる。

宗教は、ローマ・カトリックが90%、聖公会が3%、プロテスタントが7%である。

文化[編集]

ピトン管理地域 - (2004年、自然遺産)。

文化・学術[編集]

セントルシアのノーベル文学賞作家として、デレック・ウォルコット1992年受賞)が挙げられる。また、黒人初のノーベル経済学賞を受賞したアーサー・ルイスも、国籍はイギリスであるがセントルシアの出身であり、彼は西インド諸島大学の創設にも大きな役割を果たした。

世界遺産[編集]

セントルシアには、ユネスコ世界遺産リストに登録された自然遺産が1件存在する。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光