スウェーデン
- スウェーデン王国
- Konungariket Sverige
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(国旗) (国章) - 国の標語:För Sverige i tiden
(スウェーデン語: スウェーデンのために、時代と共に) - 国歌:古き自由な北の国
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公用語 スウェーデン語(2009年から) 首都 ストックホルム 最大の都市 ストックホルム カルマル同盟より独立 1523年6月6日 通貨 スウェーデン・クローナ (SEK) 時間帯 UTC +1(DST:+2) ISO 3166-1 SE / SWE ccTLD .se 国際電話番号 46
スウェーデン王国(スウェーデンおうこく、スウェーデン語: Konungariket Sverige )、通称スウェーデンは、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置する立憲君主制国家。西にノルウェー、北東にフィンランド、南西にカテガット海峡を挟んでデンマーク、東から南にはバルト海が存在する。首都はストックホルム。スウェーデン語ではSverige(スヴェーリエ)といい、スヴェーア族の国を意味する。
現王家はベルナドッテ家。興家より半世紀ほど後の大不況でアメリカ合衆国へ人口が流出した。それから手形交換制度ができたり、ノーベル賞が創設されたり、第一次世界大戦の情報戦に参加したりして、国家戦略を現代化させた。歴代国王は王位につく際に、自分の統治をモットーとして表明する習慣になっている[2]。
この国の経済は近代から、ノーベル財団の理事を輩出するヴァレンベリ家が支えてきたといわれている。トールステン・ノルデンフェルトやボリス・ハーゲリンは多国籍軍事産業を開拓した。戦間期にはイーヴァル・クルーガーの金融帝国が台頭して積極的に外資を導入した。戦後もスウェーデンの国際経済に占める地位は十分に高く、ペール・ヤコブソンがヨーロッパ支払同盟の構想へ意見するほどであった。現在は電力会社バッテンフォールの躍進が目立つ。一方、実態としては家計の総額に近い外資がスウェーデンを支えている[3]。
アルバ・ライマル・ミュルダールが推進してきた高負担高福祉国家であり、世界幸福地図では世界178ヵ国で第7位(2006年)、世界価値観調査での幸福度(Happiness)はアイスランド、デンマークに次いで第3位(2005年)であった[4]。
1985年1月、50人超の連盟による嘆願書が司法長官マグヌス・ショーベリ(Magnus Sjöberg)に送られた。医師と警察が市民の頭部に送信機をインプラントすることが合法かどうかについて回答を求めるものであった。司法長官は3ヵ月後、書簡をストックホルム地方検事へ送った。検事が司法長官に代わり、合法であると主張した[5]。スウェーデンは国民総背番号制の導入がもっとも早い国のひとつである。
国名[編集]
正式名称はKonungariket Sverige(コーヌンガリーケト・スヴェリエ)。通称Sverige。形容詞はsvensk(スヴェンスク)。
日本語の表記はスウェーデン王国。通称スウェーデン。他にスエーデン、スェーデンという表記もされる。漢字による当て字は「瑞典」。スイスの当て字は「瑞西」で、いずれも「瑞」と略されるが、これらの漢字名は一般に余り用いられないため混乱を生むことは少ない。なお、特にスイスと区別する場合はスウェーデンを「典」[6]、スイスを「瑞」と略する[7]。
歴史[編集]
古代はスウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)として主に東方で活動した。ヨーロッパ文化やキリスト教も受容し、13世紀頃にはフォルクンガ朝が現在のフィンランドを含む地域を統一。1397年にデンマーク・ノルウェーとカルマル同盟を結んで同君連合を形成する。
1523年、カルマル同盟から離脱し王政となる(ヴァーサ朝)。16世紀の宗教改革ではプロテスタントを受容し、バルト海地域へ進出する。17世紀にグスタフ2世アドルフ(獅子王)の時代にバルト帝国を建国する。新大陸にも植民地を築き、王国は最盛期を迎える。三十年戦争に参加したり、1634年にフーゴー・グローティウスを駐仏大使として活躍させたりして、オランダへ急接近し国際的地位を築いた。1654年にプファルツ朝に王朝替えするもバルト帝国を維持。しかし18世紀初頭にカール12世はバルト海の覇権を争い、ピョートル1世の時代のロシア帝国と大北方戦争で戦って敗れ、沿岸の領土を失い一時没落する。18世紀後半にホルシュタイン=ゴットルプ朝のグスタフ3世が中興させるも、ナポレオン戦争の経過によって、フィンランドを失った。
1809年の革命で立憲君主制が成立、1814年にキール条約でノルウェーを併合。1818年よりフランス人ベルナドット元帥(カール14世ヨハン)が国王に即位しベルナドッテ朝が始まる。ウィーン体制ではノルウェーと同君連合(1814年 - 1905年)を結ぶが、スウェーデン=ノルウェーは1905年に分離した。19世紀半ばにスウェーデン王の推奨した汎スカンディナヴィア主義が頓挫し、北欧は小国化に向かう。
1914年からの第一次世界大戦では中立であったが、ドイツ帝国がワシントンへ送る外交電文をストックホルムへ経由させて再暗号化してやったり、それをイギリスから非難されてからもブエノスアイレスのスウェーデン大使館を経由させたりして、結果的には逆に英国がドイツの外交電文を解読する機会をつくった。
1932年にスウェーデン社会民主労働党政権となり、以降のスウェーデンは福祉国家路線が支配的イデオロギーとなった。武装中立政策を取り、第一次世界大戦、第二次世界大戦の両大戦にも参加していないが、両大戦とも義勇軍を組織していた事は事実である。第二次大戦の中立違反の政策は、戦中も戦後も、国内外から批判を浴びている。ただし、当時は連合国も枢軸国も国際法を守っておらず、一方的に批判されることではなく、デンマーク、ノルウェー、フィンランド人の反ナチス、レジスタンスを匿い、ユダヤ人を保護したことは、人道にもっとも重きを置いた決定と言える。また、大日本帝国政府の終戦の事前交渉も行なっている。
東西冷戦中は、ノルディックバランスを構築し、アメリカ寄りの政策と中立主義政策を行き来したが、冷戦終結後は、中立主義を放棄し(軍事的非同盟と定義しなおし)、1995年にオーストリア、フィンランドとともに欧州連合 (EU) に加盟した。北欧諸国の中ではデンマークが1973年にEUに加盟している。
1990年1月29日から3週間にわたり、全国の銀行がロックアウトした。現金自動預け払い機も停止。このときはストックホルム・アーランダ空港の外貨両替所も閉鎖となった。外資の採用口である銀行は、スウェーデンにおいて相当に立場が強い。
政治[編集]
政体は立憲君主制。国家元首である国王は、国家の象徴であり、儀礼的職務のみを行う。
スウェーデンの立法機関たる議会はリクスダーゲン (Riksdagen) と呼ばれる。1971年に両院制から一院制に変わった。2006年総選挙時の定数は349議席で、議員の任期は4年。議員の選出方法は比例代表制による。
行政府の長は首相である。議会の総選挙後に、国会議長が副議長及び各党の代表者を招集し、新首相を推挙し、議会の過半数の反対でないことで承認される(反対票を投じないまでも、賛成できない議員は、投票を棄権する)。その後、国王の臨席する任命式において国会議長が新首相を任命し、新首相は同時に各大臣を任命し組閣を行う。
このように、1974年改正後のスウェーデン憲法では、通常の立憲君主国の君主が有する首相任命権を始めとする全ての官吏任命権を形式的にも失っている。国王の権能は情報閣議による大臣からの情報収集(いわゆる内奏)や外国使節の接受などもっぱら儀礼的な機能に限られている。そのため、もはや立憲君主制ではなく、象徴君主制という新たな統治形態であるとする学説もある。
政党[編集]
2014年9月の選挙で議会に議席を獲得した政党は以下の8党。
- スウェーデン社会民主労働党 (S) (中道左派)113議席
- 穏健党 (M) (右派)84議席
- スウェーデン民主党(SD) (民族主義、欧州懐疑主義) 49議席
- 環境党緑 (MP) (中道派)25議席
- 中央党 (C) (中道右派)22議席 - かつての農民党
- 左翼党 (V) (左派)21議席 - かつての共産党
- 国民党自由 (FP) (中道右派)19議席
- キリスト教民主党 (KD) (中道右派)16議席
その他特筆すべき政党 - 地方議会でのみ議席を保有
- Demoex (Democracy Experiment)(直接民主主義) - 世界で唯一インターネットを通した市民による直接的な政治運営を実践
ジョーク政党
- ドナルドダック党 実在しないが、白紙の代わりに投票されるケースがある
軍事[編集]
スウェーデン軍は陸軍、海軍、空軍の三軍からなり、国防省の管轄下にある。スウェーデンはフィンランドの奪還を断念した1812年以降、伝統的に中立政策をとってきた[8]。東西冷戦期にはノルディックバランスに則った中立政策を保ったが、軽武装のために脅威にさらされた第二次世界大戦の教訓から、いずれの党派も強い防衛力を追求した[9]。兵器体系も専守防衛のための独特のものとなった。1950年代から1960年代中期頃には核武装が検討されたこともあったが、政治的な反対運動と、核拡散を抑止したいアメリカの働きかけもあって断念された[10]。北欧最大の工業力を生かした独自開発兵器も多い。1992年に中立政策を放棄し、軍事的非同盟を選択した[8]。2002年には軍事的非同盟は有用であったが、今後は他国と協力して安全保障を追求することとなった[8]。現在もNATOには加盟していないが、1995年にはNATOの指揮下でボスニアに部隊を派遣するなどの協力体制をとっている[11]。また北欧及びEU諸国が攻撃された場合には「受動的な態度をとらない」と宣言しており[8]、欧州連合戦闘群に参加している。2000年代後半からは大規模な構造改革が行われ、徴兵制の廃止ほか、三軍に準じていた郷土防衛隊も廃止された。
徴兵制度(19歳~47歳の男子が対象。女子は対象外である)が実施されていた時代があり、兵役拒否を希望する男子に対して介護や医療などの代替役務を課すことにより、「良心的兵役拒否」が認められていた。2010年7月1日に徴兵制度は正式に廃止された。
地方行政区分[編集]
地方自治制度の原型は、カール15世の治世であった1862年につくられた。これは当時に行われていた政治の集大成である。1842年に導入した義務教育制度、1846年のギルド制度廃止と商取引自由化、1860年に確認された信教の自由、これらが全て反映されたのである。すぐ後で関係するが、1865年は二院議会制が採用されている。1862年の地方自治法は政教分離を定めた。さらに後述のランスティングを設けた。このときから一院制となるまで、ランスティングは上院の選出機関を兼ねた。そして後述のコミューンは自己責任で必要な事務を執り行うことが許された。しかし、1862年における地方選挙権は直接国税が要件であったので全人口の6%にしか与えられていなかった。地方の普通選挙は、1918年と1921年の改革により段階的に実現した。
日本の県に相当するスウェーデンの地方自治体には2種類あり、その一つは国会と政府の出先機関であるレーン(スウェーデン語: län)で、もう一方は県民の代表たるランスティング(スウェーデン語: landsting)である。
レーンの総数は21で、ランスティングのそれは20であり、両者の境界線はほぼ一致する。ゴットランドは島という性格上、レーンの境、市の境、ランスティングの境が偶然一致してしまった特異な例である。レーンは、国会の決定に従い、政府の指示のもとで地域的に必要とされる行政を行うのがその主な役割。その最高議決機関である執行委員会は中央政府によって指名される執行委員長(日本の都道府県知事に相当)と、ランスティングを通じて住民により選挙で選ばれた委員で構成される。これに対してランスティングの主な役割は、県民の精神的・身体的健康の増進と公衆衛生の維持、県内にある学校等教育関連機関の指導・監督及び支援、県内で行われる文化的活動の支援にある。ランスティングの最高議決機関は県民から選挙で選ばれた議員によって構成される県(ランスティング)議会(スウェーデン語: landstingsfullmäktige)である。ランスティングの役割は地域によって細かい部分には差があり、レーンとの役割分担の度合いもそれぞれの地方によって細部は異なる。県庁所在地はレジデンススタード(スウェーデン語: residensstad)と呼ばれ、県の行政機関が集中している。
各県は日本の市に相当する基礎自治体である複数のコミューン(スウェーデン語: kommun)[12] に分割される。名称からフランスの影響がうかがえる。2007年現在、コミューンの総数は全国で290である。最高議決機関は市(コミューン)議会(スウェーデン語: kommunfullmäktige)であり、その議員は当該コミューンの市民によって、4年毎に9月下旬に行われるリクスダーゲンや県議会(ランスティング)の総選挙と同時に選挙で選ばれる。スウェーデン国籍非取得者であっても、同一コミューン内に3年以上滞在していれば、滞在先のコミューンとそのコミューンが所属している県のランスティングについては選挙権がある。
市内の人口密集地はテートオート (tätort) と一般に呼ばれるが、市役所やコミューン議会が置かれている市の中心地は特にセントラルオート(スウェーデン語: centralort)と呼称される。嘗てはスウェーデンにも「町」や「村」といった行政区分もあったが、現在は存在しない。日本の政令指定都市に置かれている「区」と同様の組織は一部のコミューンに設けられる事もあるが、さほど一般的でない上に、規模もごく小さい。「区」に近い概念としてスタッツデール(スウェーデン語: stadsdel)という表現があり、市内にあるそれぞれ人口密集地内の各地域を指す「地区」といった意味合いで使われる。
スウェーデンには以前、「教会市(スウェーデン語: kyrkokommun)」や「教区(スウェーデン語: församling)」という教会が課税権を持つ行政区分があったが、町や村と同様に行政区分としては教会市も教区も現在は存在しない。但し、教区という区分は人口統計や歴史学の研究等、ごく限られた範囲では利用される事もある。
地方行政区分とは別に歴史的、言語的に繋がりのあるランドスカープ(スウェーデン語: landskap)と呼ばれる25の地方がある。詳細はスウェーデンの地方を参照
主要都市[編集]
順位 | 都市名 | 人口[13] | 面積 (km2) |
人口密度 |
---|---|---|---|---|
1 | ストックホルム | 782,855 | 188 | 4,164.12 |
2 | イェーテボリ | 490,961 | 451 | 1,088.61 |
3 | マルメ | 278,319 | 156 | 1,784.10 |
4 | ウプサラ | 185,494 | 2,185 | 84.89 |
5 | リンシェーピング | 138,805 | 1,436 | 96.66 |
6 | ヴェステロース | 133,274 | 962 | 138.54 |
7 | オレブロ | 129,482 | 1,380 | 93.83 |
8 | ノーショーピング | 125,463 | 1,503.61 | 82.95 |
9 | ヘルシングボリ | 124,301 | 347 | 358.22 |
10 | ヨンショーピング | 122,524 | 1,489 | 82.29 |
11 | ウメオ | 110,587 | 2,331 | 47.44 |
12 | ルンド | 103,693 | 430 | 241.15 |
13 | ボロース | 100,570 | 915 | 109.91 |
14 | スンツバル | 94,549 | 3,209 | 29.46 |
15 | イェヴレ | 92,456 | 1,615 | 57.25 |
地理[編集]
スウェーデンの面積は日本よりやや広く、日本全土に北海道をもう一つ足した程度である。面積の割りに人口が少なく、スウェーデンの総人口は約950万人と日本の1/12程度であり、東京23区と同じくらいである。人口密度は日本の約1/19程度で、世界の人口密度ランクでは235カ国中187位という低密度な国である。スウェーデンの国土はスカンディナヴィア半島の中央、東側に位置する。この半島の西部はスカンディナヴィア山脈が南北に連なっているが、標高は2,000m程度しかなく、なだらかである。この山脈の最北部にあるケブネカイセ山の北峰で海抜2104メートルがスウェーデンの最高点である。 ボスニア湾やバルト海に沿って平野部はあるが、それほど広大ではない。半島南端のスコーネ県を除いて冬の寒さは厳しく、夏も全般的に冷涼である。湖沼が多く、中南部に最大のヴェーネルン湖と2番目に大きなヴェッテルン湖が位置する。土地の肥沃な地域はスコーネ県くらいしかなく、また中部から北部は気候的に農業には適さないため、酪農が主な農産業である。
経済[編集]
17世紀にヨーロッパで最初の紙幣が発行され、世界最古の中央銀行であるリクスバンク(スウェーデン国立銀行、ノーベル経済学賞を発行している)が設置されたことで知られている。
スウェーデンの経済の最大の特徴は公務員が多いことである。公的部門の人数は実に33%を超え全体の3分の1にも達する(日本は9.5%)。労働参加率は高く特に女性の労働参加率が高い(スウェーデン76%、日本48%)。そしてその女性の社会進出の場になっているのが公務員の福祉部門である。つまりスウェーデンにとって福祉国家と男女平等はそれ自体が国家と経済を支える重要な柱となっているのである。OECD Gender Inequalityでは格差最小、世界男女格差指数では第4位であった。
農林水産業[編集]
国土の8割が冷帯に属し、コムギの栽培が可能な地域は北緯60度以南に過ぎない。農地は国土の6.5%であるが、農業従事者は国民の1.5%に過ぎない。しかしながら、高い生産性によって、穀類の自給率は121%(2002年)に達している。果実類と野菜類、油脂類を除く各項目の自給率はいずれも80%を上回る。穀類の生産量ではコムギ(241万トン、以下、2004年)、オオムギ(169万トン)のほか、燕麦(93万トン、世界シェア10位)が際立つ。
国土の65.9%は森林(針葉樹林)に覆われている。このため、針葉樹に限定すれば世界第5位の生産量(610万立方m、世界シェア5%)を占める。
1972年、酸性雨の被害を世界に知らしめるため国連人間環境会議を招致し、ストックホルムで開催した。1980年代では、国内の85,000の湖沼のうち、18,000で魚がほとんど死滅、激減した[14]。
製造業[編集]
スウェーデンは伝統的に製造業が盛んである。とりわけ、国策により振興が進められた結果、世界的な競争力を有するようになった企業も複数存在する。
SAAB(サーブ)は一般には自動車メーカーとして知られるが、元来は航空機メーカーで、ビゲン、ドラケン、グリペンといった戦闘機やサーブ 340などのターボプロップ旅客機を開発した実績を持つ。2006年現在、民間機部門からは撤退し、自動車部門はオペルと統合予定のGM100%子会社である(詳細は該当項目参照のこと)ため、防衛産業に専念するようになった。もうひとつの著名なスウェーデン自動車メーカーであったボルボ (VOLVO) グループは、現在は乗用車部門として中国の浙江吉利控股集団の傘下に入っている。
また、ボフォースは、第二次世界大戦以前から存在し世界的なシェアを持つ重火器の老舗メーカーである。 日本では、一時ソニーと資本提携し合弁会社のソニー・エリクソン(ソニー・モバイルコミュニケーションズ)を設立していたことなどで知名度を上げた、通信機器メーカーのエリクソンが有名である。
北部の都市キルナは鉄鉱石の産地として有名であり、これを背景とした鉄鋼業が盛んである。生産される鋼材はスウェーデン鋼と呼ばれ、国際的にも日本の安来鋼と並んで硬く上質の鋼材として評価が高い[要出典]。
また南部の都市ルンドはソニーモバイルコミュニケーションズ、エリクソンなどのハイテク企業が多く集中している。熱交換器と遠心分離器の分野で世界的なシェアを誇るアルファ・ラバル、紙パックのメーカーとして世界的に有名なテトラパックなども、ルンドが本社所在地である。
他にノーベル財団のノーベル賞で知られるアルフレッド・ノーベルが設立した火薬メーカーのノーベル社、ヨーロッパ第2位の家電メーカーエレクトロラックス社、プロ用カメラ・レンズ製造のハッセルブラッド社などがスウェーデンのメーカーの代表格として挙げられる。
その他[編集]
- V&S - 元々は国営にしてスウェーデン最大のウォッカのブランドであるアブソルートを1979年から全世界に向けて発売。現在スピリッツで世界第3位の売り上げを誇る。
- アブ・ガルシア - 釣り具メーカー、スウェーデン王室御用達、歴史のある両軸受けリール『アンバサダー』が有名で世界中に愛好家が存在する。
- イケア - 世界最大の家具チェーン。
- ヴィゲーンズ - 帽子のブランドとして世界各国でその名を知られている。
- ファッションブランドのWESCは世界の多くの国に展開している。
- H&Mは世界22カ国で展開する衣料品チェーンである。
- ハスクバーナ - チェーンソーメーカーとして日本でも知られているが、オフロードバイクの生産も行っており、モトクロス選手権やスーパーモタード選手権でもトップメーカーとして活躍している。
- en:Teenage Engineering - シンセサイザーなどの電子楽器やスピーカーシステム等の製品を開発・販売している。デザイン・性能など、個性的な製品が多いことで知られる。
社会[編集]
長年にわたるスウェーデン社会民主労働党政権の下で構築された社会保障制度が整い、税金制度や高齢者福祉など、社会政策が各国の注目を浴びている。
スウェーデンは、「社会科学の実験国家」だとも言われている。時代状況の変化に対応し、実に簡単に制度(法律)が変更される。そのため、スウェーデンの研究は絶えずこの変化を追いかけ、変更された意図を正確に捉え、その目的と意義を探る必要がある。低所得者層、高齢者、障害者、失業者等、社会的弱者もあるレベル以上の生活をすることが保障される。
高福祉高負担国家であり、GDPに占める租税率は35.5%(2003年、OECDで3位)、さらに社会保障負担を含めると50.6%(OECDで1位)である[16]。個人所得税はGDP比で15.8%(OECDで2位)、地方税率は平均32%ほどである(2005年)[16]。
保健[編集]
医療制度は社会保険制度ではなく、一般税収を原資とするユニバーサルヘルスケアが実現されている[17]。GDPに占める医療費は9%であった(2013年)。地方分権が徹底されており、ランスティング歳出の9割は保健医療関連の支出である[18]。
治安[編集]
2004年のスペイン列車爆破事件や2005年のロンドン同時爆破事件以降、様々な治安対策が積極的に講じられているが、犯罪数は増加傾向にあり、2011年の統計では犯罪数約148万件と発表された。犯罪発生率でみれば日本の約13倍に及ぶ事となる。2010年には2010年ストックホルム爆破事件が起こった[19]。
スウェーデンにおける犯罪の過半数が置き引きやスリなどの窃盗であり、主に旅行者を狙ったものが多い。ストックホルム警察によると各国からの旅行者の中でも日本人の被害が多いとの事である。さらに、以前は少ないとされた暴力犯罪や性犯罪も2011年頃には増加傾向にある[20]。
教育[編集]
スウェーデンの教育制度は日本と同じく6・3・3・4制である。
国際交流基金の2012年度日本語教育機関調査ではスウェーデンの日本語学習者数は2,226人である[21]。
日本とスウェーデンの関係も参照されたい。
交通[編集]
道路[編集]
スウェーデンの道路は所有区分によって一般道 (allmän väg) とその他の道路 (övriga vägar) に分けられる。一般道は国が所有し、スウェーデン産業省の外局である道路庁 (Vägverket) が管理している。一般道はヨーロッパ道路 (Europavägar) 、国道 (Riksvägar) 、県道 (Länsvägar) 、その他の一般道 (Övriga allmänna vägar) に分類される。ヨーロッパ道路は例外的に国連欧州経済委員会 (UNECE) が事務的な管理を担当している(スウェーデン国内の部分についてはスウェーデン政府が所有し、整備を担当)。その他の道路は各市の所有であったり、道路の設置されている土地の所有者に帰属している場合もある。その他の道路には市道 (kommunal väg) か私道 (enskild väg) 分類される。一般道はスウェーデンの道路法 (Väglag, SFS 1971:948) によって定義、建設・整備の責任等が定められている。その他の道路は土地及び建物法 (Plan- och bygglag, SFS 1987:10) にその規則が定められている。
2007年8月1日からストックホルム中心部では、出入りする国内登録車両に対して、時間帯に応じた進入税 (trängselskatt) が課税されるようになった。この税金の目的は中心部の交通量を減らし、そのことによって公共交通機関たるバスの定時性を保持すると同時に、排ガスによる住民の健康を保護するなど中心部の環境保全にある。
鉄道[編集]
スウェーデンの鉄道は、政府が株式を100%所有するエスイー (SJ, Statens Järnvägar) が全国の旅客輸送を担当している他、トーグコンパニーエット (Tågkompaniet) 、コネックス・スヴェリエ(Connex Sverige, Veolia Transport Sverigeに社名変更中)等の政府とは資本関係のない会社が一部地域の旅客鉄道輸送を担っている。線路はスウェーデン産業省の外局である鉄道線路庁 (Banverket, バーンベルケット) が所有・管理している。空港連絡鉄道としてはアーランダ空港とストックホルム中央駅をアーランダエクスプレス (Arlanda Express) が20分で結んでいる。貨物輸送はやはり政府が株式を100%所有するグリーン・カーゴ (GreenCargo) を中心に、ノルウェーの運送会社が筆頭株主のヘクター・レール (Hector Rail) 等によって運営されている。
地下鉄はストックホルムにのみあり、ストックホルムス・ロカールトラフィーク (SL, Storstockholms Lokaltrafik) が運営している。ストックホルムス・ロカールトラフィークは郊外へのコミュータートレインも運行している。どちらもエスイー等、他の鉄道事業者とは乗り入れていない。
路面電車はストックホルム、ヨーテボリ、マルメ、ノーショーピングの各都市で運行されており、特にヨーテボリとノーショーピングの二都市では複数路線が市内の広い地域をカバーしている。
バス[編集]
スウェーデンの各都市で運行されている公共交通機関としてのバスは地方自治体であるランスティングやレーン (län) がその出資母体となる株式会社として運営されている場合が多い。地方自治体とは資本関係のないバス会社も多数あるが、そのほとんどは観光目的の観光バスや都市間を結ぶ高速バスを運営している。
各都市で運行されているバスは市内の2拠点間を市中心部にあるバスターミナルを経由して(起・終点としてでなく)走っている。各都市には主要路線のバスが必ず経由するようなメインのバスターミナルが最低一つはあるが、そのようなターミナルが必ずしも日本のように駅前にあるわけではない。(もちろんバスターミナルが駅に隣接している場合もあり、離れていてもせいぜい500~600メートル程)ストックホルムやヨーテボリのような大都市ではそのようなバスターミナルが複数設けられている。
空運[編集]
スカンジナビア三国(スウェーデン・ノルウェー・デンマーク)のフラッグ・キャリアたるスカンジナビア航空を筆頭に複数の航空会社が国内・国外への旅客便を運航している。スカンジナビア航空は他の航空会社に先駆け、アンカレッジ経由で西欧・極東間の便を就航させた事でも知られている(いわゆる「北回りヨーロッパ線」)。貨物便としてはスカンジナビア航空の他に、アメリカ系のUPS、ドイツ系のDHLが航空貨物便として乗り入れている。(UPSとDHLはスウェーデン国内の陸上輸送へも進出している。)
スカンジナビア航空以外でスウェーデン国内を拠点としている航空会社としては、マルメ・アヴィテーション (Malmö Aviation) 、スカイウェイズ (Skyways) 、ゴットランズフリーグ (Gotlandsflyg) 等の航空会社がある。多くは国内・国外への両方ともに運行しているものの、ほとんどはヨーロッパの各都市への便に限られている。
国民[編集]
スウェーデンは一人の高齢者(65歳以上)を3.1人の生産世代(20-64歳)が支える少子高齢化社会であるが[22]、しかし総人口は増え続けている。合計特殊出生率は1.94人であるが、一方で純移動率は6.75人と流入超過であり、出産ではなく移民によって人口が増加している。
移民[編集]
移民はスウェーデンの歴史における人口増加と文化変容の大きな源である。移民は、経済・社会そして政治的側面において、人種・経済的扶助・非移民の職・集落体系・社会的流動性への影響・犯罪・投票行動など、さまざまな議論を巻き起こしている。[23]
スウェーデンには移民の人種的背景に関するはっきりとした統計はない。これは、スウェーデン政府は人種に基づいた統計を一切行わないからである。しかしながら、移民の国籍については記録されている。1998年の調査では、外国にルーツを持つ者(外国生まれの者、また移民の子供)は1,746,921人であった。これはスウェーデンの人口のおよそ20%にあたる。そのうち1,216,659人(約70%)が、北欧またはその他ヨーロッパの国出身であり、530,262人(約30%)がそれ以外の国出身である。
2011年の統計によると、スウェーデンの総人口の約20.1%にあたる1,921,000人が、全面的、または部分的に外国にルーツを持つ。[24][25][26]そのうち外国生まれの者は1,427,296人である。430,253人が父母共に外国生まれの両親を持ち、666,723人は、片方が外国生まれ、もう片方がスウェーデン生まれの親を持つ。
2010年のEurostatの調査によると、スウェーデンには133万人の外国生まれの住民がいるとされ、これは全人口の14.3%にあたる。そのうち 859,000人(全人口の9.2%)は非EU加盟国生まれで、477,000 (全人口の5.1%)がEU加盟国生まれである。[27][28]
2009年には年間の移民の数は過去最高に達し、102,280人を記録した。[29]移民のほとんどは、スヴェアランドやイェータランドの都市圏に集中している[28]。
2012年には、44,000人の難民を受け入れた。[30]また、シリア争乱の状況悪化に伴い、2013年9月には、シリアからスウェーデンへの亡命希望者全員を受け入れ、永住権を付与すると発表した。[31]
移民問題[編集]
スウェーデンでは次世代先進国のモデルとして「高福祉高負担」の社会モデルが注目されていたが、その影には移民政策による歪みが拡大している。
移民排斥を唱える右翼政党のスウェーデン民主党が、反移民の空気の広がりを追い風にして2010年9月のスウェーデン総選挙で初めて国政に進出し20議席を獲得した。党首のジミー・オーケソンは「わが国の移民政策は失敗だった」と述べ、スウェーデン社会にとけ込まない移民に対する不満が右派政党躍進の背後にあったとみられている[32]。
2013年5月中旬、警察による男性射殺事件に端を発した抗議暴動は瞬く間に拡大し、ストックホルム市内とその周辺では車や学校への放火が相次いだ。警察署や学校が襲撃され、22日には一晩で90件の火事が発生した[33]。これに関連しラインフェルト首相は、移民の社会統合の失敗がストックホルムにある諸問題の一因であることを認めており、拡大し続ける移民問題のひずみにどう対処するのか、スウェーデンの今後の社会動向が注目されている[34]。
言語[編集]
2009年7月からスウェーデン語 (svenska) が正式な公用語に制定された。そのほか、フィンランド語、メアンキエリ、ロマ語、サーミ語、イディッシュ語を話す者も少数いる。スウェーデン語は隣国のノルウェー語、デンマーク語と類縁関係(ゲルマン諸語)にあり、スウェーデン語話者とノルウェー語話者は相互に意思疎通ができる会話程度は可能であると言われる。
また、英語については1940年後半から義務教育化されており、テレビ番組に米国製番組の字幕版が多いといった文化面の影響もあり、英国の方が近いにもかかわらず、英国英語でなくてアメリカ英語で話す人たちもいる。[35]
宗教[編集]
福音ルーテル教会がスウェーデン国教会である。実際に、その人口の8割が福音ルーテル教会に所属している。
文化[編集]
文化的嗜好(国民性)[編集]
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文学[編集]
音楽[編集]
民族音楽[編集]
スウェーデンの民族音楽は、フォルクムジーク(folkmusik)と称され、フォルクダンス(folkdans、民族舞踊、正確には民間伝承舞踊と訳されるのが好ましい)と深いつながりがある。フォルクダンスの形態で有名なのはポルスカ(polska)で、また、スウェーデン独自の楽器にニッケルハルパ(nyckelharpa)がある。 (スヴェンスカ・)フォルクダンスリンゲン は、スウェーデン最大の民間伝承(伝統)音楽及び舞踊に関する組織であり、関連する情報の提供源として挙げておく。
クラシック音楽[編集]
バロック音楽の時代では、イギリスのヘンデルやペープシュに学んだユーハン・ヘルミク・ルーマン(1694年-1758年)は、ヘンデルばりの合奏協奏曲や、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータに近い響きの 「ヴァイオリンのためのエッセイ」 を書いて、「スウェーデン音楽の父」 または 「スウェーデンのヘンデル」 と呼ばれた。古典派の時代にはドイツ生まれのヨーゼフ・マルティン・クラウス(1756年-1792年)が活躍し、短調の情熱的な曲を多く書いて 「スウェーデンのモーツァルト」 と呼ばれている。
ロマン派音楽の時代に入ると、フランス・アドルフ・ベルワルド(1796年-1868年)、ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(1867年-1942年)、ヴィルヘルム・ステーンハンマル(1871年-1927年)、ヒューゴ・アルヴェーン(1872年-1960年)などの作曲家が挙げられる。
デンマークのカール・ニールセン、ノルウェーのエドヴァルド・グリーグ、フィンランドのジャン・シベリウスなどと比べてクラシック音楽全体の知名度は劣るが、近年では北欧全体におけるそれぞれの自国の文化を保護・支援する制度が充実しているため、これらの作曲家のレパートリーも多く取り上げられるようになって来ている。
ペーテル・ヤブロンスキは、世界最高峰のピアニストのひとりとして有名である。
また合唱のレヴェルは世界最高水準を誇り、エリック・エリクソンが長く指揮者を務め、世界的な評価を誇るスウェーデン国立放送合唱団やエリック・エリクソン室内合唱団などがある。
ポピュラー音楽[編集]
昔日は世界第3位の音楽輸出大国と言われたこともあった。1960年代にはスプートニクスがエレキインスト界を席巻した。1970年代後半にABBAが世界中を席巻した。1980年代にはヨーロッパやロクセットなどのバンドが世界的レヴェルの人気を博した。1990年代中期に現れたエイス・オブ・ベイスは1994年に、ザ・サイン(The Sign)を全米シングルチャートの年間第1位にするという偉業を成し遂げている。
スウェーデンのヨーロッパ、イングヴェイ・マルムスティーンなどを中心に1980年代頃から開拓されたヘヴィメタル系のロックは、北欧メタルと称される。1990年代以降は特にエクストリーム・メタルにおいて、アット・ザ・ゲイツ、イン・フレイムス、アーチ・エネミー、オーペスなどの数々のメロディックデスメタルバンドを生み、世界的な影響を与えている。このようなヘヴィメタル・ミュージックが発展した理由に、ABFなどからの色々な補助、地域の音楽学校やコミュニティの充実などを挙げるミュージシャンもいる[36][37]。
また、1990年代はカーディガンズなど有名バンドを発信し、スウェーデンのポピュラー音楽は日本でも親しまれていた。日本国内のポピュラー音楽にスウェーデンのスタッフが関わることも多く、BONNIE PINK、原田知世、パフィー、ジャニーズ事務所所属のNEWSなどの楽曲に関わっている。
このように、一時はヨーロッパ外の国々にもその名を知らしめもしたが、1990年代も半ばを過ぎてアメリカのポピュラー音楽がアフリカン・アメリカンやラテンアメリカ系ないしその血を引く者達を主力とするR&B/Hip-Hopの独擅場となってゆくにつれて、一時は衰退の一途を辿る傾向にあったが、ロックでは、iPodの宣伝にも起用されたシーザーズや、日本の音楽フェスティバル「サマーソニック」に何度も出演しているマンドゥ・ディアオが人気である他、近年ではEDMの隆盛に伴い、スウェディッシュ・ハウス・マフィアやアヴィーチーなどのDJや、その流れを継いだアイコナ・ポップやトーヴ・ローなどの女性アーティストも全世界レヴェルで活躍中である。
映画[編集]
聖ルシア祭[編集]
スウェーデンでは毎年12月13日に聖ルチア祭が行われ、「一番大切な冬の行事」と言われている。イタリア・シチリア生まれの女性聖者である聖ルチアは貧しい人々に財産の全てを提供した純粋な人と言われている。貧民の生活に光を与えた彼女は、光の聖人として、また農耕の守護神として親しまれている。
16世紀にグレゴリオ暦が改訂されるまで、聖ルチア祭は北半球の冬至の日だった。冬至は一番日が短い日であるが故、日が長くなり始める日。日が長くなることを祝う古来からの民間信仰に、キリスト教の光の聖人がいつの間にか一体となって現在に至る。
長く暗く寒い三重苦の北欧の冬に一筋の光を投げ込むのが聖ルシア。この日の朝、女の子がいる家庭では白いドレスに蝋燭の冠を被った娘が父親にサフランパンとジンジャークッキーを持って行き、枕元でサンタ・ルチアの曲を歌う。父親はルシアのような光に包まれた娘に起こされる。
近年では職場や学校、教会などで聖ルシア祭が行われ、蝋燭の冠を被ったルシア姫を先頭に同じく白いドレスを着た女の子と星の使いに扮した男の子が行列を作ってサンタ・ルチアなどの歌を歌う。頭に載せたり手に持った蝋燭の淡い光が日の光を切望する北欧の人たちの気持ちを代弁しているようでもある。行列の後はサフランパンやジンジャークッキー、コーヒーやグレッグと呼ばれるホットワインが振る舞われる。
なお、イタリア語読みでルチアだったものが、スウェーデン語読みでルシアに変化している。
世界遺産[編集]
スウェーデン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が11件、自然遺産が1件、複合遺産が1件存在する。
祝祭日[編集]
日曜日と重なっても振り替え休日にはならないが、祝日の前日が休みになっていたり、労働法により半日休暇を許可されていることが多い。キリスト昇天祭もメーデーと重なる5月1日になる場合があるが(2008年など)、この場合でも振り替え休日は発生しない。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Nyårsdagen | |
1月6日 | 公現祭(東方の三博士の来訪記念日) | Trettondedag jul | |
復活祭2日前 | 聖金曜日 | Långfredagen | 金曜日 |
復活祭翌日 | イースターマンデー | Annandag påsk | 月曜日 |
5月1日 | メーデー | Första maj | |
復活祭39日後 | 主の昇天(キリスト昇天祭) | Kristi himmelsfärds dag | 木曜日 |
6月6日 | 建国記念日 | Svenska flaggans dag | 2005年より法定休日 |
夏至祭前日 | 夏至祭前日 | Midsommarafton | 金曜日 |
6月20日から6月26日の間の土曜日 | 夏至祭 | Midsommardagen | 元々は6月24日 |
復活祭50日後 | 聖霊降臨後の月曜日 | Annandag pingst | 2004年まで法定休日 |
11月1日 | 万聖節 | Allhelgonadagen | |
12月24日 | クリスマスイヴ | Julafton | |
12月25日 | クリスマス | Juldagen | |
12月26日 | ボクシング・デー | Annandag jul | |
12月31日 | 大晦日 | Nyårsafton |
スポーツ[編集]
手厚い国庫負担によって国民の半分が何らかのスポーツに関与している。
サッカー[編集]
特にサッカーが盛んで、FIFAワールドカップでは地元開催の1958年大会で準優勝、1950年ブラジル大会、1994年アメリカ大会では3位に入っている。ブロリン、ラーション、リュングベリ、イブラヒモビッチなど欧州のビッグクラブで活躍する選手も輩出している。
ウィンタースポーツ[編集]
ウィンタースポーツも盛んに行われており、特にアイスホッケーはサッカーを凌ぐ人気スポーツである。NHLデトロイト・レッドウィングスに所属するヘンリク・ゼッターバーグは国民的スター。彼が原動力となり2006年はトリノオリンピックとアイスホッケー世界選手権の両方で金メダルを獲得した。
その他[編集]
陸上競技では2004年アテネオリンピックで男子走高跳、男子三段跳、女子七種競技で金メダルを獲得するなど跳躍競技を中心に強い。また当初は陸上競技として捉えられていたものの、スウェーデン軍の斥候訓練が由来とされるオリエンテーリングも非常に盛んであり、他の北欧諸国と同じく強豪国として君臨している。他にボート競技、卓球、繋駕速歩競走など。テニスは国技とされ、日本で言う国技館のようなテニス会場がある。
結婚[編集]
婚姻の際、以前は父姓に統一するのを原則とし、例外的に別姓とする慣習法があったが、1982年に夫婦同姓・複合姓・夫婦別姓が選択できることが明文化された婚姻法が施行されている。また、2009年からは、同性同士の結婚(同性婚)も認められた。その他、サムボ法がある。
著名な出身者[編集]
- 聖ビルギッタ(1303年 - 1373年) - キリスト教カトリックの聖女
- エマヌエル・スヴェーデンボリ(1688年 - 1772年) - 神秘思想家
- アンデルス・セルシウス(1701年 - 1744年) - 科学者(セ氏寒暖計発明)
- カール・フォン・リンネ(1707年 - 1778年) - 植物学者
- カール・ツンベルク(1748年 - 1828年) - 植物学者、医学者
- フェルセン(1755年 - 1810年) - 貴族・政治家(マリー・アントワネットの愛人と言われる)
- アンデルス・エーケベリ(1767年 - 1813年) - 化学者(タンタル発見者)
- フランス・アドルフ・ベルワルド(1796年 - 1868年) - 作曲家
- フレデリカ・ブレーメル(1801年 - 1865年) - 急進的女性活動家
- ノルデンショルド(1832年 - 1901年) - 探検家(北東航路の発見、日本に寄港1879年)
- アルフレッド・ノーベル(1833年 - 1896年) - 科学者、ノーベル賞設立者
- エレン・ケイ(1849年 - 1926年) - 穏健女性活動家
- ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849年 - 1912年) - 作家
- セルマ・ラーゲルレーヴ(1858年 - 1940年) - 作家
- スヴァンテ・アレニウス(1859年 - 1927年) - 科学者
- アンデシュ・ソーン(1860年 - 1920年) - 画家
- スヴェン・ヘディン(1865年 - 1952年) - 探検家(中央アジア探検)
- ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(1867年 - 1942年) - 作曲家、音楽評論家
- ヴィルヘルム・ステーンハンマル(1871年 - 1927年) - 作曲家・ピアニスト・指揮者
- ヒューゴ・アルヴェーン(1872年 - 1960年) - 作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト、画家
- アンデルス・オングストローム(1814年 - 1874年) - 天文学者・物理学者
- カール・ミレス(1875年 - 1955年) - 彫刻家
- グンナール・アスプルンド(1885年 - 1940年) - 建築家
- クット・アッテルベリ(1887年 - 1974年) - 作曲家、音楽評論家
- パール・ファビアン・ラーゲルクヴィスト(1891年 - 1974年) - 作家(1951年ノーベル文学賞受賞)
- オスカル・クライン(1894年 - 1977年) - 理論物理学者
- ベルナドッテ伯(1895年 - 1948年) - 赤十字社総裁、国連パレスティナ調停官
- グンナー・ミュルダール(1898年 - 1987年)経済学者 - (1974年ノーベル経済学賞受賞)
- ダグ・ハンマルショルド - (1905年 - 1961年)国連事務総長
- グレタ・ガルボ(1905年 - 1990年) - 米ハリウッド女優
- アストリッド・リンドグレーン(1907年 - 2002年) - 作家
- ハンス・アルヴェーン(1908年 - 1995年) - 物理学者
- ユッシ・ビョルリング(1911年 - 1960年) - テノール歌手
- ラウル・ワレンバーグ (1912年 - ?) - 外交官・ユダヤ人の救出で活躍。
- イングリッド・バーグマン/ベルイマン(1915年 - 1982年) - 米ハリウッド女優
- イングマール・ベルイマン(1918年 - 2007年) - 映画監督、脚本家、舞台監督
- ウーロフ・パルメ(1927年 - 1986年) - 政治家
- フジ子・ヘミング(1932年 - ) - ピアニスト
- ジェンス・バーテルソン - 政治学者
- スヴェン・ゴラン・エリクソン(1948年 - ) - サッカー監督
- ステラン・スカルスガルド(1951年 - ) - 俳優
- ビョルン・ボルグ(1956年 - ) - 元プロテニス選手(国際テニス殿堂入)
- インゲマル・ステンマルク(1956年 - ) - 元ワールドカップ スキー回転・大回転チャンピオン。1980年レークプラシッド五輪金メダリスト。70 - 80年代を代表するスキー選手。
- アンナ・リンド(1957年 - 2003年) - 政治家
- イングヴェイ・マルムスティーン(1963年 - ) - ギタリスト
- マッツ・ビランデル(1964年 - ) - プロテニス選手
- ヤン=オベ・ワルドナー(1965年 - ) - 卓球選手
- ステファン・エドベリ(1966年 - ) - 元プロテニス選手(国際テニス殿堂入)
- アニカ・ソレンスタム(1970年 - ) - プロゴルファー(世界ゴルフ殿堂入)
- ヘンリク・ラーション(1971年 - ) - 元サッカー選手 、FCバルセロナなどに所属。
- ズラタン・イブラヒモビッチ(1980年 - ) - サッカー選手 、マンチェスター・ユナイテッドFC所属。
- フレドリック・ユングベリ(1977年 - ) - 元サッカー選手、 清水エスパルスなどに所属。
- マティアス・エクルンド(1969年 - ) - ギター&ヴォーカリスト。フリーク・キッチン
- アネッテ・ノルベリ(1966年 - ) - カーリング選手。トリノオリンピック金メダリスト。
- ステファン・イシザキ(1982年 - ) - サッカー選手。
脚注[編集]
- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ 現国王カール16世グスタフのモットーは「För Sverige i tiden(スウェーデンのために、時代と共に)」であり、国の標語にもなっている。
- ^ 経済産業研究所 スウェーデンの財政再建の教訓 2013年5月 p.16. p.35. 35ページの資料番号は誤記。図表22および図表23は、それぞれ図表27と図表28
- ^ “Lifestyle > Happiness net: Countries Compared”. NationMaster. 2015年6月1日閲覧。
- ^ 公文書 Claes Zeime, Johnny Jarlefelt OAAD2/76/85 1985/5/15
- ^ 1926年7月11日付の東京朝日新聞記事(神戸大学電子図書館システム)では「日典通商条約」「日瑞居住通商条約」の使用例が確認可能である。
- ^ 「西」はスペイン(西斑牙)の略字として現在も広く使用されている。
- ^ a b c d ロバート・ダルシュ 2012, p. 149.
- ^ ロバート・ダルシュ 2012, p. 153.
- ^ ロバート・ダルシュ 2012, p. 154-155.
- ^ ロバート・ダルシュ 2012, p. 158.
- ^ kommunの訳語は一般書では「市」と表記(翻訳)されており、研究書では「コミューン」と音をそのままカタカナ転写するのが一般的である。具体的には一般書として『スウェーデンの分権社会』 (ISBN 4-7948-0500-4)、『スウェーデンの作業療法士』 (ISBN 4-7948-0475-X)、研究書としては『スウェーデンハンドブック』 (ISBN 4-657-97523-4)、『北欧の政治』 (ISBN 4-657-98946-4)、『スウェーデンの政治』 (ISBN 4-657-94626-9) の各書を参照してください。
- ^ 人口は2007年6月30日付のスウェーデン統計局(Statistiska centralbyrån)による統計結果。面積はナショナルエンスィークロペディーン(Nationalencyklopedin)調べの数値。人口密度は小数第三位を四捨五入。
- ^ 石弘之著『地球環境報告』岩波書店《岩波新書(新赤版33)》 1988年 216ページ
- ^ OECD Social Expenditure Statistics (Report). OECD. (2011). doi:10.1787/socx-data-en .
- ^ a b 星野泉 (2006-03). “スウェーデンの地方財政と地方財政調整制度”. 平成17年度比較地方自治研究会調査研究報告書 (財団法人自治体国際化協会) .
- ^ 医療制度の国際比較 (Report). 財務総合政策研究所. (2010-06-30). Chapt.5 .
- ^ 「イギリス及びスウェーデンの医療制度と医療技術評価」、『レファレンス』第753巻、国立国会図書館、2013年10月。
- ^ スウェーデン テロ・誘拐情勢2014-12-25
- ^ 在留邦人向け安全の手引き 在スウェーデン日本国大使館2014-12-25
- ^ “スウェーデン”. 国際交流基金. 2015年8月20日閲覧。
- ^ Society at a Glance 2014, OECD, (2014-03-18), doi:10.1787/soc_glance-2014-en, ISBN 9789264206694
- ^ “Immigrants: The ins and the outs”. The Economist. (2013年2月2日) 2013年6月10日閲覧。
- ^ “Number of persons with foreign or Swedish background (detailed division) by region, age in ten year groups and sex. Year 2002–2011”. Statistics Sweden. 2013年1月5日閲覧。
- ^ “Statistikdatabasen” (Swedish). Statistics Sweden. 2013年3月12日閲覧。
- ^ “Antal personer med utländsk eller svensk bakgrund (grov indelning) efter region, ålder i tioårsklasser och kön. År 2002 – 2011” (Swedish). Statistics Sweden. 2013年3月12日閲覧。
- ^ “6.5% of the EU population are foreigners and 9.4% are born abroad (PDF)”. Eurostat. 2013年3月13日閲覧。
- ^ a b “Tabeller över Sveriges befolkning 2009” (Swedish). Statistics Sweden (2009年1月24日). 2011年9月1日閲覧。
- ^ “Befolkningsutveckling; födda, döda, in- och utvandring, gifta, skilda 1749–2007” (Swedish). Statistics Sweden. 2013年9月7日閲覧。
- ^ “Stockholm riots raise questions about immigration policy”. Financial Times. (2013年5月22日)
- ^ “スウェーデン、亡命希望のシリア難民全員受け入れへ”. AFPBB News. (2013年9月4日)
- ^ スウェーデン総選挙、中道右派政権続投 右翼政党も議席 (アサヒ・コム)
- ^ News Week - 暴動で露呈したスウェーデンのひずみ
- ^ AFP News - ストックホルムで3夜連続の暴動、車や学校に放火
- ^ 北欧通信第3号 スウェーデン人から見た日本像 (2004年)
- ^ 川嶋未来. “【インタビュー】DARK FUNERAL”. Lawson HMV Entertainment, Inc.. 2016年6月12日閲覧。
- ^ 川嶋未来. “【インタビュー】SABATON”. Lawson HMV Entertainment, Inc.. 2016年6月12日閲覧。
参考文献[編集]
- 岡沢憲芙・宮沢太]編 『スウェーデンハンドブック』 早稲田大学出版部 1997 ISBN 4-657-97523-4
- 岡沢憲芙・宮沢太郎編 『スウェーデンハンドブック第2版』 早稲田大学出版部 2004 ISBN 4-657-04512-1
- 岡沢憲芙・奥島孝康編 『スウェーデンの政治』 早稲田大学出版部 1994 ISBN 4-657-94626-9 (Waseda libri mundi 10)
- 岡沢憲芙・奥島孝康編 『スウェーデンの経済』 早稲田大学出版部 1994 ISBN 4-657-94627-7 (Waseda libri mundi 11)
- 岡沢憲芙・奥島孝康編 『スウェーデンの社会』 早稲田大学出版部 1994 ISBN 4-657-94626-9 (Waseda libri mundi 12)
- 岡沢憲芙 『スウェーデンの挑戦』 岩波新書 1991 ISBN 4-00-430177-7
- オロフ・ペタション著、岡沢憲芙・斉藤弥生・木下淑恵訳 『北欧の政治』 1998 早稲田大学出版部 ISBN 4-657-04512-1 (スウェーデン語の原書は1995年初版)
- 武田龍夫著 『北欧の外交』 東海大学出版会 1998 ISBN 4-486-01433-2
- 武田龍夫著 『北欧』 中央公論社 1995 ISBN 4-12-002416-4
- 武田龍夫著 『物語 北欧の歴史』 中公新書 1993 ISBN 4-12-101131-7
- 百瀬宏・志摩園子・大島美穂著 『環バルト海』 岩波新書 1995 ISBN 4-00-430408-3
- 百瀬宏・熊野聰・村井誠人編 『北欧史』 山川出版社 1998 ISBN 4-634-41510-0
- 伊藤和良著 『スウェーデンの分権社会』 新評論 2000 ISBN 4-7948-0500-4
- 河本佳子著 『スウェーデンの作業療法士』 新評論 2000 ISBN 4-7948-0475-X
- ヤン・カールソン著、堤猶二訳 『真実の瞬間』 ダイヤモンド社 1990 ISBN 4-478-33024-7 (スウェーデン語の原書は1985年初版)
- ロバート・ダルシュ 「第10章 自立自存から連帯へ ─スウェーデンの防衛・安全保障政策の変革─」-平成24年度安全保障国際シンポジウム報告書(防衛省防衛研究所)
外部リンク[編集]
- 政府
- スウェーデン王国政府 (スウェーデン語)(英語)
- スウェーデン首相府 (スウェーデン語)(英語)
- スウェーデン王国王室 (スウェーデン語)(英語)
- 在日スウェーデン大使館 (日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - スウェーデン (日本語)
- 在スウェーデン日本国大使館 (日本語)
- 観光
- その他
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