ダニエル・バチェク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ダニエル・バチェク Tennis pictogram.svg
基本情報
ラテン文字名 Daniel Vacek
国籍 チェコの旗 チェコ
出身地 同・プラハ
生年月日 1971年4月1日(44歳)
身長 190cm
体重 81kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1990年
引退年 2003年
ツアー通算 25勝
シングルス 0勝
ダブルス 25勝
生涯通算成績 511勝483敗
シングルス 176勝225敗
ダブルス 335勝258敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(1994)
全仏 3回戦(1994・98)
全英 4回戦(1994)
全米 4回戦(1995・97)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(1999)
全仏 優勝(1996・97)
全英 3回戦(1998)
全米 優勝(1997)
優勝回数 3(仏2・米1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 26位
ダブルス 3位

ダニエル・バチェクDaniel Vacek, 1971年4月1日 - )は、チェコプラハ出身の元男子プロテニス選手。ダブルスの名手としてよく知られ、ロシアエフゲニー・カフェルニコフと組んで1996年1997年全仏オープン男子ダブルス2連覇、1997年全米オープン男子ダブルス優勝があり、4大大会男子ダブルス3勝を挙げた選手である。日本ジャパン・オープンでも、男子ダブルスで1997年1999年の2度優勝した。男子ツアー大会では、カフェルニコフのほかにもシリル・スークマルティン・ダムなどと組んで数多くのタイトルを獲得した。自己最高ランキングはシングルス26位、ダブルス3位。ATPツアーでシングルスの優勝はなかったが(準優勝5度)、ダブルスで25勝を挙げた。

バチェクは父親の勧めにより、11歳という比較的遅い年齢からテニスを始めた。1990年にプロ入りし、この年に男子ツアー大会のダブルスで3勝を記録する。キャリアの最初期は、バチェクは同じチェコのヴォイチェフ・フレグル(Vojtech Flegl)とペアを組むことが多く、1990年度の3勝はすべてフレグルとのコンビで獲得したものである。その後しばらく好成績が出なかったが、1993年8月の「パイロット・ペン選手権」ダブルスでシリル・スークと組んで優勝し、1994年に2勝を挙げる。1995年、バチェクはスークとのペアでダブルス年間4勝を獲得し、この頃からダブルス選手としてのキャリアを確立し始めた。この年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップチェコ代表選手に選ばれ、単複の両方で活躍を始める。

1996年全仏オープンで、バチェクはエフゲニー・カフェルニコフとペアを組み、初進出の4大大会男子ダブルス決勝でギー・フォルジェフランス)&ヤコブ・ラセクスイス)組を 6-2, 6-3 で破って優勝した。パートナーのカフェルニコフは、この大会でロシア人選手として初の4大大会シングルス優勝者になり、単複2冠を獲得した。1996年アトランタ五輪で、バチェクはオリンピックのチェコ代表選手に選ばれ、イリ・ノバクと組んだダブルスで準々決勝に進出している。1997年、バチェクとカフェルニコフは全仏オープン全米オープンを制し、4大大会年間2冠を達成した。全仏2連覇の前、バチェクは日本ジャパン・オープン男子ダブルス優勝もあったが、この時のパートナーはマルティン・ダムであった。彼は1997年に男子ツアーで自己最高成績の年間「5勝」を記録したが、4大大会年間2冠を含む3勝をカフェルニコフと、ジャパン・オープンを含む2勝をダムとのコンビで獲得した。

シングルスでのバチェクは、1994年から1999年までの間に5つのツアー大会で決勝戦に進んだが、すべて準優勝に終わった。彼の4大大会シングルス成績は、ウィンブルドン1994年、全米オープンで1995年1997年の2度4回戦進出がある。デビスカップでは1995年から1999年までチェコ代表選手を務め、通算8勝7敗(シングルス5勝5敗、ダブルス3勝2敗)の成績を残した。

1999年のジャパン・オープンで、バチェクはジェフ・タランゴアメリカ)と組んで2年ぶり2度目の優勝をした。この年はツアーで挙げた年間4勝のうち、3勝をタランゴと、1勝をジャスティン・ギメルストブアメリカ)とのコンビで獲得している。3つのグランドスラム・タイトルを一緒に取ったカフェルニコフとも、1999年までペアを組み続けた。2002年1月、彼は全豪オープン1回戦でダビド・ナルバンディアンアルゼンチン)に 5-7, 6-3, 3-6, 3-6 で敗れ、これを最後にシングルスから撤退する。最後のダブルス優勝は、2002年4月のスペインバルセロナ大会で、パートナーはオーストラリアのマイケル・ヒルであった。最後の年となった2003年は、全仏オープンウィンブルドンの男子ダブルスのみに出場し、ともに1回戦で敗退した。ジム・トーマス(アメリカ)と組んだウィンブルドン・ダブルス1回戦で、フランスペアのファブリス・サントロミカエル・ロドラ組に 1-6, 4-6, 4-6 で完敗した試合を最後に、ダニエル・バチェクは32歳で現役を退いた。

4大大会ダブルス優勝[編集]

(パートナーはすべてエフゲニー・カフェルニコフ)

外部リンク[編集]