数々のアーティストをプロデュースしたが、有名なのは横浜銀蝿。80年代の初め、暴走族もどきのリーゼント、サングラス、皮ジャン姿のツッパリが一世を風靡した。
「あれは時代の流れ。時代をしょっていかないとアーティストは売れない。重要なのは3カ月でも4カ月でも、少しでもいいから、流れを他よりも早くつかむこと。銀蝿はそれがうまくいった。それに彼らは頭が良かった。利口な不良だからカッコいい。実は〈笑える才能〉を出してくれたベルウッド・レコードの社長は、銀蝿のギタリストのJohnnyくん(浅沼正人氏)なんです」
銀蝿とはまるで正反対のアイドル、Winkも手がけた。アイドルらしくない無表情な女性デュオが、瞬く間にヒットチャートを駆け上がった。洋楽のカバーで注目度を高めて、ジャックスの名曲『時計をとめて』を歌わせたこともある。
「従来のアイドルのようにサンサンと輝かせてはいない。たとえば『淋しい熱帯魚』は夏の歌だけど、ブラインド越しに見た夏をイメージ。明るくはないよね。でも、やはりアーティストの魅力も大きかった。(相田)翔子ちゃんにはそう言っているんだ」
ヒップホップまであらゆるジャンルをプロデュースしたあと、巷で“定年”といわれる年齢が近づいていた。ミュージシャンへの復帰は、そんな“時”が理由だ。
「年金をもらえるような年になって、あれっ、やりたいことをやっていいのかなって。ジャックスの元メンバーで早くに亡くなってしまった木田高介くん(かぐや姫、イルカなどの名アレンジャー)のアンソロジーが2011年に出たこともあった。作詞家の及川眠子さん(代表作は『淋しい熱帯魚』『残酷な天使のテーゼ』)も、『残りの人生は少ないけど、未来はあるわよ』と言ってくれて。それじゃあって、アルバムを作ったんだ」