2ヶ月ぶりの更新となる。

さすがにこれだけ間を空けてはまずいので、次回は善処しようと思う。

今回紹介するホールは、前回より再び静岡市(前回も静岡市だったが、当時は清水市だったので)に戻って、今はなきホールを紹介する。

マルハン長沼店
(2000年代前半に閉店して今は更地)


2000年代前半に閉店撤退したホールである。

マルハンは完全撤退ということは少なく、移転か店舗統合などをすることが多いが、この店舗に限っては完全に撤退をした。

おそらくは中央分離帯のある国道1号線なので、下り車線からしか出入りできない不便性もあって客が集まらなかったということも原因にあるだろう。

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これが当時のマルハン長沼店の外観である。

いま見ても違和感の少ない、当時のパチンコホールの外観としては先進的なデザインのホールであったと思う。

1998年当時の設置台数は、パチンコ168台パチスロ122台の合計290台で、当時としては典型的な郊外型の中型店舗であった。

交換率は当時の静岡で統一されていた、パチンコ45個(2.27円)、スロットは5枚(等価交換)。


このホールがお客で混みあったという記憶はない。

とにかく立地のためかお客が集まらないので、比較的設定に甘さがあったり、日によって交換率を変えて設定を上げてくれていたりと、トリッキーな営業をしていた覚えがある。

店員がお客を周り、「今日は6枚交換ですよ」などと耳打ちをして回っていたのが何とも珍しかった。

そんなわけなので他のマルハンと比べて店員もフレンドリーで、店長?かそれに次ぐような方とたまに世間話などをしたものだった。


だがやはり立地が問題だった。

自転車で移動するにも陸橋を遠回りしてこなくてはいけなかったし、車は一度下り線に戻らなければ入れず、上りに戻りたい場合も手間であった。

歩きにしても駅を挟むので近隣店舗から10分程度歩かねばならず、かと言ってまた移動するにはまた10分程度かかるなど、立地の不便性は明白であった。

ただし、そういう理由でもマルハンという企業が存続させているホールだけあって、穴場的なホールであったとも言えたと思う。


このホールの駐車場の敷地内には大きな焼肉店(?)があった。

私は一度も立ち寄らなかったが、そこはマルハンが営業していたのだろうか。

立地と業種の類似性があるので恐らくそうだろうが、当時はマルハン=韓国出の方の企業という概念は持ち合わせていなかったので、これは今ながらなるほどと納得してしまうのである。




新台入替二日目にして閑古鳥の泣いた「バイオメサイア」に陣取り、ループされる煽りBGMと、黒くて図柄の把握しづらいリールに四苦八苦し、小さなドル箱に一生懸命コインを縦積みにしていたあの頃が、この場所を通り過ぎる度に、当時のホールで流れていたBGMと共によみがえるのである。