読売新聞の3月22日付夕刊の「ああ言えばこう聞く」で、鵜飼哲夫編集委員がインタビューした芥川賞作家・僧侶、玄侑宗久さん(67)の色紙を、読売IDをお持ちの方3人にプレゼントします。
「ああ言えばこう聞く」は鵜飼編集委員が各界の方を訪ね、明日を生きるヒントを探るコーナーです。月に一度、第4金曜日夕刊掲載(一部地域を除く)。
今回登場するのは、福島県三春町の臨済宗妙心寺派の住職でもある芥川賞作家の玄侑宗久さんです。
「仏」というとみなさんは、どんなことを連想するでしょうか。仏教、仏陀、仏像、成仏、念仏…さまざまにありますが、玄侑さんは「『仏』を「ほとけ」と呼ぶのは「ほどける」に由来するのではないか」と語ります。「煩悩からの解脱というように執着を解(ほど)くから仏なんです」
こう言われると、御仏の教えがなんだか身近になってきます。
数字でつくった目標や理想にとらわれ、終わったことにくよくよするなど過去に縛られ、生きづらく思っている人が増えている現代。インタビューでは、玄侑さんの新刊タイトル「むすんでひらいて」をテーマに、いかに固く結んでしまった心をほどき、ひらくことで、より自由に生きる智慧を伺いました。
色紙には「むすんでひらいて」に加え、「自然」「養天眞(天眞を養う)」という揮毫もいただきました。
言葉に込めた玄侑さんの文章を紹介します。
・「むすんでひらいて」
人間はおそらく、なんらかの「目的」を持たずには生きられない生き物です。しかしそれは命にとってはじつに窮屈で人工的な首輪とリードのようなものですから、何度でも振り払うんですね。(中略)人生は、結んだり開いたりを繰り返すものだと思ってほしい。「むすんでひらいて 今、求められる仏教の智慧」(集英社)から
・「自然(じねん)」
親鸞聖人は自然法爾と言い、自然は阿弥陀如来の別名とも言っている。人間には到底辿り着けず、それはいわゆる「不自然」も含み込んでいる。禅は修練によって無意識化することで自然が拡張できると信じた。いずれも「自然」を最大のテーマに据えた仏教である。(今回のための書き下ろし)
・「天眞を養う」
「虚懐天眞を養う」の一部。天眞とは、頂いたまんまの命。懐に思いを抱えず、これを養わなくてはならない。(今回のための書き下ろし)
応募の締め切りは4月11日(木)です。「ああ言えばこう聞く」への感想も、お待ちしています。