このページの先頭です
習志野市夢と輝きをもって、自己表現できる都市
サイトメニューをとばして本文へサイトメニューここから
  • サイト内検索
  • サイトマップ
  • トップページ


サイトメニューここまで
現在のページ トップページ の中の こんなまち習志野 の中の 市の紹介 の中の 習志野市の紋章、憲章等 のページです。

本文ここから

習志野市の紋章、憲章等

更新日: 2007年12月3日

市の紋章、市の木・花

画像 市の紋章

 習志野市を象徴する紋章を広く一般より募集し、第1位に入選した(竹村熊次郎氏)図案(習の字をデザイン化)を選び、習志野市の紋章として昭和30年8月1日に制定しました。 
 また、昭和45年(1970)に市の木を「アカシア」、市の花を「あじさい」と決めました。

文教住宅都市憲章

 太平洋戦争の終戦とともに軍隊は引き上げられ、火の消えたような時を迎えます。しかし、軍の施設の多くが戦災者や海外からの引揚者の住宅に転用されたり、大学の校舎に再利用されるようになるなど、すこしずつ町は活気を取り戻していきました。
 また、その立地条件などから、首都圏近郊の住宅地として次第に着目されるようになります。 昭和30年代に入り公団住宅などの建設が始まると、近郊住宅都市の傾向が著しくなり、人口も急激に増加していきました。市の発展にともない、市民の強い要望に応えて、教育にも行政の力点が置かれました。
 初代市長の白鳥義三郎は「一年の計は穀を植えるにあります。十年の計は木を植えるにあります。そして百年の計は人を育てるにあります」と、常に人々に説いて教育の振興に努めました。
 地域のこのような基本的な性格に基づき、昭和45年(1970)4月、市は今後の行政指針として次のような「文教住宅都市憲章」を制定し、あわせて市民の理解と協力を要請したのです。 


 わたくしたち習志野市民は、わたくしたちおよび次の世代をになう子どもたちのために、静かな自然をまもり育てていかなければなりません。
 それは、教育および文化の向上をささえるまちづくりの基盤となるものであり、健康で快適な生活を営むために欠くことのできない基本的な条件だからです。
 しかし、人間はすぐれた文明をつくりだすいつぽう、自然を破壊し、わたくしたちの生命、身体をむしばみ、教育および文化の正常な発展を阻害していることも事実です。
 そこで、わたくしたち習志野市民は、ひとりびとりの理解と協力のもとに、創意工夫し、たゆまぬ努力をつづけながら、理想とするまちづくりのために次のことを宣言し、この憲章を定めます。


1. わたくしたち習志野市民は、青い空と、つややかな緑をまもり、はつらつとした若さを失わないまちをつくります。
1. わたくしたち習志野市民は、暖かい生活環境をととのえ、住みよいまちをつくります。
1. わたくしたち習志野市民は、教育に力をそそぎ、すぐれた文化をはぐくむ調和のとれたまちをつくります。

核兵器廃絶平和都市宣言

 核兵器廃絶・恒久平和は人類共通の願いです。今日の平和の尊さを知り、永遠に平和を守り伝えていくために、習志野市では、昭和57年8月5日に「核兵器廃絶平和都市宣言」をしました。
 以来、平和映画会や原爆写真(絵画)展を開催し、また、昭和63年度より8月6日・9日の広島・長崎の原爆の日に平和の広場(秋津)において、被爆者慰霊の平和祈念式典を行っています。


 戦後50年である平成7年度には、新たに「平和基金」を設置するとともに、広島・長崎市平和祈念式典への市民代表団(中学生・高校生など)の派遣をはじめました。


 わたくしたち習志野市民は、文教住宅都市憲章を定め、生存と安全をまちづくりの基本とした。
 わたくしたち習志野市民は、我が国が世界唯一の核被爆国として被爆の恐ろしさと、被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え続けるとともに、再び地球上に広島、長崎の、あの惨禍が繰り返されることのないよう、恒久平和を強く願うものである。
 わたくしたち習志野市民は、非核三原則の完全実施を願い、平和を愛する世界の人々と共に、恒久平和を実現することを決意し、核兵器廃絶平和都市をここに宣言する。

写真 平和記念式典での献花

問い合わせ先

このページは広報課が担当しています。
電話:047-451-1151(代表)(内線:203、252)

本文ここまで

ローカルナビゲーションここから
ローカルナビゲーションここまで

以下 奥付けです。

習志野市役所

〒275-8601 千葉県習志野市鷺沼一丁目1番1号アクセス(案内)
電話:047-451-1151(代表)
Copyright (c) Narashino-city All rights reserved.