中村一義「ERA」全曲解説!!
この世のすべての人に染み付いた「虚無」を撃ち抜く僕らの「願い」を放て!!


テキスト:保坂壮彦

よーこそ、爆発空間へ!
僕が生まれてからの25年間というものは、このアルバムを創り、聴くためにあったのです。きっと。
ほいじゃ、皆さん、心して聴―て!
(中村一義)

1. イーラ

ジャケット写真 「ERA」。読み方は「イーラ」。直訳すると、「紀元」「時代」「重要な時期」。これが今回のアルバムのタイトルだ。そして、このタイトルに中村一義の「すべて」、僕たちの「すべて」が詰め込まれている.....。
 「紀元」・・・・・中村一義が生まれてから今日に至るまで。僕たちが生まれてから今日に至るまで。はては、ポップ・ミュージックが、全人類が生まれてから今日に至るまでと言ってもいいのかも知れない。そんな思いが「紀元」という意味の側面にこめられている。
 「時代」・・・・・中村一義がいる「時代」&これからも生き抜いていく「時代」。僕たちがいる「時代」&これからも生き抜いていく「時代」。はては、ポップ・ミュージックが、全人類がいる「時代」&これからも生き抜いていく「時代」と言ってもいいのかも知れない。そんな思いが「時代」と言う意味の側面にこめられている。
 「重要な時期」・・・・・そして、このアルバムが生れ落ちた「今日」という日がどれだけ「重要な時期」であるかということを、さりげなく自分自身に&僕たち自身に投げかけているのである。そう、さりげなくね。
 そんな「すべて」が、軽く聴き流してしまうと何ともないような数秒間のプロローグに込められている。まるでタイム・マシンで未来から「今日」、過去から「今日」という旅をしているかのような錯覚に陥ってしまう音の波。α波とθ波が絡み合う音の波。そこに流れる無機質な声。「ナイン、エイト、セヴン、シックス、ファイヴ、フォー、スリー、ツー、ワン、ドウゾ」。そう、「ゼロ」ではないんだ。僕らがいる「ここ」は「ゼロ」ではない。「すべて」が「ここ」にあるんだから。そんな想いを「ドウゾ」という中村君らしい言葉で閉め、アルバムは始まっていく.....。

2. 1,2,3

 ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」⇒ホールの「セレブリティ・スキン」という、90年代の「シニシズム」⇒「オプティミズム」という流れの系譜に位置するかのような、イントロで鳴り響くギターのカッティング。渾身のブレイク・ビーツ。いつになっても決して忘れない「青の時代」のブルース・ハープ。もう、唄が始まる前にすべてを持っていかれる感覚。ていうか、今回のアルバムの先行シングルとしてもうすでに聴いていた曲で、どのような流れの曲であるかはすでに承知であったにもかかわらず、「イーラ」のイントロダクションから流れ込んできて、いきなり放たれるギターのカッティングの繋がりがメチャクチャかっこよくって、もう、失禁状態になってしまいました。恥ずかしながら。それに、このアルバムをすべて通して聴いてみると、この「1,2,3」の立ち位置っちゅーもんがものすごーく重要であるということが浮き彫りにされてくるんだよね。まさにこのアルバムのスタートを切るにはもってこいの曲。そして、中村一義と僕らがこれから歩んでいく上での、狂騒行進曲とでもいおうか。そう、「懸念」を蹴って、「感情」を抱いて、「願い」をもってね。

3. ロザリオ

 クラビネットな鍵盤のあとに、「ドン、パ・パ、ドン、パ!」という、思わず「パ」のところで手拍子を入れてしまいたくなるほどのバウンシーなビートが曲全体を流れるロックンロール!!スネアのもたれぐあいが「金字塔」のころを思い出させるなぁ、なんて思っていたらいきなりドラムンベースな打ち込みビートも絡んでくる、まさに「今」な音。でもなんか、古きよきモータウンな、R&Bなビートだよなぁなんていうことも感じてしまう。イイ。曲のブリッジでは、ディストーションのかかった中村君の叫び声が響きわたる。馬鹿笑いしている。ハハハ。突き抜けてるって感じ。
 「ほとんどの曲をすべて直感で創りました」「AメロがきてBメロがきてここでサビでブリッジで、という曲の創り方をやめて、ほんとに直感勝負です」と中村君が言っていた言葉がこの曲に象徴されている。曲構成自体は物凄く単純。「目、開いて」という言葉が容赦なくリフレインされる。まさに、直感で湧き上がってきた言葉。でも最高!「ザ・ボーイズ・アー・バック・イン・タウン」なんていう言葉も、いつのまにか無意識に口を突いて出ちゃったんだろうなぁ。でも最高!!だからこそ最高!!!だって、なんだかんだいいながらも、「今日は、まぁ、まぁ、もう寝ろって」なんていう中村節で閉めてんだから、最高!!!!

4. メロウ

 アコギから始まる、あきらかにベックの「ルーザー」なミドル・テンポのブレイク・ビーツ。その上を飛び交う、あのシタールやあのハモンド・オルガンやあのサンプリングたち。にしても、ビートは重い。まるでゴジラ(ミニラ?)がのっしのしとあの図太い両足を踏みしめ、「虚無」にあふれる街に向かってすべてを踏み倒していくかのようなビートだ。ていうか、この曲を聴いた瞬間に思うことは、やはり中村一義という人間は無敵だ!!ということ。だってこの曲だけでも、ダスト・ブラザーズにだって勝るとも劣らないトラックを創りだしてんだから。凄いよ。それに、もっとびっくりさせられる事がある。それは、中村一義史上、最も辛辣な言葉であふれ返っている歌詞の内容だ。「銃口」「バカ」「拳銃」「血」.....。こんな風に歌詞を切り取ってしまうととんでもないもんに思えてしまうほど、怒りに満ちた言葉が、ディストーションがかった中村くんの歌声に溢れ返っている。馴れ合いはない。優しさもない。愛もない。ジュビリーはある。そう、「"ジュビリー"はこのアルバムにとってシンボルみたいなものです」といっていた通り、曲の後半部分にあの「ジュビリー」のイントロ部分のスクラッチが投げ込まれていて、「ジュビリーだ!!」と中村くんが叫んでいる。なるほど。そして、この曲に限らず「ジュビリー」は要所要所に登場するんだな、これが。うん。
 そして、最後に、何を叫んでんのかわからんが、今まで聴いたことのないような金切り声で中村くんが歌っている。狂乱している。まるでビースティ・ボーイズだ。そう、「サボタージュ」だ!!

5. スヌーズ・ラグ

 さあ、ほっと一息。まるで、チャップリンの無声映画に流れる捻くれたバック・ミュージックみたい。ここまでエンジンフル回転で突き進んできたアルバムの流れを、そっと優しく包み込んでくれる曲。次の曲に流れ込んでいくのに最高のイントロダクション。アルバムの中にこういう遊びを再び挟んでくれるようになった中村くんに感謝だね!!

6. ピーナッツ

 「スヌーズ・ラグ」でお昼寝モードになったあとに始まる、中村一義のスヌーピー・モード(僕が勝手に考え出した造語)満載のほんわか&のんびり歩いていこうぜな曲。だって、タイトルがまんまピーナッツだもんね。とはいうものの、聞くところによるとこの曲は、ジョンとヨーコのパフォーマンス・アートからヒントを得たらしい。そういえば間奏部分に流れるピアノのフレーズが「ジョンとヨーコのバラード」をBPMチョイト下げた感じに聴こえるわ(思い込み?)。うーん、でもどっちかっていうと「レディ・マドンナ」な感じかな。ていうか、今までの曲がほとんど打ち込みによって創り上げられた曲だっただけに、新鮮!バンド・サウンド!!てなわけ。それに、やけにベース・ラインが気持ちいよな、とおもっていたら、なんと細野晴臣さんがベースで客演!!そういえば、中村くん、一緒に細野さんと「風待ミーティング」で共演しているんだよな。それに「恋は桃色」カヴァーしてるし。でも、かなりのズッパマリ状態です。「細野さんじゃなきゃダメだったんです!!」といっていた中村くんの気持ち、わかります。
 「もし君が泣いたら、すっ飛んで、歌、唄おう」「今は、目の前にタネを蒔いてまとうぜ」「ダメだって、なんだって、歩こうぜ」.....。優しさあふれたいい歌です。

7. ショートホープ

 「飛び込んでいこうよ、この手をつかめ。飛び込んでいこうよ、行けるから」という中村くんのロー・トーンなアコギの弾き語りから始まって、くるりの岸田くんのパワー・コード弾きまくりギターの手助けを得て、まるで「荒野の決闘」状態なスネア・ロールを伴奏に、「ちっちゃな願い」を握りしめ突き進む孤高のヒーロー「中村一義」、またの名を、「ドン・キホーテ中村一義」いざ出陣!!なんていう大それた美辞麗句を並びたくなってしまいたくなるほどの、強烈パワー・ポップ・チューン!!まあ簡単にいってしまえば、めっちゃ力強く僕らの背中をたたき、押し出してくれる、勇気に満ち溢れたウィーザーみたいな感じだね。ここまで力強いロックンロールを中村くんがやってしまうなんてことは微塵にも思わなかったね。はっきりいって。ていうか、もう、何とかこの生温い「現状」を打破したい!ぶち壊したい!!という「想い」や「願い」が楽曲に込められ爆発した、まさに「爆発空間」満載のナンバーだ!!

8. 威風堂々(Part1)

 単なる偶然か?はたまた確信犯か?このクラシックの名曲、エルガー作「威風堂々」をこれでもかといわんばかりに大胆にも、もろカヴァー。いやらしいほどかなりの直球です。でも、かなり撃ち抜かれること必至。裸の大様が自分が裸であることを知らずに大観衆の前に現れて、声援を送られている場面が何故か思い浮かぶ。それは曲の最後に、「現実離れした気分でまだいるわけです・・・」と呟かれる言葉があるから。そう、ジュビリーはまだだということ。うかれてんなよ。

9. 威風堂々(Part2)

 「ジュビリー」のカップリングとして収録されていたあの弾き語りの曲が、バンド・サウンドで蘇った。このアルバムの中でも数少ない「哀愁」というものが存在している曲だと言ってもいいのかも。そう、「知ったようなこと言うな...。」とか「言い逃ればっかすんな...。」とかいうドキッとさせられるような言葉が吐かれているにもかかわらず。ましてや、「合せてばっかいんな...。いっつも息を殺して...。一人でも行くんだ。あんたに言ってんだ。」なんていう、またまたドキッとさせられる言葉が増えているにもかかわらず...。
 結局は、中村一義のロックンロール・モードがこの曲をよりいっそう歪にさせた。「哀愁」に敏感な野郎どもにも、銃口を突きつけるために。あんなにもオプティミスティックな威風堂々(Part1)をこの曲の前に用意したのも、この曲を寄り際立たせるためなんだろう。だからこれもロックンロール。知らないうちに効き目が出てくるボディー・ブロウのようなロックンロール。きをつけろよ。

10. 虹の戦士

 2ndアルバム『太陽』収録曲のような音の感触で始まるミディアム・テンポのロックンロールなんだが、サビに鳴らされるギターとドラムの爆裂音は、もう今までの中村一義のイメージを払拭してしまうほどの迫力を持っている。だって、サビ繰り返される「へいき?」という言葉が「Hey,Kids!」と聴こえてしまうぐらいなんだから。あ、そういえば、もうすでに気づいている人もいるかもしれませんが、今回のアルバムに収録されている曲のうちほとんどのタイトルが「カタカナ」になっているんですよね。その意図は、あえて曲に対する強固なイメージによる意味性を剥ぎ取ろうとしているのではないかと思うのです。「生きている」なんていう曲のタイトルを見て、「ゲッ!!」とか思ってしまう人に対してね。今まで以上に柔らかく、ポップに入り込めるように。でも中身は濃いーぜ!!ってな感じ。でもね、この曲は超重要!!ってな曲のタイトルはちゃーんとしたタイトルになっているんですよ。この曲なんかまさにそうですよ。今回のアルバムで中村くんがみんなに伝えようとしていること、「願いを持つ」ということ、そんな想いがこの曲にたくさん詰め込まれているんです。「僕なら、君なら、どんな壁だって、ぶっ倒して、いけるさ、僕らは、願いを持った戦士なんだ。」
 そして、90年代に「僕らのバンド」として勇気を与えてくれたにもかかわらず、先人たちが何度も繰り返してきたロックンロール・ライフに堕落して、ロックという資本主義な構造に飲み込まれてしまって、今は無残にも失速して自滅しかけてしまったあのオアシスが言い放った言葉を、中村一義は決して一過性の戯言に終わらせぬように僕らに伝えている。「僕は僕で、君は君で、他の誰かではない」
 そして、そして、とうとう、中村一義は吐いた。ちょっとテレ気味に吐いた。そう、彼は、いつもこういう重要な言葉を吐くときはファルセットで僕らに聴きづらいように唄う。でもいいよ。わかってるから。伝わってるから。
「もし君の声が枯れ果てたら、俺が歌で叫んでやる。」感動...。言うこと無し。

11. ジュビリー・ジャム

 「ジュビリー」という曲自身をもっともっと祝うために挿入された、中村一義本人による「ジュビリー」のイントロ的リミックス。改めて「ジュビリー」という曲を聴くにあたって、最高の前フリです。ていうか、この人は本当になんでもやってしまうんだなぁ、と関心さえもしてしまう遊び心満載のトラック。

12. ジュビリー

 「中村一義第2章」の幕開けを飾ったシングル。このアルバムはすべてここから始まった。本人が認めている通り、アルバム「ERA」の「意味」「手法」のすべてがここから始まっている。このアルバムを統一するシンボルだ。
 そう、サビで唄われる「そう、君ん中に溢れ出す世界に、決して消えない場所が(必死で灯るサインが)。」の「場所」と「サイン」は「願い」だ!!ということ。

13. ゲルニカ

 悲しげなチェロで幕を開け、スクラッチが刻まれ、アコギのアルペジオが後を追い、「チキチキ」なハイハットが通低音として鳴り響くビートを基本とした中村版「ヒップ・ホップ」とでもいうような楽曲。曲前半部分の音の隙間になんともいえない闇を感じる。しかし、メロディーが始まり高揚を迎え、曲中間部分から徐々にスクラッチが増え始めると、後半部分にはビートも厚みを増してきて、全体的に大交響曲のようになるという仕掛け。素晴らしい。でも闇は決して拭い去れない。このアルバムの中でもっとも異質な存在を放つナンバー。この曲一発で底へ突き落とされる。この曲には一切のオプティミズムを寄せ付けない力強さがある。そう、中村一義には珍しく「光」が一切入り込まないダークな曲だ。「闇」のみ。「虚無」のみ。中村君曰く、この曲はまさに「虚無」の象徴だ。それに白黒のフィルターをかけた曲。だから「闇」しか見えない。
 この世のすべてにはびこる「虚無」の群れ。それを撃ち抜くためにこのアルバムはある。でも、この曲は、打ち抜くために存在している曲ではない。その「虚無」の存在を僕らに自ら明らかにさせるために存在している。「ゲルニカ」というのはピカソの作品で...、なんていう説明や解説も重要なのかもしれないが、それよりもなによりも、この曲を聴いて「新世紀だろうがさ、根本は何も変わりゃしない。」という「虚無」を「虚無」として受け入れること、「闇」が「闇」として存在しているということを自分自身明確にすること、それが大事なんじゃないかなぁ。
 「真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を塗れたら、目の前に。真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を見たいから。」とサビで繰り返されるフレーズに、中村くんの「願い」が込められている。
死んだフリ? なら・・・・・。

14. グレゴリオ

 「闇」満載の「ゲルニカ」の次は、「光」満載の「グレゴリオ」。まったく中村くんのやることは憎めない。一分弱に集約された、中村一義的「聖歌」。そう、「グレゴリオ」ってキリスト教の聖歌の名前らしい。ていうか、そういった意味製が無くとも、中村くんが僕たちに伝えてきたすべてがこの短い曲の中に簡潔に詰まっているのは事実だ。
「この目に、その目に、この手や、その手に、そうだ、すべてはある。」
『金字塔』『太陽』をひっくるめて、この一行に集約させてもいいのかもしれない。かなり暴言。でも、そういった意味でも「聖歌」。だけど、その2枚のアルバムだけで俺は終わりじゃないんだ!!「ERA」があるんだ!!という気持ちを最大限に伝えるために、曲の後半部分に、対訳には載っていない言葉を叫び、みんなに伝えている(聴き取りの解釈は君の自由だ)。
 そう、「ERA」さえもこの一行に集約させて、さりげなく中村くんは「願い」を僕らに伝えている。そう、「直感」でこの短い曲を創り上げてね。いくら短かろうが、このアルバムには絶対必要な曲なのです。

15. 君ノ声

 「メロディー・メイカー中村一義、ここに極まれり!!」なんていう冠を載っけてしまいたくなるほどの「やさしさ」「あったかさ」に包まれた珠玉のメロディーいっぱいのナンバー。ここまで、何かとサンプリングやら打ち込みなどの手法がちりばめられてきたが、「グレゴリオ」と「君の声」は、『太陽』のような音触のオール・バンド・サウンド。ていうか、『太陽』のときの音楽的手法が、すべてこの曲の中で弾けきっている。これはやばい。泣ける。泣いている場合じゃないのはわかっていても、泣ける。「胸にジンとくる」なんていう死語を現世に召喚してきても許されるぐらいヤバイ。
 改めて言う。このアルバム「ERA」はロックンロールだ。でも、この曲だけひっぱり出してしまえば、ロックンロールとはいえないかもしれない。でも、かのジョン・レノンがいっていた言葉に、「『イマジン』は、『ジョンの魂』にシュガー・コーティングを施したようなものだ」という発言がある。そう、彼もロックンロールだった。でも、あれほどまでに素敵なメロディー溢れた曲も産み落としていた。というか、その側面のほうが一般的に有名であろう。彼がロックンロールであったなんていうことを真に理解している人なんて、そうはいない。だから、中村一義に対して「彼はロックンロールだ」という言葉を吐いたとしても、受け入れてくれる人はあまりいないのかもしれない。でも、それでもいい。それだからこそいいんだよ。厳格なる「父」のようなイメージを伴う男根主義的なロックンロールばかりがあなたの手に届くわけではない。愛に溢れる「母」のようなイメージを伴う母性愛的な「いいうた」や「やさしさ」だってあなたに届く。両方の、どっちかの側面だけしか理解できなくとも、中村一義の「本質」が、このアルバム「ERA」を手にとることによって理解されることになるならば、本望だ。だから素直に、極上のシェフによってシュガー・コーティングされた「君ノ声」を聴いて、泣いてくれ。
 「祈りにも似て否なる話題を持って、懲りず、君に、届けるから...。ラ、ラ、ラ・・・」

16. ハレルヤ

 あの、中村一義的「ギヴ・ピース・ア・チャンス」な「ハレルヤ(シングル・ヴァージョン)」を、7分強の大作アルバム・ヴァージョンとして再収録。なーんて、簡単に言っちゃえばそうなんだけど、これ聴いた瞬間、僕、鳥肌立っちゃいました。「す、凄い!物凄すぎる!!」ってな感じ。ていうか「ってな感じ」てなんだよ!!という突っ込みが入りそうな気がするんだが、「とにかく凄い!!」。バグ・パイプなイントロから始まってサビに行くまでは既発のシングル・ヴァージョンとあんまり変わんないんだけど、サビからどカーンと(物凄く幼稚な物言いでゴメン)ギターもドラムもベースも、もうすべてが力強く鳴り響く。これでもか!これでもか!!とでもいわんばかりの音圧で押しまくる。そして、新たなコードと歌詞が登場してくるんだが、これがまた秀逸。「なんだって、沸いてくる願望で、乗り越えるんだ。この先の道を、行こう、行こう、行こう。」って唄ったあとに、「晴れ、晴れるんだ。」とくるもんだから、もう、言葉を無くすよ。体が動くよ。舞い上がるよ。ハレルヤだよ(意味不明)。ある意味シングル・ヴァージョンは、宗教色の強いイメージが勝手に植え付けられている面があったかもしれないが、これを聴いたらそんなもんすべて吹っ飛ぶよ。単なる、いわゆるヴァージョン違いじゃぁないよ、これ。別もんと思われても構わないんじゃないかな、中村くんとしても。
 で、この曲はこんな言葉で締め括りを迎える。
「新しいさ、影にしたって、ここにさ、あるもので、あかり、創りだして、向こうにさ」
 そう、ここにある「影」は、僕たちが知らず知らずのうちに歩いていく先に投げ続けていたもののせい。それを今浴びているから「影」があるんだ。だったらおんなじように、僕たちの「願い」を投げ続ければ「影」」なんかできない。僕らの足元に、空にはいつだって「あかり」があることになるんだ。そう、だから「あしたは晴れ、ハレルヤ」。「やがて祝える日があるとして」ね。みんなでね。

17. バイ・CDJ

 この「バイ」は、「バイバイ」の「バイ」なのか、英語の「By」の「バイ」なのかようわからんが、CDJはDJ用の機材の名前だし、でも、この曲をCDJで創ったとは思えないような感じだし...。でも中村くんだったら軽−くCDJで創り上げてしまうような気もするし...。自分でも何を言おうとしてんのかわかんなくなってるし...。
 とにかく、ここでも登場!!「ジュビリー」の叫びのあとに、ラジオのチューナーをいじくり回しているかのような雑音が入り込む。そしていつのまにか、「チュッ、チュッ、チュッ、チュッ」という中村くん自身の口によるカウントで、次の曲になだれ込んでいく。ていうかこの「チュッ〜」ていうカウントが次の曲にいい感じの味付けをしているんですよ。このポップな感じがいいね。バッチ・グー!!

18. ロックンロール

 こりゃぁ、70年代初期のデヴィット・ボウイか?イギー・ポップか?ニューヨーク・ドールズか?はたまたストーンズか?なんていう、トチ狂った暴言でも吐いてしまいたくなるぐらいの「イッツ・オンリー・ロックンロール」な、その名も、中村一義の「ロックンロール」!!!!!とにかく、ロックンロールが「60年代の幻想」とともに殉教してしまい、「本質」からかけ離れて「ロール」しなくなって「ロック」し始めた70年代初頭に鳴らされた、「ロックンロール・パーティ!!」な「ロックンロール!!」(なんかややこしいな。ていうか、俺、今、何回ロックンロールって言った?)。まあ、とにかく、とにかく、「本質的にロックンロール」だとかなんかいう以前に、もうこれは、「体がうずくぜ!!ロックンロール!!」なんですよ!!!!!!!!!!
 絶妙なタイムで切り刻まれるギターのカッティング、ロールしまくるドラム、唸りうねりまくるベース、跳ねりまくるピアノ、もう、すべてがグッド・ロッキン・シェイキンだ!!特にこのギターの鳴りはやばいぞこりゃと思って調べてみたら・・・、真島昌利ですよ!マーシーですよ!!ハイロウズの!!!いや、ブルーハーツのマーシーだったんですよ!!!!もう、感動です。それだけで感動です。中村一義の曲でマーシーがギターを弾いているなんて。あとから本人に聞いたところによると、「ピーナッツ」での細野さんの客演の理由と同じことを言っていましたよ。「真島さんじゃなきゃダメだったんですよ!!」と。「そのおかげでレコーディング3ヶ月待ちました」と。感動だって。もうここまでくりゃ、さ。もう、史上最強のロックンロールの誕生だよ!!なーんて興奮しまくりで、単なるファン心理暴露大会になってますが、まあ、まあ、許して。仕切りなおしますから.....。
 中村一義の側面にあったバカボン的なポップな歌詞が、マーシーの切なさ詰まったぎたーと出会ったことによって、とっても素敵なロックンロールが生まれた。「どうも、ありがとう、ここにいない人へ。どうも、ありがとう、今日もここにいる人へ。」なんていう歌詞が、マーシーのギターと出会っちゃったもんだから、もう「ブルーハーツよ再び!!」てな感じなんですよ。そして、サビで繰り返される様々な虹色以上の色たちの叫び。そんなたくさんの色を呼び戻し、目の前に解き放ちたいがためにこのロックンロールは鳴らされる。「色、取り戻すパーティーへ。」ちゅーこと。
 この曲一発で、ここまで「ERA」に収録されていた曲すべてがはじけ飛ぶ感じ。ぐだぐだ言ってねーで、とにかく踊ろうぜ。自分の足で踊ろうぜ。踊らされてばっかいねーで、踊るんだ。そんな言葉が僕の頭を駆け巡る.....。

19. 21秒間の沈黙

 21秒間の沈黙。タイトル通り、21秒間の沈黙が続く。でも、ヘッドフォンをしてヴォリュームをでかくしてみると、なんともいえない重低音がLからR、RからLへと1秒ごとに振り子のように移動していく。
 「21」という数字。これは、中村一義が「僕として僕は行く」と決意し、歩き始めたときの数字。『犬と猫』をリリースしたときの年齢。『金字塔』をリリースしたときの年齢。そう、21年間の闇を潜り抜けて、今ここにいる。それに、「21」とは「21世紀」ということ。そう、21世紀になるまでいろんな闇を僕たちは潜り抜けてきて、今ここにいる。そんなことをこの曲は伝えている。そして、アルバムは最終章へと向かう・・・。

20. 素晴らしき世界

 1曲目「ERA」から始まった、「ロックンロールの逆襲!!」の旅の終着点がここだ。やがて祝える日を迎えるまで、いろんな「願い」を込めて叫びつづけてきたけれども、辿り着くのはやはり今ここにいる地。「素晴らしき世界」だ。「忌まわしき世界」だ。そう、僕らは夢想してユートピアを目指しているわけではない。ましてや、今いる地がそんな場所に様変わりするわけも無い。わかっている。だからこそ「願い」を持つんだ。そしてこの両足で歩くんだ。
 「素晴らしき世界」と「忌まわしき世界」という言葉を皮肉にも掛け合わせながら、僕たちがいるこの世界を表現しつつ、中村くんはこう宣言する。  「さよなら、ここで降ろしてくれ。たださ、僕はこの両足でね、これで・・・、歩きたいんだ・・・、わかるかなぁ。」
 この両足を動かすのはこの僕だ。他の誰かに動かされているわけではない。たとえ「願い」を持てたとしても、この両足を動かせなかったら、僕たちは進めない。何かに乗っていてもダメだ。その乗り物を僕が動かしていたとしても、誰かにハンドルを握られていたとしてもダメだ。100%自分の意志では進めない。だからこそこの両足で歩くんだ。
 これが中村一義が辿り着いた決意。そして僕らの決意。そう、これは僕らのアルバムだ。中村一義のものではない。もしこのアルバムがあなたの手元にあるのなら、その瞬間からあなたのアルバムになるんだ。あなたのその手にすべてがあるんだから。そんなことを可能にしてしまう、中村一義のポップ・ミュージック。素晴らしい。これがポップ・ミュージックの魔法、奇蹟、真実だ。覚えておけ。これが本来ポップ・ミュージックがあるべき姿なんだということを。そして、これが、真の意味でのロックンロールであるんだということを。

素晴らしき世界だね。

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