「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び保護等に関する法律」の改正に向けた意見書


     2003年1月22日
東京都杉並区阿佐谷北1−9−20−105 山本方
NGO 連絡網 AMI
代表者代表理事 八的暁
理事 山本夜羽 要友紀子 鎌倉圭悟 山咲梅太郎 山口貴士 砂

 今回、「エクパット/ストップ!子ども買春の会」「国際子ども権利センター」「日本YWCA」等の団体から『「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び保護等に関する法律」の改正に向けた要望書(以下、要望書と略す。別紙添付資料『賛同を求める要望書の原文』)』についての賛同の呼びかけがありました。本意見書は、児童の人権を含む人権擁護、とりわけ市民的自由の保障の観点から、この要望書に対するAMIとしての見解を示すものです。

 言うまでもなく、児童の人権保護は社会の重要な課題であり、性的虐待を始めとする児童への人権侵害を根絶したいという気持ちは、私たちも充分に共有するものです。しかしながら、要望書の内容に関しては、多くの点について反対の姿勢をとらざるを得ません。その理由は以下のとおりです。

1.要望書に対する基本的見解

 この要望書は、児童を児童買春・児童ポルノから保護するためには、「広範かつ不明確な刑罰法規を設けることもやむを得ない」、「被疑者・被告人の権利保障について不十分な点があってもやむを得ない」という思想が根本にあると言わざるを得ません。

「児童の人権保護」がいかに正当な社会的目標であっても、それを、適正手続の保障を含む他の基本的人権を制約するためのオールマイティーのキーワードにすることは認められません。いかに素晴らしい「理念」や「理想」であろうとも、適正手続の保障を含む基本的人権を制約する「錦の御旗」にしてはならないということは、我々が過去の不幸な歴史から学んだ教訓です。
 いかに素晴らしい「理念」に基づく法であろうとも、それを運用するのは人間です。人間が過ちを冒す存在である以上、運用上、過ちが起こらないことを期待するのではなく、過ちが起こりえない配慮が為されるのが立法上の常識ではないでしょうか。
 法は、市民に対し行動の自由の範囲を示し、また、公権力が市民の自由を制約しうる場面を合理的かつ必要最小限に限定しうるものでなくてはなりません。本来、市民の自由に委ねられるべき領域を侵してはならないのです。社会的に「有害」な行為を規制する目的のために、その周辺にある本来市民の自由に委ねられるべき行為まで禁止することは許されません。
 それゆえに、刑罰法規は、処罰範囲を明確にし、かつ、その範囲が限定されていなくてはならないのです。残念ながら、この要望書にはその点に対する配慮が全く欠如しているといわざるを得ません。

 また、正しい事実認定は正義の実現の基本です。正しい事実認定は、適正手続の保障なくしてはありえません。適正手続きの基本は、被告人が自己を有罪だと根拠付ける証拠についてアクセスすることを認められ、その信憑性について十分に吟味する機会を保障することに他なりません。
 被告人の立場に身をおいて考えてください。自分の有罪を示すものとして提示されている他人の主張を記録した書面(調書)があり、その内容の真実性について吟味する機会を与えられることがないとしたら。あるいは、自分の立ち会っていない場においてなされた証言に基づいて有罪とされるとしたら。これは恐ろしいことではないでしょうか。
 児童買春行為を根絶するという目的が冤罪者を生み出すことを正当化することは、決してないのです。また、適正手続をないがしろにすることによって冤罪者を生み出すことは、けっきょく児童の被害回復や人権保護にもつながらないのです。

 以上のような観点から要望書の問題点を指摘することで、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び保護等に関する法律」のより良い改正に向けた意見とさせて頂きます。

2.要望書の具体的な問題点

(1)「処罰対象の無限定な拡大」要望の問題点

*要望書は、第2条(定義)に関して、「1項〈児童買春〉における性交等の「性交類似行為」を、子どもに対する全ての性的虐待行為を網羅できる表現にする」ことを要望しています。
 しかし、処罰範囲を明確にする観点からは、「性的虐待行為」の中身は客観的に具体化されなくてはなりません。そうしなければ、処罰範囲は著しく不明確になり、憲法31条の定める罪刑法定主義に反するものとなります。

*要望書は、第2条(定義)に関して、「2項〈児童ポルノ〉においてはインターネット等の電磁データを『その他』に含めるのではなく、適切な表現で明示する」よう要望しています。
 しかし、現行法上、「電磁データ」等はそもそも「児童ポルノ」には該当しません。サーバーやハードディスクドライブ等の記録媒体に記録された時点で、有体物である「その他のもの」となり、初めて規制の対象となるのです。刑罰法規の基本法である刑法そのものの改正が必要となるので、議員立法ではなく、法制審議会を通した上で慎重な議論が必要となります。

*要望書は、児童ポルノの定義(第2条)と関わってさらに、「写真、ビデオテープ他の『視覚により認識する』ものに限定せず、音声や文字によるものも含める」よう要望しています。
 しかし、音声や文字による記載については、録音あるいは記述されている主体の年齢を確認する確実な方法がなく、処罰範囲を著しく不明確にするものです。
 また、この要望書に示された条文の書き換えの文脈では、現実に起こった児童の性虐待を文書によって告発することが形式的には犯罪構成要件に該当してしまいます。また、児童が自らの虐待経験の告白、性体験、売春体験について私的に文章を作成すること、あるいはこれらの事実について報道あるいは研究のために論文を作成しただけで、児童ポルノ単純製造・単純所持罪に問われかねない危険性があります。

*要望書は、児童ポルノの定義(第2条)と関わってさらに、「三号ポルノの定義『性欲を興奮させ又は刺激する』という猥褻定義を踏襲した表現を、『性的刺激をもたらすことを意図して制作され又はその意図を以って提供されたもの。
(意図の不在及び代替不可能性の立証責任は製作者・提供者が負う。)』とする」よう要望しています。  しかし児童ポルノの規制においては、本法の目的からして、見た者が性的刺激を受けるかどうかではなく、その製作過程において児童の人権が侵害されているかどうかを問題とすべきです。それにもかかわらず要望書では、三号ポルノの定義をさらに広範かつ曖昧なものにして処罰範囲を不明確にしており、反対せざるを得ません。
 また、立証責任の転換の要望も憲法上、重大な問題点をはらむものです。
(3)参照。

*要望書は、第4条(児童買春)と関わって「未遂も処罰対象とする」ことを求めています。しかし、第6条にいう勧誘行為と児童買春の「未遂」をどのように区別するのかなど、その判断基準が甚だ不明確です。

*要望書は、第5条(児童買春周旋)と関わって、「不正な行為によって得た利益に対する没収刑を入れる」よう要望しています。
 しかし、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」があるため、児童買春周旋、業として行う児童買春勧誘、児童ポルノ頒布等又は児童買春等目的人身売買等の罪により得られた利益については、現行法でも没収可能です。したがって、「不正な行為によって得た利益に対する没収刑を入れる」という改正は不要です。

*要望書は、第6条(児童買春勧誘)と関わって、「『勧誘』に加えて『助長する』を入れる」よう要望し、「テレクラ、出会い系サイトも大きな被害を出している」と指摘しています。しかし、「勧誘」にいたらない「助長」とはどのような行為を想定しているのか不明です。
「助長する」という表現は極めて抽象的かつあいまいであり、買売春の非犯罪化や、「児童」の年齢の引き下げについて議論したり、アジアにおける少女売春や、日本における援助交際について研究することすら規制されかねません。さらに、児童買春が多く行われている国や地域の情報、あるいは援助交際の情報が掲載されたインターネットのサイトなどの情報を他人に伝えただけで、「助長した」として摘発される可能性があります。そして、小説やマンガなどの実在の児童が関与しない架空の表現や、成人の俳優に学生服らしき衣装を着せたアダルトビデオなどについても、児童買春行為を「助長する」という名目の下で規制されかねません。これは、新たなタブーの創設であり、容認できません。
 まずは「何」をして「どのように」人々に対して児童買春・児童ポルノを「助長する」と考えているのかについて、その根拠を具体的・明示的に示されねばなりません。
 したがって、まず要望書において「助長するもの」とはいかなるものなのかが不明である以上、特定の表現あるいは事象などをして「児童買春を助長する」と告発したところで、それにはなんら科学的、論理的な根拠を欠いたままです。
 このように、「助長する」という文言を入れることは、表現の自由を著しく侵害するものであり、問題点の多い本要望書の中でも、最大の問題点の一つであるといわざるを得ません。

*要望書は、第7条(児童ポルノ頒布等)と関わって、「『単純所持』も処罰の対象とする」よう要望しています。また、「1項は『頒布』に限定せず、個人的な『譲渡・譲受』も対象に含める」こと、「『業として貸与』の『業として』は削除する」ことも求めています。さらに、3項に関わって「3項の『第1項に掲げる行為の目的』も削除する」ことも要望しています。
 単純所持規制の要望を筆頭として、いずれも別件逮捕の安易な口実とされ、国民のプライバシーを著しく侵害する可能性があるものです。そもそも、単純所持がなされているだけでは、被写体とされている児童に対する人権侵害の危険性は抽象的なものに止まるのであり、覚せい剤や銃砲刀剣類などの「禁制品」と同様な規制が必要かについては慎重な検討を要します。また、単純所持規制のかかる危険性が認識されているからこそ、「サイバー犯罪条約」においても、単純所持規制に関する条項については批准国に留保を認めています。
 さらに、販売頒布罪を設けていることは個人的な「譲渡・譲受」を処罰しないという立法者の意思の現れであり、これを改正するためには小手先の「改正」ではなく、法体系のあり方について一から議論をやり直す必要があります。

*要望書は、第7条(児童ポルノ頒布等)と関わってさらに、「『広告、宣伝』も正犯として処罰対象に含める」よう要望しています。しかしここでいう「広告、宣伝」の中身は不明確であり、第6条の「助長」の場合と同様、表現の自由を著しく侵害する可能性があるものです。

*要望書は、第7条(児童ポルノ頒布等)2項と関わって、「2項『前項に掲げる行為の目的』を削除して、『単純製造』も処罰対象とし、1項と一体化する」よう要望しています。
 しかし、「単純製造」を処罰した場合、国民のプライバシー権、性表現の自由が著しく侵害されることになります。例えば、児童が自らの性体験/買春体験を記述した場合(第2条において「文字」表現も処罰範囲に拡大する立場から)、あるいは、片方あるいは双方が18歳未満のカップルが自らの性交等を映像等として記録した場合に、児童ポルノの製造罪が成立してしまうことになりますが、これは明らかに過度のプライバシー侵害です。

(2)根拠の希薄な「厳罰化」要望の問題点

*要望書は、第4条〜第7条のいずれの罪名についても法定刑の強化、すなわち厳罰化を要望しています。これは、処罰範囲の拡大とともに、要望書を貫く基本的なトーンです。しかし要望書は、どのような被害実態・運用実態にもとづいてかかる改正が必要なのかについて、まったく根拠を示していません。したがって、厳罰化の現実的な必要性があることを踏まえて議論を展開しているのか、疑問を持たざるを得ません。
 法改正について提言をするのであれば、問題の所在について徹底的な吟味をすることが必要です。吟味の大前提として、現行の法制およびその運用に関する正確な理解は必須ですが、この要望書を見る限り、基本的知識の欠如を懸念せざるを得ません。
 厳罰化の実効性、厳罰化が被害者に及ぼす影響等に関する吟味は行なわれたのか、疑問を持たざるを得ません。
 そもそも、問題は「軽い刑」を定めている現行法なのか、その運用なのか、それ以外の要因なのかという点について相応の見解と根拠を示し、「このような要因があるためにこのような改正が必要」という理由付けを示し、その点に関する十分な吟味が行われない限り、厳罰化を正当化することは不可能です。しかるに、この要望書の当条項においては、「厳罰化」という結論しか述べられておらず、そもそもコメントするに足りるものですらないといわざるを得ません。

(3)「適正手続に対する権利への無配慮」の問題点

*要望書は、3号ポルノの規制と関わって、「三号ポルノの定義『性欲を興奮させ又は刺激する』という猥褻定義を踏襲した表現を、『性的刺激をもたらすことを意図して制作され又はその意図を以って提供されたもの。(意図の不在及び代替不可能性の立証責任は製作者・提供者が負う。)』とする」よう要望しています。この定義の問題点については(1)で指摘したとおりです。
 この要望ではさらに、「意図の不在及び代替不可能性の立証責任」を製作者・提供者に負わせることとしていますが、犯罪の不成立に関する立証責任を被告人に負わせることは「疑わしきは被告人の利益に」という近代刑事訴訟法の基本原則及び憲法31条の保障する適正手続きに明らかに反します。  製造罪に問われた場合には、製造者が自らの製作意図について立証できる可能性は皆無ではありませんが、所持の罪(単純所持の場合には特に)に問われた場合、製作者が誰かすらも知らない可能性が高いので、事実上反証は不可能な場合が多いでしょう。

*要望書は、第9条(児童の年齢の知情)と関わって、「児童を使用する者だけでなく、全ての者に年齢確認義務を課す」よう要望していますが、そもそも、要望の趣旨が不明です。また、刑法の大原則である「故意犯処罰の原則」の例外を安易に設けるべきではありません。

*要望書は、第12条(捜査及び公判における配慮等)と関わって、「海外での子どもの証言が証拠採用できるための具体的方策」を要望しています。

 「証言」が海外の法廷、あるいは裁判官の面前における供述を指すのか、外国の捜査機関が作成した調書類を指すのか不明ですが、いずれにせよ、海外の子どもの供述についてその内容の真実性を、反対尋問により吟味する十分な機会を与えることなく証拠採用することは、憲法の認める被告人の反対尋問権を無にするものであり、賛成できません。


●まとめ●
 児童買春・児童ポルノの問題は、真剣に議論すべき問題であることには、私たちも同意します。しかしながらこの要望書は、徒に処罰範囲が広範かつ不明確な刑罰法規の作成を促し、問題の根本である子どもの具体的人権保護という目的をなおざりにしかねない危険性があります。
 要望書は明らかに「厳罰化」による法律の強化を目的としていますが、その内容は非常に曖昧かつ現実性を欠いたものになっており、冷静な犯罪態様の分析もありません。
 子どもの商業的性的搾取の問題の原因が法律の文言にあるという(隠れた)主張の根拠も、現行法を適切に執行してもなお問題の改善が不可能であるという根拠も、まったく示されていません。
 厳罰化によって徒に処罰対象を拡大すれば、それは必ず子どもを含む全ての人々の具体的な権利に大きく関わってきます。そういった姿勢は、この法律のそもそもの目的である実在児童の具体的な人権保護や被害児童の救済の理念を、子どもを含む全ての人々の権利と対立させるような構造を作り、結果的には法律の本来の目的をうやむやにしてしまう可能性があるのではないでしょうか。
 いま求められているのは、児童買春・児童ポルノの被害実態、違反者に対する処罰その他の対応のあり方、被害者の「援助・保護」の実態(被害者自身がそれらの「援助・保護」をどうとらえているかも含む)、他の関連法の適用状況、この問題に関する政策の内容・実施状況等々を踏まえた、事実に基づく冷静な議論です。
 過去において、「日本は児童ポルノ大国である」という主張が、「児童ポルノの定義(実在する児童に対する性的虐待行為の視覚的な記録物に限定されるのか、あるいは、児童に見える大人の演技の視覚的記録物を含むのか、あるいは、マンガに代表される純粋な創作物をも含むのか)」を明示することもなく、そのような主張の根拠となる調査結果等を示すこともなく、繰り広げられたことがありました。現在では、そのような主張の根拠が薄弱であったことが明らかになりつつあり、そのような主張を繰り広げた人々でさえ、具体的数字には留保つきで言及するようになってきています。(別紙添付資料参照『日本が児童ポルノの大国であるとする主張について』)
 事実に基づかない議論が効果的な法律につながることはありえません。要望書のような法改正を求めるのであれば、前述したものを含むさまざまな論点に関して具体的な事実を提示することが求められますし、これらの点に関する実態が必ずしも明らかになっていないのであれば、まずは調査研究を行なうべきです。
 法制定時の国会審議でも、たとえば提案者の大森礼子議員(当時)は、3年後の見直しの時点で「運用上不当な結論が出るようであれば」法律を再検討すると述べています(平成11年5月12日衆議院法務委員会)。法律の運用について充分な検証が行なわれていないのであれば、3年後に見直すという条項の前提を欠いているというべきであり、「改正先にありき」といった拙速な法改正論議は避けるべきです。
 関係者各位には、この問題について更なる真摯な研究と議論を積み重ねるよう強く要望し、今国会における法改正の必要性については慎重に考慮されることを望みます。


別紙添付資料 賛同を求める要望書の原文
別紙添付資料 日本が児童ポルノの大国であるとする主張について

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