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大阪の街1

大阪といえばやっぱり通天閣。
明治45年7月にオープンした新世界、その街のシンボルがこれ。
通天閣にネオンが輝き、通りの鈴蘭灯に灯りが点りだすと、そこは
人々をひきつける夜の盛り場と化すのでありました。。。。。。。

[新世界]とは、浪速区恵美須東、市立天王寺公園の西に隣接する歓
楽街で、1903年(明治36)に開催された第5回内国勧業博覧会
跡地を、明治42年東半分を天王寺公園に、明治45年西側半分を
大阪土地建物会社経営の新世界として開発したもので、その中心に
この通天閣を建て、放射状計画街路の娯楽場(ルナパーク)を設けた
もので、一帯には映画館、噴水浴場、飲食店などが集中。遊戯施設
も数々設けられ、ウォーターシュートや回転絶叫マシーンに人気が
集中していたそうです。他に、ローラースケート場やモンキーパー
ク、メリーゴーランドなど。3700坪の敷地に開かれたルナパー
ク、その入場料は5銭。「5銭払えば夢の国」がキャッチフレーズ
でした。しかし、第二次世界大戦で戦災を受けて荒廃。戦後、通天
閣を再建、最近ではフェスティバルゲートと呼ばれる遊園地兼娯楽
施設&温泉なども設け、NHKで放映された連続テレビ小説「ふた
りっ子」
の影響もあって一時的には訪れる人も増えたが、やはりミ
ナミの繁栄、娯楽の多様化などに押されて昔日の面影は薄れました

こいつがルナパーク。
乗客用としては日本で初めてのエレベーターが設置されていた。
そのエレベーターへは、ロープウェイで乗りつけるといった豪華さ!

パリのエッフェル塔を模した通天閣は鉄塔としては日本初のもの。
高さは75mで、展望台からは市内はもとより生駒、六甲、淡路島
までも眺望できた。当時の入場料は10銭。多い時には年間100
万人がやってきた。大正9年には、こいつも日本初といわれるネオ
ン広告が取り付けられ、華やかさが増しました。ちなみに通天閣建
設にかかった費用は当時の金額で9万7千円だったとか・・・・・

展望台のアップです。
風に吹かれたら落ちそうだニャー(=^・^=)

通天閣とルナパーク。その遠景。

さて、これはどこの交差点だろうか?
右端に見えるのは市電の散水車です。
昭和2年頃の撮影。

そんな初代通天閣も昭和18年2月13日には空襲の標的に
されるという理由と、武器製造のための鉄材確保に供出され
るため解体が始まった。写真は解体開始から2ヵ月後の無残
な姿。解体された鉄材は主に明石の海岸に運ばれたが、ほと
んど使われないままに終戦を迎えたため、長くその無残な姿
をさらけ出していたと伝えられています・・・・・・・・・

解体供出されて以後13年間、長く新世界からその姿を失っていたが、
後に高さ103メートル(当時日本最高の高さ)の2代目が再建されて、
昭和31年10月28日の夜、新たなネオンの輝きとともに姿を現した。



   


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