ヒラタのひとりごと

 

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2003,6,22こすぷれコンプレックスのひみつ 6
2003,6,18H.Mメイのひみつ 5
2003,6,14こすぷれコンプレックスのひみつ 5
2003,6,10ヒラタのひみつ 2
2003,6,7H.Mメイのひみつ 4
2003,6,5木村監督の ひ・み・つ 2

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H.Mメイのひみつ 3 2003,5,28
今回はH.Mの話でも。
「ケイ」さんのひみつ
ケイさんは僕的にもかなりお気に入りでした♪ おねいさんキャラいいですな。ですな。(それと白衣も似合うしね♪) 役者さんもうまくって、僕はギャグの間がわかってる役者さんは尊敬しています。 思い出といえば、キャラ表情設定に冗談で描いといたぽか〜んとした表情を、監督のほうでうまく本編中で使ってまして、笑ってしまいました。 放送時のフィルムでは、他のキャラと少し違ってたのが、ケイさんはパンチラよりも胸のアップが多かった気がします。それで11話では、登場シーン(押し入れエレベーターから出て来る時)でちらりと見えるとこ、木村監督のコンテ読んで笑ってしまいました。(ぬふ〜、やりますな♪) おかげで僕の方でも気合いが入って修正いれてるんで、自分もお気に入りのシーンとなりました。
「和也」くんのひみつ
確か企画段階で僕の方で描いた絵では、和也くんめがねかけてませんでした。最近はよくめがねそのときどきに応じて使いわけてる人もいるしどうしようか悩んでたわけです。(ちなみに、僕も仕事用のめがね別で持ってます) 六月さんがどうしてもめがね付けてくれということで、めがね付けましたがいい感じになってよかったです。 思い出といえば、和也くんって応援したくなるようないいやつで嬉しかったことでしょうか。やっぱ、なんか目標があってがんばれるヤツがいいですな。僕もそうありたいです。 そういえば、和也くん役の役者さんに作品にはまったく関係ないとこで一度会いましたが、なんか和也くんの面影ありましたよ。 

こすぷれコンプレックスのひみつ 4 2003,5,26
「こすぷれ」の取材
前に質問がありましたが「こすぷれ」の取材行いました。
木村監督の方で、何人かのプロのコスプレイヤーさんに取材したみたいでした。一応その中の一人と話すとき、僕も連れて行っていただきました。確かその話し合いで、キャラそれぞれに得意ワザがあるといいのではという話が出まして(その当時は、まだTVの企画として動いていて、「こすぷれ甲子園」の戦い方に議論が集中してました。コスプレイヤーさんて、得意ジャンルのコスプレとかあるらしいですね。)その後、各キャラの得意ワザ決めました。OVAでそのなごりとして、ジェニーのきぐるみがよく出てましたね。(ジェニーはきぐるみが得意ワザなのです) ちなみに「こすぷれ甲子園」の戦い方は、柔道みたいな団体戦で、フィギアスケートの採点みたくやろうと思ってました。 さて、そんなこんなな取材でしたが、木村監督はそのつどデジカメもってってコスプレイヤーさんと写真とってたみたいです。あなどれませんね。 あと僕の方でも、念のためこすぷれナマで見ておこうと思い、一度イベントに足を運びましたが、制作の子と雰囲気も欲しいとニ階に上がって会場の全体像を写真とってたら「あんたら、盗撮じゃないだろうな?」と係のひとに疑われ、なんでやねんと思いました。下から撮ってるならまだしも、上から撮ってなんか見えんのか? 使い捨てカメラなんですけど… あと、小物を売ってるお店がありまして、これこれアニメを作るのになんか話ちょっと聞いていいかと訪ねると、ノーコメントだそうで寂しかったです。 

アイドルプロジェクトのひみつ 2003,5,23
アイドル…というより長岡監督の話かも。
当時僕は、AICの社員として働かせていただいていたのですが、いろいろあって会社に内緒で参加することになりました。というのも、以前、これまた会社に内緒で「OVAキューティーハニー」に原画で参加してたんですが、そのとき長岡監督の作品にかなり惚れ込んでしまいまして、次にギャルもんだけどアクション重視の作品をやられるということで、「アイドル」そして「じゃじゃ馬」と長く使っていただくことになっていきます。しかも、「じゃじゃ馬」が終わったあと、長岡監督がスタジオを設立されるということで、「わいも、連れてってください。そのうち役にたちますけん。」とお願いして、このスタジオエックスまでAIC辞めてついてきたわけです。(まあ、AICのほうはそんなこんなでクビでしたが…) 当時の作品の思い出いろいろあるんですが、一番鮮明に憶えているのは、会社に内緒ででも作品に参加したく、でも会社とは別作品ゆえ仕事する場所に困ってまして、そんなおり「じゃじゃ馬」を作ってた制作会社さんに席が一席あまっているということで、ありがたいぜひ使わせてくださいと喜び勇んで出掛けていった時の事です。その制作会社さんはマンションの部屋でやってたんですが、通された部屋は一番奥の四畳半の一室で、中には机が二つ、一つは長岡監督でもう一つが余ってたわけです。そりゃそーだよなあ、恐えーもん。しまったえらい机借りてもーたと思ったときには時すでに遅く、「おっ、きみがヒラタくんかあ。長岡ですよろしく。」と長岡監督にもあいさついただき、机、使わせていただくことに。 はっきり言って、あんなに緊張感あふれてて、恐い思いして仕事したの後にも先にもありません。だってねえ。
長岡「ヒラタくん、どう、カット○○終わりそう? もうそろそろ帰りたいんだけど。」
ヒラタ「えっ、あ、えと、あと二、いや三十分ぐらいかな、ハハ」
長岡「そう、じゃあ待ってるから」
ヒラタ「うおっ、待ってるんですか?」
長岡「うん、待ってるから(ニヤリ)」
ヒラタ「あわわわわ…」
カット上がったの一時間後でした〜
今思い出しても恐ろしいです。ぶるぶる。

こすぷれコンプレックスのひみつ 3  2003,5,22
「学園名」のひみつ
以前、学園名の質問がありました。うろ覚えなのですが、確かあれは、最初の名前がどっかの県に似たようなのがあるとかなんとかで変えることになり、制作会社TN○さんが、「西武線大泉学園駅前」にあることからいっそのことそんな感じでとかになったんだと記憶しています。あまり深いなにかは無いみたいです。
「さらに、まりあのぱんつ」のひみつ
ひみつとかでも無い気もするけど、前に話のあったウエディングまりあのぱんつにて。
木村監督の話に夢中で忘れてましたが、実はあのカット、僕のほうでも色指定さんに3回ぐらいリテイク出しまった。頭の方での「ぱんちら」ゆえ、当時結構気を使ってたんですねえ(しみじみ) 「違う!まりあのぱんつ、同じ白でも、もっとこうなんというか違うんだ!」とかなんとかいって、色指定さんを困らした記憶が… ちなみに完成したフィルム観ながら、ふと「もしかして俺、あほなんじゃ…」とやっと正気にもどったり。 今気ずきましたが、木村監督とわたし、やっぱどっか似たものどーしなのかもしれませぬな。しばらく木村監督には、日頃のリベンジとばかりに「ぱんつ作監さまよろしくー」とかカット袋に書かれてからかわれましたとさ。

H.Mメイのひみつ 2  2003,5,20
今回は「H.M」の話でも。
「南原」のひみつ
アニメ化がきまってから、六月氏より和也くんのライバルとなるなんかおもしろいキャラ作ってよと注文され家でぼんやりと考えていた時のこと。ふとテレビのバラエティー番組で「ココリコ」が出演していたのですが、身長の高い方(名前わかんないや。三谷監督さんの「みんなの家」で主人公を演じてた人です)を見ていたときにふとおもしろい骨格だなあと思いまして。確か彼、当時キノコみたいな頭のふくらみがあって、面長の顔になんか横に広い頭… ふと描いてみると南原になりました。しかも木村監督も一発OKでなんだかあっさり出来てしまいました。 木村監督の演出もさることながら、役者さんがノリノリで、かなりアドリブキマってましたね。
「サラ」のひみつ
南原とは違い、逆に一番苦労したのがサラです。確か八回ぐらい描き直しました。これは実は最初のシナリオではサラが一番の悪者で、一連の事件の張本人だとかなんとかかなりもめたキャラだからです。毎回打ち合わせの度に、スタッフみんな言う事が違ってて頭かかえました。結局あんな感じで落ち着いたのですが、二つほど思い出があります。僕はよくキャララフ画のはしっこなどに落書きしたり文章をそえたりするのですが、小さく屋台でラーメンすすってるサラ描いてたら、好物ラーメンになったこと。あと、広島弁使いそうとか書いといたら、木村監督が突然「わし広島人じゃけんまかしときー」とか広島弁になって言い出し…たわりには、アフレコのときになって「長く使ってなかったんで、広島弁忘れちゃった」とか標準語に戻るし…(木村監督、結局役者さんにはなんかきたないことば使いだったらOKでーすとか言い出すしまつだったし)でもなんだか思いで深いキャラでした。

木村監督のひみつ 2003,5,18
今回はたまには木村監督のことでも。
「出会い」
僕が木村監督と始めてお会いしたのは2000年の1月「H.M」のスタッフ初顔合わせのときでした。これはあとから気ずいたことなのですが、木村監督って徹夜がつづき疲れのピークをこえてしまうと、かなり言動のあやしいむしろヤバめな人に変身してしまう人でした。で、初めて会ったとき木村監督、まさにその時でした。 その時の会議で「H.M」が一応メイド物だったこともあり、メイドがあーだこーだと話がもりあがってました。木村監督はどー思いますかと話をふられ、まってましたとスッくと立ち上がる木村監督、真顔で「時代は喪服です、これ次ぎキますよマジで」 うおおーい、そーじゃなくってー。 ザ、ワールド。ほんとにその時3秒ほど時が止まったのを覚えています。(今振り返ると、あのころから喪服いうてたんですね…) 僕は会議が終わったあと走ってスタジオに帰り、森木さんに「ヤバい人きたっスーっ!」とか叫んだのを覚えています。
「パンチ−ラ」
木村監督の話、けっこうあります。シリーズ化しそうだ…
「こすぷれ」の時もこんな事がありました。 ラウンド1の最初、ウエディングドレスまりあのシーン。レイアウトが上がってきて、木村監督の演出チェックが終わり、そのあと作監の杉藤さんのチェックのあと最終チェックで僕のところに来るのですが、杉藤さんから相談したいというむねが… それが例のまりあのパンチラカットで、これを見て下さいとカットを見てみると、木村監督からそのシーンの原画家さんへ一文注意書きが 「まりあのこのシーン重要です パンチ−ラよろしくパンチ−ラ」 ずこーっ、思わずずっこけそうになりました。杉藤「あの、このシーンの原画家さん女性だし、その…」ヒラタ「(ずばり)ええ、セクハラです。あとは僕の方で、まかせてください。」あっさり冷静に答えるわたし。(ちなみに杉藤さんも女性です) 木村監督また徹夜がつづいたのか、ちょっとあやしくなっている模様。にしてもパンチ−ラってあーた。杉藤さんが去ったあと爆笑してしまいまった。 ちなみにその一文そのままにしときました。ただしその下に僕の方で一文付け加えて原画家さんへかえしましたが。「○○さま、こういう文章を見ると、僕もたまに木村監督が心配になります。あたたかい目で見守ってあげてください」と。 あとで木村監督からは「これってフォローになってないんじゃないのかっ?」とかつっこまれましたが。 いやいや、これが友情です。

こすぷれコンプレックスのひみつ 2 2003,5,13
「まりあ」のガーターベルトのなぞ
単純に僕がうっかり描き間違えてるだけです(笑) 設定の時には、まれにパンツの下になる部分になんかパーツ(金具とか)あったりするんで、そのままにしておいて、あとで最終チェックの時に自分で直せばいいやなんて思っているんですが(実はフィルムの時など、こういったこまかいところまでちゃんと描いてくれる原画家さん少ないんで、だいたい自分で最後に描いていたりしています) が、そのわりには、時間が無い時に自分で描いてるイラストなんかでうっかり間違えたりしちゃってます。 ようはガーターの上にパンツが描かれているときには、チェックする余力があるときで、その逆の場合は、時間がなくて追い詰められてたとき描いたんだなと思っていただければいいかと。やっぱ、最初パンツ描くんで、どうしても順番でガーターが上にきちゃいます。これはようは頭でわかってても自分がはいたことがないんでころりと忘れちゃうんでしょうね。いざとなったら忘れない為にも、今度自分ではいてみるかなんて思っています(笑) ちなみに個人的にはイラストなんかはイラストなんだし、ま、いっか、なんて思っています。すみません。よくまわりの女性の描き手さんなんかに「ヒラタさんのうそつき」などと言われますが、「いーや、地元の長崎ではそうはやってた。え、きみ知らないの? 遅れてンなあ。 今、海外でもはやってんだぜ。」とかいってなおさらあきれられてますが。(ちなみに長崎や海外の方に聞かないよーに)
「ジェニ−」のひみつ
そういえば「ジェニ−」ってイタリア人という設定がありまして。これはイタリア人の女性があーいう変態さん(イタリアの方、ほんとすんません)というイメージがあるわけではないんです。たまたま確か「こすぷれ」を本当は2001年に売り出す予定だったため、そしてその年がイタリア年(イタリアの食べ物などはやらせよう)だったことからそうなりました。単純にじゃあイタリア人にしようと決まったあと、演出上、変態さん(しかも筋金入り)になってしまいました。あとから、やべー、イタリアの人に怒られたらどーしようとビクビクしてました。もしものときには「いやいや、イタリアの女性が幼い子供を愛するやさしいこころを表現したくて」とかなんとか言い訳するつもりでしたが…

H.M.メイのひみつ 1 2003,5,10
今回は「H.M.メイ」の話です。 けっこうこれもきついかも…
少し詳しく話しましょう。当時たまたま2000年の夏ごろ、10週ほどの番組枠があいたため、アニメでもやりましょうなんて話になりました。そこで実はもともとゲームの企画だった「H.M.メイ」を急遽アニメの企画として作りなおしたわけです。
で、なぜ「H.M.メイ」が内輪でこれほどもめたのでしょうか? 実は、クライアントさんは当時まったく期待していない作品でした。予算も他所にくらべるとかなり安く、僕自身のギャラも相場の半額ぐらいでした。しかしながら幸いだったのは、そのため上があまりうるさくなく木村監督とやってみたかったことが比較的自由にでき、それなりにおもしろいものを作れたことです。不幸だったのはそのあとでした。結果を出してしまって、じゃあそれはだれの成功なのか?ということになったわけです。みなさん的には不思議な話だと思われますが、サラリーマンをされてる方にはわかる話かな。僕のプロデュースのおかげですと言いはるP社と原作のおかげだとW社。それによりどっちがいくら取るかでかならずもめることとなりました。いろいろプライドの問題あるのかもしれないけど、僕的にははっきり言って当時なさけなかったです。そんなもんお客さんに関係ない話だし、お客さんがつづき見たいって言ってんのにそれができないなんてなんなんでしょうかね。僕も木村監督も所詮は雇われてる身の上ですんで、権利もってる連中がまとまらないとどーしようもないです。
で、「H.M.メイ」のつづきのためにはどーなればいいのか。まず両会社ともにお金に困る。我が身にはかえられないので「H.M」に頼りたくなり、表面上だけでも仲直りする。そんでオリジナルスタッフにワビをいれて返って来てもらう。これだけのことです。ちゃんとしたギャラと環境と時間をもってきたら僕も木村監督もやりますよ。
ちなみに、P社さんて数年が経過してから「劇場版女神さま」やったぐらいだし、もしかするとまだわからない話なのか? 時間か?
「マイ」について 
ごめんなさい。すでに制作会社さんまで変わっているため、僕にはなんとも言えません。 一応、自分が納得できる仕事ならいつでも受けますが。
 
あと最後に、僕自身は「H.M.メイ」は木村監督のものだと思っています。木村監督のやさしさが形になったんだと思っています。  今回はこのへんで。

こすぷれコンプレックスのひみつ 1 2003,5,8
「まりあ」の名前
「まりあ」と「あてな」の名前は木村監督が考えました。単純な話、W.ファー◯にその事を伝えたおりに、間をはさんでいた人が聞き間違えただけだと思います。
「大門」の名前
黒葉コーチのデザインを最初描き上げたとき、仮の呼び名として僕の方で「大門」と描いておきました。(絵を見た時なんとなくそんな気がしたので…)幸子さんは最初TVシリーズの企画だったおり、黒葉コーチの妹という設定だったため大門幸子となっていたわけです。後にOAV3本という事になりキャラの配置がえとなりましたが。でもそのおかげで木村監督念願の喪服ギャルと生まれ変わることとなったわけですが…
「黒葉コーチ」
実は「こすぷれ」の中で黒葉コーチにはかなりの思い入れがあります。最初仮の呼び名として、「大門」と書いたわりには元ネタは全然違うところからきています。
昔僕が好きだったTVドラマ「俺がハマーだ」のエピソードの中で、「プレスリーそっくりさんコンテスト」というのがありまして。内容はおいときますが、そのコンテストのためにプレスリーそっくりになるやり方を教えてくれる学校まであって当時爆笑してました。作中に中国人でプレスリーそっくりだと言い張る人もいて、ふと日本人でこのコンテストに出場して優勝する人がいたりしたらおもしろいのになんて思っていました。
「こすぷれ」の企画が始まったおり、木村監督からチャコ達の顧問の先生どうしよーかと聞かれ、急にそのことを思い出したわけです。プレスリーになりきる、それはつまりこすぷれであり、しかも過去、全米「プレスリーそっくりさんコンテスト」で日本人初優勝経験を持ってる先生なんていいなあなんて思ったわけです。結局そのへんの設定使うことはなかったですが、キャラ描いてみるとけっこういい感じで作中での木村監督の演出もノッてました。けっこううれしかったです。

マスコットキャラのひみつ 2003,5,6
今回はヒラタズマスコットキャラのお話です。
「イカリヤ」
当時、レナにはなにかヌイグルミを持たせたいと思っていました。できればあまり他で見かけないものを。随分なやんでいたおり、他が基本的には、陸上生物が多いことに気がつきました。単純にじゃあこっちは海中の生物をと思い、最初タコかなと思いつつもあんまりだったのでイカにしました。描いてみるとけっこうするするできました。
確か木村監督が説得力を持たせようと、和也くんが造ったことにしようとか言い出して、六月氏がじゃあイカ型ロボットイカリヤとか言い出したんだと記憶しています。
まあ、みんなでアイデア出し合ってるといったところです。
「イケブクロウ」
企画が始まった2000年暮れごろ、次ぎのマスコットキャラどーしようか考えていたおり、ふとペット雑誌をながめていると海外のほうでペットにふくろうが流行っているとのこと。実はハリーポッ◯ーの影響みたいだったのですが当時は気ずかず、しかもまんま池袋を歩いていて名前もこれだーと思ってしまいました。それでこれまた描いてみるとするするできました。まりあちゃんの家が神社だったのでこっから出て来たことにすればいいべよとかあっさりきまりました。最初寺だったら仏像の中からなんてアイデアもありましたが…
「ウサギ」(名前まだない…)
魔女っ娘ものをコンセプトに考えているので、やっぱふしぎの国といえばウサギかなと。スタジオガッシュさんの方から2ひきがいいなあということだったので、じゃあケンとチャコかななどと思っていますが…

こうしてふり返ってみるとかなり単純ですね。すみません。でもこんな感じでしたとさ。



その12です 2003,5,2
なんだかがっかりする話ばかりでスミマセン。こまごました話はけっこうはぶいてるんですが、「G-◯N」に関してはこんな感じでした。まあ、物事には必ず理由があります。僕一人で何か解決できることなら何とかしますが、今回はそうできないことが多すぎました。この一連の話で、みなさんががっかりした理由がおのおの感じてもらえればいいのですが… あと余談ですが、どこから出たのか僕が身体を壊していて仕事ができないという話があったみたいです。出所は、いろいろ推測できるはんちゅうかな… ちなみに体調は普通です。(万年腰痛持ちですが…) あと最後に、この一連の話を話したことにより、僕が受けるであろうリスクの話。本当はこういう内情の話するべきではないです。不都合に思う所が多々あるからです。多分、しばらく仕事干されると覚悟しています。まあ、そのへんのリスクはわかってて話してるんでアレですが… しばらくは、のんびり細々と仕事したいと思っています。 さて次からは、「H.M」あたりからのウラ話を始める事にしましょうか。     つづく


その11です 2003,5,1
この間の話を少々詳しく。僕はどうやらおろされる事になってしまったらしく、ひとまず落ち着いて様子を見ることにしてみました。で、実はその間、木村監督の方には僕とクライアントさんのほうでもめている事、いっさい話伝わっていなかったようです。これは、間を挟んでいる制作会社シャフ◯さんの方で、この一件はさすがにヤバいと思ったらしく、なるべく関わらない、そしてこれ以上キズを広げず、すみやかに作業を終わらせるためにも木村監督にはだまっていたわけです。木村監督が気ずいたときには、もう手後れでした。 後に、木村監督から僕の方へフォロー出来なくてすまないムネのワビ入れられましたが、僕の方こそ子供じゃあるまいし、クライアントさんへ言い返してしまいました。雇い主さんからおろされてもしかたないです。でも今回は、言わずにはいられませんでした。 この仕事は考えさせられる事が多かったです。何とかするべき要となる制作会社さんが最初の段階でいなくなっているため、責任をとるところがなかったのが一つ。 今回のクライアントプロデューサーさんは、最後まで自分を含め、会社にはまったくなにも非はないという姿勢を貫いたサラリーマンでした。それはそれで立派ですが、でもサラリーマンの前に今回彼はプロデューサーだったわけだし、そのへんをわかって欲しかったのが一つ。 で、最後に、後に彼もヤバいと思い直したのか、僕にジャケットイラストだけでも描かせられないか、制作会社シャフ◯さんの方へ頼ったようでしたが、手後れと断られた模様。まあ、後で巻き込まれた制作会社シャフ◯さん的には、ゴチャゴチャするよりはやく終わらせたいもんね。でもそれもどーなんでしょうか… 僕は前にも話しましたが、「G-◯N」は全体責任だと思っています。僕もヤバいのわかってて、この仕事受けてしまったわけですし…    つづく

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CGIBOY日記帳 version1.08