インタビュー・三多摩の部落に生きる 国立市行政の抜本的対策を 宮瀧順子さん・国立支部 三多摩地区には国立支部と八王子支部がある。国立の部落に生まれ育った宮瀧さんに差別を跳ね返しながら部落に生きる思いを語ってもらった。そして、部落があっても同和行政を全庁的におこなわない国立行政への思いを聞いた。 部落を知って 嘆願書を出して移転 隠すということ 学校は… たとえば、「橋のない川」見にいくんだよとか、狭山の集会へいくんだよという話はできますが、逆に、先生の方から、そういう話があるかというとそうではありません。本当は推進体制をもってしていかなければならない、小学校なんです。私たちの村のこどもがかよっているんですから。解放教育を保障しなければならないはずなのです。六年間いて、一回のうちで生活する時間が一番長いわけでしょう。影響が大きいわけだし、やっぱり、さけては通れないことだと思います。 露骨な差別も 部落差別を直感することも 一緒に全青に行った人で、就職するとき、一般企業は全部面接で落とされたと言っていました。そういうことを話し込んでいくと、部落差別を直感したり、実際に部落差別として確認をしなければならないことが、たくさんあると思います。A(私の部落の名前)というと、ああ、「あそこ…」という、言われ方がされます。私は高校のときに、郵便局で年末にアルバイトをしたことがあります。その時も、郵便局の職員が言いました。「どこに、住んでいるの?」「Aです」「あの辺は、B(私の旧姓)部落っていったんだよな」といわれました。そのときは、部落問題がよくわからなかったから、単純にB姓が多いからそう思いましたが、いくら同姓が多いからと言って、部落外の村を関という姓が多いからといって、関部落とは言わないし、佐伯部落とは言われていません。それは、一体、なにかなあと言えば、他とは違うように見てるっていうことだと思います。だから、自分の住んでるところを言うのも、「いや」っていうか、そういう気持ちを持っていたこともありました。いまは、胸はっていいますが。村中でも、部落差別をなくすために普通に部落差別の話しが出来るようにしていきたいですね。 行政闘争のはじまリ 要求書では、十数項目あったと思うんだけど、同和対策事業として、下排水問題を出したわけ。要するに、庭よりも道の方が高くなっていて、当時は庭に穴掘ったりして排水をしていました。ところが、共産党の反対で、下排水要求闘争はうまくいかず、一九七八年に国立市と交渉を持って結局、一般対策で下水を流す側溝を道に付けました。ここまで運動で勝ち取ったけれども、排水という面では、十分ではありませんでした。特に、梅雨や台風前後だと、やはり浸水します。それで、一九九二年九月から、運動とは関係の無いところで、ようやく一般対策で、下排水の管二本を道路の下に埋める「下排水工事」をやっているというのが現状です。父たちが要求を国立市役所に出してから、十八年もたってのことです。今、下排水工事をやるということは、つまり、十八年間、浸水の問題でずうっと工事の必要性があったのに、国立市は放置し続けてきたということです。十八年間、部落は後回しにされつづけてきたということです。部落問題の解決は国民的課題、行政の責務とされてきたことを放置しつづけた責任は大きく、今こそ、同和対策事業を市政の重要課題として位置付けるべきだと思います。 部落問題を市政に位置付けなければ トイレも水洗化したり、土地を売ったり、今まであった土地にもう一棟たてたりして、家は込み合っているけれども、住居も新しくなってきました。図書館もまわりにいくつかでき、保育所も公立が四園、私立が六園で、国立市には全部で十園あります。少しづつ、昔に比べれば町の環境は、変わってきています。でも、それは、部落解放行政を市で位置づけているからではなく、部落問題の解決のための施策は何一つないというのが実情です。だから、環境面ではいくらか変わってきてはいますが、国立市の部落問題に対する姿勢が変わらないかぎり、まだ、まだ、課題はあると思います。 オールロマンスと同じ 計画的な町づくりと言えば、一九六〇年代に高速道路のインター入口が出来て、部落と一般地区の境にインターを置きました。土地が安かったのか。直線を引けば、当然、部落外の下谷保のなかを通すということになるのに、わざわざ、道路を曲げて、部落と一般地区との間に道路を通しています。インター入口が出来たために、甲州街道を府中にむかって走ったとき、村に入るために、右折できなくなり、警察は右折すると罰金だというので、タクシーもきたがらないのです。 インター入口が出来たために、交通量が増えました。それで、交通事故が増えたし、信号無視が多くて大変危険な状態です。六十年代半ばに、インター側の歩道橋が出来ました。でも、実際、子供の通学に必要な甲州街道側は用地取得が出来ず八一年まで放置されてきたのです。歩道橋が出来る前は、子供の為に一時期、朝、親が立ったこともありました。 火事になったら…場当たリ的な施策が災害を生む そのボヤは、ちょうど日曜日で人手があったから、荷物を持ちだしたり、うちの父がプロパンをひねってはずしてあげたり。火は、その辺にある消火器を持ってきて消しました。そのときに、一応消防車はきたんですが、来るだけで、ボヤを出した家に始末書を書かせるだけだったんです。とてもひどいと思います。本当は、消防車も入れないような道路を放置してきた行政自体が始末書を書くべきなんですよ。そのために、公平に消火のサービスを受けることができないんですから。たまたま、日曜日で人がいるときでしたから、よかったのですが。そうでなかったらと考えると、ゾーッとします。平日の昼間は手薄ですから。まだ、ぼや程度ですんでいるからいいけれど、それこそ、一歩まちがて(ママ)大火事になったら、これだけ密集しているのですから被害は甚大です。いくらわが市にはりっぱな消防車、消防署がありますと言っても、実際、道が狭くて入れなければ、それは、行政としては公平じゃないんです。 場当たり的で、ひどいと思うのは、今回、下排水の工事をやるので、わざわざ国立市は村にある竹薮を潰して、仮の道路をつくったのです。それは、村中は工事の車が入れる道がないからなのです。つまり、国立市は消防車も入れない道であることを、知っているのです。確かに、下排水は必要。何度も要請書を出したにもかかわらず二十年にも渡って無視され続けてきたんですから。でも、余りにも、場当たり的に過ぎますね。私たちは火事で死んでもかまわないというのでしょうか。そういうことからも、計画的な町づくりが必要だし、環境整備は多くの課題を持っています。そして、国立市が部落問題を解決する姿勢になるまで、ねばり強く運動をしていかなければならないと思っています。
|