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3.医療ミスの必然的要因

1. 診断ミスが起きる素地

病気になれば当然のこと、病気かどうかわからなくても、何らかの症状があればたいていの人は医者や病院へ行きます。また長い間病気にかかったことがなく、自分は健康だと思っていても、不安を煽る医学情報の影響などから、人間ドックやその他の検査目的で、医者や病院を訪れる人が増えています。現代病のほとんどは慢性病です。慢性病は正式には『慢性退行性疾患』といわれるように、組織細胞が退行していく、つまり衰え崩れていく病気です。病気はじわじわと進行しますが、発病してすぐに死ぬということはまずありません。いわば執行猶予期間があるため、人々は、「医療を信頼し、その処置に従っておればまず間違いない」という安堵感があるわけです。

このような状況で、一つ大きな盲点があります。それは、問診や検査結果でわかった症状を、医者がどう判断し、診断に結びつけるかという問題にかかわっています。
このときの医者の対応について、コーネル大学生理学教授エリック・キャッセルは、「病気の本当の原因を探ろうとするのではなく、あらかじめ分類された病気のカテゴリーのなかから、既知のどの病名に当てはまる症状なのか、ただそれを見つけ出そうとしているにすぎない」と指摘しています。まさにそのとおりですが、じつは、症状から病名を特定するのは至難の業なのです。
ありふれた病気はべつとして、同じような症状が異なる病気(病名)を表していたり、逆に、異なる症状が同じ病気のものであったりというケースに、医者はよく直面します。そういったさまざまな症状を識別して、間違いなく病気を特定できるかどうかは、医者個人の知識によって大きく左右されます。もちろん、症状の解釈の仕方によっても、診断の結果は異なってきます。こういう場合、医者の主観によって病気、病名が決められてしまうことがよくあります。じつはここに、診断ミスの真因が隠されていたのです。
医者を無条件に信頼したり、何でも医者に「おまかせします」では、このような現実があるなど知るべくもありません。キャッせルが指摘するまでもなく、急性症状は別にして、「医者が病気の根本原因を知らない」ことは事実です。ですから、診断結果を頭から信じないよう、常に気をつければいいわけです。またそうすることによって、診断ミスにあうのも避けられるはずです。
第一章でご説明したとおり、生命はたえず流動し、循環し、変化しています。そういう動的な現象の表れである症状を一時的に固定し、部分的に静止して判断しようとすることに、そもそもミスが生じる原因があるのです。病気の根本原因はあくまで血液の質的悪化です。ですからそれさえ知っておれば、いちいち症状にこだわる必要はないのではありませんか。むしろ症状はそのままにしておいて、まず血液の性状を改善していくことが先決です。それにともなってほかの条件もおのずとよくなり、やがて病気そのものが自然に治っていくのです。症状をむりやり除去しようとして、あれこれ攻撃的な治療をするから、かえって病気が悪化するわけです。
ところで、とくに症状がない場合、そのまま放っておいても安心なのでしょうか。もちろん、そうではありません。年齢、その他の条件にもよりますが、今はなんともなくても、体の奥深くで、知らず知らず病気が進行している可能性がないとはいえないからです。
慎重で几帳面な人は、病気予防のつもりで医療機関を訪れますが、残念ながら、医者でも検査によっても、病気の兆候を察知することはできないのです。とても信じられないと思われるかもしれませんが、これから順を追ってお読みいただければ、必ずおわかりになるものと確信しています。
まず、主要な検査手段である血液検査が、検査の名に値しないものだということです。現在の医療技術では、たった30項目しか分析できません。また成分値だけではなく、血液の質そのものを測定するには、600項目におよぶ分析が必要とされています。そのうえ、生体内の血液と採血した血液では、最初からすでに質の違いがあります。
具体的にいいますと、採血した血液はすでに異常な代謝をはじめており、そこにはさまざまな夾雑物が混じっているのです。ときにはウイルスやバクテリアが混入していることもあり、そんなものが正確な検査の対象にならないことは、医学知識のない人でも容易にわかるのではないでしょうか。

2. 私の体験ー許せない診断ミスと治療放棄

検査の問題を続ける前に、私事で恐縮ですが、ここで私がこうむった診断ミスとその結末を、事実のままお伝えします。

ある日突然、仕事中に腹部の激しい痛みに襲われ、茨木市にある「友紘会総合病院」という中堅の救急指定病院へ搬送されました。とりあえず血圧と心拍を計ったあと、痛み止めの点滴をしただけでその日は終わりました。翌日から、血液検査、胃カメラ、エコー、CT、 MRI、カテーテル、肛門から内視鏡を挿入して大腸を調べるなど、ありとあらゆる検査が続けられ、その間ずっと、私は症状の痛みと検査という二重の苦痛を必死で堪えました。鎮痛剤はほとんど効きませんでした。
絶飲・絶食と点滴、たえず襲ってくる激痛発作、そしてまたべつの痛さである検査の繰り返しで、地獄のような日々が続きました。でもやがて絶飲・絶食によって、痛みが出る回数はやや減りました。それでもそれが出たときは、やはり耐えられないほどの激痛でした。こうして不安と苛立ちが2週間も続いたころ、やっと『虚血性大腸炎』と診断されました。
しかし、この診断にたいして、病名がわかるのがあまりにも遅かったこと、激痛は胸の辺りにあること、一日に10本以上もの鎮痛剤や座薬を使っても痛みがほとんど消えないこと、痛みの原因や病状の説明が何もなされないことなどから、私ははっきり、「おかしいな」と感じました。友人や妻もそう思うといったので、この病院は信頼できないということになり、ついに私は転院を決意しました。
転院先は、尼崎市にある有名な「関西労災病院」です。
ところがこの大病院でも、やることは最初の病院とまったく同じでした。そしてくる日もくる日もやはり一向に病名がわからず、痛みは少しましになったり、また強くなったりで、病状が回復に向かっているようには思えませんでした。むしろ痛みが出るときは、それまでより長く、強くなったようでした。再び不安と苦痛が続くなか、なんと今度は転院から二ヵ月半もたってから、やっと『急性アルコール性膵炎』であることがわかったのです。そうです、最初の病院とぜんぜん異なる診断だったわけですが、私はこのとき、この診断も信用できないと思ったものです。しかしその後の経過から、それは正しかったのです。
しかし病名がわかったあとも、治療らしいことは何もおこなわれず、妙なことに、また同じ検査を繰り返すばかりなのです。それについて主治医に質問したところ、「膵臓は胃の真後ろにあって、画像が見にくいから」とのことでした。ようするに、先端機器で3ヶ月もかかって調べても、膵臓の状態は捉えられないということです。
あるとき、若い医者が数人エコーモニターの前に集まって、苦しんでいる私を尻目に、「あっ、ファータ(膵頭)が見えた、あれがファータだ、あれ、あれ」といって興奮気味に囁きあっていたことがありました。私はこのとき、自分の膵臓が研修医たちの勉強の材料にされている、と直感しました。
その後も同じ検査が繰り返され、やはり時折襲ってくる激痛に、私はもう耐えられなくなりました。こんな状態が今後も続くようではたまらないと思い、手術のことを考えはじめていた矢先に、ついに主治医から所見を聞かされることになりました。主治医はこう告げたのです。「強烈な消化・溶解作用を持つ膵液が、最初は膵臓そのものを溶かしはじめていたのが、今は周辺組織にまで漏れ出し、胃、胆嚢、十二指腸などを溶かしてしまい、その結果、仮性嚢胞という、これからも激痛の原因となる厄介なものができている」と。
結局、痛みを取り除くには手術しかないという結論が示され、私のほうから手術を依頼する形になってしまいました。私は、膵液の流出をなぜ阻止できなかったのかという点に疑問をもちましたが、主治医はそれには触れませんでした。つまり、痛みの原因が膵臓であることがわかるのに、あまりにも日数がかかったことを認めたくなかったわけです。過ぎたことを詮索してもしようがないと思い、あとはすべてを医者に任せるより仕方ありませんでした。
手術で痛みは除去できたものの、これがあとあと、もっとつらい苦痛を強いられることになりました。退院後今日までずっと、手術の後遺症である激しい動悸や息切れ、不整脈、極度の疲労感などに間断なく苦しめられ、きびしい食事制限によって体力が衰退しつづけ(文字通り骨と皮の状態です)、社会復帰は絶望的という人生を送らなければならなくなってしまったのです。
手術は自分から頼んだ以上、今さらそれに対して抗議することはできません。しかしながら、このような結末に至ってしまったのは、明らかに医療側(つまり医者)に責任があります。一つには、最初の診断ミスは正真正銘の医者の知識不足によるものだということ、もう一つは、それが原因で病名がわからなかったため、適切な処置が何もできなかったことです。
許せないのはつぎです
最初に運び込まれた病院では、私が激痛で顔を引きつらせ、断末魔の声を張り上げ、のた打ち回っているのを見れば、医者でなくても、これが急性症状の勃発であることはわかったはずです。急性症状の勃発はしばしば命の危険があるため、処置は一刻を争わなければならないのは当然です。ところが、そんな緊急事態であるにもかかわらず、2週間も無意味な検査を繰り返すだけで、セカンド・オピニオンを求めるなどの情報収集を怠り、病名がわからないまま、症状を長期間放置したということです。
やったことといえば鎮痛剤の注射、点滴、座薬ぐらいなもので、それらはどれも一時的に激痛をやや緩和したにすぎません。激痛はすぐにぶり返し、そのつどまた鎮痛剤の使用が繰り返されただけで、根本原因は除去できなかったのです。病名がわからなければ正しい処置ができないのは当たり前で、とにかくもっと早い時点で、私に「病名がわからない」ことを正直に伝えるべきだったのです。
そして二番目の病院では、最初の病院からのカルテなどで症状や検査結果は知っていたにもかかわらず、また同じ検査を繰り返し、2ヶ月以上も病名がわからなかったということです。関西労災病院ほどの病院なら、その気さえあれば、私の症状が「急性アルコール性膵炎」という急性疾患のものであることくらい、もっと早く調べて突き止めることができたはずです。そして急性疾患を長期に放置すれば、症状が悪化して、手遅れになることは十分予見できたことも明らかです。
じつは、手術は避けることができたのです。その後、私自身でいろいろ調べたところ、痛みの原因はアルコールの飲みすぎによる、アミラーゼという酵素の過剰分泌であること、そして(早く的確な診断ができていれば)、アミラーゼの過剰分泌を早く抑え、あとは時間をかけて保存療法(内科療法のこと)を続け、膵臓を元の状態に戻すことができた、ということもわかりました。
そういう意味で、医者たちは知識不足だったうえ、急性症状の長期放置がもたらす結末は十分予測できたにもかかわらず、迅速な処置を怠ったことは明白です。したがって私個人としては、こういった行為は刑法でいう「未必の故意」に相当し、本質的には立派な犯罪ではないかと解釈しています。
しかしながら、医療行為にたいしては、そのような刑法上の判断がじっさいに適用されることはないでしょう。そして、手術じたいは成功したこと、手術は私のほうから依頼したこと、死亡には至らなかったこと、つまり救命処置はとられたと判断されることなどから、これが医療事故とみなされるかどうかさえ疑問です。また過去において、私のようなケースが立件されたことがあるのか、それも今のところ不明です。
じつは、医者の明らかな過失を確信するようになってから、私は、これら二つの病院と、診療に当たった医者たちを告訴することも考えたのです。しかし今述べたような事情と、そんなことをしても自分の体が元通りにならないことから、提訴する気持ちは失せてしまいました。
ただ、私自身のためではなく、医療ミス根絶のために、自分の体験をできるだけ多くの人々に知っていただく必要はあると思っています。

3. 無意味で危険な検査

アメリカの医療情報によりますと、臨床検査は患者の利益になるより、逆に不利益になることが多い、検査データの不正確さはもはやスキャンダルと呼ぶべきものになっている、などの認識が広まっています。

そこで、全米疾病対策センター(CDC)が全国の医療機関の検査の実態を調査したところ、検査ミスが発生する割合は、なんと全体の4割以上もあったことが判明したのです。そのうち血液検査ヘモグロビン、血清電解質のミスは3割もありました。
同センターはさらに、鎌状赤血球性貧血が確認できない割合、伝染性単核症(白血球増加症)の誤診がそれぞれ3割以上、正常な検体を白血病と誤診したもの2割、確実に異常と誤診したもの2.5割などというショッキングな事実を公表しました。日本ではこのような調査が行われた例がないため、詳しいデータはありませんが、おそらく数字はもっと高いものと推測されます。
血液検査(採血)によって、体が直接被害をうけることはないかもしれません。しかし、検査結果がいい加減なものだとわかれば、好んで痛い目にあう必要もないでしょう。
医者が検査を積極的に薦めるのは、患者を確保するのが目的だという専門家の意見があります。
ハイテク医療機器は、科学技術の進歩の結晶のように思っている人が多いのですが、じっさいには、上記のような問題や数値の誤差が生じるなど、さらには医者がデータを誤読したり、診断を誤るという問題もいぜんとして残っているのです。
医者が儀式的に(患者の信頼を得る手段として)取り扱うさまざまな医療機器のなかでも、最も普及していて、もっとも危険なものがレントゲン装置です。とにかく見えない体のなかを透視できるため、これを自在に操る医者や技師に、患者が畏敬の念をいだくのも無理からぬことでしょう。医者は患者側のこういう心理をちゃんと見抜いています。そしてそれを、自分がやりたいことができる下地を作るのに利用するのです。
それに陶酔する医者は、にきびが発生するカラクリから、胎児の成長の神秘まで、ありとあらゆる検査にレントゲン装置を使いまくるのです。
レントゲン検査がなぜ危険なのか、一般の人は考えたこともないのではないでしょうか。それは、とくに日本においては、医療の実態について体制が事実をひた隠しにして、国民にすべてをオープンに公表しないからです。
たとえば、小児白血病が、胎児のときの医療被曝、つまりレントゲンと深い関係があることはすでに実証されています。2,30年前に頭部、首、胸の上部に放射線を浴びた人たちのなかで、甲状腺機能低下症が何万という単位で発症していますし、甲状腺がんは、歯科医のレントゲン検査10回で浴びる放射線量を下回る線量の被爆でも発症することがあるのです。
アメリカでは、現在までもう何人もの科学者が、アメリカ議会で警告しています。
たとえ低線量の放射線でも、人体に照射すると遺伝子を損傷して、現世代だけではなく、それ以降の世代にわたって大きな影響を及ぼす危険がある。X線は糖尿病、心臓病、脳卒中、高血圧、白内障といった、いずれも加齢に伴う病気の原因になることは間違いない」。
がんや血液の異常、中枢神経系の腫瘍の原因が放射線にあると指摘する研究は、ほかにもいくらでもあります。病院や診療所、歯医者で受けた医療被曝が直接の死因と見られる死亡者は、年間5,000人以上にものぼると推定されています。
最近の調査では、胸部レントゲン検査はじっさいの治療には無意味であることや、マンモグラフィーという乳がん検査の診断が正確さを欠くことは、実習を受けた医者も、何も受けていない医者も同じだと報告しています。
これらのことを知ったうえで、さらに注意をしなければならないのは、医者によってはわずかな症状の異変を根拠にして、病気を捏造する場合があるということです。これはとても許されるべき行為ではありませんが、いずれにしても、現代医学は病気の診断すら的を射ていないわけで、安易に医者や病院へ赴く前に、熟考すべき問題がいくつもあることを知っていただきたいのです。

4. 慢性疾患と急性疾患の混同視

慢性病にはじつに多くの種類があります。

がん、糖尿病、肝臓病、腎臓病、心筋梗塞、高血圧症、神経痛、肥満、自律神経失調症など、すべて慢性病と考えられています。
こういった病気の分類について、森下先生は次のように述べています。「現代医学はそれらの一つひとつに異なった発病のカラクリがある、という考え方をしている。そしてそれぞれにいかにも難しい理屈を並べ立てて、治療法も複雑化する一方だが、それで病気を治せるようになったかというと、否である。むしろ反対であって、一時的に症状を抑えるテクニックは優れていても、病気そのものは一向に治せない。かえってこじれた状態に追い込んで、いよいよ慢性病を治りにくくし、寿命までも縮めてしまっている。つまり、現代医学の考え方は間違っているわけだ」と。
現代医学はこうして病気を細かく分類していますが、本質的に見ると病気はただの一つとみなすべきなのです。いいかえると病気の成り立ちはすべてに共通しているわけで、この点を正しく捉えていないと、的確な慢性病対策は立てられないのです。
第一章でもおわかりいただいたように、発病の決定的因子は「食べ物の誤った摂り方」にありました。森下先生はさらにいわれます。「現代医学は、食べ物はたとえて言えば自動車を動かすためのガソリンであり、機関車を動かすための石炭だと考えている。ようするに燃料にすぎないとみなしているわけだ。当然、食べ物が材料になって血球が作られるとは、夢にも思っていない。食べ物は食べ物、血球は血球であって、両者はまったく別物だと、間に壁をこしらえて考えている。むろん、腸で血球が生み出される『腸造血』などということは知らないし、私どもが腸造血説を唱えても、まったく認めようとしない」。
日本を代表する名医の言葉に、全国の医者は謙虚に耳を傾けるべきだと思います。
幸か不幸か、国民皆保険というものがあるために、私たちは病気予防という問題にたいして、関心が薄くなる傾向があります。「医学のことはわからない」、「医者や専門家に任せておけばいい」、「病気になったらなったときだ」という意識がその表れです。
医療改革の一環として、「インフォームド・コンセント」や「セカンド・オピニオン」が話題になっていますが、患者側の意識の向上がともなわなければ、それらは逆に医療従事者に悪用されかねません。
たとえば、患者に知識がないのをいいことにして、複雑な理論や専門用語などで患者を煙に巻く、といったことは現実によく行われています。意識をたかめることは、医療被害を未然に防ぐのに大きな役割を果たします。また、医療情報をめぐる「常識の罠」にはまらないよう注意することも大切です。
次の例から、その意味がおわかりいただけるのではないでしょうか。
昨年の四月でしたか五月でしたか、「スーパー熱血医師、患者を救う!」というテレビ番組がありました。
日本テレビの徳光アナが心筋梗塞で命を落とすところだったのが、三つの奇跡が重なって助かったというものでした。その奇跡というのは、知り合いに医者がいたこと、処置が迅速だったこと、その医者が「神の手を持つ男」として世界的に有名な外科医だったことでした。
血流が悪くなって冠状動脈が詰まったため、バイパスを作る手術が行われたのです。心臓関係の手術としては、ほかにバルーン(風船)やステント(筒)を挿入する冠動脈形成術、動脈硬化部を削り取るアテレクトミー、ロタブレーターなどがあります。これらは部分的な修復手術といわれるものですが、手術の種類としてもう一つ、がんのような処置の施しようのない病変細胞や、腐敗、壊死した患部をまるごと切って捨ててしまうという切除手術、除去手術もひんぱんに行われます。
いずれも高度な技術が要求されるもので、とくに手先の器用な日本の外科医のなかには、世界を舞台に活躍する人もいて、「日本の医療はやはりすばらしい」、「病気になっても安心だ」といった安易な信仰を生むのではないか、懸念されるところです。
じつはこのとき、テレビ映像のインパクトに気を取られて、視聴者は大きな錯覚に陥っているのです。冷静に考えればすぐわかるはずですが、これはけっして病気そのものを治療しているのではなく、いわば一時的な応急処置を施しているにすぎません。
もし病気の根本原因を放置したままだと、いずれそのうち別の箇所で、同じ症状が勃発しないという保障はないのです。この番組を見たほとんどの人が、「心筋梗塞が治った」という印象を植えつけられたとしたら、とんでもないことではないでしょうか。
誤解をなくすには次の認識が必要です。
病気とは慢性疾患のことで、このケースのように突然、発作や激しい苦痛が起きるものは急性疾患です(私のケースも同じです)。急性疾患はすでに病気の段階を通り越して体内の負傷、つまり怪我となったものですから、手術はその怪我を修復するだけで、それでもとの病気が治るわけではありません。重症であれば手術に頼らざるをえないでしょうが、そうでなければ急性症状に到った原因を突き止め、その原因を除去する対策や処置を考える必要があります。しかしほとんどの場合、医者も患者も、手術で病気が治るものと勘違いするため、原因の究明ということを忘れがちです。手術で一時的な延命はできても、それとて大変な危険と隣り合わせであることを覚悟しなければならないのです。つまり手術しだいでは、そのまま一命を落とすこともしばしばあるということです。ようするに大切なことは、そういう事態に到るまでに、慢性状態をそれ以上悪化させないよう、それより病気にならないよう、予防しておかなければならないことはいうまでもありません。
手術をおこなう前に、肉体は細胞の寄せ集めではなく、内臓も単品の合体ではないということをよく認識すべきです。体はすべてがそろって全体の調和を保ち、規則正しい生体リズムを生み出しているわけです。
一例をあげますと、子宮に問題があってそれを摘出したとします。術後、やがて腰骨に異常がおき(ずれたり曲がったりする)、これが子宮に移行して子宮の神経異常を引き起こし、いずれ腫瘍やがん、筋腫などを作る原因となる場合があります。
切断された神経の流れは元に戻らないまま、全体としての生体リズムは、今はもうない臓器に向けて正確なパルスを送り続けます。これが時の経過とともに、新たな問題を発生させないといえるでしょうか。
患部」という部分だけにとらわれ、それを処置してすべて終わりとしても、もとの病気は治らないばかりか、苦痛を長引かせるという、悲惨な結果を残すことを知らねばなりません(私の場合がそうです)。命の危機に瀕している場合を除いて、手術は軽々しくやるものではないのです。
もうおわかりのように、「はっきり目に見える症状に対する処置」、ズバリ「対症療法」が西洋医学の本領であり、その特色は、外科手術を中心とする攻撃的で危険な治療法です。
もともと西洋医学とは、戦争や交通事故、犯罪や喧嘩や工事現場での負傷、日常生活での転落、転倒による怪我、はたまた先天性の肉体上の奇形、変形、臓器の欠損や機能不全などの治療が専門で、いわゆる慢性疾患、つまり病気というものに対しては、処置理論も療法もいまだに確立されていない、まして病気予防や健康維持の対策とはぜんぜん畑違いの分野だったのです。
ところが、いつの頃からか急性疾患が増加しはじめ、それによる体内負傷の治療を手がけるようになり、人々がこれを「病気の治療」と勘違いした、そのために慢性病を侮り、急性症状の勃発というぎりぎりの時期まで対策を怠っている、というのが実情なのです。


5. 健康体を切り裂く悪魔的所業

この勘違いゆえに、痛ましい悲劇が繰り返されています。医者を信頼するあまり、検査によって「がん」と宣告され、医者が「でも小さいうちに見つかってよかったですね。すぐに手術で切り取ってしまえば安心です」とでもいえば、「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」、というのがよくあるケースです。

化学療法や放射線療法を薦める場合もありますが、イメージ的に手術のほうがすっきりするのか、患者から手術を希望することが多いといわれています。そしてこの決断が、血も涙もない医者の非人道的な行為を許すことになるのです。
こういったケースでは、二つの可能性があります。
一つは、いわゆる「がんもどき」のケースです。これは第一章でご紹介した「医療ミス」の共著者、慶応大学の近藤医師が手術療法を批判されている言葉で、単なる炎症か良性の腫瘍を、故意にがんと診断するもののことです。
検査や診断のさい、医者はなるべくオーバーな病名をつけようとします。たいした病名でなければ、診断のための検査料や投薬料などが保険で認められないため、診療報酬請求をカットされる恐れがあるからです。もう一つは、本当のがんである場合、見つかったものは小さくても、ほかの臓器などにすでに転移してしまっている可能性があります。
最初のケースは論外ですが、二つ目の場合も手術は無意味で不要なのです。なぜなら、転移していれば手術をしても再発は避けられないからです。そして不幸にも手術をされてしまった患者は、以降ずっと、いや恐らく死に至るまで、手術の後遺症がもたらす苦痛に苛まれ、「いっそがんで死んだほうがよかった」ということになり、いくら悔やんでも悔やみきれるものではありません。
こうした場合、つぎのような風評が流れ、それがやがて既成事実になってしまうことがあります。
A医師は名医だ。彼が手がけた手術で患者は病気を克服したし、ほとんど再発もない。5年治癒率も非常に高い」、「なるほど、それは間違いない。その点、B医師はだめだなあ。再発するということは、手術は失敗だったのだな」。
これがあとあと何を意味することになるか、考えただけでも空恐ろしくなります。がんは慢性病です。根本原因を取り除かないかぎり、手術で治ることなど絶対ありえません。
先ほどの例から明らかなように、急性症状の勃発に見舞われたら、はっきりいって手遅れです。ですから繰り返しになりますが、慢性病が進行しないうちに、いや、できれば病気にならないうちに予防対策をしておくべきです。そしてそれは、自分自身でしかできないのです。
いかに高名な学者であれ、医学博士であれ、優秀な医者であっても、あなたに病気が発生するのを阻止することは不可能です。長年にわたって日ごろから積み重ねてきた、あなたの生活習慣のなかに病気の原因が作られていくわけですから、他人がこれに直接関与できないのはあまりにも明白な事実です。
病気そのものは治療するものではありません。血液と細胞の異常という原因は、主として食生活を改善することによって、少しずつ取り除いていくしかほかに選択肢はないのです。
どうか、このことをくれぐれもお忘れなく。
一言つけ加えるならば、先の近藤医師は、がん治療専門の外科医や多くの医者からひんしゅくを買ったり、攻撃されたりしています。金儲けのためには患者を人間とも思わず、非情な行為を平然とおこなうそれらの医者のなかには、「頼むから、波風を立てないでくれ」と、ひそかに近藤医師に嘆願する者もいるそうで、医者の倫理観はもはや遠い過去のものになってしまいました。


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