刎頚の友(ふんけいのとも)

 これは、趙(ちょう)の国の食客(しょっかく)だった藺相如(りんしょうじょ)が秦(しん)の国から和氏の璧(かしのへき)を無事に持って帰った(参照:完璧)後の話です。その後、藺相如は上大夫(じょうたいふ)という高官に任ぜられました。

 やがて秦と趙が戦争になり、秦は趙に勝っていたのですが、あるとき秦のほうから和解しようと申し出があり、会合を開く事になりました。趙王には藺相如がついていくことになりました。

 秦王は盛大な宴会を開いて趙王たちをもてなしました。そして、宴会が盛り上がってきた所で秦王が趙王に言いました。

「趙王は音楽が好きだと聞いているが、ひとつ瑟(しつ−琴の一種)でも弾いてくださらないか。」

 しかたなく趙王が瑟を弾くと、趙王は記録係に「○年○月○日、秦王、趙王に命じて瑟を弾かせる」と記録させました。すると、藺相如が進み出て秦王に言いました。

「秦王は秦の音楽に堪能(たんのう)だと伺っております。ひとつこの瓦盆(かわらぼん−瓦の器)を打って宴会を盛り上げてください。(これは秦の風習らしい。)」

 しかし、秦王は怒りやろうとしませんでした。そこで藺相如は言いました。

「趙王は余興(よきょう)として瑟を弾きました。秦王にもやっていただきます。秦王と私の間はわずか5歩です。承諾(しょうだく)頂けないのでしたらお命を頂戴(ちょうだい)致します。」

 ついに秦王は余興をやり、藺相如は記録係に「○年○月○日、趙王、秦王の為に瓦盆を打つ」と記録させました。

 次に、秦の高官が趙王に言いました。

「趙王様、わが秦王の長寿を祝って趙の国の15城を献上(けんじょう)されてはいかがでしょうか。」

 すると、藺相如はすぐに答えました。

「それよりも、秦の都の咸陽(かんよう)を献上(けんじょう)して趙王の長寿を祝ってはいかがでしょう。」

 こうして藺相如のおかげで趙は秦と対等の立場を保つ事が出来ました。そして、この功績により藺相如は上卿(じょうけい)という位につくことが出来ました。

 さて、趙の国にはやはり上卿の位の廉頗(れんぱ)という将軍がいましたが、藺相如は同じ上卿でも廉頗将軍より位が高くなってしまいました。そこで、廉頗は怒って言いました。

「私は趙の総大将として数々の功績をあげてきた。しかし、藺相如は口先だけでの働きでしかない。しかも身分もわからぬ食客だった男だ。そんな男の下にいる事は我慢できない。今度会ったら辱めてやる。」

 この話は藺相如の耳にも入り、それ以来、廉頗と顔を会わせる事の無いよう病気と偽り外出をしない様にしました。

 そんなある日、藺相如は家の者に外出を薦められ、馬車で出かける事にしました。すると、向こうから廉頗が馬車でやってくるのが見えました。あわてて藺相如は自分の馬車を陰に隠して通りすぎるのを待ちました。これを見た家臣たちは藺相如に言いました。

「私たちがあなた様にお仕えしているのは、あなた様の高義(こうぎ)を慕っているからです。今あなた様は廉頗将軍と同じ身分になられました。しかし、廉頗将軍の辱めを恐れて逃げ隠れをされております。今日の出来事は匹夫(ひっぷ−身分の低い人)でも恥ずかしいと思う事でしょう。しかし、あなた様はそれを恥ずかしいとも思われていないご様子。もう私たちはこれ以上お仕えする事は出来ません。どうかおひまを下さい。」

 藺相如は言いました。

「おまえたちは、廉頗将軍と秦とではどちらが恐ろしいと思うか。」

「それは秦です。」

「私はその秦と2度にわたって堂々とわたりあって来た。その私がなぜ廉頗将軍を恐れるものか。あれほど強大な秦の国がなぜこの趙を攻めないのかというと、それは私と廉頗将軍がいるからである。今2人の間がうまくいかなくなってしまったら秦の思う壺である。私が廉頗将軍を避けているのは個人の争いよりも国家の争いの方が大切だからである。」

 家臣たちは、これを聞いて自分たちの主人の偉大さにあらためて感心しました。そして、この話は宮中にも伝わり、廉頗の耳にも入りました。廉頗はもろ肌を脱ぎ、荊(いばら)の鞭(むち)を背負って藺相如の家に行ってこう言いました。

「私は藺相如様の心も知らず愚かな態度をとりました。どうかこの荊の鞭で私を打ってください。どれだけ打たれようともあなた様の今までの苦しみをつぐなえるとは思いませんが、私は穴があったら入りたいほど恥ずかしい気持ちです。」

 藺相如は廉頗に着物を着せ、それから2人は酒を飲みながら、お互い相手の為に頚(くび)を刎(は)ねられても悔いはないと言い、とても親しくなりました。

 それ以来、このような関係を「刎頚の交わり」と言い、その友人を「刎頚の友」と呼ぶようになりました。

  

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