矍鑠(かくしゃく)

 「矍鑠」とは大変難しい字ですが、「矍」とは「おどろく・いさむ」姿の意味、「鑠」とは「さかん」と言う意味です。そして、2つを合わせて、「年をとっても元気なさま」という意味で年老いた人に対して使われます。 この言葉に関する故事は、「後漢書(ごかんじょ)」の中の「馬援伝(ばえんでん)」に書かれています。

 馬援は、始め蜀(しょく)の王「隗囂(かいごう)」に仕え、のちに後漢(ごかん)の光武帝(こうぶてい)に仕えた名将です。馬援は、普段ことあるごとに次のように言っていました。

「戦場でみごと立派(りっぱ)に討死(うちじに)をとげ、屍(しかばね)を馬の皮に包んで葬(ほうむ)ってもらってこそ、大丈夫(だいじょうぶ)たる者の本懐(ほんかい-本来の望み))なのだ。女子供たちに見とられて、寝台(しんだい)の上で死ぬなどまっぴらごめんだ。」

 紀元40年頃、今のベトナム北部は漢の領域(りょういき)に属(ぞく)していましたが、「チュンチャク、チュンニ」の姉妹をリーダーとする反乱がおこり、漢軍を悩ませました。そこで、馬援がおもむき、これを鎮(しず)めてしまいました。このように馬援は各地を平定(へいてい)し、大いに活躍しました。

 こうして馬援は62歳になりました。その当時としては大変な高齢です。それでも、辺境(へんきょう)の地で反乱が起こると、自(みずか)ら出馬(しゅつば)を願い出ました。しかし、光武帝は馬援の高齢をおもんぱかって許しませんでした。そこで、馬援は言いました。

「私は、これでも甲(よろい)をつけ、馬に乗ることが出来ます。」

 そして、甲冑(かっちゅう)を身につけ、馬にまたがると光武帝の方を降り返りました。これには光武帝も笑って言いました。

「矍鑠たるかな是(こ)の翁(おきな)や」(元気なものだな、この爺(じい)さんは)

 こうして、馬援は出陣しましたが、その陣中で没(ぼっ)しました。

 

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