太公望(たいこうぼう)

 殷(いん)の紂王(ちゅうおう)の時代に西の方に周(しゅう)という国がありました。

 その国の主君となった昌(しょう)は良く国を治め、人望も厚かったので殷の紂王より西伯(せいはく)という位を授かりました。西伯というのは、西の方の国々の長という意味です。その昌の祖父が亶父(たんぽ)という人で、常々こう言っていました。

「やがて聖人が現れ、その方の力により周の国は栄えるであろう。」

 祖父の事を「太公」と呼びました。

 ある時、西伯が猟に出かけるので占ったところ、

「獲物は竜にあらず,蛟(みずち)にあらず,虎にあらず,熊にあらず。獲物は覇王(はおう)を補佐する臣であろう。」

と言われました。

 そして猟に出ると、渭水(いすい)のほとりで釣をしている男に出会いました。いろいろと話をしているうちに、その人が優れた能力を持っていることが判り、西伯は、

「あなたこそ、我が太公が望んだ人である。」

と言って召抱える事にしました。その男の名は呂尚(りょしょう)といいました。

 呂尚は軍師として西伯を助け、周の国は、とうとう殷の国を滅ぼして天下をとる事が出来ました。その後、西伯は文王(ぶんおう)の称号を授かり、呂尚は斉(せい)に封ぜられ斉の発展の基礎を築きました。また、呂尚は有名な兵法書(へいほうしょ)の一つ、「六韜(りくとう)」を書いたことでも有名です。

 現在では、この逸話に基づいて釣をする人のことを「太公望」と言うようになりました。

 

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