国士無双(こくしむそう)

 国士というのは国の中で一番優れている人物のことを言い、無双というのは並ぶ者がいないという意味です。ですから、天下に並ぶ者がいない程の優れた人物を「国士無双」と言います。そして、かつて国士無双といわれた人物が韓信(かんしん)という人です。

 秦が中国を平定していたころ、韓信は淮陰(わいいん)という地方の貧しい平民の子供でした。若いころは学者の門下に入り、兵法を学ぶなど勉学に励んでいました。ところが、母親が死んだときに葬式に行かなかったので破門になってしまいました。

 次に韓信は、ある亭長(下級の役人)の家に居候(いそうろう)する事になりました。ところが、毎日手伝いもせずゴロゴロしてばかりだったので食事をもらえなくなり、そこを出て浮浪者の生活をはじめました。しかし、いずれ出世するという志だけは持っていたので、剣だけはいつも持ち歩いていました。そんなある日、韓信をからかってやろうと気の荒い連中がやって来て言いました。

「おまえの持っている剣は飾りなのか。度胸があるならこの俺を斬ってみろ。斬れないのだったら俺の股をくぐれ。」

 韓信は悔しかったのですが、こんな事で命のやり取りをするために学問をしてきたのではないのだと思い、黙って股をくぐりました。まわりで見ていた人たちは皆笑い、韓信の事を股夫(こふ)と呼んであざけりました。

 しばらくして、各地で秦(しん)の政治に不満を持っていた人たちが反乱を起こし出しました。その中に項羽(こうう)や劉邦(りゅうほう)などがいました。これを機会に韓信は項羽の軍に雑兵(ぞうひょう−一番位の低い兵士)として入りました。そして次々に献策(けんさく−上の人に計画を申し立てる事)をしましたが採用してもらえず、雑兵のまま軍隊生活を送っていました。そうこうしているうちに劉邦の軍が秦を滅ぼしてしまいました。

 しかし、それが面白くない項羽は劉邦を滅ぼそうと思っていました。劉邦はその事を察知(さっち)して兵を募集し始めました。韓信は、劉邦が項羽と違って人の意見をよく聞く人物だという事を聞いていたので、項羽の軍を去り劉邦の軍に加わる事にしました。ある時、韓信は丞相(じょうしょう−王を補佐して政治を司る最高官)の蕭何(しょうか)の目にとまり、兵法などの話をするうちに高く評価されました。そして蕭何の推薦(すいせん)で食糧官(年貢米を取り立てる役)として働く事になりました。韓信はその仕事をまじめにしましたが、食糧官では満足する事が出来なかったので漢(かん−劉邦の領地)から抜け出して他の国で出世しようと思いました。

 韓信がいなくなったと報告を受けた蕭何はあわてて自ら後を追いました。そして夜になってようやく追いつき、もう一度漢王(劉邦)に推薦するということで納得させ、つれて帰る事になりました。

 次の日帰ると漢王はかんかんに怒って蕭何に言いました。

「蕭何、なぜ逃げたのだ。返答次第では許さんぞ。」

 蕭何は答えました。

「漢王様、私は逃げたのではなく、漢から逃げた人物を追っていたのでございます。」

 漢王は言いました。

「お前は今まで兵や将が逃げても追いかける事は無かったが、いったい誰を追いかけたと申すのだ。」

 蕭何は答えました。

「それは韓信でございます。ただの兵や将ならば手に入れるのはたやすい事です。しかし、韓信は国士無双です。漢王様が漢王の地位でご満足であれば韓信がいなくてもかまわないでしょう。しかし、項羽と争い天下をとるつもりならば韓信を大将軍(将軍たちの長)にするべきです。」

 漢王は蕭何の意見を取り入れ、韓信を大将軍にしました。その後、韓信は国士無双の呼び名にふさわしい大活躍をし、漢王は天下を定める事が出来ました。

 国士無双と呼ばれた韓信も偉大だが、項羽も見抜けなかった彼の能力を見事に見ぬいた蕭何も大した人物ではないでしょうか。

  

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