嚢中の錐(のうちゅうのきり)

 さて、難しい字ですが「嚢」というのは袋の事、「錐」は大工道具で木などに穴を開けるためのキリの事です。ですからこの場合、袋の中の錐ということです。

 紀元前3世紀に中国は趙(ちょう)の国の王族に平原君(へいげんくん)という人がいました。平原君は数千人にも上る有能な人々を食客(しょっかく)として招いていました。食客というのは、いざという時その知恵借りるために自分の家に一緒に住んでもらっている人のことです。

 ある時、趙の国は都の邯鄲(かんたん)を秦(しん)の国に包囲されてしまいました。秦はとても強い国だったので趙の国力だけではかないません。そこで、楚(そ)の国と同盟を結び救援してもらおうという事になり、平原君を使者として送ることになりました。

 そこで平原君は、家臣や食客の中から武術に優れ、知恵のある人を20人連れて行くことにしました。そして、19人までを選んだのですが、あと1人がどうして適当な人がいません。すると食客の中にいた毛遂(もうすい)という人が自分を連れていってくれるよう平原君に申し出ました。すると、平原君は言いました。

「毛遂先生は私のところに来てどのくらい年月がたちますかな。」

「今年で3年になります。」

「そもそも賢人と言われる人物は、たとえば錐を嚢中(袋の中)に入れておくようなもので、そのとがった先端はすぐに袋を突き破って見えてくるものです。しかし、いまだかつて毛遂先生の優れたうわさというものを聞いたことがないというのは、先生にはあまり能力がない為と思えます。よって先生をお連れするわけにはいきません。」

 すると、毛遂は言いました。

「私は今日こそ嚢中に入りたいと思います。私がもっと早く嚢中にいれば先端のみならず柄までも突き出ていたことでしょう。」

 そう言われて平原君は毛遂を連れて行くことにしたが、他の19人の連れはみんな陰で笑っていました。しかし、楚の国までの旅の途中にみんなでいろいろな討論をしましたが、誰一人として毛遂にかなう人はいませんでした。

そして、楚の国に着き、平原君は楚王(そおう)と同盟についての話し合いを始めましたが、なかなか結論が出ませんでした。すると、2人の前に毛遂が進み出てきました。楚王は無礼な毛遂にとても怒りましたが、毛遂はひるむことなく楚王にこの同盟の利益を説明し、とうとう楚王を納得させてしまいました。こうして毛遂のおかげで同盟を結ぶことができました。

 このことから「嚢中の錐」とは賢人というものは普段は目立たないものでも、いざというときにはその能力を出すものである、という意味になりました。

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